第2話 三日で発狂する

文字数 1,227文字

「ああ」
「おかめさんって、まさか亀じゃないんでしょう」
「亀じゃない。人間だ」
「あっ、もしかして、おかめひょっとこのおかめ?」
「よく知らんがそうかもしれない。ともかくお前は静香と一緒に、おかめさんの所へ行くんだ」
「そんな……嫌だよ、知らない人の家に行くなんて」
「分からないかな、美里」
 おとうさんがコホンと咳払いする音が聞こえた。
「親戚連中とはもう長い間、付き合いはない。茅ヶ崎のおばさんには子供が五人もいるのに、公団のアパート住まいだろ。達郎伯父さんは、去年リストラされた。息子二人はもうとっくに成人してるけど、無職だ。毎日部屋に閉じこもって、スナック菓子をバリバリ食いながらネットゲームに夢中らしい。だからどっちも、お前たちを引き取る余裕なんかない。それに静香は、どんぶりメシ三杯も食うだろ」
「三杯はオーバーだよ。せいぜい二杯」
「そうか。だがいずれにせよ、親類はダメだ」
 確かに、叔母さんや伯父さんの家などに厄介になりたくはない。
叔母さんちの上の二人は、まだ小さいくせに、人のスカートをめくったり、胸を触ったり、やりたい放題だ。そのくせ叱ると、ぎゃぴんぎゃぴん大声で泣く。あまりにも泣き方が凄まじいので、スカートをめくられ、パンツまでずり下げられそうになったわたしの方が、大人げないということになってしまう。
 それにあの伯父さんとこのニート兄弟。
 去年法事で会ったが、お経の最中、ふたりはわたしの制服からはみ出た太ももを、食い入るように見つめていた。外見が瓜二つの兄弟は、ほとんどロウソクのように色白のくせに、唇だけは妙に赤くぬめっとしていた。がりがりに痩せ、出っ歯で目が細く、タワシのような髪の毛のところどころに、米粒大のフケが浮いていた。あんな人たちとひとつ屋根の下で暮らしたら、わたしは三日で発狂してしまうかもしれない。
「おかめさんはそんなに悪い人じゃない。おかめさんのことを信じるんだ美里。きっとおかめさんがいいようにしてくれるよ。それじゃあそろそろ切るぞ。盗聴されてるかもしれないからな。また連絡する。じゃあな。達者で暮らせよ。静香にもよろしく言っておいてくれ」
「ちょっと! おとうさん」
 電話はいきなり、ガチャリと切れた。ツーツーという無機質の通話音が、耳の奥で鳴っている。折り返し電話しようとしたが、ディスプレイの表示が公衆電話になっていたのであきらめた。おとうさんの携帯に電話をかけると、案の定通じなかった。
「どうしたんだよ、美里」
 振り向くと、パジャマ姿の静香だった。ズボンの後ろに右手を突っ込み、ボリボリお尻を掻きながら大あくびをしている。
 今は午前十時だが、土曜日なのでまだこんな格好をしているのだ。
「どうもこうもないよ。すっごいことが起きてるんだよ」
「ちょっと待った。長い話なら後でな。おれ先にウンコしてくっから」
「きたないなあ」
「せーり現象だから仕方ねえじゃん」
 こう言うなり、静香はトイレに入り、大きな音を立てて扉を閉めた。
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