第13話 ハイジやキキも忘れるな!

文字数 1,972文字

「うちで勤めればNo1になれるって、金融機関がマッサージやカラオケなんかやるのかよ」
「静香大丈夫だった?」
「ああ」
 静香は首を左右にコキコキと鳴らしながら答えた。この間は涙をぽろぽろ流していたのに、今日はいたって平気な顔をしている。あんなに締め付けられても、何故か今回は頬っぺたの充血もなかった。
「コツを覚えたんだ。この間握られた時は、顔の筋肉を緊張させていたから、痛えのなんのって。だから、今回は力を抜いたんだよ。そうしたら頬っぺたがトコロテンみてえになって、痛みをぜんぜん感じないんだ。おれ、ひどい顔してたか」
 わたしはぷっと吹き出した。
「これで決まっちまったのかな」
「うん。あいつらのところへは、行くわけにいかないしね」
「ここに留まっているわけにもいかねえ。やつらしつこくやって来るだろうし。いずれにせよこの家はぶっ壊されるんだろ」
「そうだね」
「だけど、やっぱりおれはあのババア信用できねえんだな」
「あたしだってそうだよ。でも家に来る人たちの中では一番まともそうじゃない」
「外見を除けばな」
 わたしはおかめさんの、たった今墓場から蘇ったような顔を思い出した。
「あの人、いくつなんだろうね」
「四百歳は超えてるだろう」
「まじめに」
「わかんねえよ。この間クラスの山崎んち遊びに行って、偶然おばあちゃんって人に会ったけど、もっとずっと若かったぞ。ばあちゃんっていやあ、ふつう六十は超えてるよな。仮に山崎のばあちゃんが六十歳としたら、あのババアは百歳だな。いや、もっといってるかもしんねえ」
「でもおかめさんって、元気だったよね」
 そうなのだ。骸骨のような顔はともかく、おかめさんはシャキッと姿勢が良かったし、言っていることもはっきりしていた。
「でもおれ、まだ諦めたわけじゃないぜ。あんなゾンビババアの家なんか行きたくねえもん」
「あたしだって行きたくないよ」
「なんか手立てはないもんかな」
「う~ん」
 しかし翌日学校に行くと、担任に呼び出され、「すべて連絡を受けている」というようなことを言われた。
「いろいろ大変だな。向こうへ行ってからもがんばるんだぞ。先生もクラスのみんなも、浅田のこと応援してるから。しかし、急だったな。先生驚いてるよ」
おかめさんは、既に学校にまで手を回したらしい。おかめさんの家に引き取られれば、転校を余儀なくされるから、まあこれは当たり前といえば当たり前なのだろうが。
わたしと静香は既に、おかめさんち行きの列車の中にいて、もう路線変更は不可能ということになっているのだ。
「えっ……あ、はい」
「しっかりやるんだぞ。人生に負けるな。浅田ならできる、きっとできるからな」
若い男の先生は、わたしの両肩をがっしりと握り、大きく頷いた。何やらひとりで興奮しているように見える。いつも眠たそうな顔で授業をするくせに、いきなり教育者の使命にでも目覚めたのだろうか。
「はあ」
「そうだ。浅田にこれをやろう」
 先生は机の本棚から、一冊の擦り切れた単行本を取り出した。
「路傍の石」だった。
「先生はこの本が好きでなあ。もう十回以上読んでるよ。浅田もここに出てくる吾一みたいに、逆境にめげず逞しく生きろ」
「…………」
 いったい吾一というのは何者なのだろう。古い小説というのは何となくわかるが、そういう古い時代の主人公と、平成の現代に生きるわたしの境遇が、似ているとでもいうのだろうか。
 クラスでは友達みんなに囲まれた。
「美里、なんで言ってくれなかったのよ~」
 おにぎり一個のわたしのお弁当を見て、ダイエットを決意した女の子が泣きそうな顔でわたしを見つめた。
「浅田さん。かわいそう」
 実際に泣き出す子までいる。
「手紙書くから。返事くれなくてもいいの。忙しいだろうし。でもみんなで書くから」
 いつもはさほど親しくしていない女の子が、わたしの両手を握る。
「あっ……あの」
金曜日になると、皆から色紙を渡された。
「あたしたちは友達だよ。美里がどんなことになっても、ずっとずっと友達だからね。美里と一緒にいれたこの八ヶ月、ホント楽しかったよ」
 色紙の中央には「ファイト美里! 逆境に負けるな!!」という先生の受け売りのような、スローガンが書かれ、そこから放射線状にクラスメートの寄せ書きが伸びている。
何があっても負けるな! ○山○夫
離れていても、わたしたちはずっとずっと一緒です。 ○川○美
セーラやレミやペリーヌのように逞しく生きて。 ○田○子
↑ハイジやキキも忘れるな! ○川○郎
苦しくなったら、わたしたち二年B組の仲間たちを思い出して。 ○野○代
下校するときには、クラスの全員が
「ミサト~、ファイト! オー! ファイト! オー! ファイト! オーッ!!」
と木枯らしの吹きすさぶ中を見送ってくれた。
これだけハデに騒がれては、もはやこの学校に復学するのは不可能に思えた。
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