第6話 ポップコーン
文字数 3,247文字
少し多めのオリーブオイルを、厚手の鍋の中に入れた。
ポップコーンぐらい、電子レンジでチンするやつを自分でやってほしい、と、本気で思う。
ビッキーは、ことごとくアメリカの食事が体に合わないらしい。インスタントやファーストフード、レストラン、スナック菓子、何を食べても具合が悪くなる。具合が悪くなると、パニック障害の発作を起こしやすくなる。カラーガードをやめてからは調子がいいけれど、それでも心配がぬぐえない。
そこで、味の付いていないポップコーンの種から自分でポップできるように、と、電子レンジで使えるポップコーンメーカーを買ってあげた。さっきまで一人で何かごそごそやっているのは知っていた。次第に変なにおいがし始め、気が付いたら家じゅうが焦げ臭くなっていた。キッチンまで下りて行ったら、一階がうっすら煙で包まれていた。
火も油も使わずにポップコーンができるはずなのに、なぜこんなことになるのか。
この間も目玉焼きを作って家を燃やしかけた。その次はホットケーキを焼いたら、外は真っ黒、中はドロドロ。そしてノアはそれを「おいしい、おいしい」と完食。
ビッキーは勉強以外はポンコツで、ノア……なぜそんなものはおいしく食べられて、母の料理が食べられないのか。そしてビッキー。そんなものを食べるノアを、なぜ止めない? 苦悩は尽きない。
とにかく、家を燃やされてはかなわないので、私が作ることにした。
油が熱くなったところで種を投入し、ふたを閉める。
ちなみに今は、水曜日の昼過ぎ。
去年の八月、学校が始まった時点で、ビッキーの高校はコロナの感染者が爆発的に増えた。それも、感染源は生徒ではなく先生たちだった。彼らが軒並み感染し、学校に来て生徒にうつしまくったせいだ。そのおかげでオンライン学習か学校に行くか、自分で選べるようになった。
彼女はもちろん、オンラインを選んだ。というのも、ビッキーは旦那にそっくりだけれどアジアのテイストも入っている、という微妙な顔立ちだからだ。
去年、こういうことが起こった。
社会の時間、
「シリア人が国境を越えてイランに入国しているそうです」
と先生が言えば、クラス全員がビッキーを見る。(こういう時は、中東系に分類される)
「メキシコとの国境に壁を作ると言っています」
と先生が言えば、クラス全員がビッキーを見る。(こういう時は、ラテン系に分類される)
「コロナウイルスが広まっています」
と先生が言えば、クラス全員がビッキーを見る。(こういう時は、アジア系に分類される)
さすがマイノリティのサラブレッド、と言わざるを得ない。世間では黒人もマイノリティだと騒いでいるが、我々底辺から見れば彼らは白人と同じカテゴリーだ。同じカテゴリーの中で、やいのやいの言っているみたいにしか見えない。
彼らの一番罪深い部分は、自分たちは差別をしていることに気づかず、平気で差別をするところだ。差別をするな、と、声高に叫んでいる本人が、一番人を傷つける。おそらく、されたことがわからないから何が差別で何が差別でないかがわからないのだろう。差別をしている張本人たちが、差別について語り合う。実際に被害を受けている人たちは蚊帳の外からその様子を黙って眺めているだけだ。その現象が、この国全体に広がっている。……私見だけれど。
この間も授業中に、誰かが、
「アジア人はみんな、家に炊飯器を持ってるんだって!」
と言ったら、先生が、
「人種差別だ!」
と怒った。ちなみに、ほとんどのアジア人の家には炊飯器があるということは事実であり、差別ではない。さらに、炊飯器は人種ではない。
またある時、女子が言った。
「人種差別とかそういうわけじゃないんだけど、わたし、お寿司はきらい」
ちなみに、お寿司は食べ物であって人種ではない。
またある時、
「中東系?」
と聞かれたから、
「ラテンとアジアのミックス」
と言ったら、真顔でこう答えた。
「わたしは、アイルランド人とイギリス人のミックスなの」
アイルランド人とイギリス人はともに白人であって、人種ではない。
「アジア人なの?」
と聞かれたから、
「そうだよ」
と答えたら、
「金 正恩 の支持者?」
と聞かれた。返事をする気力も起きない。
同じ関連で
「アジア人ってことは、中国人?」
と聞かれたから、
「日本人」
と言ったら、
「そんなのどっちだっていいじゃん!」
なぜか逆切れ。いいわけないだろ! とキレたいのはこっちのほうだ。
「じゃあさ、中国語と韓国語と日本語、どうやったら聞き分けられるの?」
「わたしが理解できたら日本語」
……。
中国人の子に、
「うちのママ、中国語話せるんだよ」
と言ったら、
「へえ、そうなんだ。どの言葉?」
「マンダリン(北京語)」
すると、白人の子がやってきて、
「あんたたち、中国の話してると思ったんだけどオレンジの話してたの?」
ちなみに、アメリカで売っているみかんは、マンダリンオレンジという。
「だから、中国の話をしてるんだけど」
「中国人をオレンジって言ったわね! 人種差別よ!」
ちなみに、アジア人の肌はオレンジではない。黄色である。
こんなことを毎日繰り返してれば、そりゃ、学校行きたくないわなあ、と、同情した。彼女の希望通り、オンライン授業にしたのだった。
ポップコーンが爆ぜ始めた。ガラスのふたをおさえたまま、二人でその様子をのぞきこんでいたのだけれど、
「ねえ、ママは結婚前にセックスしたことある?」
「今日の晩ごはんは何?」ぐらいの感覚で聞いてきたので動揺が隠せず、つい、ふたをあけてしまった。熱々の種が飛んできたので、よけると同時にもう一度ふたをしめる。
「なんなのよ、いきなりそんなこと」
「今、オンライン学習で性教育しててさ。このリンクに行け、って指示があったからそのリンクを見てて……色々書いてあるんだけど、結局言いたいことは『結婚前にセックスしたら、子宮頸がんになって死ぬ』『ゲイ同士でセックスしたら、エイズになって死ぬ』ってあって、セックスしたらどうやってもすぐに死んじゃうみたいなんだけど、友達、何度も学校でセックスして警備員につかまってんだけどまだ生きてるし、別の友達はゲイなんだけど、ソックス履いてたらエイズにならないから、自分たちは大丈夫、って言ってるし」
何もかもがカオス。こうなるともう、どこからどこまでが事実で、何が本当で何が本当でないのかもわからない。
でも、聞き捨てならないことがひとつある。
「学校でセックスするとかふつうなわけ? なんで、つかまっちゃうわけ? みんなの前でやってるの?」
「ううん。階段の下とかでやってて、防犯カメラに写っちゃったんだって」
「で、親は何て言ってるの?」
「つかまっちゃうなんて、馬鹿ね。やるなら、見えないところでやんなさい、って」
さらにカオス。さて、ここで私は、どう答えるべきなのか。恥ずかしいからごまかすか? いや、恥ずかしいからと言って隠すのも親としてどうなのか。私自身、もう、何が正解で何が間違いなのか、わからなくなってきた。
「本当のことを言います。結婚前にセックスしても、死にません。ママが今ここに生きているのがその証拠。それに、あなたはちゃんと子宮頸がんのワクチン打ったから大丈夫」
「じゃあなに、結婚前のセックス、奨励してんの?」
「ちがーう!」
私はビッキーを正面から見た。
「奨励はしてない。でも、するなら自分が好きで、自分のことを好きな人としなさい。そして、ちゃんとコンドームをつけてもらいなさい。ピルが必要なら、もらってきてあげるからちゃんと言いなさい」
ポップコーンの爆ぜる音が少なくなってきた。ふたを開けて、中身を一気にプラスチックのボウルに移したら、まだ爆ぜ切っていない種がこのタイミングで爆ぜて、ビッキーのほうへと飛んで行った。
いい気味だ、と思った。
ビッキーはその種を慌ててよけながら、白い目であたしを見た。
「あたし、ここの人とは絶対にしないと思う」
ポップコーンぐらい、電子レンジでチンするやつを自分でやってほしい、と、本気で思う。
ビッキーは、ことごとくアメリカの食事が体に合わないらしい。インスタントやファーストフード、レストラン、スナック菓子、何を食べても具合が悪くなる。具合が悪くなると、パニック障害の発作を起こしやすくなる。カラーガードをやめてからは調子がいいけれど、それでも心配がぬぐえない。
そこで、味の付いていないポップコーンの種から自分でポップできるように、と、電子レンジで使えるポップコーンメーカーを買ってあげた。さっきまで一人で何かごそごそやっているのは知っていた。次第に変なにおいがし始め、気が付いたら家じゅうが焦げ臭くなっていた。キッチンまで下りて行ったら、一階がうっすら煙で包まれていた。
火も油も使わずにポップコーンができるはずなのに、なぜこんなことになるのか。
この間も目玉焼きを作って家を燃やしかけた。その次はホットケーキを焼いたら、外は真っ黒、中はドロドロ。そしてノアはそれを「おいしい、おいしい」と完食。
ビッキーは勉強以外はポンコツで、ノア……なぜそんなものはおいしく食べられて、母の料理が食べられないのか。そしてビッキー。そんなものを食べるノアを、なぜ止めない? 苦悩は尽きない。
とにかく、家を燃やされてはかなわないので、私が作ることにした。
油が熱くなったところで種を投入し、ふたを閉める。
ちなみに今は、水曜日の昼過ぎ。
去年の八月、学校が始まった時点で、ビッキーの高校はコロナの感染者が爆発的に増えた。それも、感染源は生徒ではなく先生たちだった。彼らが軒並み感染し、学校に来て生徒にうつしまくったせいだ。そのおかげでオンライン学習か学校に行くか、自分で選べるようになった。
彼女はもちろん、オンラインを選んだ。というのも、ビッキーは旦那にそっくりだけれどアジアのテイストも入っている、という微妙な顔立ちだからだ。
去年、こういうことが起こった。
社会の時間、
「シリア人が国境を越えてイランに入国しているそうです」
と先生が言えば、クラス全員がビッキーを見る。(こういう時は、中東系に分類される)
「メキシコとの国境に壁を作ると言っています」
と先生が言えば、クラス全員がビッキーを見る。(こういう時は、ラテン系に分類される)
「コロナウイルスが広まっています」
と先生が言えば、クラス全員がビッキーを見る。(こういう時は、アジア系に分類される)
さすがマイノリティのサラブレッド、と言わざるを得ない。世間では黒人もマイノリティだと騒いでいるが、我々底辺から見れば彼らは白人と同じカテゴリーだ。同じカテゴリーの中で、やいのやいの言っているみたいにしか見えない。
彼らの一番罪深い部分は、自分たちは差別をしていることに気づかず、平気で差別をするところだ。差別をするな、と、声高に叫んでいる本人が、一番人を傷つける。おそらく、されたことがわからないから何が差別で何が差別でないかがわからないのだろう。差別をしている張本人たちが、差別について語り合う。実際に被害を受けている人たちは蚊帳の外からその様子を黙って眺めているだけだ。その現象が、この国全体に広がっている。……私見だけれど。
この間も授業中に、誰かが、
「アジア人はみんな、家に炊飯器を持ってるんだって!」
と言ったら、先生が、
「人種差別だ!」
と怒った。ちなみに、ほとんどのアジア人の家には炊飯器があるということは事実であり、差別ではない。さらに、炊飯器は人種ではない。
またある時、女子が言った。
「人種差別とかそういうわけじゃないんだけど、わたし、お寿司はきらい」
ちなみに、お寿司は食べ物であって人種ではない。
またある時、
「中東系?」
と聞かれたから、
「ラテンとアジアのミックス」
と言ったら、真顔でこう答えた。
「わたしは、アイルランド人とイギリス人のミックスなの」
アイルランド人とイギリス人はともに白人であって、人種ではない。
「アジア人なの?」
と聞かれたから、
「そうだよ」
と答えたら、
「金 正恩 の支持者?」
と聞かれた。返事をする気力も起きない。
同じ関連で
「アジア人ってことは、中国人?」
と聞かれたから、
「日本人」
と言ったら、
「そんなのどっちだっていいじゃん!」
なぜか逆切れ。いいわけないだろ! とキレたいのはこっちのほうだ。
「じゃあさ、中国語と韓国語と日本語、どうやったら聞き分けられるの?」
「わたしが理解できたら日本語」
……。
中国人の子に、
「うちのママ、中国語話せるんだよ」
と言ったら、
「へえ、そうなんだ。どの言葉?」
「マンダリン(北京語)」
すると、白人の子がやってきて、
「あんたたち、中国の話してると思ったんだけどオレンジの話してたの?」
ちなみに、アメリカで売っているみかんは、マンダリンオレンジという。
「だから、中国の話をしてるんだけど」
「中国人をオレンジって言ったわね! 人種差別よ!」
ちなみに、アジア人の肌はオレンジではない。黄色である。
こんなことを毎日繰り返してれば、そりゃ、学校行きたくないわなあ、と、同情した。彼女の希望通り、オンライン授業にしたのだった。
ポップコーンが爆ぜ始めた。ガラスのふたをおさえたまま、二人でその様子をのぞきこんでいたのだけれど、
「ねえ、ママは結婚前にセックスしたことある?」
「今日の晩ごはんは何?」ぐらいの感覚で聞いてきたので動揺が隠せず、つい、ふたをあけてしまった。熱々の種が飛んできたので、よけると同時にもう一度ふたをしめる。
「なんなのよ、いきなりそんなこと」
「今、オンライン学習で性教育しててさ。このリンクに行け、って指示があったからそのリンクを見てて……色々書いてあるんだけど、結局言いたいことは『結婚前にセックスしたら、子宮頸がんになって死ぬ』『ゲイ同士でセックスしたら、エイズになって死ぬ』ってあって、セックスしたらどうやってもすぐに死んじゃうみたいなんだけど、友達、何度も学校でセックスして警備員につかまってんだけどまだ生きてるし、別の友達はゲイなんだけど、ソックス履いてたらエイズにならないから、自分たちは大丈夫、って言ってるし」
何もかもがカオス。こうなるともう、どこからどこまでが事実で、何が本当で何が本当でないのかもわからない。
でも、聞き捨てならないことがひとつある。
「学校でセックスするとかふつうなわけ? なんで、つかまっちゃうわけ? みんなの前でやってるの?」
「ううん。階段の下とかでやってて、防犯カメラに写っちゃったんだって」
「で、親は何て言ってるの?」
「つかまっちゃうなんて、馬鹿ね。やるなら、見えないところでやんなさい、って」
さらにカオス。さて、ここで私は、どう答えるべきなのか。恥ずかしいからごまかすか? いや、恥ずかしいからと言って隠すのも親としてどうなのか。私自身、もう、何が正解で何が間違いなのか、わからなくなってきた。
「本当のことを言います。結婚前にセックスしても、死にません。ママが今ここに生きているのがその証拠。それに、あなたはちゃんと子宮頸がんのワクチン打ったから大丈夫」
「じゃあなに、結婚前のセックス、奨励してんの?」
「ちがーう!」
私はビッキーを正面から見た。
「奨励はしてない。でも、するなら自分が好きで、自分のことを好きな人としなさい。そして、ちゃんとコンドームをつけてもらいなさい。ピルが必要なら、もらってきてあげるからちゃんと言いなさい」
ポップコーンの爆ぜる音が少なくなってきた。ふたを開けて、中身を一気にプラスチックのボウルに移したら、まだ爆ぜ切っていない種がこのタイミングで爆ぜて、ビッキーのほうへと飛んで行った。
いい気味だ、と思った。
ビッキーはその種を慌ててよけながら、白い目であたしを見た。
「あたし、ここの人とは絶対にしないと思う」
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