第10話 ルンピア

文字数 2,904文字

 ルンピアは、フィリピン風の春巻きだ。色々人によって作り方や中身は違うけれど、肉や野菜を春巻きの皮で包んで揚げ、スイートチリソースで食べる、というのは同じだ。
 うちのルンピアは、肉が八割、にんじんと玉ねぎが一割ずつ、そして、大量のにんにくのみじん切り。味付けは大量のオイスターソースと大量の黒コショウのみだ。それを、できるだけ細く巻いて揚げ、二つに切る。
 ルンピアは、好き嫌いの多いアメリカ人にも、わりと広く受け入れられている料理だ。ポットラックに持って行っても、嫌がられることはまずない。

 ペドロは、ザイアンのおじいさんだ。このハウジングエリアの自治会長でもある。お気に入りの白いベルギービールをビンのまま飲みながら、ペドロはこれで何本目かのルンピアを指でつまんだ。ちなみに、ビールをコップに注いで飲むアメリカ人は、私の知っている限りうちの旦那しかいない。
「結局、まだ一人、自治会費を払ってない人がいてさ。その人は、弁護士なんだよ。考えられるか? 弁護士だけが払ってないんだぞ。もうこうなったら嫌がらせとしか思えない」
 顔をゆがめた。
 
 私がこのハウジングエリアに引っ越してきてから五年、ここはいつも揺れている。
「私がハウジングエリアに求めるはしっかりした自治会。それさえあればいいから」
 家を買う時、こう宣言したのに、実際住み始めてからこのハウジングエリアの自治会こそがこの地域の一番の問題なのだと知らされた。

 もともと、ここはアーサーという大地主の所有する土地だった。アーサーは地元でも有名で評判のいい建築家だったが、八年ほど前に他界した。当時、このハウジングエリアは建設半ばで、半分だけ埋まった状態で建設が止まった。アーサーの資産は息子のボブが引き継いだ。よくある話だが、このボブという男、家を作らせたらそこそこいいのだけれど、私生活がだらしない。離婚は四回、あちこちに女を作り、散財癖がある。アーサーの残した、この建設半ばでほったらかされた住宅地、二年ほどほったらかした後で、
「俺が作りたいのはこんな安っぽいチマチマした家じゃねえんだよ!」
 そう言って、このハウジングの残りの土地を大手不動産会社に売った。そして、不動産会社はスペックハウスを建てた。それが、今、うちが住んでいる家だ。不動産会社はこのハウジングエリアを完成させた。けれど、自治会費はボブが集めていた。それも、家によって値段はまちまち、回収時期もまちまち。請求されてない人さえいた。アーサーが作った家の不備も修繕しないままほったらかし。高低差もばらばらで、排水溝の工事はしていないものだから、大雨のたびに低地にある家は水浸し。地下室の排水溝の工事が悪くて、しょっちゅう床下浸水。市の防火基準を満たしていなかったため、横庭を非常時の緊急通路にしなければならず、土地の一部を失った人さえいた。

 住民はそんなことに悩まされていたから、ハウジングエリアが出来上がって全員から自治会費を徴収しようとしたら、約半数の人が反対した。費用明細も出さないまま、毎年二百五十ドルほどの自治会費を集めようとしたが、集まらない。会合もないまま、いきなり「訴えるぞ」という脅しの手紙まで送りつけられ、住民は激怒した。にっちもさっちも行かなくなったボブは、管理会社に委託しようと奔走するけど、こんなにもめているところに関わりたい管理会社などない。しかたなく、弁護士を引きつれて、住民に「自分で管理しろ」、と、今まで集めた金額と、払った人の明細だけを押し付けて逃げた。

 後処理を引き受けたのがペドロたちだった。心機一転、一から始めましょう、と言ったのに、今まで八年間も自治会費を払わず来た人たちは、今さら払いたくないし、八年分さかのぼって払うなど冗談じゃないと言い出した。ペドロと自治会の役員たちは弁護士を雇って回収に乗り出した。無利子で分割でもいいから、と、譲歩案も出したが、それがかえって彼らのプライドを傷つけ、
「俺たちは金がなくて払ってないわけじゃない! 主義の問題だ! 俺たちはボブが気に入らない!」
 と、叫ぶが、ボブはもういないのだ。多分、払いたくないだけなんだろうなあ、というのが見え見えだ。けれども、今までの分を払っている人たちがいる以上、全員が八年分支払わないと不公平だ。こんな時でも公共の部分の手入れやら電気代やら、固定費はかかり続けている。仕方なく、払わないと延滞料と金利を払わせるぞ、と脅して、ようやく全員から徴収することができた。一人を除いて。
 それが、その弁護士だ、という。弁護士なら今までにこの件でどれだけの弁護士費用が無駄になったか、そして、自分のせいでさらに費用がかさむとわかっていながらごねるのだ。今払わなくても、家を売るときには全額払わされることは法律で決まっている。質が悪い。
 しかし実際、質が悪いのはその人だけではない。向かいの家のティーンエイジャーは夜な夜な友達を連れて、よその家の裏庭に忍び込み、置いてあるトランポリンで勝手に遊ぶ。プールのある人の家のプールで勝手に遊ぶ。別の家は、バスケットボールのゴールを公共部分に放置。うちの隣の家は朝五時から犬をわんわん吠えさせる。大きな犬だから声も大きくて、毎朝それで起こされる。エンジン音の大きな車を乗り回す人もいるし、時速八十キロで、自転車に乗る子供の脇を走り抜ける人もいる。
「とにかく、犬とバスケットボールのゴールは、意見書を出してくれ。それがないとこっちも動けん」
 ペドロは、ゴマ塩にはやしたあごひげをなでながら言った。
「まったく、ボブにはいい加減にしてほしいよ。あいつのせいで俺たちの生活はめちゃくちゃだ。この間まで会長やってたやつ、今、精神科に通ってるんだ。それで俺が会長を引き受けることになったんだ」
 なるほど、前回会った時よりも顔にはしわが増え、髪も真っ白になっていた。
 しかし当のボブは、イヴォンヌの住む高級住宅地で、自分好みの家を作り続けている。ベッドルームが十もあるような天井の高い家で、一つ作っては自分で半年ほど住んでから売りに出す。最初は一億クラスの家だったのに、この間作った家は三億で、エレベーターまでついているという。すぐに買い手がついたので、今度はさらに大きな家を建設中だという。
「あたしは、ボブには何の文句もないわ」
 イヴォンヌはほくほくだ。彼女はボブが一番最初に作った一億の家に住んでいる。近所に大きくて値段の高い家ができれば、必然的にハウジングエリアの価値が上がり、彼女の家の値段もそれにつられて上がるからだ。
 やはり、金というのは金のある所に引き寄せられていくのだろう。この間も、彼女が年間チケットを購入しているフットボールの試合に行った。ちなみに、一人分のチケットの値段は一万五千円。駐車場は四千円。痛い出費だったけれど、「いい試合だから、行こうよ」と、強引に誘われ、断れなかった。入口でくじ引きをしていた。同じように同じ枚数、くじを買ったのに、うちは何も当たらず、彼らは見事四十万円を当てた。
 世の中とはしょせん、こういうものである。
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