第9話 エマ・ワトソンは幾つ?

文字数 1,835文字

「なんか勘違いしてないかい。おまえたちは捨て子なんだよ。おまえたちの親戚だって、おまえたちの引き取りを拒否してんだ。それにこの家は近いうちに競売にかけられる。買い手は多分上ものはぶっ壊して、アパートにするだろうね。そうなったらいったいどこで寝泊りするつもりだい」
「何の罪もないおれたち子供を、寒空の下に追い出すことができる法律なんて、ありっこねえよ。子供だと思って、デタラメ言ってんだろ」
 静香が歯を食いしばって、おかめさんの顔をにらんだ。
「分からない餓鬼だね。だからあたしが後見人になったっていってるじゃないか」
「おれたちゃそんなこと、認めてねえよ」
「認めるのはおまえじゃないの。家庭裁判所だよ。あたしは家裁に選任された、おまえたち未成年の後見人なんだ。おまえたちの監護養育義務を負ってるのさ」
「大きなお世話だ。おれたちは兄弟二人で、ちゃんと生きていけるよ」
「そいつあ無理だね。子供だからね。日本国の法律が、そういうのは許さない」
「あの……なんで顔も見たこともないわたしたちの、後見人になろうと思ったんですか。父とはどういう関係なんですか」
「いい質問だね。お姉ちゃん」
 おかめさんはここで一拍置いて、ダイニングの中を見渡した。
「ちょっと座っていいかね。立ちっぱなしだと腰に響くんでね」
 言うなりおかめさんは、食卓にどかっと腰を下ろした。
「あんたたち、いったいどういう食生活をしてるんだい」
 おかめさんは、鍋に入った小麦粉を指ですくった。
「うるせえな。もう食事は終わったんだよ。テーブルにあるのは残りカスだよ」
 そうではない。わたしたちは今正に、食事を始めようとしていたのだ。
「こんなもん。戦時中だって食べなかったよ」
 おかめさんは、湿った小麦粉をすくった指をしゃぶった。結構美味しそうに舐めているような気がする。
 静香のお腹がグーと大きな音を立てた。
「さっきの質問だけどね。あたしは、おまえたちのおとうさんの債権者だよ。つまりあの男は、あたしに借金してるということだね」
「おい、またかよ。ここに金なんかねえぞ」
 静香が眉を吊り上げた。
「静かに」
 おかめさんは、もう一度小麦粉をすくうと、萎びた肌とは対照的な、ねっとりとした白い舌で舐めた。
「金なんかないのはわかってるさ」
「じゃあ、とっとと帰れよ。あっ……」
 静香が視線を宙にさ迷わせた。
「つまり借金のかたが、あたしたちですか」
 静香が気づいただろうことを、わたしが口にした。
 おかめさんはエビの尻尾をつまんで口の中に入れ、しゃりしゃりと噛み砕いた。
「さすがお姉ちゃん」
「冗談じゃないぜ!」
 静香が叫ぶ。
「うるさいんだよ。おまえはさっきから」
 おかめさんが、また目玉をひん剥いて、静香をにらみつけた。目玉焼きのような四白眼の迫力に、静香は今度こそ石のように固まってしまった。
「土地家屋はもう三番抵当まで入ってるからね。動産たって何があるんだい。ぼろぼろのテレビに、くたびれた応接セットかい。庭から石油かウラニウムで採れりゃ別だけどね。こんなんでどうやって金返すね」
 おかめさんは、今度はわたしをギロリとにらんだ。背中に氷柱を突っ込まれたように、わたしは身震いした。
「安心おしよ。あたしと一緒に来れば、ちゃんと寝るところと食べ物は確保できる」
 眉尻が下がり、薄い頬がほころんだが、不気味なことに変わりはない。
「学校にも行かしてあげる。なんたってあたしゃ、おまえたちの後見人だからねえ」
 がらがらの猫なで声で言った後、おかめさんは激しく咳き込み、バッグからティッシュを取り出して中に痰を吐いた。痰をじっくり確認すると、ティッシュを四つ折りにして、上着のポケットに突っ込む。
「まあ、といってもディズニーランドに連れていくわけじゃない。それなりに働いてもらわなきゃ困るけどね」
「働くって……何するんだよ」
「それは、これから考るさ」
「おれたちはまだ中学生だぞ。中学生働かせていいのかよ」
「中学生が働いちゃいけないなんて法律がどこにあるね。ダニエル・ラドクリフは? エマ・ワトソンは幾つだと思ってるんだ」
「なんだよそれ」
 静香が小声でわたしに質問した。
「ハリー・ポッターだよ」
 わたしが答えた。
「育児雑誌のモデルはどうだね。まだオムツしてるのに、りっぱに働いてるよ。おまえさんたちはそんな赤ん坊より一回りも年上なのに、働けないってか」
 おかめさんは、春雨の食べかけを口の中に放り込み、もぐもぐやって飲み込んだ後、大きなゲップをした。
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