第9話 ピザ

文字数 2,205文字

 ザイアンがやってきた。ノアの友達だ。
「なんだあ、今日はピザ、作ってないのか」
 おいおい、食べたいなら先に言っておいてくれ。そんな、五分十分でできるものじゃないのだから。

 ザイアンは、色々複雑だ。

 このハウジングエリアには彼のおじいさん夫婦が住んでいる。プエルトルコ人である。五年前、息子が離婚して、ザイアンを連れて戻ってきた。しかしその息子はザイアンをおじいさん夫婦に任せてゲーム三昧の遊び三昧だった。その翌年、なぜかホーリーが来た。ホーリーは韓国人と白人の間に生まれた子で、ものすごい美少女だ。そう、父親は韓国人。息子の元妻の娘だ。お母さんと一緒にアリゾナに暮らしていたのに、どういうわけかここに来た。ホーリーと、おじいさん夫婦、息子は血のつながりがない。けれど、ザイアンとは血のつながりがある、というわけなのか、一年近く一緒に暮らしていた。こともあろうか、実父とは音信不通。連絡先を交換したのに、連絡が取れないらしい。そして今回、その息子が再婚し、引っ越しをした。ホーリーはどうなったのか知らないけれど、ザイアンは四年生の時点で別の学校に通うことになった。

 なのに、一か月に一度くらい、おじいさん夫婦の家に帰ってきて、うちに入り浸る。ホーリーの姿は見えない。
 引っ越した最初のころ、ザイアンは常に目をぐるぐるさせたり、顔をしかめたりして、挙動不審だった。よほど新生活のストレスが溜まっているのだろうと思った。
 十か月が過ぎ、ようやくいつものザイアンに戻った。そして、いつものように、
「なんだ、ピザはないのか」
 と言ってのける。ほっとした。
「学校どう? 楽しい?」
 ノアと同じ学校に通っていたときは、迷わず、
「楽しい」
 と答えていたものが、
「まあまあ」
 と言った。
「友達出来た?」
「うーん、時々話す子が、ひとりいるけど……友達じゃ、ないかも」
 驚いた。ザイアンはノアとは違い、超絶フレンドリーで積極的な子だ。てっきり楽しくやっていると思っていた。これはヤバいと思って、話題を変えた。給食の話をした。ノアの学校よりもおいしくて、メニューも豊富だという。けれど、話をしていて気づいた。
 カフェテリアで給食を食べる席は自由席。どうやら、広い机に一人、ポツンと座って食べているらしい。会話の端々から、そのようなことが想像できる。そして、最後に言った。
「なんで、四年生なんて中途半端な時期に転校なんかしなきゃいけないんだ。なんで、みんなと一緒にこっちの中学に行けないんだ。なんでみんなと同じ高校に行けないんだ。ぼくだけ……!」
 ショックだった。男の子で、しかもあれほど積極的な子が……と思うと、ビッキーのことを考えずにはいられなかった。

 意地悪だといわれる女の子の中で、クラスでたった一人のマイノリティ。ザイアンでさえこれほどつらい思いをしているのだ。ビッキーの苦しみはいかばかりであったか。ビッキーにはひとりだけ友達がいたけれど、彼女はとある宗教の信者で、ビッキーを自分の宗教に引きずり込みたいがために仲良くしていた、ということに気づいたとき、彼女のパニック障害の発作がはじまった。
 そこまで考えて、なぜ、ホーリーがザイアンのおじいさん夫婦の家にいたのか、ということもなんとなくわかってきた。最初は夫婦でこの近所に住んでいた。離婚して、母親についてアリゾナに行ったけれど、学校でビッキーと同じ目にあった。それで、ザイアンを頼って昔の義理の父の実家に身を寄せたのではないだろうか。

 心の痛みは、いかばかりか。

 でも今は、誰もがつらい時代に突入している。この間の選挙の少し前から、国民が右と左に分かれた。大人の世界は、それほどでもない。政治と宗教の話はタブーだとわかっているから、あえてその話を持ち出さない。けれど、若い世代は顕著だ。今まで右も左も関係なく、色々あっても一応、友達として付き合いをしていたのに、今では話すのは右か左か、そのことばかり。相手が自分と違うと思うと縁を切るのだという。相手が自分と違うと、いじめはじめるのだという。
 みんなが友達を失い、みんなが苦しんでいる。お互いに攻撃し合い、憎み合っている。私の目には、そのように映る。それが、私の勘違いならいいと思う。

 うちはテレビを見ない。私は日本人だ。友達はイヴォンヌだけだ。だから、右でも左でもどっちでもいい。だから、ビッキーとノアが右でも左でもどっちでもいい。

 義実家の近所で、アジア人が銃で撃たれて死んだ、と、聞いた。私の住んでるアメリカは、テレビで見るのと全然ちがう。だから私の住んでるアメリカでは、まだ、アジア人が襲撃されたニュースは聞かない。それでも、自分が一番最初の犠牲者でなければいいと思う。子供たちが、一番最初の犠牲者にならないでほしいと、切に願う。

 私はもうすでに五十年生きた。本当は、いつ死んでも悔いはない。けれど、子供たちにも旦那にも友達はほとんどいない。親族とも疎遠だ。私が死んだら、彼らはだれを頼ればいいのか。だから、私はまだ死ぬわけにはいかないのだ。

 ビッキーの友達でも、裕福なアジア人の家族が続々とこの国を離れて行っているらしい。もう何人も知り合いのアジア人が国に帰っていったという。けれど、私たちはここを離れることができない。

 長い将来、ビッキーとノアが幸せに暮らしていけますように。

 ただ、それだけを願うのみだ。 
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