第16話 失われた晩
文字数 12,616文字
人間と飛天を相討ちにさせるという目論見を見破られてしまった邪神が、僕の身体から去ってしまった。
飛天達の真の狙いは、“聖母の夫“である人間を見つけ出す事。
どうやらその人間は、飛天達ですら見つけられず、7人の王達が命懸けで隠し通している人物で、シャル国を滅亡させた張本人。
そんな裏切り者だが、見つけられなければ、飛天達が滅びてしまうらしい……という情報を残して。
僕を騙し、利用して、人間と飛天の相討ちを目論んだ者の情報など怪しい限りですが、検討してみる必要はあります。
こうして新たな情報が出てきたものの、新たな心配事ができてしまいました。
それは僕の生まれつきの病。
これまで邪神が、病の進行を止めていてくれたらしいのですが、もうその邪神はいません。
邪神の悪事を暴く事で、邪神が僕の身体から離れてしまう可能性を、和尚さんが考えなかったはずはないと思います。
それでもそうしたのは、圭亜 の事件の様な事が、再び起こってしまう事を危惧したからでしょう。
当然の判断だったと思います。僕だって、自分の命を守る為だけに、大勢の人達を危険に晒したくありませんし。
……っと、この話を聞いたのは、だいぶ後になってからなんですけど。
目覚めたのは、八咫 と僕の自室でした。
部屋の雨戸の隙間から、光が差し込んでいて、鳥が鳴く声が聞こえます。
「う〜ん」っと横で八咫 が、寝返りを打ったので、今が朝なのだと気づきました。
『朝……?僕は一体……。確か、和尚さんと地下室にいたはずなのに。』
邪神が僕を裏切ったらしいと言う話しを、和尚さんとしていた記憶はあります。
多分、その直後に気を失ってしまったのでしょう。また、和尚さんにご迷惑をかけてしまいました。
『最近、気絶してばかり。こんなに弱くちゃ、いつまで経っても妖術士になれない……。』
自分の弱さに呆れながら、僕は布団を押し入れに片し、着替えを始めました。
僕は、自分の寝巻きの匂いで「ウッ」小さく呻きました。キレイ好き男子と定評の僕が、お師匠さんの足の裏並みに臭いとは!!
そういえば雷梛 から戻って来てから、一度もお風呂に入っていません。体にカビが生える前にお風呂に入らなければ。
ここのお風呂は、天然温泉なので、24時間お湯が張られています。山寺の特権ですね。
僕は、手ぬぐいと着替えの服を持って、部屋を出て、浴場の方へ向かおうとしました。
ところが、早朝だと言うのに廊下には人通りが多く、庭にも馬やら馬車など人が沢山いて騒がしいです。
何事でしょう?
……巨木の生贄儀式の準備……でしょうか?5つの町で、雷梛 の様な事が起きているのであれば、一刻の猶予もないはず。
『結局、何もできなかった……。』
父達を救う事ができるかも……なんて、邪神が宿ったのを知って、自分が特別な何かになったような勘違いをしていたのかも知れません。現実なんてこんなものなのでしょう。
なんとなく誰にも会いたくなかったので、人気が少ないルートを選んで、浴場に辿り着きました。
幸い、浴場には誰もいませんでした。
とはいえ、いつ誰が入ってくるかも分からないので、急いで垢だらけの全身をゴシゴシ洗い、フケと埃だらけの髪も洗い、熱々の湯船に入りました。
一瞬だけホッコリしましたが、しばらくすると、父の事ばかり考えてしまいます。最後に逢った日の光景も。
『別に、あの人とは何の思い出もないし、赤の他人も同然なんですし、第一、あの人は大罪人!多くの人の為に命が使われるのだから……罪を……償う……。』
考えるのが嫌になって、湯船から直ぐに出、乱暴に手拭いで体を拭き、清潔な服を着て、脱衣場を飛び出しました。
ムシャクシャしながら本堂の側の渡り廊下を歩いていると、一際高価そうな白い馬車が門から入ってくるのが見えました。馬車を引いている白馬も見事で、明らかに妖術士の誰かのではありません。
『お客さん?』
ずっと見ていると、馬車が本堂前の石庭で停まり、中から、祈祷師の制服を着た、ひょろっとした背の高い、神経質そうな中年男性が現れました。
御者席に居た3人の祈祷師達が、その中年祈祷師に媚びへつらっています。きっと偉い人なのでしょう。
和尚さんを迎えに来たのかな?っと観察をしていると、不意にその中年祈祷師が僕の方を振り向き、目がバッチリ合ってしまいました。
マズイと思いましたが、その鋭い眼から目を離す事ができません。正に蛇に睨まれたカエル状態。
「無事だったか……。」
中年祈祷師は、そう言ったような気がしました。
無事?何のことでしょう?お会いした事……ありましたっけ?
「沙胤 祈祷師長。どうされましたか?」
御付きのぽっちゃり祈祷師が、中年祈祷師声をかけ、僕の方を見ました。
「何でもない。」
沙胤 祈祷師長と呼ばれた中年男性は、僕から顔を逸らすと、颯爽と本堂の中へ入ってしまいました。
何だったのだろう?っと考えていると、急に肩を叩かれ、飛び上がるほど驚いてしまいました。ぅわっ!
「ミツチ。こんな所にいらしたのですね。」
振り返ると、中級妖術士の哀流 さんがニッコリ微笑んで立っていました。
僕は哀流 さんの姿を見て、更にビックリしました。
先日お会いした時は、床に着きそうなぐらいの長さだったのに、今は丸坊主。
『おはよう……ございます。……哀流 さん。あの、髪はどうしたのですか?』
女性に、そういう事を聞くのはどうかと思いましたが、何だか僕の所為ではないかという気がして、聞いてしまいました。
「あぁ。これ?仕事でですよ。」
何でもない様子で、明るく哀流 さんは答えました。
哀流 さんが侍従契約をしている妖怪は、治癒系。ただ、所詮妖怪が治癒をするので、傷の度合いによって代償を伴います。軽度なら体力で済みますが、重度となると髪などの身体の一部。
『もしかして、僕の所為……じゃないですか?』
哀流 さんは、一瞬困った顔をしてから、ニッコリと優しい笑顔に戻りました。
「……ミツチと蓮林 村長の足は、壊死してしまっていたので術を使いました。そうしなければ、切断するしかなかったので。
髪だけで済んで良かったです。」
良かったです……って。全然良くないです。
『ごめんなさい!ごめんなさい!』
「謝らないで下さい。ミツチは、貴重な情報を持って、命がけで戻ってきてくれたのですよ。
それに、髪なんて直ぐに伸びます。」
貴重な情報って……。騙された情報なのに……。
「代償の大きさは私の修行不足の所為。体力がもっとあれば良かっただけの事です。
でも、そんなに気が引けるのなら、私の髪が伸びた時、素敵な髪飾りをプレゼントして下さいね。」
『はい!絶対そうします!今から哀流 さん貯金をします!』
哀流 さんは、クスクスっと可愛らしく笑ってくれました。女神だ!
「それより、和尚さんからミツチの具合を診るように言われました。」
『……えっ?具合?もう大丈夫ですけど。』
哀流 さんの表情がまた一瞬困った顔になりました。邪神が去ってしまった事を知らない僕は、違和感を感じました。
まぁその表情も可愛らしいからいいのですが……。
「三日間も寝込んだのですから、一応……ね?」
僕らは、八咫 と僕の部屋へ行きました。
八咫 は相変わらず気持ちよさそうにムニャムニャと眠っています。哀流 さんの前で、恥ずかしい寝言を言ってくれると面白……いえ、言わないといいですね。
「さて、八咫 を起こさないように、さっさと済ませてしまいましょう。」
哀流 さんは、クリッとした目を閉じ、呪文を唱え始め、両腕を肩の高さに広げ、両手の人差し指をピッと立てました。
しばらくすると、両人差し指の先から緑色の小さな炎が発生し、その両人差し指を僕の額にその炎をそっとかざしました。
初めての事ではないですし、熱くはないとは分かってはいるのですが、反射で身を引いてしまいます。
「大丈夫よ、ミツチ。リラックスして。」
『はい。すみません。』
緑の炎が、僕の額に押し付けられると、炎は僕の額の中から緑色の光を放ち、頭から顔、首、胴体、右腕、右手、左腕、左手、右腿、右脚、右の足の指、左腿、左脚、左の足の指っとするする移動しました。
何も感じないものの、身体のアチコチが光るのは奇妙な感じです。
最後に、緑の炎は、僕の口から出て行くと、哀流 さんの両人差し指に戻り、消えました。
「どこも……問題は無さそうですね。」
哀流 さんは、目をしばたたかせ、やや顔をしかめながら言いました。
『あの……。』
「あっ、ごめんなさい。……ちょっと、その、昨日失神した原因が見つからなかったから。本当に、大丈夫だから安心して下さい。」
大丈夫って……。仰られている事と表情が、逆なんですけど?
「えっと、つまりですね。体力はまだ戻っていないので、過激な修行はしないでって事です。」
『……はい。』
怪しい……ですが、そういう事にしましょう。
『ところで、今日は騒がしいようですが……?』
「あぁ。明後日の定例会の為に、皆さん、戻り始めている様ですね。」
そういえば、明後日でしたね。定例会。忘れてました。
定例会は明後日でも、和尚さんへの報告はその前に済ませなければならないので、混雑を嫌って、早めに戻ってくる妖術士が多いのです。
『和尚さんに会いたいんですけど。』
「当分は無理だと思うわ。祈祷師長もいらしてるし。」
『和尚さん、……巨木の生贄儀式に行かれるのですか?』
「それは無いと思いますよ。儀式に参加するのは祈祷師だけなので。
あの儀式を知るのは一部の祈祷師と妖術士だけで、生贄の方々にも秘密ですから、怪しまれる事は避けないといけないのです。」
『そうですよね。普段協力しない祈祷師と妖術士が集まってたら、怪しいですね。』
祈祷師が、特別な祭儀だと言えば、貴族である生贄達は疑問も持たずついてくるだろうし、その後、生贄達の死亡理由も、祈祷師達なら上手く言い繕えるのでしょう。
その後、和尚さんと何とか話せないかと、雑用をこなしながら和尚さんの部屋を見張っていましたが、和尚さんは常に部屋にいて、たまに出てきても、誰かと一緒だったり、誰かにつかまったりと、話しかける隙がありません。
「おいミツチ!聞いてるのか?!」
縁側で一緒に芋の皮剥きをしていた八咫 が、大きな声で聞いてきました。
『え?』
「えっ?っじゃねぇよ!お師匠の結婚式、今日らしいぜ。」
『あぁ……そうだったのですね。』
「無関心かよ?
今から阻止しに行こうぜ!」
『阻止って、別に無理矢理じゃないんですし、仕事として結婚って事になったのだとしたら、邪魔してはいけないんじゃないですか?
それに、貴族市街地への通行許可証。どうするんですか?まして、結婚式が行われる場所だって、王都ならともかく、国境付近の座鳴 領地だったら、何日かかるか……。』
ぶーっと八咫 は膨れっ面を僕に向けました。そんな顔しても、面白いだけなんですけど。
『お師匠さんは死んだわけではないですし、落ち着かれたら、会いに来てくださいますよ。』
「……けどさ……。」
この時の僕らは、それは早くて一ヶ月後とかそれぐらいだと思っていたのです。
それが……まさか、その翌朝となるとは。しかも……頭のないご遺体で。
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明日に行われるはずだった妖術士の定例会は、お師匠さんのご遺体が運ばれた事で、急遽、その日に変更されました。
幸い、出張していた妖術士達は全員揃っていたので、彼らは直ぐに、和尚さんと、お師匠さんのご遺体が入った棺桶と共に、書庫室から行ける地下室へと行ってしまいました。もちろん、妖術士でもない見習いの僕らは蚊帳の外です。
いつもなら、うるさい大人達がいないのと、全員が揃うのが珍しい事もあって、その間見習いの僕らは、遊んだり、雑談をしたりと賑やかに過ごしているのですが、今日は誰もが押し黙り、不安そうな顔で定例会が終わるのを待っていました。
それは、仲間が亡くなった事へのショックもありますが、改めて僕らは、死と隣り合わせなんだと思い知らされたからです。
怪異に殺されたわけでもないのに?っと思われるでしょうが、実は、怪異による死よりも、人間に殺される場合が多いのです。
特に貴族は、平民を殺しても罪に問われないので、納得できなかったり、悪事が露見してしまったり、尊厳が傷つけられるような結果だったりすると、報酬を払わないばかりか、腹いせや口封じの為に手をかける……なんて事はよくあります。
そうならない様、前金を高額にしたり、紹介者を連帯保証人として立てる等の対策はしていますが、どうしても今回の様な事が起こってしまうのです。
布能洲 寺の地下に広がる鍾乳洞の中に築かれた秘密基地+いわく付き物保管所では、李庵 和尚と特級から下級妖術士達が、大きな卓を囲んでいた。
大きな暖炉では、パチパチと薪が音を立てて燃えている。
李庵 和尚は、自分がした話の内容に驚き、唖然としている部下達を見渡した。
「信じられない!同じ魂が、生贄となる様、その家の家長になる様に、運命が操作されていたなんて。」
布能洲 寺カラス門戸妖術士長の特級妖術士夜杜 38歳が、信じられないと言う顔で、李庵 和尚の師匠が残した魂名についての研究資料を見ながら訊ねた。
「過去の生贄達の魂名が一致している可能性は高いと思う。
既に、総本山と、祈祷師教会にも報告済ませてあるから。今は調べようがないかもしれんが、今後は魂名の記録しておいてくれるだろう。さすれば、今後の役に立つはずだ。」
何人かが、卓上に置かれた膨大な数の研究資料から一冊を手に取り、感心した声を上げた。
「それって、飛天がかけた呪いか何かなのでしょうか?」
色白のぽっちゃりした30歳の上級妖術士狗廉 が訊ねた。
「この資料から、私の師、羅檀 師匠はそう推測されている。
魂名は前世にも現世にも来世にも影響を受ける。その魂になんらかの術がかかっておるのだとすれば、そうなる事も可能なのだろう。
昨日、沙胤 祈祷師長がいらした際に、一応その事は伝えた故、彼が魂名と一緒に調べておいてくれるだろう。」
「生贄になる運命か……。
改めて、魂名が人に知られるという事が、どんなに恐ろしい事かを思い知らされますね。」
上級妖術士狗廉 が、額の汗を拭った。
「愛する人に、来世でも必ず出逢えるっていう呪いなら、ロマンチックだけど。」
33歳だが、誰もが振り返りそうなぐらいの妖麗な上級妖術士蘭 が、艶やかな黒髪をかき揚げながら言った。
「怖っ……。」
カラス門戸一のイケメンと謳われる22歳の下級妖術士獅理 が、そうボソッと言ったので、蘭 が鋭く睨んだ。
獅理 は、マズイとばかりに彼の師匠である特級妖術士砂太 の大きな背中に隠れた。
「それはそうと……、嶺文 は何故殺されたのでしょう?」
夜杜 が不安そうに和尚に訊いた。
「実は、あの晩、嶺文 は、自分の死を予言しておったのだ。
鹿野宮 家の依頼で、阿奈 様と結婚をする事になったが、もしかしたら死ぬ事になるかもしれないと。
そして死んだ場合は、可能であれば遺体を引き取り、火葬はせず保管しておいて欲しいと。」
李庵 和尚は、静かに答えた。
「死ぬかもしれないと分かっていながら、なぜ結婚なんて!?」
「嶺文 は、この巨木生贄儀式資料に興味を持ち、以前から読み漁っていたようだ。
そんな中、以前からシャルの子孫らしいと噂されていた鹿野宮 家からの依頼があり、それを裏付ける絶好の機会だと思い、引き受けたと。」
「そういえば、今の当主の奥方が、シャルの子孫って……。でも確か、それは偽物だったって話でしょ?」
上級妖術士蘭 が、肩にかかった髪を、細く長い指で払いのけた。
「えっ?本物だから、リンネ国国王に献上されたんじゃ?」
先月30歳になったばかりの壮健な上級妖術士河洲 が、驚いた顔をした。
「違うわ。それは当時の総祈祷師長のでっち上げ。ほら、この国のバカ王子が、リンネの王子を殺しちゃったから、それに見合う贈り物をする為にしたの。
いかにもシャルの術を使ってます的に見せた蓮林 師匠が言ってたわ。」
九九村 村の蓮林 村長は、蘭 の師匠で、蘭 の母親的存在だ。
「嘘?!」「マジかよ。ひでぇ〜。」「そんな事して大丈夫だったのか?」などの声があちこちで上がった。
「これから話す内容は、言霊呪がかけられてる。皆、感染しないよう、しっかり防御術をかけろ。」
李庵 和尚の言葉に、皆が一斉に黙り、慌てて防御術を唱え始めた。
「その話とは、それを聞いた八咫 とミツチが、泡吹いてブっ倒れたという?」
真っ先に防衛術を済ませた夜杜 が、緊張気味に李庵 和尚に訊ねた。
「内容を聞いたわけではない。匂わせ程度だ。
幸い、忘却術ができる沙胤 祈祷師長が同席しておった為、直ぐに忘れさせ、感染を阻止する事ができたらしいが、もしおらんかったら……。正気を失っていたか、あるいは……。」
その言葉を聞いた若い妖術士達が、さっきかけた防御術より、さらに強力な防御術をかけ直した。
祈祷師長の沙胤 が無事だったのは、祈祷師に宿る精霊が、彼を守ったから。
精霊は妖怪とは違い、善意で動く。宿主が危機に晒されれば自らの意思で行動してくれるから、不意打ちの呪術にも防いでくれる。
嶺文 も無事だったのは、マズイと思った瞬時に、防御術をかけたから。八咫 とミツチにもかけたらしいが、二人の未熟さも相まって、間に合わなかったのだ。
皆が、防御術をかけ終わったのを確認した李庵 和尚は、嶺文 から聞いた鹿野宮 唐久 の相談内容を話した。
安托士 が姿を消す前日、阿奈 以外の鹿野宮 家の全員が、不思議な夢を見た。
最初は7人とも、真っ白な何も無い空間にいた。
互いがここは何処だと戸惑っていると、急に景色が変わり、青空が広がる上空に浮かんでいた。そこは春のように暖かく、色とりどりの鳥が飛び交い、目下の山々には花が咲き乱れ、野生の動物達が元気そうに駆け回り、山の麓には、豊かな田園風景と見たことも無い異国風の建物が建ち並ぶ村や町があった。
あぁ、ここがかつてのシャル国なのだと、誰に教えられたわけでも無いのに、皆そう悟った。
いつの間にか、彼らの体は白鳥となり、白鳥の群れに混ざって飛んでいた。
群れと一緒に飛び、シャル国を巡った。分かった事は、いかにシャルが豊かで美しく、平和な国だったのかを。
気がつくと、今度は暗闇の中で大きな輪を作って7人は立っていた。互いの顔や姿はハッキリ見えるものの、それ以外は何も見えなかった。
感じるのは、寒さでも暑さでもなく、得体の知れない喪失感。
その抗いようも無い喪失感に怯えていると、7人の輪の中心に、うっすらと何かが現れ始めた。その何かは次第に姿を現し、人の形になり、最後にボロボロの翼が生えたミイラの様に痩せ細った女性となった。
女は、石の王座にぐったりと座っていた。
皆、その女が、シャルの女王だと分かった。ここがシャルだと分かった時のように。
女王は、真っ黒な空洞の目で皆を見渡してから、乾いたようなか細い声で話しかけてきた。
「阿奈 を残し、貴公らはできるだけここから離れよ。
そして、この事は誰にも話してはならぬ。無論、阿奈 にもだ。言霊呪をかけたからな。話せばそれを聞いた者は呪われる。
阿奈 を隠そうとしても無駄だ。助かりたければ、我の助言を聞け。」
次の瞬間、皆、目覚め、皆が皆、その夢の内容をハッキリ覚えていた。
だが、同時に安托士 の心を奪うという呪いも解けてしまっていた。
安托士 は、シャルの女王、飛天の聖母の気配に気づき、契約を破棄にして逃げ出してしまったから。
突然心を取り戻した鹿野宮 家の7人は、阿奈 を、自分達の安全と引き換えに差し出さなければならないという窮地に立たされた。
シャルの女王は、この国を恨んで死んだ事は誰もが知る事実。何故阿奈 なのかは分からないが、差し出せば、阿奈 はきっと殺される。そして、自分達にここから離れる様に言った事から、王都で大変な事が起きる事が容易に想像できた。
女王は、阿奈 をここに残すかどうかの選択肢を与えなかった。あの言葉は、自分達に逃げるチャンスを与えただけに過ぎない。
とはいえ、心を取り戻した今、自分達だけ逃げ出し、助かりたいとは思えなかった。王都の人達に避難勧告を出さなければならない。だが、夢で見た内容は呪いによって話せない。嘘をついたとしても、果たして全員がそれを信じ、逃げるとも思えない。
唐久 の幼馴染であり、妻の玲奈 の兄でもある祈祷師長の沙胤 に相談したかったが、言霊呪の事があったのと、彼にはそれを防御する術があったとも知らなかった為、相談できなかった。
そこで思いついたのが、安托士 に再び心を奪ってもらう事だった。心が奪われれば、情や本能に左右されず、無駄のない能率的な判断と行動できると思ったから。
だが、そうこうしている内に、長男の唐渡 が罪悪感から自殺し、次男唐可 、三男の盛唐 もそれに続いて自殺してしまい、安托士 の召喚には成功したものの、心を奪ってもらう事に失敗した。
もう、阿奈 や王都の人々と共に心中するしか無いと諦めていた時に、手を差し伸べたのが、嶺文 と祈祷師長の沙胤 だったのだ。
二人がまず思い当たったのが、巨木の出現。
嶺文 は、一度布能洲 寺に戻り、李庵 和尚に鹿野宮 家が見た夢の話をした。
李庵 和尚と嶺文 は、巨木の出現を確認する為に、シャルの跡地へ向かい巨木が現れている事を確認。
嶺文 は直様王都へ戻り、阿奈 以外の鹿野宮 家やその家臣達全員を国境付近の座鳴 領地へ引っ越させ、李庵 和尚は、妖術士の総本山へ向かい、巨木の出現と、鹿野宮 家が見た夢の話を報告したのだった。
李庵 和尚の長い話が終わりると、長い沈黙が広がった。
全員が押し黙ったのは、内容に驚いただけではない。この話にかけられた言霊呪は、聖母自身がかけたと分かったからだ。
うっかり今ここにいない者達に、話したり、聞かれでもしたら、大変な事になるだろう。
「……まさかそんな事が。」
脂汗を浮かべながら、夜杜 が沈黙を破った。
「邪神の話が本当だとすると、阿奈 様が、飛天達が探し回っている聖母の夫……、その男の生まれ変わりという事ですか?」
「そうかもしれん。聖母直々に現れたのだ。」
「けど、なんで嶺文 さんは、阿奈 様と結婚って事になったんですか?そんな事をしても何も解決しないですよね?
現に、王都の人達は、まだ呑気に都で暮らしてますし。」
もう28なのに、まだ10代の少年に見える小柄な中級妖術士花見 が、和尚に訊いた。
「二人だけで王都に残る口実だとは言っていたが……。」
「貴族は、家長の言う事には全体従わなければならないっていうルールがあるから、結婚させ、嶺文 を阿奈 様の家長にして、従わせるようにした……って事かしら?」
蘭 が、髪を人差し指と中指でくるくる絡ませながら言い、李庵 和尚がそれに頷いた。
「今思えば、嶺文 には何か策があったのかもしれん。上手くいけば何もかも解決するが、失敗すれば、自分が死ぬかもと……。」
「じゃあ……ここに首なし遺体を運んできたのは、お前達の作戦は、わたくしが握り潰してやったわ的なアピール?」
中級妖術士の花見 が顔を歪めた。
「ちょっと待って。それってマズイんじゃないの?
嶺文 が殺されたって事は、生贄の事がバレたって事でしょ?」
蘭 が身を乗り出し、やや吊り目気味の大きな瞳を更に見開いた。
「マズイですね。阿奈 様が聖母の為に残されたと知り、逃げたとなれば、聖母を怒らせてしまいます。天変地異が起きてしまうのではないでしょうか?」
困った顔をした中級妖術士の哀流 が、ふっくらした桃色の唇をぎゅっと結んだ。
「もう逃げてるでしょ。地の果てに。お金あるんだから。」
下級妖術士獅理 が苦笑いを浮かべた。
「阿奈 様は婚儀の際に、嶺文 を殺めたとの事だから、計画が失敗した事も、沙胤 殿の耳に入っているだろう。
今頃、祈祷師教会総出で阿奈 様を探しているかもしれん。」
李庵 和尚は、ツルツルの額をさすりながら言った。
「我々も探した方がいいのでは?」
上級妖術士河洲 の言葉に、和尚は首を横に振った。
「我々は警戒されておる。寺に態々現れたのは、我々の顔を覚えておく為だったのかも知れん。」
また、全員が黙り込んでしまった。
「あの、嶺文 は、遺体をできれば引取って、保管して欲しいと言ったんですよね?
もしかして、その遺体になんらかのメッセージを残しているとかってないでしょうか?」
ずっと黙っていた大柄の特級妖術士の砂太 が、李庵 和尚に訊ねた。
「うむ!それはあるかもしれん。早速調べてみよう。」
嶺文 棺を開けようとした時、伝声管から大きな声が響いた。
「大変です!和尚様!!」
「何事だ?茶徒 。」
李庵 和尚は、顔をしかめながら伝声管に話しかけた。
「王都の貴族市街地が、飛天の大群に襲われたそうです!」
「なぜだ?巨木はまだ枝さえ伸ばしきっておらんのに。」
「分かりません。
ですが、今、力のある祈祷師の殆どが、昨日の生贄の儀式の為に、旧シャル跡地へ行ってしまっている所為で、全く対応しきれていないそうです。」
「なんて事だ。」
「妖術士の総本山から、全門戸の妖術士に、出動号令がかかってますので、急いで向かって下さい。」
「分かった。」
夜杜 妖術士長の采配で、計画が練られた。
全員での作戦は年に1回あるか無いかだが、こういう時の作戦パターンはいくつか決まっているので、細かい作戦を立てる必要はない。今、すべき事は、どのパターンを使うか、班編成などの確認。
とはいえ、状況が分からないのと、祈祷師協会や他の門戸との連携も絡んでくるので、パターン通りにいかないのが現実。状況によって臨機応変に対応していかなければならない。
「では、貴族市街地の中央広場にある祈祷師教会総本山、大聖堂で落ち合おう。」
「分かりました。」
「それでいいですか?和尚様?」
夜杜 妖術士長の作戦に、李庵 和尚は頷いだ。
「八咫とミツチだが、今回の作戦に加えてやってくれ。」
「……ですが、二人ともかなりのショックを受けているのでは?」
「そうだろうが、落ち込む暇を与えない方が、あの子達にはいいだろう。」
「わかりました。では、私の班に……。」
「いや、世檀 。」
李庵 和尚は、ずっと下を向き、無関心そうにしていた下級妖術士世檀 に呼びかけた。
世檀 は面倒くさそうに顔を上げ、長い前髪で隠れている目で和尚を見、小声で「はい」と返事をした。
「お前が、八咫とミツチの班長となり、二人を率いるんだ。」
その言葉に、世檀 よりも、世檀 の17も年上である実兄夜杜 が驚き、意見した。
「和尚様。世檀 はまだ下級ですし、班を率いる資格があるのは上級からと決まっています。それに……、見習いの指導をするには未熟過ぎるかと……。」
そんな兄の言葉に、世檀 は反論するでもなく、落ち込むでもなく、チラッと見ただけで他人事のようにソッポを向いた。
李庵 和尚は、世檀 に近づき、彼の華奢な肩に大きな手を乗せた。
「世檀 。おまえの実力は上級以上だと思っておる。まだお前が下級なのは、実力不足などではなく、それ以外の事。」
「……。」
「人の上に立つ事で、それを学べるだろう。」
世檀 は、李庵 和尚の真剣な眼差しを見つめ返したが、気圧され、視線をそらしてしまった。
「私は、嶺文 の遺体を調べておく。
皆、生きて帰るまでが任務と心得よ。決して無理はするでないぞ。」
世檀 以外の全員が、和尚の言葉に力強く「はい!」と返事をした。
妖術士達が、会議から戻ってきてからは大変でした。
全員が慌てて出動の準備をし、馬車に術に必要な道具やらなんやらを詰め込みました。
僕と八咫はお弁当係で、厨房係であり僕の叔父でもある太良 さんのお手伝い。
「毎度毎度、全員総出での任務は緊張するね。今回も危険そうなのかい?」
太良 さんが、乾燥果物と木の実をたくさん混ぜた焼き菓子を、人数分の袋に詰めながら訊いてきました。
「俺らも詳しい事は知らされてねぇよ。いつものように、移動しながら説明って事じゃね?」
八咫が、3つのおにぎりを笹の葉に包みながら答えました。
『でも今回は、貴族市街地だけが被害に遭っているらしいので、規模はさほど大きいわけじゃないのかも知れませんね。それに、祈祷師教会と、他の門戸の妖術士たちも集結するそうですから、案外、いつもよりは安全かもしれません。』
「ならいいけど……。二人とも無茶をしないようにね。」
『あの……、太良 さん。僕の母方の祖父母もその……貴族市街地に住んでいるのでしょうか?』
太良 さんが、一瞬困った顔をしました。
「あぁ……知ってしまったんだね。その事も……。
安心しなさい。二人とも普段は王都に住んでいないよ。最南端の領地に暮らしてるはずだ。あの方達は、あまり貴族街の様な煌びやかな贅を尽くした場所は好まないからね。」
その言葉を聞いて、僕はホッとしました。紗雨 さんが仰っていた様な良い方なのかもしれません。
『名前って……教えてもらえないのでしょうか?』
「…………困ったな……。和尚様に聞いてみないと……。」
「いいじゃん太良 さん!名前ぐらい教えてやれよ!」
八咫にせがまれ、太良 さんはますます困った顔をしました。
「じゃあ、戻ってきたら教えよう。それならいいだろ?」
「ケチ〜!!!」
八咫はムッとした顔をし、冷や汗をかいている太良 さんを睨みつけました。
『分かりました。それで手を打ちます。』
「だから、二人とも、必ず帰ってくるんだぞ!」
僕らは「はい!」と元気よく笑顔で返事をしました。
その数分後に、げんなりするとも知らず。
「嘘だろ?!」
八咫が、下級妖術士の世檀 さんが班長だと、妖術士長の夜杜 さんから聞いて、世檀 が目の前にいらっしゃるにも関わらず、大声で文句を言いました。
「なんで
世檀 さんは、史上最年少15歳で妖術士になった天才と呼ばれた人物。なのですが、なぜか中級試験に落ちまくり、後から妖術士になった人達に次々と追い抜かれてしまっている為、
そんな世檀 さんは、子供の頃から才能を開花させていた為、昨年までは総本山の精鋭部隊にいらしたのです。が、色々あったようで、お兄さんがいるこの布能洲 寺カラス門戸に配属される事となったらしいです……。
そんな訳で、世檀 さんの人となりはよく分かりません。ただ、プライドが高いのか、元々無口なのかは知りませんが、誰とも喋らないし、話しかけても無視をするので、正直、僕は苦手です。
「和尚様の命令だから違反じゃない。大人しく従え!八咫!大丈夫だ。術の実力は俺が保証する。」
そう言った夜杜 さんの顔も、なんだか心配そうで、説得力がイマイチです。
しかも、班長を任命された世檀 さんが、一番やる気がなさそうで、長い前髪の隙間から、嫌悪の眼差しを僕らに向けてます。
あぁ……、とんでもない任務になりそうです。
飛天達の真の狙いは、“聖母の夫“である人間を見つけ出す事。
どうやらその人間は、飛天達ですら見つけられず、7人の王達が命懸けで隠し通している人物で、シャル国を滅亡させた張本人。
そんな裏切り者だが、見つけられなければ、飛天達が滅びてしまうらしい……という情報を残して。
僕を騙し、利用して、人間と飛天の相討ちを目論んだ者の情報など怪しい限りですが、検討してみる必要はあります。
こうして新たな情報が出てきたものの、新たな心配事ができてしまいました。
それは僕の生まれつきの病。
これまで邪神が、病の進行を止めていてくれたらしいのですが、もうその邪神はいません。
邪神の悪事を暴く事で、邪神が僕の身体から離れてしまう可能性を、和尚さんが考えなかったはずはないと思います。
それでもそうしたのは、
当然の判断だったと思います。僕だって、自分の命を守る為だけに、大勢の人達を危険に晒したくありませんし。
……っと、この話を聞いたのは、だいぶ後になってからなんですけど。
目覚めたのは、
部屋の雨戸の隙間から、光が差し込んでいて、鳥が鳴く声が聞こえます。
「う〜ん」っと横で
『朝……?僕は一体……。確か、和尚さんと地下室にいたはずなのに。』
邪神が僕を裏切ったらしいと言う話しを、和尚さんとしていた記憶はあります。
多分、その直後に気を失ってしまったのでしょう。また、和尚さんにご迷惑をかけてしまいました。
『最近、気絶してばかり。こんなに弱くちゃ、いつまで経っても妖術士になれない……。』
自分の弱さに呆れながら、僕は布団を押し入れに片し、着替えを始めました。
僕は、自分の寝巻きの匂いで「ウッ」小さく呻きました。キレイ好き男子と定評の僕が、お師匠さんの足の裏並みに臭いとは!!
そういえば
ここのお風呂は、天然温泉なので、24時間お湯が張られています。山寺の特権ですね。
僕は、手ぬぐいと着替えの服を持って、部屋を出て、浴場の方へ向かおうとしました。
ところが、早朝だと言うのに廊下には人通りが多く、庭にも馬やら馬車など人が沢山いて騒がしいです。
何事でしょう?
……巨木の生贄儀式の準備……でしょうか?5つの町で、
『結局、何もできなかった……。』
父達を救う事ができるかも……なんて、邪神が宿ったのを知って、自分が特別な何かになったような勘違いをしていたのかも知れません。現実なんてこんなものなのでしょう。
なんとなく誰にも会いたくなかったので、人気が少ないルートを選んで、浴場に辿り着きました。
幸い、浴場には誰もいませんでした。
とはいえ、いつ誰が入ってくるかも分からないので、急いで垢だらけの全身をゴシゴシ洗い、フケと埃だらけの髪も洗い、熱々の湯船に入りました。
一瞬だけホッコリしましたが、しばらくすると、父の事ばかり考えてしまいます。最後に逢った日の光景も。
『別に、あの人とは何の思い出もないし、赤の他人も同然なんですし、第一、あの人は大罪人!多くの人の為に命が使われるのだから……罪を……償う……。』
考えるのが嫌になって、湯船から直ぐに出、乱暴に手拭いで体を拭き、清潔な服を着て、脱衣場を飛び出しました。
ムシャクシャしながら本堂の側の渡り廊下を歩いていると、一際高価そうな白い馬車が門から入ってくるのが見えました。馬車を引いている白馬も見事で、明らかに妖術士の誰かのではありません。
『お客さん?』
ずっと見ていると、馬車が本堂前の石庭で停まり、中から、祈祷師の制服を着た、ひょろっとした背の高い、神経質そうな中年男性が現れました。
御者席に居た3人の祈祷師達が、その中年祈祷師に媚びへつらっています。きっと偉い人なのでしょう。
和尚さんを迎えに来たのかな?っと観察をしていると、不意にその中年祈祷師が僕の方を振り向き、目がバッチリ合ってしまいました。
マズイと思いましたが、その鋭い眼から目を離す事ができません。正に蛇に睨まれたカエル状態。
「無事だったか……。」
中年祈祷師は、そう言ったような気がしました。
無事?何のことでしょう?お会いした事……ありましたっけ?
「
御付きのぽっちゃり祈祷師が、中年祈祷師声をかけ、僕の方を見ました。
「何でもない。」
何だったのだろう?っと考えていると、急に肩を叩かれ、飛び上がるほど驚いてしまいました。ぅわっ!
「ミツチ。こんな所にいらしたのですね。」
振り返ると、中級妖術士の
僕は
先日お会いした時は、床に着きそうなぐらいの長さだったのに、今は丸坊主。
『おはよう……ございます。……
女性に、そういう事を聞くのはどうかと思いましたが、何だか僕の所為ではないかという気がして、聞いてしまいました。
「あぁ。これ?仕事でですよ。」
何でもない様子で、明るく
『もしかして、僕の所為……じゃないですか?』
「……ミツチと
髪だけで済んで良かったです。」
良かったです……って。全然良くないです。
『ごめんなさい!ごめんなさい!』
「謝らないで下さい。ミツチは、貴重な情報を持って、命がけで戻ってきてくれたのですよ。
それに、髪なんて直ぐに伸びます。」
貴重な情報って……。騙された情報なのに……。
「代償の大きさは私の修行不足の所為。体力がもっとあれば良かっただけの事です。
でも、そんなに気が引けるのなら、私の髪が伸びた時、素敵な髪飾りをプレゼントして下さいね。」
『はい!絶対そうします!今から
「それより、和尚さんからミツチの具合を診るように言われました。」
『……えっ?具合?もう大丈夫ですけど。』
まぁその表情も可愛らしいからいいのですが……。
「三日間も寝込んだのですから、一応……ね?」
僕らは、
「さて、
しばらくすると、両人差し指の先から緑色の小さな炎が発生し、その両人差し指を僕の額にその炎をそっとかざしました。
初めての事ではないですし、熱くはないとは分かってはいるのですが、反射で身を引いてしまいます。
「大丈夫よ、ミツチ。リラックスして。」
『はい。すみません。』
緑の炎が、僕の額に押し付けられると、炎は僕の額の中から緑色の光を放ち、頭から顔、首、胴体、右腕、右手、左腕、左手、右腿、右脚、右の足の指、左腿、左脚、左の足の指っとするする移動しました。
何も感じないものの、身体のアチコチが光るのは奇妙な感じです。
最後に、緑の炎は、僕の口から出て行くと、
「どこも……問題は無さそうですね。」
『あの……。』
「あっ、ごめんなさい。……ちょっと、その、昨日失神した原因が見つからなかったから。本当に、大丈夫だから安心して下さい。」
大丈夫って……。仰られている事と表情が、逆なんですけど?
「えっと、つまりですね。体力はまだ戻っていないので、過激な修行はしないでって事です。」
『……はい。』
怪しい……ですが、そういう事にしましょう。
『ところで、今日は騒がしいようですが……?』
「あぁ。明後日の定例会の為に、皆さん、戻り始めている様ですね。」
そういえば、明後日でしたね。定例会。忘れてました。
定例会は明後日でも、和尚さんへの報告はその前に済ませなければならないので、混雑を嫌って、早めに戻ってくる妖術士が多いのです。
『和尚さんに会いたいんですけど。』
「当分は無理だと思うわ。祈祷師長もいらしてるし。」
『和尚さん、……巨木の生贄儀式に行かれるのですか?』
「それは無いと思いますよ。儀式に参加するのは祈祷師だけなので。
あの儀式を知るのは一部の祈祷師と妖術士だけで、生贄の方々にも秘密ですから、怪しまれる事は避けないといけないのです。」
『そうですよね。普段協力しない祈祷師と妖術士が集まってたら、怪しいですね。』
祈祷師が、特別な祭儀だと言えば、貴族である生贄達は疑問も持たずついてくるだろうし、その後、生贄達の死亡理由も、祈祷師達なら上手く言い繕えるのでしょう。
その後、和尚さんと何とか話せないかと、雑用をこなしながら和尚さんの部屋を見張っていましたが、和尚さんは常に部屋にいて、たまに出てきても、誰かと一緒だったり、誰かにつかまったりと、話しかける隙がありません。
「おいミツチ!聞いてるのか?!」
縁側で一緒に芋の皮剥きをしていた
『え?』
「えっ?っじゃねぇよ!お師匠の結婚式、今日らしいぜ。」
『あぁ……そうだったのですね。』
「無関心かよ?
今から阻止しに行こうぜ!」
『阻止って、別に無理矢理じゃないんですし、仕事として結婚って事になったのだとしたら、邪魔してはいけないんじゃないですか?
それに、貴族市街地への通行許可証。どうするんですか?まして、結婚式が行われる場所だって、王都ならともかく、国境付近の
ぶーっと
『お師匠さんは死んだわけではないですし、落ち着かれたら、会いに来てくださいますよ。』
「……けどさ……。」
この時の僕らは、それは早くて一ヶ月後とかそれぐらいだと思っていたのです。
それが……まさか、その翌朝となるとは。しかも……頭のないご遺体で。
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明日に行われるはずだった妖術士の定例会は、お師匠さんのご遺体が運ばれた事で、急遽、その日に変更されました。
幸い、出張していた妖術士達は全員揃っていたので、彼らは直ぐに、和尚さんと、お師匠さんのご遺体が入った棺桶と共に、書庫室から行ける地下室へと行ってしまいました。もちろん、妖術士でもない見習いの僕らは蚊帳の外です。
いつもなら、うるさい大人達がいないのと、全員が揃うのが珍しい事もあって、その間見習いの僕らは、遊んだり、雑談をしたりと賑やかに過ごしているのですが、今日は誰もが押し黙り、不安そうな顔で定例会が終わるのを待っていました。
それは、仲間が亡くなった事へのショックもありますが、改めて僕らは、死と隣り合わせなんだと思い知らされたからです。
怪異に殺されたわけでもないのに?っと思われるでしょうが、実は、怪異による死よりも、人間に殺される場合が多いのです。
特に貴族は、平民を殺しても罪に問われないので、納得できなかったり、悪事が露見してしまったり、尊厳が傷つけられるような結果だったりすると、報酬を払わないばかりか、腹いせや口封じの為に手をかける……なんて事はよくあります。
そうならない様、前金を高額にしたり、紹介者を連帯保証人として立てる等の対策はしていますが、どうしても今回の様な事が起こってしまうのです。
大きな暖炉では、パチパチと薪が音を立てて燃えている。
「信じられない!同じ魂が、生贄となる様、その家の家長になる様に、運命が操作されていたなんて。」
「過去の生贄達の魂名が一致している可能性は高いと思う。
既に、総本山と、祈祷師教会にも報告済ませてあるから。今は調べようがないかもしれんが、今後は魂名の記録しておいてくれるだろう。さすれば、今後の役に立つはずだ。」
何人かが、卓上に置かれた膨大な数の研究資料から一冊を手に取り、感心した声を上げた。
「それって、飛天がかけた呪いか何かなのでしょうか?」
色白のぽっちゃりした30歳の上級妖術士
「この資料から、私の師、
魂名は前世にも現世にも来世にも影響を受ける。その魂になんらかの術がかかっておるのだとすれば、そうなる事も可能なのだろう。
昨日、
「生贄になる運命か……。
改めて、魂名が人に知られるという事が、どんなに恐ろしい事かを思い知らされますね。」
上級妖術士
「愛する人に、来世でも必ず出逢えるっていう呪いなら、ロマンチックだけど。」
33歳だが、誰もが振り返りそうなぐらいの妖麗な上級妖術士
「怖っ……。」
カラス門戸一のイケメンと謳われる22歳の下級妖術士
「それはそうと……、
「実は、あの晩、
そして死んだ場合は、可能であれば遺体を引き取り、火葬はせず保管しておいて欲しいと。」
「死ぬかもしれないと分かっていながら、なぜ結婚なんて!?」
「
そんな中、以前からシャルの子孫らしいと噂されていた
「そういえば、今の当主の奥方が、シャルの子孫って……。でも確か、それは偽物だったって話でしょ?」
上級妖術士
「えっ?本物だから、リンネ国国王に献上されたんじゃ?」
先月30歳になったばかりの壮健な上級妖術士
「違うわ。それは当時の総祈祷師長のでっち上げ。ほら、この国のバカ王子が、リンネの王子を殺しちゃったから、それに見合う贈り物をする為にしたの。
いかにもシャルの術を使ってます的に見せた
ヤラセ
!その女性の背後で、侍従になりすました若い祈祷師が術を使ってたって、「嘘?!」「マジかよ。ひでぇ〜。」「そんな事して大丈夫だったのか?」などの声があちこちで上がった。
「これから話す内容は、言霊呪がかけられてる。皆、感染しないよう、しっかり防御術をかけろ。」
「その話とは、それを聞いた
真っ先に防衛術を済ませた
「内容を聞いたわけではない。匂わせ程度だ。
幸い、忘却術ができる
その言葉を聞いた若い妖術士達が、さっきかけた防御術より、さらに強力な防御術をかけ直した。
祈祷師長の
精霊は妖怪とは違い、善意で動く。宿主が危機に晒されれば自らの意思で行動してくれるから、不意打ちの呪術にも防いでくれる。
皆が、防御術をかけ終わったのを確認した
最初は7人とも、真っ白な何も無い空間にいた。
互いがここは何処だと戸惑っていると、急に景色が変わり、青空が広がる上空に浮かんでいた。そこは春のように暖かく、色とりどりの鳥が飛び交い、目下の山々には花が咲き乱れ、野生の動物達が元気そうに駆け回り、山の麓には、豊かな田園風景と見たことも無い異国風の建物が建ち並ぶ村や町があった。
あぁ、ここがかつてのシャル国なのだと、誰に教えられたわけでも無いのに、皆そう悟った。
いつの間にか、彼らの体は白鳥となり、白鳥の群れに混ざって飛んでいた。
群れと一緒に飛び、シャル国を巡った。分かった事は、いかにシャルが豊かで美しく、平和な国だったのかを。
気がつくと、今度は暗闇の中で大きな輪を作って7人は立っていた。互いの顔や姿はハッキリ見えるものの、それ以外は何も見えなかった。
感じるのは、寒さでも暑さでもなく、得体の知れない喪失感。
その抗いようも無い喪失感に怯えていると、7人の輪の中心に、うっすらと何かが現れ始めた。その何かは次第に姿を現し、人の形になり、最後にボロボロの翼が生えたミイラの様に痩せ細った女性となった。
女は、石の王座にぐったりと座っていた。
皆、その女が、シャルの女王だと分かった。ここがシャルだと分かった時のように。
女王は、真っ黒な空洞の目で皆を見渡してから、乾いたようなか細い声で話しかけてきた。
「
そして、この事は誰にも話してはならぬ。無論、
次の瞬間、皆、目覚め、皆が皆、その夢の内容をハッキリ覚えていた。
だが、同時に
突然心を取り戻した
シャルの女王は、この国を恨んで死んだ事は誰もが知る事実。何故
女王は、
とはいえ、心を取り戻した今、自分達だけ逃げ出し、助かりたいとは思えなかった。王都の人達に避難勧告を出さなければならない。だが、夢で見た内容は呪いによって話せない。嘘をついたとしても、果たして全員がそれを信じ、逃げるとも思えない。
そこで思いついたのが、
だが、そうこうしている内に、長男の
もう、
二人がまず思い当たったのが、巨木の出現。
全員が押し黙ったのは、内容に驚いただけではない。この話にかけられた言霊呪は、聖母自身がかけたと分かったからだ。
うっかり今ここにいない者達に、話したり、聞かれでもしたら、大変な事になるだろう。
「……まさかそんな事が。」
脂汗を浮かべながら、
「邪神の話が本当だとすると、
「そうかもしれん。聖母直々に現れたのだ。」
「けど、なんで
現に、王都の人達は、まだ呑気に都で暮らしてますし。」
もう28なのに、まだ10代の少年に見える小柄な中級妖術士
「二人だけで王都に残る口実だとは言っていたが……。」
「貴族は、家長の言う事には全体従わなければならないっていうルールがあるから、結婚させ、
「今思えば、
「じゃあ……ここに首なし遺体を運んできたのは、お前達の作戦は、わたくしが握り潰してやったわ的なアピール?」
中級妖術士の
「ちょっと待って。それってマズイんじゃないの?
「マズイですね。
困った顔をした中級妖術士の
「もう逃げてるでしょ。地の果てに。お金あるんだから。」
下級妖術士
「
今頃、祈祷師教会総出で
「我々も探した方がいいのでは?」
上級妖術士
「我々は警戒されておる。寺に態々現れたのは、我々の顔を覚えておく為だったのかも知れん。」
また、全員が黙り込んでしまった。
「あの、
もしかして、その遺体になんらかのメッセージを残しているとかってないでしょうか?」
ずっと黙っていた大柄の特級妖術士の
「うむ!それはあるかもしれん。早速調べてみよう。」
「大変です!和尚様!!」
「何事だ?
「王都の貴族市街地が、飛天の大群に襲われたそうです!」
「なぜだ?巨木はまだ枝さえ伸ばしきっておらんのに。」
「分かりません。
ですが、今、力のある祈祷師の殆どが、昨日の生贄の儀式の為に、旧シャル跡地へ行ってしまっている所為で、全く対応しきれていないそうです。」
「なんて事だ。」
「妖術士の総本山から、全門戸の妖術士に、出動号令がかかってますので、急いで向かって下さい。」
「分かった。」
全員での作戦は年に1回あるか無いかだが、こういう時の作戦パターンはいくつか決まっているので、細かい作戦を立てる必要はない。今、すべき事は、どのパターンを使うか、班編成などの確認。
とはいえ、状況が分からないのと、祈祷師協会や他の門戸との連携も絡んでくるので、パターン通りにいかないのが現実。状況によって臨機応変に対応していかなければならない。
「では、貴族市街地の中央広場にある祈祷師教会総本山、大聖堂で落ち合おう。」
「分かりました。」
「それでいいですか?和尚様?」
「八咫とミツチだが、今回の作戦に加えてやってくれ。」
「……ですが、二人ともかなりのショックを受けているのでは?」
「そうだろうが、落ち込む暇を与えない方が、あの子達にはいいだろう。」
「わかりました。では、私の班に……。」
「いや、
「お前が、八咫とミツチの班長となり、二人を率いるんだ。」
その言葉に、
「和尚様。
そんな兄の言葉に、
「
「……。」
「人の上に立つ事で、それを学べるだろう。」
「私は、
皆、生きて帰るまでが任務と心得よ。決して無理はするでないぞ。」
妖術士達が、会議から戻ってきてからは大変でした。
全員が慌てて出動の準備をし、馬車に術に必要な道具やらなんやらを詰め込みました。
僕と八咫はお弁当係で、厨房係であり僕の叔父でもある
「毎度毎度、全員総出での任務は緊張するね。今回も危険そうなのかい?」
「俺らも詳しい事は知らされてねぇよ。いつものように、移動しながら説明って事じゃね?」
八咫が、3つのおにぎりを笹の葉に包みながら答えました。
『でも今回は、貴族市街地だけが被害に遭っているらしいので、規模はさほど大きいわけじゃないのかも知れませんね。それに、祈祷師教会と、他の門戸の妖術士たちも集結するそうですから、案外、いつもよりは安全かもしれません。』
「ならいいけど……。二人とも無茶をしないようにね。」
『あの……、
「あぁ……知ってしまったんだね。その事も……。
安心しなさい。二人とも普段は王都に住んでいないよ。最南端の領地に暮らしてるはずだ。あの方達は、あまり貴族街の様な煌びやかな贅を尽くした場所は好まないからね。」
その言葉を聞いて、僕はホッとしました。
『名前って……教えてもらえないのでしょうか?』
「…………困ったな……。和尚様に聞いてみないと……。」
「いいじゃん
八咫にせがまれ、
「じゃあ、戻ってきたら教えよう。それならいいだろ?」
「ケチ〜!!!」
八咫はムッとした顔をし、冷や汗をかいている
『分かりました。それで手を打ちます。』
「だから、二人とも、必ず帰ってくるんだぞ!」
僕らは「はい!」と元気よく笑顔で返事をしました。
その数分後に、げんなりするとも知らず。
「嘘だろ?!」
八咫が、下級妖術士の
「なんで
万年
下級の奴が、俺らの班長なんだよ!!班長は、上級からだろ?!違反だ違反!!」天才
の称号から、万年下級
との称号に変えられてしまったのです。そんな
そんな訳で、
「和尚様の命令だから違反じゃない。大人しく従え!八咫!大丈夫だ。術の実力は俺が保証する。」
そう言った
しかも、班長を任命された
あぁ……、とんでもない任務になりそうです。
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