第18話 走馬灯
文字数 12,762文字
大した相手ではないと侮っていた二角獣に頭部を喰われながら千禽 は、走馬灯を見ていた。
(まさか、こんな最期が来るとは……。)
千禽 は、本当の名ではない。憑依した少年の肉体の名。
本当の名は、シーラス。生涯で一番大切な兄弟であり、親友のスリが名付けてくれた名。
せめて死ぬ時は、シーラスでありたかったなと思ったが、今迄してきた事を考えると、そんな事を願って良い立場ではないと思い直した。
だが、これで飛天という種族を守れるはず。もう安心だ。
……そう思ったが、俺は、最後に見たスリの表情をふと思い出し、なんだか不安になった。
あの日、俺達飛天が長年探していたシャルの魂を持った人物を連れて現れたスリは、俺達家族に逢えたというのに、さほど嬉しそうではなかった。むしろ、憐れむ様な表情をしていた。
そして自分が、シャルの魂と聖母との“絆の呪“を切り、ずっとシャルの魂を、俺達から隠していたと告白した。
“この世の理に逆らっちゃいけないんだ。だから隠した。”
どういう意味なのか分からなかった。
シャルがいなければ、俺たち飛天は絶滅してしまうと分かっているはずなのに。飛天が絶滅する事が、この世の理だという意味なのか?
そもそも、スリは何故生きているんだ?あの時、消滅したはずなのに!
大昔の飛天は、名など無く、性別も無く、不老不死というだけの光の玉だった。聖母だけは一回り大きな光の玉かったが、見た目の違いはそれだけで、他の特徴は、子が産めるというだけ。
俺達は、常に群れで行動していた。それは、仲が良かったからではない。住処がなかったのもあるが、神から、身を守る為。誰かが喰われている間に、自分が逃げられるからだった。
逃げに逃げまくり、神が決して足を踏み入れない不毛の大地に辿り着いた時、やっと安寧に過ごせると思った。
しばらくは、平和な日々が何年も続いたが、また恐怖に脅かされる日々が始まった。
その原因は、聖母が無闇に子を産み続けたから。
神が、何故この不毛の大地に足を踏み入れないのかは知らないが、天敵がいなくなった事で、飛天の子がどんどん増え、聖母を中心とする子供達の円の列が、最初は10列ほどだったのに、50、100、1000、10000……、どんどん、どんどん列が増え、外側の最年長の子達がいる列が、周辺の神々の縄張りに押し出されてしまう様になってしまったのだ。
毎日、毎日、押し出された兄姉達が、神達に喰われてしまっても、聖母は、子を産むのを止めなかった。
どうして聖母は、子を産み続けるのだろう?何の為に?自分の列が、どんどん神の縄張りに近づいていくのを恐怖しながら思ったが、苦言する事も逃げる事もしなかった。というより、そのような発想すらなかった。
というのも会話という行為が、飛天達の間には無かったからだ。木の葉の様に、ただ黙って状況に流されるまま、大人しく列の中にいるだけ。それが当たり前であり、そういうものだと信じていた。
そんな死を待つだけの生活にも楽しみはあった。それは、神々の豊かな大地を眺める事。
その地には、山や、森、湖、川があり、動物達が自由に遊びまわり、色とりどりの鳥や虫が楽しそうに飛びかっていたから。
動物や鳥、虫になれたらどんなに楽しいだろう。魚もいい。きっと楽しいだろう。俺は、いつもそんな想像を膨らませていた。
だが、そんな事には決してならないのも分かっていた。肉体を持つ生物は、死んでも、新しい肉体に転生できる事は、視て知っていた。しかし飛天は、神に喰われてしまえば、消滅してしまう。決して動物などに転生できない。
想像するだけ虚しいと分かっていても、そんな事を想像し、気を紛らわせてなければ、死のカウントダウンという恐怖には耐えられなかっただろう。
自分の目の前の列が、後10列と差し迫った時、3人の人間が、この不毛の大地に現れた。
一人は成人した男性。もう一人は成人女性で、最後の一人は、10歳前後の少年だった。彼らは痩せこけ、服はボロボロ、今にも死にそうだった。
おそらくこの先にある、豊かな神の地を目指してやって来たのだろう。ところが、後もう少しの所で、3人とも力尽き、倒れ、動かなくなってしまった。
俺は、思わず心の中で叫んだ。
“あっ!”
どう言う訳か俺の心の声は、念話となり、周囲の兄弟達にも聞こえてしまったらしく、彼らは不快のオーラを俺に向けた。
(まさか、自分の心の声が他人に聞こえてしまうなんて……。)
俺が戸惑っていると、いつも隣にいる“彼”が話しかけてきた。もちろん、今迄話したことなど一度も無い。
“た、助けよう!”
“助ける?どうやって?”
“分かんないけど、行ってみよう!”
“行く?行くって、列から離れるって意味か?正気かよ?”
列は、生まれた時から前後左右同じ、変わるとすれば、兄弟達が神に喰われてしまった時だけ。自らの意思で離れる者など、今まで一人もいなかった。
“離れちゃダメって、誰が決めたの?離れたら皆んな死んじゃうの?世界が滅ぶの?”
“いや……知らないけど。誰も離れないのは、離れない方が良いから何だろ?”
“もういい!君は残って見てればいいよ。僕が行くから。”
そのがっかりしたような言い方が、俺をムカっとさせた。
“分かった!行けばいいんだろ行けば!”
俺は覚悟を決めると、列から離れ、彼の後に続いた。
聖母や、他の兄弟達に何か言われるのでは?何か起きてしまうでは?と恐れたが、周囲の兄弟達が、不快と不安そうなオーラを発しただけだった。
“まだ生きてるけど、呼吸が弱い。このまま放っておけば死んじゃうと思う。”
躊躇もせず人間達に近づいた彼が、緊張と不安で人間に近づけない俺に向かって言った。
“どうするんだ?”
“触ってみよう!”
“え?!ちょっ、それは!”
彼は、俺が止めるのも聞かず、迷わず少年の身体の中に入ってしまった。
“おいっ!!”
今思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。
その行為は、飛天に眠る力を目覚めさせるキッカケを与えたのだ。
彼が、少年の体に入ると、少年の顔色がみるみる良くなり、荒れた唇と肌、髪には艶が戻り、痩せこけた肉体はふっくらとしだし、傷もアザも綺麗に無くなってしまった。
“何をしたんだ?”
そう声をかけると、彼が少年の体から出てきて、興奮気味に答えた。
“よく分からないよ。ただ、治ってーって願ったら、治っちゃったんだよ!
残りの二人も治そう!”
彼は、戸惑う俺を成人男性の体内に押し込むと、自分は成人女性の体内に入った。
一体どうすればいいんだよ?と狼狽えつつも、とにかく“治れ!治れ!“っと念じながら男性の体内を飛び回った。
すると、不思議な事に、男性の体がどんどん良くなっていくのが分かり、弱々しかった心臓や脈の鼓動も、力強くなった気がした。
“信じられない。なんでこんな事ができるんだ?”
男性の体から出た俺は、スッカリ健康そうになった男性の姿を改めて見、なんとも言えない高揚感に興奮した。
“僕らは、神の餌なんかじゃなかったんだよ。”
彼の言葉が、俺の心に響いた。
今迄、神の餌になる為だけに、生まれ、生きていたのだと思い、絶望していたからだ。
“そうだ。俺達は、餌じゃない!
餌だったら、こんな感情なんて必要ないし、人間を治せる力なんて必要ないはずだ。”
“そうだよ!
気づかなかっただけで、もっと何か……分かんないけど、存在する……別の意味があるはずだよ!”
今日初めて、自分達の存在意義が変わった気がし、彼と俺は、もう“列”には戻らなかった。
人間には、俺達飛天の姿など視えないと思っていが、驚いた事に、3人の人間の内、少年だけが俺らの事が視えるようだった。
少年の名は“シャル”といい、俺達が彼らを治療した事に気づくと、感謝をしてくれた。そして、その事を彼は両親にも伝え、彼の両親も、俺らに感謝をしてくれた。
感謝される事も初めてだったので、俺は何だか凄く幸せな気持ちになった。
「で、飛天様は、なんて言う名前なのですか?」
“え?名前?”
俺らは驚いた。名前などないからだ。
名前など無いと答えると、シャルは目を丸くして驚いた。それじゃあ、どう呼んだらいいのかと訊いた。
俺は、これまで名がない事に不自由などしなかったし、自分を呼ぶ者すらいなかったのだから、無くてもいいと思ったが、“彼“は違った。
“じゃあさ、互いに名前を付けよう。何がいいかな?”
“別にいいだろ、名前なんて……。”
“そうはいかないよ。僕だって君の事を名前で呼びたい。”
彼から愉しげなオーラを感じ、俺は変な奴だなと呆れつつも、面白い奴だと感心した。
“シャル。どんな名前がいいかな?”
「う〜……ん。村じゃ、男はサイ、トガ、マル、ロソが多くて、女は、レナ、ミカ、リン、アイが多いかな……。性別関係なしとなると、ダニ、アシュ、レイとかかな……。」
“どれもいい名前だと思うけど、君には似合わない気がするな。”
彼はそう言いながら、俺の周りをくるくると飛んだ。
“何でもいいよ。”
「そうはいかないと思います。父ちゃんが、名前はその人の運命を左右するって言ってました。僕の名前は、父の故郷の言葉じゃ、守護者と言う意味らしくて、そういう人になれるよう願いを込めたそうです。」
“だったら、余計ちゃんと考えなきゃね。君も、僕の名前を、ちゃーんと考えてよ!”
“え?俺も考えるのか?シャルに名付けてもらえよ。”
“僕は、君に名付けてもらいたいんだ。”
数日後、彼は俺に“シーラス“と言う名を付けた。シャル曰く、“絆“と言う意味らしい。
そして、俺は“スリ“と言う名を、彼に付けた。特に意味は無かった。ただ、パッと思いついたのがその名で、それがぴったりだと感じたのだ。
“‘スリ’か……。悪くないね。むしろ良い。”
“そうか。なら良かった。”
スリは、嬉しそうなオーラを放ったので、俺も嬉しくなった。
“ところで、シャル達は、なんでこんな所に?この辺りに、人間はいないと思うけど。”
スリが、俺も気になっていた事を訊ねた。
気になっていたが、今日まで聞けなかったのは、シャル達家族が、今後の話をしている時のオーラが、重く、悲しそうだったから聞くに聞けなかったのだ。
案の定、シャルは、悲しそうな顔をしたが、その訳をポツリポツリと話してくれた。
「全部、俺の所為なんです……。」
シャル達が旅をしていたのは、シャルが怪異を視る体質だったから。
彼らが暮らしていた地域では、怪異を視る人間は、半妖だという迷信があった。
その為、シャルの母親は、妖怪と交わった不浄な女と罵られ、シャルは半妖だと、村八分に遭ってしまったのだった。
父親が、その迷信を信じなかったのは、妻を信じていたのもあるが、彼の故郷ではそういった迷信は全く無く、それどころかの彼の両親も視える人で、術師を生業にしていたから。
もう村には住めないと判断した彼らは、父親の故郷を目指した。
所が、父親の故郷では、内戦が勃発し、両親が住んでいた都は廃都と化し、両親の行方も分からず終まい。
戦火から逃げるようにして、あてもなく辿り着いたのが、ここという訳だ。
“で、これからどうするんだ?”
俺は、不安そうに俯いているシャルに訊ねた。
「この先の緑豊かな地で暮らしたいと父ちゃんと母ちゃんは言ってる。
けど……、あそこは、神様の禁足地なような気がするんだ。怖い神様の。」
“あぁ……。”
一昨日、その神の縄張りに押し出されてしまった自分達の列を思い出し、俺はブルッと震えた。
もちろん、皆んなに逃げるよう呼びかけた。しかし、誰も列から離れず、背後の列に押し出されるがまま、川から現れた龍神の大きな口の中に落ち、喰われてしまったのだった。
“あの土地
突然の声に驚き、振り返ると、そこには聖母がいた。
“聖母様!!!”
俺達は驚いた。今迄聖母と話した事などなかったし、聖母が子供達に話しかけるなどなかったからだ。
「やっぱり。でも……どこへ行ったらいいのでしょう?あちこちで戦争が拡大していってて、もうどこも安全じゃないんです。」
シャルは両親と話し合った結果、聖母の許可を得て、この不毛の大地にとどまる事にしたが、俺達は心配だった。
なんせこの土地には、肉体を持つ生き物に必要な水も、植物も無いからだ。
飢えようが、俺達の回復術で、肉体的な回復はしてやれるが、ストレスばかりは回復してやれない。まして、成長期のシャルには、どうしたって栄養となる物が必要。生きていくのは難しいと思った。
所が、その心配は不要だった。
長年、不毛の大地の上空で列を作り、列から離れる事もなく、ただ浮いているだけの飛天達には気づけなかった場所を、人間達はあっさり見つけたから。
草木すら生えぬ岩だらけの大地かとばかり思っていたが、その下には大きな洞窟があり、その奥には地底湖があった。そこでは多くの生き物や植物が生息しており、人間3人が生きていく分には十分な環境らしかった。
人間とは不思議な生き物だと、スリも俺も感心した。寿命が短いからなのだろう。探究心や好奇心が強く、創意工夫力も高く、愛情深く、いつも明るく、一生懸命生きていた。
何もせず、何も考えず、ただ状況に流されるだけのまま何千年も生きてきた自分が恥ずかしく思えた。
そんな彼らに、一番影響を受けたのは、意外にも聖母だった。
ある日、聖母は、子供達全員に向かって念話をした。
“わたくしは、無能な母でした。
この人間の親は、子の為に、命を懸けで力を尽くし、守り、育てている。
ですが、わたくしは……、産む事だけが、自分の宿命だと思い込み、それ以外は何も……しませんでした。
子が多くなりすぎ、毎日毎日たくさんの子ども達が、周囲の神々の縄張りに押し出され、食べられてしまっていても、産むのを止めていいのかさえ判断できませんでした。
わたくしは、なんという大罪を犯してしまったのでしょう!”
聖母はそう言うと、大きな悲しみのオーラを放った。
その気持ちは、波の様に子供達全員に伝わり、皆んなからも悲しみのオーラが放たれ、それが空気を揺らし、大地をも揺らした。
この時初めて、皆んな同じ気持ちだった事を互いに知った。当たり前だ。感情があるのだから、餌として喰われるのを待つだけの人生なんて嫌に決まってる。
その日から聖母は、子を産むのを止めた。
そして最初に子供達に教えたのは、列は作らなくていいという事。不毛の大地の中なら、行きたいところへ行き、自由に過ごせと。
自分の意思などなかった子ども達は、最初は戸惑っていたものの、徐々に列から離れ、自分の意思で自由に行動するようになった。
また、俺達の様に、術を発生させられる者も、徐々に現れ始めた。火を発生させる者、水を発生させる者、風を発生させる者、土を発生させる者、雷を発生させる者と、この5つが主な術で、スリと俺の様に回復術ができる物は、意外にも稀だった。聖母はというと、当然と言えば当然なのだろう。その全ての術を扱う事ができた。
俺達はその術を使い、徐々に不毛の大地を、周囲の神々の地の様に、緑豊かにしていった。
もっと早く、自分達の力に気づけていればと思わない日はないが、生きている内に気づけただけでも運が良かったと感謝しなければならない。
シャル達は、たまに人間の村や街へ、売り買いなどしにいく事はあっても、この地に住み続けた。また、飛天の能力は、人間に見せると良くない事になりそうだと言い、決して他の人間達をこの地に招き入れるという事はしなかった。
初めは、何故なのだろう?と思っていたが、それは数年後に分かった。
シャルの父親は、この地で採れる珍しい薬草とやらを売っていた。その薬草は、普通の地でも育つが、飛天達の術の影響を受けて育った薬草は、特別効果が高く、高値で売れたらしい。
それに目を付けた悪徳商人が、シャルの父親を誘拐監禁し、拷問でその薬草が採れる場所を吐かせようとした。だが、シャルの父親は、死ぬまで明かさなかった。
帰りが遅いシャルの父親を心配し、スリと俺は彼を探しに向かったが、見つけた時はもう手遅れで、町外れのドブ川に浮かんでおり、回復術でどうにかできる段階ではなかった。
その後、シャルと母親が行商に行く際は、俺たち飛天が護衛する事にしたものの、彼らを狙う輩は後が絶えなかった。それどころか、飛天達が、火や雷などの術を使って盗賊達を追い返していた為、魔術が使える母子がいるとの噂が立ってしまった。
“余計な事をしてしまったみたいだな。すまない。”
人間達の町や村へ行けなくなってしまったシャル達に、俺は謝罪をした。
この頃、シャルはすっかり成人しており、町に好きな女性がいて、結婚とやらをするかもしれないと、幸せそうに話していたから、尚更申し訳なかった。
「飛天様達の所為じゃないよ。あの薬草さえ売らなければ、目を付けられなかったんだ。お金欲しさに欲を出した僕らの所為だ。父さんが殺された時点で、止めるべきだったんだ。」
シャルはそう言ったが、彼らが贅沢をしたいが為に売っていなかったのは、護衛していた飛天全員が知ってた。
確かに、金持ち連中には高く売っていたが、貧しい診療所には安価で卸していたし、診療所にすらいけない貧しい病人には、無料であげていた。
“でも、恋人に逢えないだろ?結婚だって……。”
「実はさ、彼女、他の男と結婚する事になったんだよ。参ったよね。むしろ、町に行けなくなって良かったよ。」
ハハハとシャルは笑ったが、それが悲しさを誤魔化す為だという事が、オーラを感じなくても分かった。
また、不幸というのは続くもので、あろうことか周囲に誰もいない時、シャルの母親が心臓発作で突然亡くなってしまったのだ。
気丈だったシャルも、流石にこの時ばかりは落ち込んだ。
何日も何日も何も口にせず、ずっと寝台にうずくまったまま厠以外動かなくなり、どんどん衰弱していった。
このままでは死んでしまうと心配したスリと俺は、回復術で何とか衰弱を止めようとしたが、シャルはそれすら拒絶し、俺達を追い払った。
とはいえ、放って置けるはずもなく、嫌がられながらも無理やり回復術を施し続けたが、死を願うオーラは強まるばかりだった。
そんな手の施しようも無い日々が何日も続いたある日、シャルがやっと地下洞窟の住処から出てきた。
ようやく立ち直ったのかと、俺達は安心したが、それは全く違った。
シャルは、一目散に、例の“怖い神“と呼んでいた龍神の地へと走って向かったのだ。
慌てて、止めようとしたが、回復術しか使えないスリと俺には無理だった。
“頼む!誰かシャルを止めてくれ!!!!“
状況を察してシャルを追いかけてくれた兄弟達は多くいたが、家族の同然のシャルが、自分の術で怪我をしたら?という恐れから思い切った術が使えず、躊躇している内に、とうとう入っては行けない龍神の地にシャルは足を踏み入れてしまった。
俺達が縄張りの境界線に辿り着いた頃にはもう手遅れで、龍神が大河から現れ、腰を抜かして驚いているシャルを喰おうと向かってきた。
“シャル!逃げろ!!!“
そう叫んだものの、シャルはすっかり怯えしまい、僅かな悲鳴を上げるだけで全く動けない様子だった。
“助けます!!“
後から追ってきた聖母はそう言うと、龍神の地に迷わず入り、シャルに向かって飛んだ。
龍神の大きな口が開き、もう少しでシャルを喰おうとした寸前で、聖母は風の術を使ってシャルを持ち上げると、飛天の地に向かって飛ばした。それを見た水の術が使える仲間達は、協力して水のクッションを作り、飛んできたシャルを受け止めた。そして、それを見た聖母も急いでこちらへ戻った。
だが、それで一件落着とはいかなかった。縄張りに足を踏み入れただけでもあの龍神は激怒する。餌食まで奪われ、大人しく引き下がるはずなどなかった。
龍神は、今まで決して入らなかった飛天の地へ入ってくると、巨大な手で聖母を捕まえ、思い切り握りしめた。
“貴公、予を侮っておるのか?聖母がいなくなれば美味な餌が喰えなくなる故、見逃してやっていたというのに。”
“決して……侮ってなど……。ただ……わたくしは……、守りたかった……のです。彼の母に……頼まれ……た……から。”
“守りたい?己の子すら守らなかったであろう。”
“……愚か……だったのです。ですが、……今は……違……います。”
“余計な知恵をつけおって。近年、子らがこちらへ落ちてこないのもその所為か。
貴公、この世の理に抗うつもりか?”
当時、その言葉の意味は、弱者はただ黙って喰われていろと言う意味だと思った。それが、先月、スリが全く同じような事を、千年振りに再開した俺達に言った。
今思い返してみると、龍神の言葉の意味と、スリの言葉の意味は同じだったのだろうか?
“聖母様を離せ!このトカゲ野郎!!”
勇敢なのか馬鹿なのか、その両方なのか、スリが、龍神に向かって怒鳴った。
“何だと?!”
龍神が、赤い目を光らせ、真っ黒な鱗に包まれた体をゆっくりとスリの方に向けた。
“大人しく帰れと言ったんだ。痛い目に遭いたくなければ!”
“小僧、己が何を言ったのか分かっておるのか?”
“あんたこそ、何処にいるか分かっているのか?帰れ!!!”
スリは怯まず、ハッキリとそう怒鳴った。
俺は、なんて事を!と怯えてしまったが、仲間多くは、スリに共感したようで、“帰れ!”“帰れ!”っと一緒になって言い出した。
その声は、空気が震えるほどの大合唱となり、大地を震わせ、大地震を起こしてしまい、その揺れは、この飛天の地だけでなく、龍神の地も揺れてしまい、木々が倒れ、土砂崩れが起き、川津波が起きてしまった。
“止めよ!今すぐ止めよ!聖母が握り潰されても良いのか?”
龍神が怒鳴り散らしたが、その声は大合唱にかき消され、怒りと興奮状態の飛天達には聞こえなかった。
また謙っていた聖母も、子供達の勇気に感化されたようで、皆んなの“帰れ!”の大合唱がが大きくになるにつれ、体を大きく光らせ、その大きさは巨大な龍をすっぽり包んでしまう程となり、その眩しさから龍神は、思わず聖母を離してしまった。
“目が!目がぁ!!“
光によって目を潰された龍神は、巨大な手で両目を覆い叫んだ。
“お帰りください!!“
龍神に向かって聖母は、ハッキリとお願いをした。
“調子に乗りおって!だが、ただでは帰らん。此奴だけは許さんからのぉ。”
そう捨て台詞を吐くと龍神は、微かに見えるスリを捕まえ、口の中に放り込むと、消えるように自分の縄張りに帰ってしまった。
“スリィィィー!!!”
跡形も無く消えてしまった場所に向かって俺は何度も何度も叫んだ。変な感覚だった。何度もスリの名を叫びつつも、さっき目の前で起きた事が全く信じられなかった。振り向けばスリがいそうな気がするのに、龍神に喰われてしまった光景が目に焼きついて離れない。真実と錯覚が混乱して、頭の中がグチャグチャになってしまった。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!俺、行って、スリと交換してもらいます!」
シャルはそう言って、また龍神の地へ行こうとしたが、聖母がそれを止め、スリの分までしっかり生きて欲しいと励ました。
けれどその励ましは、余計シャルを苦しめただけの様に思えた。
死にたいと思ったから龍神の地へ行こうとしたのだ。それに加え、自分の所為でがスリが喰われ消滅してしまった。シャルの死にたいという気持ちは、更に強まってしまったに違いなかった。
その直後シャルは、この地を離れ、旅に出ると聖母に伝えた。聖母は渋ったが、俺は賛成した。
それは、シャルの為だけではない、俺の為でもあった。こんな事を思ってはいけないのだろうが、スリが龍神に喰われてしまったのは、シャルの所為。正直、彼を見ているのが辛かった。
“シーラス。”
シャルが旅立った直ぐ後、俺は聖母に呼ばれた。
“シャルは、死に場所を探しに旅立ちました。追って、止めて下さい。”
“……死にたいのなら、死なせてあげれば良いじゃないですか。人間は、我々と違い、死んでも新たな肉体に転生するんです。辛かった記憶を消し去り、新しい人生を歩んだ方が良いでしょ?”
“シーラス。あなたは、シャルを恨んでいるのですか?”
“え?……そんな事……ないです。”
“どうやら、あなた程、シャルを止めるに相応しい者はいない様ですね。彼を連れて戻るまで、あなたも戻る事は許しません。”
聖母の言葉の意味が、全く分からなかった。むしろ、なぜ俺が?と腹が立った。
とはいえ、聖母の命令は絶対。俺はムシャクシャしながらシャルを追った。
シャルの痕跡を辿り、海の荒波が打ち寄せる断崖絶壁の淵で、彼を見つけた。
俺は、面倒だなと思いつつも、シャルに声をかけ、自殺など止めるように説得した。
だが、シャルは「今までありがとうございます。」と言い、崖から落ちてしまった。
“クソッ!”
無我夢中で、落下していくシャルを追った。
こんな事になるなら、水や風を扱える弟妹を連れてくるんだったと後悔した。だが、もし落ちても即死でないのなら、回復術で助けられる。
僅かな、希望が湧いたものの、その希望は直ぐに打ち消された。海の中から、人魚達が現れ、集まってきたのだ。
顔は美しいが、その笑みは、とても助けようなどという表情ではない。獲物を待ち構えている顔。
“妖怪なんかに喰われたら、シャルの魂は転生できない。最悪だ!”
考えてる余裕などもうなかった。俺は、シャルを助けたいという思いを込め、ありったけの力で術をシャルと人魚達に向けて放った。
シャルの落下速度は変わらなかったが、人魚の方に異変があった。
人魚達の表情が消え、落ちて来るシャルの真下に集まり、尾を花びらの様に掲げた。
その直後、勢いよくシャルがその沢山の尾の中心に落ち、弾んで、海藻の山の上に落ち転がった。
人魚達に襲われるのでは?と俺は焦ったが、人魚達は尾を揚げたまま静止した状態で、ピクリとも動かない。俺が、降りてきて、シャルに近づき、生きているか確認し、回復術を施している間も、そのまま。
もしやと思い、“帰れ“と命じてみると、人魚達は、大人しく沖の方へと泳いで行ってしまった。
シャルを救えた事は素直に嬉しかったが、誰かを操るという新たな術に、自分自身、寒気がする程恐ろしくなった。
“嘘だろ?そんな……術が……俺に?これは封印しよう。もう二度と使っちゃダメだ。“
回復術で意識を取り戻したシャルに、なぜ死にたかったのか、俺は改めて訊ねた。
シャルが死にたいと思ったのは、寂しさからだった。死んで両親に逢いたかったったと。
俺達がいるだろと言ったが、触れる事も、温もりを感じる事も出来ないのは余計に寂しいのだと答えた。
また、例の女の子と別れた原因は、話していたのとは違う理由だった。
何と、シャルの父親を誘拐し、拷問の末殺害したのが、彼女の父親だった。その後、父親の命令で、シャルを誘惑し、例の薬草が採れる場所を聞き出そうとしていたという事が発覚したのだ。
その直後、母親の突然死。
生きる希望が無くなってしまった……とシャルは泣きながら話した。
なんとなく、寂しさが原因で落ち込んでいるのだろうとは思っていたが、まさかそんな事が起きていたとは……。
もっと早く、シャルの相談に乗ってやれていればこんな事にはならなかったのだろうか?……だが、大切な人を亡くしたり、裏切られたり、憎んだ事すら無かった自分に、彼の気持ちに寄り添う事などできただろうか?と思うと、無理だろうし、結果は変わらなかった様に思える。
けど、今なら分かる。シャルの絶望感が。そして聖母が、なぜ俺にシャルを追わせたのかも、なんとなくだが分かったような気がした。
なんとか家に戻ってくれたシャルは、聖母と話し合った。
“分かりました。人間のお相手が欲しいのですね?”
聖母の質問に、シャルは首を横に振った。
「いえ、そういう意味では……。結婚まで考えていた女性に裏切られ、父も殺され、子供の頃には村八分に遭った。もう人と関わるのはうんざりです。」
“ならば、わたくしが人間の姿になりましょう。”
聖母はそう言うと、シャルと同じ年頃の美しい生身の人間の女性に変身した。
“わたくしが、今日からあなたの妻となり、友となりましょう。“
そう言いながら聖母は、顔を真っ赤にして驚いているシャルに近づき、彼の両親がしていたように、彼を強く抱きしめ、額に口付けをした。
聖母以外、人間の生身に変身する事はできなかったが、聖母とシャルの間に生まれた子供達に宿る事は可能で、子供が出来る度に飛天達はその体に宿り、シャルの家族となり、人間の様に暮らした。
それは、決してシャルを喜ばせる為だけではなかった。肉体を持つという事は、俺の、皆んなの夢でもあったから。
皆んな、神々の地で暮らす生き物達の様になりたいと憧れていたのだ。
人間の肉体は、色々と不便な事もあったが、走ったり、食べたり、匂いを嗅いだり、冷たい熱い、寒い暖かいなどの刺激が多く、何よりも生きているという実感が心地良かった。
肉体の寿命がある人間のシャルは、俺がいくら回復術で治療しても、せいぜい200歳しか生きられなかった。
だが寂しくはなかった。シャルが亡くなる前、聖母がシャルの魂に“絆の呪”をした為、シャルの魂が、この世の何処かで転生しても、必ず、この地に辿り着き、聖母と結婚をしたから。もちろん、それはシャルの望みでもあった。
俺ら半飛天半人の肉体も、400歳ぐらいになると動かなくなってしまったが、その度に、シャルと聖母の子に転生し直した。
やがて、聖母とシャルの半飛天半人の子供達が増え、村ができ、町ができ、都ができ、シャルという国ができた。
そんな平和な暮らしが千年も続いたある日。シャルの肉体が寿命を迎え亡くなった。
そしていつもの様に、その20年後、シャルは冠馬 という小さな国の王子として、シャル国に帰ってきた。
心配はしてなかった。これまで身分が高かったりした事もあったが、シャルは地位も家族も捨て、必ずシャル国に帰り、聖母と結婚したからだ。
ところが、今回ばかりは違った。
シャルは、聖母との結婚と、冠馬 には二度と戻らない事を父王へ伝えに、一度冠馬 へ戻ったのだが、しばらくしてシャルが帰ってきた時、事件が起きた。
普段は、幻術防御結界を、国の周りに施していた為、いくら術が扱える人間が大勢いたとしても破られやしない。だが、その時は、シャルを迎える為に、結界を解除していた。
そこへ、潜んでいた冠馬 、雷梛《らいな》、ネンネ、ゴル、マシュ、オルカ、エアデンという小国の王達と、その大軍がなだれ込み襲ってきたのだ。
戦争などした事も、戦さの知識もない俺達は、あっという間に負けてしまった。
最終手段として、聖母は、国ごと自爆するという道を選んだ。
それは飛天が、元々肉体を持つ必要がない生物で、全て消えてしまっても問題などないと思ったから。
それに、シャルも一度死ねば、新たな肉体で再び現れる。何も問題ないと思ったのだ。なのに……。
スリ……。なぜ裏切ったんだ?それだけが心残りだ。
(まさか、こんな最期が来るとは……。)
本当の名は、シーラス。生涯で一番大切な兄弟であり、親友のスリが名付けてくれた名。
せめて死ぬ時は、シーラスでありたかったなと思ったが、今迄してきた事を考えると、そんな事を願って良い立場ではないと思い直した。
だが、これで飛天という種族を守れるはず。もう安心だ。
……そう思ったが、俺は、最後に見たスリの表情をふと思い出し、なんだか不安になった。
あの日、俺達飛天が長年探していたシャルの魂を持った人物を連れて現れたスリは、俺達家族に逢えたというのに、さほど嬉しそうではなかった。むしろ、憐れむ様な表情をしていた。
そして自分が、シャルの魂と聖母との“絆の呪“を切り、ずっとシャルの魂を、俺達から隠していたと告白した。
“この世の理に逆らっちゃいけないんだ。だから隠した。”
どういう意味なのか分からなかった。
シャルがいなければ、俺たち飛天は絶滅してしまうと分かっているはずなのに。飛天が絶滅する事が、この世の理だという意味なのか?
そもそも、スリは何故生きているんだ?あの時、消滅したはずなのに!
大昔の飛天は、名など無く、性別も無く、不老不死というだけの光の玉だった。聖母だけは一回り大きな光の玉かったが、見た目の違いはそれだけで、他の特徴は、子が産めるというだけ。
俺達は、常に群れで行動していた。それは、仲が良かったからではない。住処がなかったのもあるが、神から、身を守る為。誰かが喰われている間に、自分が逃げられるからだった。
逃げに逃げまくり、神が決して足を踏み入れない不毛の大地に辿り着いた時、やっと安寧に過ごせると思った。
しばらくは、平和な日々が何年も続いたが、また恐怖に脅かされる日々が始まった。
その原因は、聖母が無闇に子を産み続けたから。
神が、何故この不毛の大地に足を踏み入れないのかは知らないが、天敵がいなくなった事で、飛天の子がどんどん増え、聖母を中心とする子供達の円の列が、最初は10列ほどだったのに、50、100、1000、10000……、どんどん、どんどん列が増え、外側の最年長の子達がいる列が、周辺の神々の縄張りに押し出されてしまう様になってしまったのだ。
毎日、毎日、押し出された兄姉達が、神達に喰われてしまっても、聖母は、子を産むのを止めなかった。
どうして聖母は、子を産み続けるのだろう?何の為に?自分の列が、どんどん神の縄張りに近づいていくのを恐怖しながら思ったが、苦言する事も逃げる事もしなかった。というより、そのような発想すらなかった。
というのも会話という行為が、飛天達の間には無かったからだ。木の葉の様に、ただ黙って状況に流されるまま、大人しく列の中にいるだけ。それが当たり前であり、そういうものだと信じていた。
そんな死を待つだけの生活にも楽しみはあった。それは、神々の豊かな大地を眺める事。
その地には、山や、森、湖、川があり、動物達が自由に遊びまわり、色とりどりの鳥や虫が楽しそうに飛びかっていたから。
動物や鳥、虫になれたらどんなに楽しいだろう。魚もいい。きっと楽しいだろう。俺は、いつもそんな想像を膨らませていた。
だが、そんな事には決してならないのも分かっていた。肉体を持つ生物は、死んでも、新しい肉体に転生できる事は、視て知っていた。しかし飛天は、神に喰われてしまえば、消滅してしまう。決して動物などに転生できない。
想像するだけ虚しいと分かっていても、そんな事を想像し、気を紛らわせてなければ、死のカウントダウンという恐怖には耐えられなかっただろう。
自分の目の前の列が、後10列と差し迫った時、3人の人間が、この不毛の大地に現れた。
一人は成人した男性。もう一人は成人女性で、最後の一人は、10歳前後の少年だった。彼らは痩せこけ、服はボロボロ、今にも死にそうだった。
おそらくこの先にある、豊かな神の地を目指してやって来たのだろう。ところが、後もう少しの所で、3人とも力尽き、倒れ、動かなくなってしまった。
俺は、思わず心の中で叫んだ。
“あっ!”
どう言う訳か俺の心の声は、念話となり、周囲の兄弟達にも聞こえてしまったらしく、彼らは不快のオーラを俺に向けた。
(まさか、自分の心の声が他人に聞こえてしまうなんて……。)
俺が戸惑っていると、いつも隣にいる“彼”が話しかけてきた。もちろん、今迄話したことなど一度も無い。
“た、助けよう!”
“助ける?どうやって?”
“分かんないけど、行ってみよう!”
“行く?行くって、列から離れるって意味か?正気かよ?”
列は、生まれた時から前後左右同じ、変わるとすれば、兄弟達が神に喰われてしまった時だけ。自らの意思で離れる者など、今まで一人もいなかった。
“離れちゃダメって、誰が決めたの?離れたら皆んな死んじゃうの?世界が滅ぶの?”
“いや……知らないけど。誰も離れないのは、離れない方が良いから何だろ?”
“もういい!君は残って見てればいいよ。僕が行くから。”
そのがっかりしたような言い方が、俺をムカっとさせた。
“分かった!行けばいいんだろ行けば!”
俺は覚悟を決めると、列から離れ、彼の後に続いた。
聖母や、他の兄弟達に何か言われるのでは?何か起きてしまうでは?と恐れたが、周囲の兄弟達が、不快と不安そうなオーラを発しただけだった。
“まだ生きてるけど、呼吸が弱い。このまま放っておけば死んじゃうと思う。”
躊躇もせず人間達に近づいた彼が、緊張と不安で人間に近づけない俺に向かって言った。
“どうするんだ?”
“触ってみよう!”
“え?!ちょっ、それは!”
彼は、俺が止めるのも聞かず、迷わず少年の身体の中に入ってしまった。
“おいっ!!”
今思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。
その行為は、飛天に眠る力を目覚めさせるキッカケを与えたのだ。
彼が、少年の体に入ると、少年の顔色がみるみる良くなり、荒れた唇と肌、髪には艶が戻り、痩せこけた肉体はふっくらとしだし、傷もアザも綺麗に無くなってしまった。
“何をしたんだ?”
そう声をかけると、彼が少年の体から出てきて、興奮気味に答えた。
“よく分からないよ。ただ、治ってーって願ったら、治っちゃったんだよ!
残りの二人も治そう!”
彼は、戸惑う俺を成人男性の体内に押し込むと、自分は成人女性の体内に入った。
一体どうすればいいんだよ?と狼狽えつつも、とにかく“治れ!治れ!“っと念じながら男性の体内を飛び回った。
すると、不思議な事に、男性の体がどんどん良くなっていくのが分かり、弱々しかった心臓や脈の鼓動も、力強くなった気がした。
“信じられない。なんでこんな事ができるんだ?”
男性の体から出た俺は、スッカリ健康そうになった男性の姿を改めて見、なんとも言えない高揚感に興奮した。
“僕らは、神の餌なんかじゃなかったんだよ。”
彼の言葉が、俺の心に響いた。
今迄、神の餌になる為だけに、生まれ、生きていたのだと思い、絶望していたからだ。
“そうだ。俺達は、餌じゃない!
餌だったら、こんな感情なんて必要ないし、人間を治せる力なんて必要ないはずだ。”
“そうだよ!
気づかなかっただけで、もっと何か……分かんないけど、存在する……別の意味があるはずだよ!”
今日初めて、自分達の存在意義が変わった気がし、彼と俺は、もう“列”には戻らなかった。
人間には、俺達飛天の姿など視えないと思っていが、驚いた事に、3人の人間の内、少年だけが俺らの事が視えるようだった。
少年の名は“シャル”といい、俺達が彼らを治療した事に気づくと、感謝をしてくれた。そして、その事を彼は両親にも伝え、彼の両親も、俺らに感謝をしてくれた。
感謝される事も初めてだったので、俺は何だか凄く幸せな気持ちになった。
「で、飛天様は、なんて言う名前なのですか?」
“え?名前?”
俺らは驚いた。名前などないからだ。
名前など無いと答えると、シャルは目を丸くして驚いた。それじゃあ、どう呼んだらいいのかと訊いた。
俺は、これまで名がない事に不自由などしなかったし、自分を呼ぶ者すらいなかったのだから、無くてもいいと思ったが、“彼“は違った。
“じゃあさ、互いに名前を付けよう。何がいいかな?”
“別にいいだろ、名前なんて……。”
“そうはいかないよ。僕だって君の事を名前で呼びたい。”
彼から愉しげなオーラを感じ、俺は変な奴だなと呆れつつも、面白い奴だと感心した。
“シャル。どんな名前がいいかな?”
「う〜……ん。村じゃ、男はサイ、トガ、マル、ロソが多くて、女は、レナ、ミカ、リン、アイが多いかな……。性別関係なしとなると、ダニ、アシュ、レイとかかな……。」
“どれもいい名前だと思うけど、君には似合わない気がするな。”
彼はそう言いながら、俺の周りをくるくると飛んだ。
“何でもいいよ。”
「そうはいかないと思います。父ちゃんが、名前はその人の運命を左右するって言ってました。僕の名前は、父の故郷の言葉じゃ、守護者と言う意味らしくて、そういう人になれるよう願いを込めたそうです。」
“だったら、余計ちゃんと考えなきゃね。君も、僕の名前を、ちゃーんと考えてよ!”
“え?俺も考えるのか?シャルに名付けてもらえよ。”
“僕は、君に名付けてもらいたいんだ。”
数日後、彼は俺に“シーラス“と言う名を付けた。シャル曰く、“絆“と言う意味らしい。
そして、俺は“スリ“と言う名を、彼に付けた。特に意味は無かった。ただ、パッと思いついたのがその名で、それがぴったりだと感じたのだ。
“‘スリ’か……。悪くないね。むしろ良い。”
“そうか。なら良かった。”
スリは、嬉しそうなオーラを放ったので、俺も嬉しくなった。
“ところで、シャル達は、なんでこんな所に?この辺りに、人間はいないと思うけど。”
スリが、俺も気になっていた事を訊ねた。
気になっていたが、今日まで聞けなかったのは、シャル達家族が、今後の話をしている時のオーラが、重く、悲しそうだったから聞くに聞けなかったのだ。
案の定、シャルは、悲しそうな顔をしたが、その訳をポツリポツリと話してくれた。
「全部、俺の所為なんです……。」
シャル達が旅をしていたのは、シャルが怪異を視る体質だったから。
彼らが暮らしていた地域では、怪異を視る人間は、半妖だという迷信があった。
その為、シャルの母親は、妖怪と交わった不浄な女と罵られ、シャルは半妖だと、村八分に遭ってしまったのだった。
父親が、その迷信を信じなかったのは、妻を信じていたのもあるが、彼の故郷ではそういった迷信は全く無く、それどころかの彼の両親も視える人で、術師を生業にしていたから。
もう村には住めないと判断した彼らは、父親の故郷を目指した。
所が、父親の故郷では、内戦が勃発し、両親が住んでいた都は廃都と化し、両親の行方も分からず終まい。
戦火から逃げるようにして、あてもなく辿り着いたのが、ここという訳だ。
“で、これからどうするんだ?”
俺は、不安そうに俯いているシャルに訊ねた。
「この先の緑豊かな地で暮らしたいと父ちゃんと母ちゃんは言ってる。
けど……、あそこは、神様の禁足地なような気がするんだ。怖い神様の。」
“あぁ……。”
一昨日、その神の縄張りに押し出されてしまった自分達の列を思い出し、俺はブルッと震えた。
もちろん、皆んなに逃げるよう呼びかけた。しかし、誰も列から離れず、背後の列に押し出されるがまま、川から現れた龍神の大きな口の中に落ち、喰われてしまったのだった。
“あの土地
だけ
は、決して足を踏み入れてはいけません。特に人間は。”突然の声に驚き、振り返ると、そこには聖母がいた。
“聖母様!!!”
俺達は驚いた。今迄聖母と話した事などなかったし、聖母が子供達に話しかけるなどなかったからだ。
「やっぱり。でも……どこへ行ったらいいのでしょう?あちこちで戦争が拡大していってて、もうどこも安全じゃないんです。」
シャルは両親と話し合った結果、聖母の許可を得て、この不毛の大地にとどまる事にしたが、俺達は心配だった。
なんせこの土地には、肉体を持つ生き物に必要な水も、植物も無いからだ。
飢えようが、俺達の回復術で、肉体的な回復はしてやれるが、ストレスばかりは回復してやれない。まして、成長期のシャルには、どうしたって栄養となる物が必要。生きていくのは難しいと思った。
所が、その心配は不要だった。
長年、不毛の大地の上空で列を作り、列から離れる事もなく、ただ浮いているだけの飛天達には気づけなかった場所を、人間達はあっさり見つけたから。
草木すら生えぬ岩だらけの大地かとばかり思っていたが、その下には大きな洞窟があり、その奥には地底湖があった。そこでは多くの生き物や植物が生息しており、人間3人が生きていく分には十分な環境らしかった。
人間とは不思議な生き物だと、スリも俺も感心した。寿命が短いからなのだろう。探究心や好奇心が強く、創意工夫力も高く、愛情深く、いつも明るく、一生懸命生きていた。
何もせず、何も考えず、ただ状況に流されるだけのまま何千年も生きてきた自分が恥ずかしく思えた。
そんな彼らに、一番影響を受けたのは、意外にも聖母だった。
ある日、聖母は、子供達全員に向かって念話をした。
“わたくしは、無能な母でした。
この人間の親は、子の為に、命を懸けで力を尽くし、守り、育てている。
ですが、わたくしは……、産む事だけが、自分の宿命だと思い込み、それ以外は何も……しませんでした。
子が多くなりすぎ、毎日毎日たくさんの子ども達が、周囲の神々の縄張りに押し出され、食べられてしまっていても、産むのを止めていいのかさえ判断できませんでした。
わたくしは、なんという大罪を犯してしまったのでしょう!”
聖母はそう言うと、大きな悲しみのオーラを放った。
その気持ちは、波の様に子供達全員に伝わり、皆んなからも悲しみのオーラが放たれ、それが空気を揺らし、大地をも揺らした。
この時初めて、皆んな同じ気持ちだった事を互いに知った。当たり前だ。感情があるのだから、餌として喰われるのを待つだけの人生なんて嫌に決まってる。
その日から聖母は、子を産むのを止めた。
そして最初に子供達に教えたのは、列は作らなくていいという事。不毛の大地の中なら、行きたいところへ行き、自由に過ごせと。
自分の意思などなかった子ども達は、最初は戸惑っていたものの、徐々に列から離れ、自分の意思で自由に行動するようになった。
また、俺達の様に、術を発生させられる者も、徐々に現れ始めた。火を発生させる者、水を発生させる者、風を発生させる者、土を発生させる者、雷を発生させる者と、この5つが主な術で、スリと俺の様に回復術ができる物は、意外にも稀だった。聖母はというと、当然と言えば当然なのだろう。その全ての術を扱う事ができた。
俺達はその術を使い、徐々に不毛の大地を、周囲の神々の地の様に、緑豊かにしていった。
もっと早く、自分達の力に気づけていればと思わない日はないが、生きている内に気づけただけでも運が良かったと感謝しなければならない。
シャル達は、たまに人間の村や街へ、売り買いなどしにいく事はあっても、この地に住み続けた。また、飛天の能力は、人間に見せると良くない事になりそうだと言い、決して他の人間達をこの地に招き入れるという事はしなかった。
初めは、何故なのだろう?と思っていたが、それは数年後に分かった。
シャルの父親は、この地で採れる珍しい薬草とやらを売っていた。その薬草は、普通の地でも育つが、飛天達の術の影響を受けて育った薬草は、特別効果が高く、高値で売れたらしい。
それに目を付けた悪徳商人が、シャルの父親を誘拐監禁し、拷問でその薬草が採れる場所を吐かせようとした。だが、シャルの父親は、死ぬまで明かさなかった。
帰りが遅いシャルの父親を心配し、スリと俺は彼を探しに向かったが、見つけた時はもう手遅れで、町外れのドブ川に浮かんでおり、回復術でどうにかできる段階ではなかった。
その後、シャルと母親が行商に行く際は、俺たち飛天が護衛する事にしたものの、彼らを狙う輩は後が絶えなかった。それどころか、飛天達が、火や雷などの術を使って盗賊達を追い返していた為、魔術が使える母子がいるとの噂が立ってしまった。
“余計な事をしてしまったみたいだな。すまない。”
人間達の町や村へ行けなくなってしまったシャル達に、俺は謝罪をした。
この頃、シャルはすっかり成人しており、町に好きな女性がいて、結婚とやらをするかもしれないと、幸せそうに話していたから、尚更申し訳なかった。
「飛天様達の所為じゃないよ。あの薬草さえ売らなければ、目を付けられなかったんだ。お金欲しさに欲を出した僕らの所為だ。父さんが殺された時点で、止めるべきだったんだ。」
シャルはそう言ったが、彼らが贅沢をしたいが為に売っていなかったのは、護衛していた飛天全員が知ってた。
確かに、金持ち連中には高く売っていたが、貧しい診療所には安価で卸していたし、診療所にすらいけない貧しい病人には、無料であげていた。
“でも、恋人に逢えないだろ?結婚だって……。”
「実はさ、彼女、他の男と結婚する事になったんだよ。参ったよね。むしろ、町に行けなくなって良かったよ。」
ハハハとシャルは笑ったが、それが悲しさを誤魔化す為だという事が、オーラを感じなくても分かった。
また、不幸というのは続くもので、あろうことか周囲に誰もいない時、シャルの母親が心臓発作で突然亡くなってしまったのだ。
気丈だったシャルも、流石にこの時ばかりは落ち込んだ。
何日も何日も何も口にせず、ずっと寝台にうずくまったまま厠以外動かなくなり、どんどん衰弱していった。
このままでは死んでしまうと心配したスリと俺は、回復術で何とか衰弱を止めようとしたが、シャルはそれすら拒絶し、俺達を追い払った。
とはいえ、放って置けるはずもなく、嫌がられながらも無理やり回復術を施し続けたが、死を願うオーラは強まるばかりだった。
そんな手の施しようも無い日々が何日も続いたある日、シャルがやっと地下洞窟の住処から出てきた。
ようやく立ち直ったのかと、俺達は安心したが、それは全く違った。
シャルは、一目散に、例の“怖い神“と呼んでいた龍神の地へと走って向かったのだ。
慌てて、止めようとしたが、回復術しか使えないスリと俺には無理だった。
“頼む!誰かシャルを止めてくれ!!!!“
状況を察してシャルを追いかけてくれた兄弟達は多くいたが、家族の同然のシャルが、自分の術で怪我をしたら?という恐れから思い切った術が使えず、躊躇している内に、とうとう入っては行けない龍神の地にシャルは足を踏み入れてしまった。
俺達が縄張りの境界線に辿り着いた頃にはもう手遅れで、龍神が大河から現れ、腰を抜かして驚いているシャルを喰おうと向かってきた。
“シャル!逃げろ!!!“
そう叫んだものの、シャルはすっかり怯えしまい、僅かな悲鳴を上げるだけで全く動けない様子だった。
“助けます!!“
後から追ってきた聖母はそう言うと、龍神の地に迷わず入り、シャルに向かって飛んだ。
龍神の大きな口が開き、もう少しでシャルを喰おうとした寸前で、聖母は風の術を使ってシャルを持ち上げると、飛天の地に向かって飛ばした。それを見た水の術が使える仲間達は、協力して水のクッションを作り、飛んできたシャルを受け止めた。そして、それを見た聖母も急いでこちらへ戻った。
だが、それで一件落着とはいかなかった。縄張りに足を踏み入れただけでもあの龍神は激怒する。餌食まで奪われ、大人しく引き下がるはずなどなかった。
龍神は、今まで決して入らなかった飛天の地へ入ってくると、巨大な手で聖母を捕まえ、思い切り握りしめた。
“貴公、予を侮っておるのか?聖母がいなくなれば美味な餌が喰えなくなる故、見逃してやっていたというのに。”
“決して……侮ってなど……。ただ……わたくしは……、守りたかった……のです。彼の母に……頼まれ……た……から。”
“守りたい?己の子すら守らなかったであろう。”
“……愚か……だったのです。ですが、……今は……違……います。”
“余計な知恵をつけおって。近年、子らがこちらへ落ちてこないのもその所為か。
貴公、この世の理に抗うつもりか?”
当時、その言葉の意味は、弱者はただ黙って喰われていろと言う意味だと思った。それが、先月、スリが全く同じような事を、千年振りに再開した俺達に言った。
今思い返してみると、龍神の言葉の意味と、スリの言葉の意味は同じだったのだろうか?
“聖母様を離せ!このトカゲ野郎!!”
勇敢なのか馬鹿なのか、その両方なのか、スリが、龍神に向かって怒鳴った。
“何だと?!”
龍神が、赤い目を光らせ、真っ黒な鱗に包まれた体をゆっくりとスリの方に向けた。
“大人しく帰れと言ったんだ。痛い目に遭いたくなければ!”
“小僧、己が何を言ったのか分かっておるのか?”
“あんたこそ、何処にいるか分かっているのか?帰れ!!!”
スリは怯まず、ハッキリとそう怒鳴った。
俺は、なんて事を!と怯えてしまったが、仲間多くは、スリに共感したようで、“帰れ!”“帰れ!”っと一緒になって言い出した。
その声は、空気が震えるほどの大合唱となり、大地を震わせ、大地震を起こしてしまい、その揺れは、この飛天の地だけでなく、龍神の地も揺れてしまい、木々が倒れ、土砂崩れが起き、川津波が起きてしまった。
“止めよ!今すぐ止めよ!聖母が握り潰されても良いのか?”
龍神が怒鳴り散らしたが、その声は大合唱にかき消され、怒りと興奮状態の飛天達には聞こえなかった。
また謙っていた聖母も、子供達の勇気に感化されたようで、皆んなの“帰れ!”の大合唱がが大きくになるにつれ、体を大きく光らせ、その大きさは巨大な龍をすっぽり包んでしまう程となり、その眩しさから龍神は、思わず聖母を離してしまった。
“目が!目がぁ!!“
光によって目を潰された龍神は、巨大な手で両目を覆い叫んだ。
“お帰りください!!“
龍神に向かって聖母は、ハッキリとお願いをした。
“調子に乗りおって!だが、ただでは帰らん。此奴だけは許さんからのぉ。”
そう捨て台詞を吐くと龍神は、微かに見えるスリを捕まえ、口の中に放り込むと、消えるように自分の縄張りに帰ってしまった。
“スリィィィー!!!”
跡形も無く消えてしまった場所に向かって俺は何度も何度も叫んだ。変な感覚だった。何度もスリの名を叫びつつも、さっき目の前で起きた事が全く信じられなかった。振り向けばスリがいそうな気がするのに、龍神に喰われてしまった光景が目に焼きついて離れない。真実と錯覚が混乱して、頭の中がグチャグチャになってしまった。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!俺、行って、スリと交換してもらいます!」
シャルはそう言って、また龍神の地へ行こうとしたが、聖母がそれを止め、スリの分までしっかり生きて欲しいと励ました。
けれどその励ましは、余計シャルを苦しめただけの様に思えた。
死にたいと思ったから龍神の地へ行こうとしたのだ。それに加え、自分の所為でがスリが喰われ消滅してしまった。シャルの死にたいという気持ちは、更に強まってしまったに違いなかった。
その直後シャルは、この地を離れ、旅に出ると聖母に伝えた。聖母は渋ったが、俺は賛成した。
それは、シャルの為だけではない、俺の為でもあった。こんな事を思ってはいけないのだろうが、スリが龍神に喰われてしまったのは、シャルの所為。正直、彼を見ているのが辛かった。
“シーラス。”
シャルが旅立った直ぐ後、俺は聖母に呼ばれた。
“シャルは、死に場所を探しに旅立ちました。追って、止めて下さい。”
“……死にたいのなら、死なせてあげれば良いじゃないですか。人間は、我々と違い、死んでも新たな肉体に転生するんです。辛かった記憶を消し去り、新しい人生を歩んだ方が良いでしょ?”
“シーラス。あなたは、シャルを恨んでいるのですか?”
“え?……そんな事……ないです。”
“どうやら、あなた程、シャルを止めるに相応しい者はいない様ですね。彼を連れて戻るまで、あなたも戻る事は許しません。”
聖母の言葉の意味が、全く分からなかった。むしろ、なぜ俺が?と腹が立った。
とはいえ、聖母の命令は絶対。俺はムシャクシャしながらシャルを追った。
シャルの痕跡を辿り、海の荒波が打ち寄せる断崖絶壁の淵で、彼を見つけた。
俺は、面倒だなと思いつつも、シャルに声をかけ、自殺など止めるように説得した。
だが、シャルは「今までありがとうございます。」と言い、崖から落ちてしまった。
“クソッ!”
無我夢中で、落下していくシャルを追った。
こんな事になるなら、水や風を扱える弟妹を連れてくるんだったと後悔した。だが、もし落ちても即死でないのなら、回復術で助けられる。
僅かな、希望が湧いたものの、その希望は直ぐに打ち消された。海の中から、人魚達が現れ、集まってきたのだ。
顔は美しいが、その笑みは、とても助けようなどという表情ではない。獲物を待ち構えている顔。
“妖怪なんかに喰われたら、シャルの魂は転生できない。最悪だ!”
考えてる余裕などもうなかった。俺は、シャルを助けたいという思いを込め、ありったけの力で術をシャルと人魚達に向けて放った。
シャルの落下速度は変わらなかったが、人魚の方に異変があった。
人魚達の表情が消え、落ちて来るシャルの真下に集まり、尾を花びらの様に掲げた。
その直後、勢いよくシャルがその沢山の尾の中心に落ち、弾んで、海藻の山の上に落ち転がった。
人魚達に襲われるのでは?と俺は焦ったが、人魚達は尾を揚げたまま静止した状態で、ピクリとも動かない。俺が、降りてきて、シャルに近づき、生きているか確認し、回復術を施している間も、そのまま。
もしやと思い、“帰れ“と命じてみると、人魚達は、大人しく沖の方へと泳いで行ってしまった。
シャルを救えた事は素直に嬉しかったが、誰かを操るという新たな術に、自分自身、寒気がする程恐ろしくなった。
“嘘だろ?そんな……術が……俺に?これは封印しよう。もう二度と使っちゃダメだ。“
回復術で意識を取り戻したシャルに、なぜ死にたかったのか、俺は改めて訊ねた。
シャルが死にたいと思ったのは、寂しさからだった。死んで両親に逢いたかったったと。
俺達がいるだろと言ったが、触れる事も、温もりを感じる事も出来ないのは余計に寂しいのだと答えた。
また、例の女の子と別れた原因は、話していたのとは違う理由だった。
何と、シャルの父親を誘拐し、拷問の末殺害したのが、彼女の父親だった。その後、父親の命令で、シャルを誘惑し、例の薬草が採れる場所を聞き出そうとしていたという事が発覚したのだ。
その直後、母親の突然死。
生きる希望が無くなってしまった……とシャルは泣きながら話した。
なんとなく、寂しさが原因で落ち込んでいるのだろうとは思っていたが、まさかそんな事が起きていたとは……。
もっと早く、シャルの相談に乗ってやれていればこんな事にはならなかったのだろうか?……だが、大切な人を亡くしたり、裏切られたり、憎んだ事すら無かった自分に、彼の気持ちに寄り添う事などできただろうか?と思うと、無理だろうし、結果は変わらなかった様に思える。
けど、今なら分かる。シャルの絶望感が。そして聖母が、なぜ俺にシャルを追わせたのかも、なんとなくだが分かったような気がした。
なんとか家に戻ってくれたシャルは、聖母と話し合った。
“分かりました。人間のお相手が欲しいのですね?”
聖母の質問に、シャルは首を横に振った。
「いえ、そういう意味では……。結婚まで考えていた女性に裏切られ、父も殺され、子供の頃には村八分に遭った。もう人と関わるのはうんざりです。」
“ならば、わたくしが人間の姿になりましょう。”
聖母はそう言うと、シャルと同じ年頃の美しい生身の人間の女性に変身した。
“わたくしが、今日からあなたの妻となり、友となりましょう。“
そう言いながら聖母は、顔を真っ赤にして驚いているシャルに近づき、彼の両親がしていたように、彼を強く抱きしめ、額に口付けをした。
聖母以外、人間の生身に変身する事はできなかったが、聖母とシャルの間に生まれた子供達に宿る事は可能で、子供が出来る度に飛天達はその体に宿り、シャルの家族となり、人間の様に暮らした。
それは、決してシャルを喜ばせる為だけではなかった。肉体を持つという事は、俺の、皆んなの夢でもあったから。
皆んな、神々の地で暮らす生き物達の様になりたいと憧れていたのだ。
人間の肉体は、色々と不便な事もあったが、走ったり、食べたり、匂いを嗅いだり、冷たい熱い、寒い暖かいなどの刺激が多く、何よりも生きているという実感が心地良かった。
肉体の寿命がある人間のシャルは、俺がいくら回復術で治療しても、せいぜい200歳しか生きられなかった。
だが寂しくはなかった。シャルが亡くなる前、聖母がシャルの魂に“絆の呪”をした為、シャルの魂が、この世の何処かで転生しても、必ず、この地に辿り着き、聖母と結婚をしたから。もちろん、それはシャルの望みでもあった。
俺ら半飛天半人の肉体も、400歳ぐらいになると動かなくなってしまったが、その度に、シャルと聖母の子に転生し直した。
やがて、聖母とシャルの半飛天半人の子供達が増え、村ができ、町ができ、都ができ、シャルという国ができた。
そんな平和な暮らしが千年も続いたある日。シャルの肉体が寿命を迎え亡くなった。
そしていつもの様に、その20年後、シャルは
心配はしてなかった。これまで身分が高かったりした事もあったが、シャルは地位も家族も捨て、必ずシャル国に帰り、聖母と結婚したからだ。
ところが、今回ばかりは違った。
シャルは、聖母との結婚と、
普段は、幻術防御結界を、国の周りに施していた為、いくら術が扱える人間が大勢いたとしても破られやしない。だが、その時は、シャルを迎える為に、結界を解除していた。
そこへ、潜んでいた
戦争などした事も、戦さの知識もない俺達は、あっという間に負けてしまった。
最終手段として、聖母は、国ごと自爆するという道を選んだ。
それは飛天が、元々肉体を持つ必要がない生物で、全て消えてしまっても問題などないと思ったから。
それに、シャルも一度死ねば、新たな肉体で再び現れる。何も問題ないと思ったのだ。なのに……。
スリ……。なぜ裏切ったんだ?それだけが心残りだ。
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