第17話 ラザニア

文字数 2,458文字

「奇跡が起きたのよ!」
 そう言ってイヴォンヌがビデオ通話をかけてきたのは、木曜日の午後だった。
「タダーン」という言葉とともに画面に現れたのはマイケルだった。

 そう。実の親から虐待を受け、一年位イヴォンヌと生活を共にしていたのだが、姉であるカイリーのカウンセリングために別の場所へと移された、あのマイケルだった。
「また、一緒に暮らせるようになったのよ! 毎日神様にお祈りしてたの。また一緒に暮らせますように、って」
「ぼくも毎日お祈りしてたんだよ! 奇跡だよ!」
 イヴォンヌのところにいるとき以外は教会にも連れて行ってもらえなかったであろうマイケルが、声をあげた。ここを離れたときは五歳になったかならないか、というときだった。そんな子供が、イヴォンヌたちに会いたくて、焦がれて、毎日神様にお祈りを続けたという。学校にも行かせてもらえず、日常会話さえままならなかったにもかかわらず、だ。さすがに心を打たれた。
 マイケルは満面の笑みで、イヴォンヌに抱かれている。

 歓迎会をする、というので、ラザニアを作って持って行った。
 うちのラザニアは、ミートソースとフレッシュモッツアレラとパスタを重ねるのだが、野菜を食べないノアのために、ミートソースには大量の野菜を混ぜ込む。玉ねぎ、にんじん、セロリ、ピーマン、ニンニク、マッシュルーム。肉とほぼ同量かそれ以上。そして、一番上だけホワイトソースを流し込み、パルメザンチーズとロマーノチーズを合わせたものを振りかけて焼く。もちろん、イヴォンヌたちの大好きなチャーハンも忘れない。
 二年ぶりに見たマイケルは少し背が高くなっていた。私たちのことも覚えていて、顔を見たら走ってきて抱き着いてきた。全身から幸せのオーラがあふれていて、見ているこっちまでが笑顔になるほどだ。

 二年前ここを離れるとき、イヴォンヌとデトルフは、大量の新品の服と何足かの靴を、新品の大きなスーツケース二つ分にぱんぱんにつめて、新品の自転車と一緒に二人を送り出した。けれども戻ってきたときに持っていたのは、普通のサイズの三分の一くらいのプラスチックの衣装ケースに、二年前にあげたパジャマと、ぼろきれのような服が数枚だけだったという。パジャマはくたびれて、無数の穴が開いていて、二年前にあげた靴をそのまま履いていた。有名ブランドのしっかりした靴だったから穴は開いていなかったけれど、足が大きくなって、つま先をまげて無理やり足を押し込んでいたから、「足が痛い」と泣いていたそうだ。イヴォンヌが二人の視力が悪いというのに気づいて作ってあげた眼鏡もかけていなかった。
 カイリーはいまだに前の里親のもとにいるのだという。ふつう兄弟は決して離さないのに今回、マイケルだけこっちに引き取らせた。何かがあったのだろう、とデトルフは苦しい表情でつぶやいた。里親になれば、補助金がもらえる。そのお金欲しさに一人で何人もの里親になり、生計を立てている人も少なくないという。子供を開館と同時に図書館に置き去りにし、閉館のときに連れて帰る。最低限の食事と最低限の服しか与えられていない子供も多数存在する。孤児院はその状況を分かっているけれど、質の高い低いはあっても、一応「衣食住」は確保されているのだから、改善することはできないのだという。今回二人に何があったのか。もちろん詳しい状況は本人たちが語らない限り、孤児院の方からは何も聞かされないから、想像するしかないのだけれど。一方、イヴォンヌとデトルフの二人は、ふたりの里親になるライセンスの有効期限がきれていて、今回マイケルを引き取っても政府からは補助金が出ないのだという。でも、彼らにとっては補助金などは大きな問題ではない。逆に「寄付しましょうか?」というくらいの莫大な富があるのだから。
 それでもまだ、すべてはこれからだ。
 来月、カイリーとマイケルを実母から引き離すかどうかの裁判が行われる。ふたりの母親も虐待されて育ったらしく、男への依存が半端ない。児童手当をもらっているのに、すべてその金をアルコールとドラッグに使った。マイケルがカイリーとともに全身骨折でイヴォンヌのところに運ばれてきたとき、子供たちは何日も食事をしていなかった。母親が男にファーストフードを買い、その残りを棚の上に置いていた。空腹に耐えかねたマイケルが中身を食べた。それに激怒した男が子供たちに手をあげてそういうことになったというのだが、母親は一度も男がやったのだと証言をしなかったという。子供たちがどんなに訴えても、「子供の言うことは証言には値しない」と却下され続けてきた。母親は今、別の男と暮らしているという。

 カイリーは元気でいるのだろうか。マイケルと離れて寂しがっているのではないか。
「それはないんじゃないかな」
 デトルフは寂しそうに言った。
「母親のもとでひどい状況を生き抜いてきたからなのか、それとも虐待のせいなのか、生まれつきそうなのかはわからないけれど、ここにいたときから、カイリーは一切、マイケルに愛情を見せたことはなかったんだ。マイケルが危ない目にあいそうになっても、おなかがすいたと言っても、彼女は絶対にマイケルを助けなかった。自分だけ安全なところに避難して、自分だけ食べ物を持っていても、マイケルにかまってあげる様子は少しもなかった。イヴォンヌが口を酸っぱくして、『あなたたちは兄弟なんだから、お互いを愛し合って助け合わなきゃダメなのよ』そう言い聞かせたし、実際、二人で遊ばせようとしたけれど、カイリーはマイケルをずっと無視し続けてたから」
 複雑だ。複雑で……ひどく、切ない。
 ノアもビッキーももちろんマイケルを覚えている。イヴォンヌのイケメンの甥たちも混ざって子供たちだけでわいわい言いながらラザニアをつつく。マイケルのはじけるような笑顔。
 ここには、幸せが確かに存在しているんだなあ、と、そんなことを改めて思った。

                                   おわり
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