第3話 枝豆

文字数 2,191文字

 海外に住み始めて、二十年近くがたとうとしている。最近は冷凍で枝豆を買えるようになったけれど、以前は自分で育てるしかなかった。

 というわけで、今年も枝豆の種を買った。冷凍ものでもいいのだけれど、ノアが「冷凍ものは味が薄くておいしくない」といって食べないので、育てるしかない。枝豆は、ノアが食べる数少ない野菜のうちの一つだからだ。
 
 人生、五十年近くも生きていれば色々な珍事を目の当たりにする。枝豆については印象深い出来事がふたつある。ひとつは、サウスキャロライナに住んでいた時のことだ。
 裏庭の一角を枝豆畑にして、大事に育てていた。その日、収穫しようかな、と思っていたのだけれど風が吹いてきたのでやめにした。翌日はからりと晴れあがったので、さて、昨日の枝豆を収穫しようと外に出てみたら、枝豆だけがきれいになくなっている。
 当時は、「枝豆泥棒だ! 誰かがうちの裏庭に忍び込んで枝豆を盗んだんだ!」
と本気で思っていたけれど、当時、十五年前。枝豆の知名度などは無きに等しい。だれが盗んだのかとずっと考えていたけれど、最近、気づいた。

 もしかしたらあれは、枝豆泥棒ではなく、風で吹き飛ばされたのではないか。トルネードが通過するたび、まだそこに住んでいる友人たちは、いまだにやれ、屋根が吹き飛ばされたの、フェンスがこわれたの、とメールをくれる。全部、強風のせいらしい。風速五十メートルとかは普通にあるからだ。

 枝豆、といえば、去年、知り合いに食事に誘われた。ふたりで行くのかと思ったら、知り合いもその知り合いに誘われていて、知り合いの知り合いは自分の仲のいい友達を大勢誘っていた、という、なんとまあ事情を知っていたら絶対に行きたくない感じの集まりだった。
 知り合いの知り合いは、待ち合わせ場所に、おしゃれなアジアンレストランを指定した。
私的には、一番お金を払いたくないタイプの店だ。彼女たちは例のごとく、「ドラゴンロール」という、海苔を内側に巻いたカリフォルニアロールの表面に、薄く切ったアボカドを張り付けた巻きずしか「レインボーロール」とかいう、同じくカリフォルニアロールの表面にマグロ、アボカド、サーモンの薄切りを張り付けたハイカラなものを頼んでいた。わたしは無難にスンドゥブをたのんだ。
 そこで、知り合いの知り合いが、「あたし、EDAMAME頼むけど、いい?」と、長い髪をかきあげながら言った。まあ、いかにも子供のころからポピュラー街道を歩んできたような、映画「ミーンガールズ」に出てきそうな、そんな感じの人だった。映画と同じように、両脇に一人ずつ子分を従えていたので、多分、残りのみんなはポピュラーに憧れていた「取り巻き」の人々と思われる。ちなみに私の身分は取り巻きのうちの一人の「腰ぎんちゃく」、というところだろうか。
 取り巻きの人たちは顔を見合わせ、「いいよ」と笑顔を見せた。無粋だから口には出さないけれど、「なに、それ?」「彼女が頼むって言うんだから、きっとおしゃれな食べ物よ」「わかんないけど、聞くのはちょっと恥ずかしいかも」みたいな空気が私たちのテーブルを支配した。

 EDAMAMEが運ばれた。みんなは、
「なにこれ?」
 と、しばらく顔を突き合わせ、知り合いの知り合いをさりげなく見た。
「ああ、これね」
 知り合いの知り合いはまた、髪をかきあげた。
「まあ、大豆みたいなもんかな」
 いやいや、大豆です。……と言いたいのを、ぐっとこらえる。
「すごくヘルシーなのよ」
「どうやって食べるの?」
「そのまま食べればいいのよ」
 そう言って、あの、さや、というか、皮、というか、小さい毛のついた、あの部分ごと口に放り込んだ。そして、みんなもマネして放り込む。
「あ、おいしい」
 マジか!?
「思ったより悪くないかも」
 ウソだろ!?
 知り合いが、
「食べないの?」
 というから、渋々手に取った。風化した抹茶みたいな色のそれは、あまりに見慣れてなくてかなり躊躇した。触れたら、皮がべちょっというか、ふにゃっというか、そういう感じの手触りだった。……そうか。この店では、皮ごと食べる仕様なのか。余計なこと言わなくてよかった。
 変にゆですぎて皮が柔らかいから、べちょべちょになりながら中の豆を取りだし、皮を捨てた。知り合いが、
「皮、食べないの?」
 というから、
「日本人は、皮は食べないよ」
「EDAMAME知ってるの!?」
「だって、枝豆って日本から来た食べ物だよ。日本語だし」
 ぴきっ、と、空気が固まった。しまった。
 すると、今まで視界にも入ってなかったはずなのに、知り合いの知り合いがあたしを見た。
 何言うてんねん、このアジア人が。
 と思っているのはばればれの笑顔だった。
「じゃああなた、海苔も食べるの?」
「食べるけど」
「あたし、海苔きらい。すっごく臭いから」
「ああ、それね。そうだよね、アメリカで売ってるやつは、くさいよね。だから、あたしもアメリカのは食べないかな。日本から送ってもらってる」
 どっかーん!
 爆破。
 その後の食事会がどうなったかは、ご想像にお任せする。ただ、私の存在だけは透明人間扱いだった、ということだけはお知らせしておく。
 後から聞いたのだけれど、知り合いの知り合いは、同じハウジングエリアに住んでいるそうな。
 そして、知り合いもそれからすぐに引っ越していった。
 くわばら、くわばら。
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