第16話 生春巻き

文字数 3,700文字

 イヴォンヌの誕生会が開催された。
 ほぼほぼワクチンがいきわたったので、ワクチン接種者は室内でもマスクをしなくていい、ということが大々的に発表された。……とはいいつつ、うちらはかなりの早い段階からマスクなしのパーティを楽しんではいたのだけれど。こっちはもともとマスクをする習慣がないから、「どうしてもつけなければいけない場所」以外でマスクをつけていたのは、熱烈な民主党支持者か老人ぐらいのものだった。

 今回はイヴォンヌの好きな生春巻きを持って行った。
 私の生春巻きは、千切りにしたキュウリと、ごま油をあえた春雨とゆでたエビが入る。タレは刻みニンニクと唐辛子が入った甘酢。ニョクマムは入れない。なんでかというと、今日はゲストがいるから。トムと、イヴォンヌの友達のジェシカとその娘のアナ。ベトナム料理は、まだまだアメリカ全土で好まれているわけではない。まだ、食べたことがないという人もかなりいる。そして、ニョクマムが苦手だというアメリカ人も、野菜が嫌いなアメリカ人も、結構多い。イヴォンヌはともかく、典型的白人のジェシカとアナにはハードルが高いと思われる。
 ちなみに、みんなは普段着なのに、なぜかアナだけはパーティにでも来たみたいに着飾っている。ビッキーと同じ学年で顔見知りだというけれど、話もしないし目も合わさない。ふたりとも、完全にお互いを無視している。まるで、ビッキーがそこには存在しないかのように。まるで、アナがそこには存在しないかのように。

「この子を紹介させてくれよ」
 ビッキーが生春巻きの皿をテーブルに置いたとたん、デトルフが友人のトムに言った。トムは初老のメキシコ人男性だ。
「この子がビッキー。彼女はすごいんだ。学校の成績は常にオールAで、十三歳のときに、近所で一番ランクの高い大学に入ったんだよ」
「ほう」
 男性は急に目を輝かせ、身を乗り出した。デトルフはつづけた。
「ビッキー。彼はトム。近所に住んでるんだけど、すごいんだ。ハーバード在学中に起業してね」
「ハーバード!」
 ビッキーの声が裏返った。
「あたし、ハーバードに行きたいんです!」
 ビッキーは、何となくずっと運が悪い。
 旦那が転勤族で、数年ごとに引越しをするから仲のいい友達もいない。ヨーロッパにも住んでたから、親戚も遊びに来なかった。母親が日本人だ、と言えば、「アニメは見るか」と聞かれ、「ヘンタイも見るんだろう」と決めつけられる。ちなみに、ヘンタイとは、おっぱいが大きくて、露出度の極端に高い服を着た童顔の女の子が出てくる、エッチなアニメのことらしい。アニメ好きな子は、「ヘンタイを見て何が悪い」「ヘンタイ大好き!」と、声高だかに宣言する子もたくさんいる。しかし日本語を知っている者には、「ヘンタイ」という言葉自体に抵抗がある。
 アメリカに戻ってきたら、オハイオはスポーツの盛んな州だった。スポーツはできなかったが、どんなに「この子は勉強ができるんです」と、必死になってアピールしても、「だからどうした」程度の扱いしかしてもらえなかった。ギフテッド、という、特進クラスにさえ入れてくれなかった。自費でIQテストを受けて、「ギフテッド」に入れる得点を取った。それでどうにかギフテッドに入れてもらったけれど、やっぱり「だからどうした」ぐらいの扱いであることには変わりがなかった。そこで彼女が思いついたのは、「ハーバードに入ってみんなを見返してやる」ということだ。そのためにこの五年間、常に歯を食いしばり、勉学に励んできた。

 トムはビッキーの野心など知る由もなく、おだやかな笑みを浮かべたまま、
「君は、起業したいのかい?」
 と、たずねた。
「起業は考えてないんですけど、大きな会社に入ってバリバリ仕事をしたいんです」
 そして、大豪邸を建てて高級外車を乗り回して、あたしをバカにした人たちを見返してやりたいんです!
 という心の声が私には丸聞こえだった。けれど、その熱い思いは、顔を見合わせた二人の表情を見て勢いを止めた。ふたりはどうやって切り出そうか迷ったようだったけれど、
「だったら、ハーバード、行く必要あるかな?」
 デトルフが首をひねった。
「そうだね」
 トムもためらいがちに同意した。
「あそこはさ、起業家を育てる大学だからね。四年かけて徹底的に起業家となりうる人材を育て上げる。実際、僕も在学中に起業したしね。そういう学校だから……」
「そうだね。ふつうの会社の経営陣は、ハーバード大卒は求めてないんじゃないかな。ぼくもふくめて」
 え⁉
「どっちかっていうと、三流大学でもチームプレーに長けている人を好むというか。勉強熱心で、努力家で、チームワークが上手い人。少なくともぼくは、うちの会社にはそういう人を求めてる。ぼくは正直、君が高校三年になったら、夏休みにうちの会社にインターンとして来ないか、って誘うつもりだったんだけど……」
 なんだって⁉
「それに、ハーバード出て普通の企業で成功した人って、そんなにいないんじゃない?」
「そもそも、行く必要あるのかな」
 ちょっと待て。トム、あなたはそこの卒業生でしょ⁉
 デトルフはつづけた。
「君はこっちに越してきてからずっと特進クラスにいて、その中でも常にAを取り続けてる。ぼくはそれを知ってる。性格もいいし、年下の子とも年上の人ともうまくやっていけるのをずっと見てきた。地元の大学出たら、うちで雇いたいくらいだよ。インターンでうちの会社においで。時給は十五ドル(約千五百円)ぐらいしか出せないけど」
 ビッキーの瞳に$マークがうかんだ。
「それに、デトルフの会社の取引先はアメリカ政府だからね。どんなに不景気でも生き残れるよ。それに確か、高卒で数年後には年収数千万、っていう人もいたよね?」
 トムが、ビッキーのとっさの心変わりに気づいたみたいに付け足した。と、その時だった。
 アナが、
「見て!」
 と、声を張りあげた。どうやら、ビッキーがべた褒めされているのが気に入らなかったみたいだ。
「今、写真を撮ってSNSに上げたら、みんなからすごい勢いで反応が来てるの」
「へえ、すごいわね」
 と、イヴォンヌが言った。するとアナは顔を上気させ、
「あたし、フォロワー六百人もいるからさ」
 ふふん、と、鼻で笑った。
「あたしの前髪、かわいいって。今日自分で切ったんだけど」
 数年前まで、ぱっつん前髪と、顔の脇に少し短めの髪を残す切り方は日本でものすごく流行っていた。そのときは「オタクみたい」という評価だったのに、今、アメリカで同じ髪型がはやっているみたいだった。彼女はどうしてもそれがやりたくて自分でやったらしかった。お母さんのジェシカは、
「なんでそんな変な髪型するのか、理解に苦しむ」
 と、小さく首を横に振った。
「ビッキーは?」
 いたたまれなくなったのか、イヴォンヌがすかさず聞いてきた。ビッキーは顔を引きつらせて笑い、
「そういうのって、関係ないから」
 と、答えた。するとアナは鼻高々に、
「あたし、友達多いからさ」
 と、鼻で笑った。ビッキーは、
「あたし、友達いないから」
 と、ひきつった顔で答えた。そういえば、たしか、学校ではトイレで弁当を食べてるんだった。
 その場が凍り付いた。アナだけが、バカにしたような笑顔を浮かべた。やっぱり、見たら目が腐る、とでも言いたいみたいにビッキーを無視している。ビッキーも無表情のままアナを無視し続けていた。すると、トムがぽつりと言った。
「こんなに発展したテクノロジーの最大の使い道が、それ、っていうのも……なんか複雑だな」

 その日の帰り、
「あのアナ、って子、なんか見てて痛々しかった」
 ビッキーに言った。
「たかだかお母さんの友達の家でたむろしてるだけなのに、あんなにすごいドレス着て、化粧ばっちりして、ピンヒール履いて、写真をSNSにアップして」
「みんなそうだよ。SNS映えするためには、どうでもいい食事会でもおしゃれして、映えるようにしてフォロワーを増やすんだ」
「それって、友達なの?」
「現実に友達がいるかどうかは関係ないんだよ。彼女はポピュラーになりたいからね。実際、あたしよりはスクールカーストはずっと上だし。本当の生活で友達がいるかは関係ないんだよ。SNSの評価でランクが決まるんだから」
 ビッキーは淡々と語った。なんと慰めようかと考えていると、ビッキーは小さく笑った。
「けど、確かに痛々しいわ」
「ん?」
「フォロワー六百人しかいないのに、あんなに喜んじゃって」
 これをどうとらえるか考えていると、真顔になった。
「あたしでさえ千人以上いるのに」
 ……なんでやねん!
 という心の声を聞いたのか、
「今、かわいい子のトレンド、ラテン系なんだよね。プロフの写真見た人がガンガンフォローしてきて、マジウザい」
 たしか、この間見せてくれた写真は奇跡的にうまく撮れていた上に、加工も素晴らしかった。
「でも、SNSのアカウントは全部消すつもり」
「なんで?」
「朝から晩まで通知が入ってくるからうるさくて勉強に集中できない」
 友達がいなくても、ランチをトイレで食べていても、私は彼女を誇りに思う。




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