第2話 学校給食

文字数 2,383文字

 さて、長女のビッキーはそんなわけで、この土地に来てから踏んだり蹴ったりでいいことはほとんどないのだけれど、六歳年下の弟のノアは相当恵まれている。
 というのも、ここに来たときはまだ四歳だった。男の子だ、というのもある。でも、彼が今のところうまくやっていけているのはその性格に負うところが大きいと私は見ている。
 ビッキーがまじめで勉強熱心で本の虫。成績は常にトップで十三歳の時に短大に行きはじめた(ちなみにこの土地でこんなことは別にすごくもなんともない。スポーツですごいことのほうがみんなに尊敬されるし憧れられる。彼女はいまだにスクールカーストの底辺をさまよっている)のとは正反対。

 ノアと言えば、まず、本を読むのはきらいだし、隙を見てはズルをしようとするし、「勉強したよ」とバレバレのうそをつき、怒ると、「あれ? そうだっけ?」ととぼける。友達とも遊ばず、一日中ゲームの中継を見て過ごし、少量のご飯しか食べずに大量のお菓子を盗み食いしておなかを満たす。
 サッカーをさせてもチームでただ一人、得点ゼロ。ほかの父兄はノアだけここ数年一度もゴールを決めたことをないのを憐れみ、彼のそばにボールがくると、わが子のように応援してくれる。けれども本人は走っているのか止まっているのか、はたまた後ろに下がっているのかわからないほどの速さでしか走らない。まんまと敵にボールを奪われる、ということを平気でやってのける。前回ゴールをしたのは二年前で、それも自殺点だった。
 バスケはただみんなの後ろをついて平行に走るだけ。何かの手違いでゴール下でボールをもらって形だけのシュートをしても、ゴールの半分ほどまでしかボールが上がらない。
 空手はやる気なしなしのへなちょこパンチに、なよなよキック。先生の前に立つと緊張して、体が全体的に左に傾くものだから、自然と先生たちも彼と視線を合わせようとして体が左に傾いてしまう、というほどのつわものだ。

 でもそれは、今に始まったことではない。

 あの子はすでに、小学校入学のときに、入学拒否されたことがある。そのときは校長先生にかけあって、どうにかお試しで入学させてもらうことになって今に至るのだが、どうしてそんなことになったのか。
 入学前のテストのときに、ボイコットを試みたのだ。テストの日、駐車場から学校の入口まで歩いて一分。そこを、牛歩戦術で十五分かけて入口に到達。先生から聞かれたことは聞かないふり、一緒に受けた女の子の友達に叱咤激励されてようやく口を開く。本人は「恥ずかしかったから答えられなかった」というが、疑わしい。

 というのも、アメリカに来る前はドイツに住んでいたのだが、当時、ドイツの幼稚園に行っていた時も、何もしなくて先生を困らせたからだ。ドイツの幼稚園の教育方針は、学年でくくらず、部屋を解放して色んなアクティビティを用意していた。子供は自分の好きな部屋に行き、好きなことをする。それを先生が手伝う、というやり方だった。けれど当時三歳のノアは、何もしなかった。入口のところで同じくやる気のない子とふたりで立ち尽くし、「幼稚園、いやだよね」「ほんと」「早く帰りたいよね」「今日、休みたかったなあ」的な会話を延々繰り返していた、というのだ。
 その後引っ越ししてアメリカの保育園に行った時も同じだった。先生が課題を渡し、「やりなさい」というのに、何もしなかった。誰とも話さず、遊ばず、おやつもお弁当も食べず、ただ、一人で黙って過ごした。一番最初の成績表は、成績さえつけることができず、真っ白のままだった。

「何かの病気なんですかね?」と聞いたら、
「いや、確信犯だと思います。わかってないからできない、というわけじゃない」
「そうなんですか?」
「一度だけ言われたことがあるんです。自分はこんなことやりたくないのに、なんでやらなきゃいけないんだ、って」
 と、言われた。

 そして今、私が一番頭を悩ませているのは、彼の偏食だ。学校の給食は食べるけれど、それ以外は、ほぼ、ピザやピザやピザなどのピザ類しか食べない。それも、ペパロニという小さなサラミの乗っているだけのピザだ。なぜピザやピザやピザ……などと書いたかというと、自家製だったり、帽子のしるしが付いたピザ屋のものだったり、ドミノ倒しに使うあの小さな板のマークの付いたピザ屋のものだったり、地元のピザ屋のものだったりするからだ。それ以外はほとんど食べず、牛乳と盗み食いのお菓子でしのいでいる。
 しかし、私の食事が食べられずに学校給食なら食べられる、というのは一体どういうことなのか。月曜日は衣が分厚い、Tがつく会社のフローズンのチキンナゲットに、火曜日はおいしくないハンバーガー、それも本人の意向でチーズとケチャップ抜き、水曜日はドミノ倒しのマークのピザ屋のピザ、木曜日はトルティヤチップスのチップスの上に肉やチーズが乗ったナチョスのチーズのない部分、金曜日はフローズンのパンケーキ。このメニューがもう入学当初から四年間も続いている。
 これを毎日食べている。付け合わせの野菜はもれなく捨てているらしい。どんなに口酸っぱく「捨てるな」と言っても捨てる。嘘でも「食べた」と言ってくれれば親は安心するのに、馬鹿正直に「捨てた」と申告する。けど、小さい生のニンジンなどはほのかに漂白剤系のにおいがするので、食べるのがいいのかどうか、というのは親としては迷うところだ。

 しかし、だ。なぜ、その給食は食べられて、私の手作りの料理は食べない? 自慢ではないが、よその子供の胃袋はしっかりつかんでいて、食事をしたいがためにうちに遊びにくる子だっているほどなのに、なぜ?
ここまで書いてきて、恐ろしくなった。
おそるべし、新人類。もう、母の理解の範疇を超えている。……いや、恐ろしいのは新人類ではない。

 うちのノアだ。
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