第18話 しょうゆ

文字数 2,154文字

大統領の選挙戦以来、不穏な感じが続いている。銃撃戦とか、目に見える不穏ではなくて、空気が不穏だ。
以前から車を運転していると、意味もなく後ろにぴったりつかれてクラクションを鳴らされたり、窓から指を出されて中指を突き立てられる、ということはあった。
最近、ミディアでアジア人に対するヘイト報道が取り沙汰されているから、今までは「いやだなあ」と思いながらやり過ごしてきたことを、「やっぱりヘイトだったのか!」と認識してしまう。今までだってアジア人は大なり小なり被害にあってきたけれど、ミディアが取り上げなかったから問題にならなかっただけのような気がする。
件のクラクションの件は、こうだ。アメリカ人の通説では、「アジア人は運転が下手」という思い込みがある。だから、意地悪してもいい、と思い込んでいるみたいだった。それは割と、する方もされる方もそういう認識で暮らしてきたと思う。
だからビッキーが、
「今アメリカで、人種差別をしちゃいけない、ってムーブメントがあるけど、一番差別してるのはそうやって声を上げてる人たちなんだよね」
 と言い出した。実際、そういう行動をしている人たちは、白人が多い。というのも、
「スーパーマーケット歩いてたら、あたしの横通り過ぎて、『ソイ・ソース(しょうゆ)』とか『カレー』とかつぶやいて、通り過ぎた後でひひひ、って笑うの。『アジア人てみんな同じ顔してるから見分けがつかない』とか、平気で言うの。ひどいよね。そういう人たちに文句言うと、『あんたは神経質すぎる。ただの冗談じゃん』と、言われる。あの人たちがふだん、ジョークだ、って笑ってることが、あたしたちを傷つけてることに気づいてない」
 と、憤慨していた。それを聞いていて、私は実際、冷汗をたらした。そういうことされた経験はある。でも、一切、差別だとも意地悪だとも感じていなかった。というのも、となりで「ソイ・ソース」とつぶやかれれば、
「あれ? しょうゆさがしてるの? 色々あるけどねえ、日本人はこれ使ってるよ。これは、どうだよ、こうだよ」
 と、売り場に連れて行って説明した。意地悪されている、というより、文化交流ができてよかった、とさえ思っていた。
「アジア人はみんな同じ顔に見える」と言われれば、
「だよねえ! ああ、よかった! あたしは逆! アメリカ人、みんな同じ顔に見えるんだよね。名前も同じ名前ばっかりじゃん⁉ 見分けはつかないし、名前もわかんないし、そう言ってくれたらあたしも、これから人ちがいして気まずい思いしなくていいからよかった!」
 もちろん、意地悪のお返しなどではない。本気でそう思っていた。実際、「あなた、〇〇のお母さんよね?」と声をかけて、「ちがいます」と、言われたことも何度もあったけど、「アメリカ人だってアジア人の見分けつかないって言ってたから、あたしがアメリカ人の顔認識できなくても、許してくれるよねー」と、むしろほっとしていたくらいだ。
 ビッキーは物心ついた時からそう言われ続けてきて、同じような経験がある人たちと「あれはジョークじゃない。意地悪だよね」という話になっていた。でも私はそういう経験をして育っていないので、そうとらえることができなかったのだ。
 きっと、アメリカ人にとっては、本当にジョークなんだろうな、と思う。いじめとおなじで、やってる方は気づいていない。でもそれがいまだにやっている方にとってはジョークだし、やられているほうにとってはいじめだ。ということは、「人種のるつぼ」なんて言われて、いろんな人種の人たちが暮らしている国だけれど、実際は少しも交じってなどいないということだ。だから、言っている方は自分のジョークが人を傷つけていることを知らず、知っても自分たちにとっては面白いからやめたくない。だから別のことで「差別をなくそう」と言っているが、言われている方は、「あたしたちがいいたいのはそういうことじゃない!」と、イライラを募らせる。
……とは言ってはいるけれど実際、深くかかわらなければ九十パーセント以上のアメリカ人はナイスだ。私はそう感じている。
 ただこの間、こういうことがあった。
 バーガーショップで、店員の十代の白人の女の子に、
「この人、何言ってるか全然わかんない! 何言ってんの?」
 と、言われた。日本語なまりの英語が理解できなかったのだ。ちなみに、私も彼女の英語はほぼ理解ができなかった。というのも、私の英語が訛っているので、訛っていなくて、かつ、早口で話されると聞き取れない。でも、その態度で言われていることが分かった。だから、あたしは言った。
「あたしの英語がわかんないんだったら、あんたが日本語話しな。あたしは英語なんか話したくないけど、あんたのために話してあげてんだけど。それで文句言うなら、ほかの言語で話しなよ。英語のほかに何語話せんの?」
 と言い返したら彼女は真っ青になった。あたしの英語が通じないのか、
「わけわかんないこの人!」
 と、騒いで、マネージャーが出てきた。形式だけみたいな感じで謝られ、注文を終えた。
 帰り際、後ろの列のラテン系の人が、親指を立てて「いいね」をしてくれたので、ちょっとだけ罪悪感が消えた。
 今回だけはさすがに、意図的に意地悪をし返してしまったから。
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