第6話 ふたり目の正体

文字数 10,773文字

 不可解な怪異騒動は、お師匠さんが安魂《あんこん》術(荒ぶる生者の魂を、安静にさせる術。因みに、荒ぶる死者の魂を、鎮めるのは鎮魂術)を若旦那様にかけた事で、一旦は終息致しました。
 深夜3時を回った頃、大旦那様を始めとする四名様にかけた安魂《あんこん》術が完全に効いていると判断できた為、八咫(やた)と僕は、ご用意して頂いた客間で休む事となり、お師匠さんだけ、念の為、見張りとして残ったのでした。

 八咫(やた)は、無言で客間に戻るなり、寝台に倒れ込み、速攻、爆睡をしてしまいました。
 (若旦那様の四男)唐里(とうり)様は、どうだったか色々聞きたかったのに……。
 僕はというと、体も瞼も重いのに、目を閉じると、大和(やまと)班長の腕に鉄の大きな鍵が刺さった時の光景や、若旦那様の唐久(とうく)様が、炭鉱士の怪異に何度も何度も殴られている姿や骨が砕ける音、そして、護衛士の方々が投げ飛ばされている姿や叫びなど、悲惨な光景がフラッシュバックしてしまうのです。
 その上、何で安魂《あんこん》術を思い出せなかったんだろう?安魂《あんこん》術なら、自分でもできたのに!せめてお師匠さんを呼びに行けば良かったんじゃないか?などと言う後悔も、頭の中でぐるぐるしてしまい、全く眠れませんでした。

 なかなか寝付けないので、僕は眠るのを諦め、起きている事にしました。
 何となく窓の外を眺めると、空は薄っすら明るくなり始めていて、お屋敷をぐるりと囲んでいる竹林には、朝靄(あさもや)がかかり、僕の頭の中の(もや)とは丸で違い、とても綺麗でした。

 『あれ?鳥の鳴き声が聞こえます。昨日までは、鳥の気配が全くありませんでしたのに。
 ……良かった。浄化がすっかり完了したって事ですね。後で、翡翠を回収しておきましょう。』

 鳥達が、安心してこの敷地内に入ってこれたという事は、昨晩の怪異は、邪悪なモノでは無かったという意味でしょうか?ですが、あんな暴力的な怪異が、邪悪なモノでないなんてあり得るのでしょうか?

 僕は、怪異が起り始めてからの出来事を、もう一度思い返し、書き出してみる事にしました。
 幸い、お部屋の隅には、素敵な机の部分が開閉式になっている勉強机があり、小型電灯ランプもございます。ひと目見た時から、密かに使ってみたいと思っていたんですよね。電気なんて、貴族街にしか通っていませんから。
 ランプをつけると、淡いオレンジと黄色の光が現れました。この程度の光りなら、八咫(やた)の眠りを妨げませんよね?まあ、直射日光を浴びても起きるような子ではないんですけど。
 ……あれ?……なぜ……僕は、このランプの付け方を知っていたのでしょう?……まあ、今はどうでもいいですね。誰かが触っているのを見た事があったのでしょう。
 そんな事より、忘れない内に、早く書き出さないと!

1、痙攣が始まる。直ぐ(3分)におさまる。
2、若旦那様の2号様が現れる。眠っておられる1号様を罵倒。
3、2号様が、若旦那様1号を囲んでいる護衛士達に向かって体当たりをしてくる。
4、看護師が現れ、彼女が持っていた大きな鉄鍵を、1号様に向けて2号様が術か何かを使い投げる。
5、庇った大和(やまと)班長の防具を着けた腕に刺さる。
6、2号様の動きが止まる(動揺?)。
7、護衛士が2号様を羽交締めにする。
8、拘束の機会が出来たため、大和(やまと)班長に言われ、拘束縄を取りに廊下へ出る。
9、戻ると、2号様が、中流階級商人風の女性に変身。逃げようとする。
10、逃げられないのが分かると、農民風の少年の姿に変身。1号様に向かって行く。
11、僕が、少年の腕を掴むが、少年は「すまない」と謝り、僕を投げ飛ばす。
12、炭鉱士風の大柄な男性に変身し、護衛士達の制止を振り払い、とうとう若旦那様の所へ辿り着き、暴行。
13、お師匠さんが現れ、安魂《あんこん》術により、炭鉱士が消える。

 こうして書き出してみると、余計落ち込んでしまいます。
 6番目……。なぜ僕は、直ぐに拘束縄を取りに行かなかったのでしょう?言われるまで気づかなかったのでしょう?せめて、ここで拘束できてれば……。

「おっ!ミツチ。もう起きたのか?それとも、眠れなかったのか?」

 疲れた顔のお師匠さんが、客間に入ってきました。

『色々反省点が多すぎて……。』
「反省?何がだ?ミツチは、ちゃんと俺の命令通りにしただろ?」

 僕は頭を横に振りました。

『……僕も、八咫(やた)の様に結界を張ろうと考えました。
 ですが……頭でっかちになり過ぎて行動ができなかった。
 その結果、……観察する事しかできなかっただけです。
 それに、拘束できるチャンスがあったのに、驚いてしまって……できませんでした。』
「なるほど。命令を無視してでも皆んなを守った八咫(やた)の方がマシだと思ちゃったのか。」
『……はい。』

 お師匠さんはうーんと伸びをすると、僕が先程書いたリストを手に取り、眺めながらドカッと革張りの長椅子に腰掛けました。

「俺が、観察を命じたのは、このリストに書かれている事を知りたかったからだ。大旦那様、若旦那様、若奥様、唐里(とうり)様に起きている事が、同じなのか、それともそれぞれ違うのか。
 このリストをみる限り、昨晩二人目が現れたのは、若旦那様、唐久(とうく)様と唐里(とうり)様。で、二人目が別人に変身したのは唐久(とうく)様だけ。
 まあ、唐里(とうり)様は2号様が現れた時点で、先走った八咫(やた)が結界を張っちまったから、なんとも言えないけど。」
『それでは、大旦那様と若奥様は、二人目が現れなかったのですか?』
「ああ。大旦那様と若奥様は、悪夢を見ている様子はあったが、2号様は現れなかった。
 で、お二人を担当している護衛士達の聞いた話では、大旦那様も若奥様も、毎回というわけではないらしい。しかも若奥様に関しては、2号様らしき霊は現れるが、ぼんやりしてる程度で、喋りもしないと。そして、出現頻度も一番低いってさ。」
『若奥様は、ご家族の中では、一番軽症という事でしょうか?』
「みたいだな。大旦那様の方も、本体が元気な頃は、2号様が現れて暴れまくっていたらしいが、ここ最近じゃ、体力に比例しているのか、主にぼそぼそ罵るだけで、たまに殴る様なそぶりを見せるが、全てすり抜けてしまうから、実害は無いってさ。」
『人によって症状が違うのですね。』
「な?実際観てみるまで、何も判断してはいけないと言っただろ?観察も大事な仕事なんだ。」

 ドヤ顔で言うお師匠さんの言葉に、僕は頷きました。

「しかし……驚きだな。このリストを見る限り、唐久(とうく)様は、3回も別人に変身してる。」
八咫(やた)の予測した離魂体(りこんたい)亜種ですか?』
八咫(やた)のドヤ顔を見たかっただろうが、大ハズレだ。
 唐久(とうく)様2号は、ご本人が眠っている時に現れただろ?」
『あっ!そうでした。離魂体(りこんたい)は、本人が目覚めてる時に現れる生き霊でしたね。どれだけ僕は、パニックってたのでしょう……。こんな基本を忘れるなんて。』
「だが、唐里(とうり)様に関しては分からないな。自殺未遂までしたし。」
離魂体(りこんたい)は、“死の前兆“……。』
「どっかのバカが、2号様を、結界に閉じ込めなければ、ただの生き霊なのか、離魂体(りこんたい)なのか分かったのにな。」

 どっかのバカって、あなたの弟子ですが?

『ですが、結界の中に閉じ込められている間、1号様が眠ったままなら、離魂体(りこんたい)ではないという事では?』
「忘れたか?唐里(とうり)様の1号と2号を融合させるのに手間取ったって。」
『……あぁ、仰ってましたね。それって……まさか。』
「そうだ。結界を張った時 、1号様と2号様の生命線を、切っちまったんだ。あの大バカ者は!」

 お師匠さんはそう怒鳴ると、気持ちよさそうにヨダレを垂らして寝ている八咫(やた)を睨みつけました。

「あいつ、なんて言ったと思う?」
『さあ……?』
「『師匠が何とかしてくれると信じてたから!』だとさ。ったく!繋げられたからいいものの、後一時間遅かったら、術で繋げられなかったんだぞ!」

 繋げられなかった場合、完全な離魂体(りこんたい)となってしまいます。当然、魂が半分では生きられませんので、殆どの場合、“死の前兆“と言われる通り、お亡くなりになってしまうのです。
 稀に、時間が経っても繋げられる場合がございますが、それはご本人の生きたいと思う強い精神と、ご家族等の引き留めたい思う強い願い、そういった双方の強い絆が必要で、片方だけではダメなのです。そして、僕らに出来るのは、そのお手伝い程度。

「兎に角、4人共通しているのは、どの部屋からも誰からも、邪気は一切感じられなかった事。
 家族の複数が同時に怪異が起こる事など、普通あり得ないが、これは生き霊だな。安魂《あんこん》術が効いたのが、何よりもの証拠だ。
 いつも通りの処置で大丈夫だろう。後は、怪異専門医に任せて……。」

 お師匠さんは、胸ポケットからヨレヨレの手帳を取り出すと、ページを捲り始めました。

「貴族で……、鹿野宮(かのみや)家の派閥……だと…………、火芭流(びばる)医師だな。あの人なら口が硬い。まぁ……ちょっと変わり者だが、紹介しても問題ないだろう。」

 火芭流(びばる)医師は、五年ほど前、一度しかお会いしておりませんが、よ〜く覚えております。
 変と言う訳ではありませんが、話の節々に何かの小説のセリフをそのまま引用されるので、その本を読んだ事がないと、何を仰っているのか全く分からないのです。特にSF小説のセリフは、皆目見当がつきません。

『あの、まだ分からないのですが、なぜ鹿野宮(かのみや)家の方々の生き霊は、僕らにも接触できたのでしょう?
 恨みの対象に取り憑いて、実質的に危害を加えるような呪いができる生き霊の場合は、怪異と呪術の契約をしないとできませんよね?
 今回は、邪気が全くない事から、怪異との契約はなかったはず。
 ただの生き霊に、突き飛ばしたり、投げ飛ばされたり、殴ったりなどできるのでしょうか?』
「あれは、ポルターガイスト現象だ。
 物が飛ぶという現象はよくあるだろ?今回は、人間だっただけだ。
 ミツチも投げ飛ばされたらしいが、どこを掴まれて、どう投げ飛ばされたか覚えているか?」

 農民風の少年に投げ飛ばされた時の事を思い返してみました。

『……ない……です。気がついたら飛ばされていました。』
「だろ?他の護衛士たちも、同じような事を言っていた。言われてみれば掴まれた感触がまるでなかったし、体当たりも、どの部分がぶつかったか分からないってな。」
 
 なるほど……。雰囲気から投げられたと錯覚してしまったのですね。大きな鉄鍵も飛んでましたし……。

『あっ、でも……。 生き霊って、他人が触れるのでしょうか?ほら、明部(めいぶ)さん達も、一度は拘束に成功してますし、僕も触ったんですよ?』

「そうなんだよな。それが……」

 お師匠さんがそう言いかけた時、伝言係の妖怪、赤烏(せきう)が窓をコツコツと突つきました。

「いいタイミングだ。」

 お師匠さんはそう言うと、立ち上がり、窓を開けてやりました。

「お疲れさん。」
「カァ!」

 窓から入って来た赤烏(せきう)の首には、巻子本と手紙が括り付けられていました。
 巻子本と手紙を赤烏(せきう)から外したお師匠さんは、巻子本をくるくると丁寧に開き、内容を読み始めました。
 あの巻子本の中身は、以前、和尚さんの授業で見た事があります。一見すると普通の地図に見えますが、第六感を使うと、そこには怪異の名と、その縄張りの範囲が記されているのが視えてくる仕掛けになっております。
 
 「なるほど。」とお師匠さんは満足げに頷くと、巻子本だけを赤烏(せきう)の首に再び括り付けました。

「和尚に、上手い酒と、それに合うツマミを買って帰ると伝えてくれ。」
「カァ!」

赤烏(せきう)は窓から飛び立ってしまいました。

『あの池にいた怪異の正体、分かりましたか?』
「あぁ。安托士(あんたくと)という大物妖怪だ。」
『あん……たくと?』

 聞いた事がない妖怪です。

「人の

を奪う性格が悪い妖怪だ。」
『良心?』
「あぁ。呪った相手の

を奪うんだ。」
『“良心“を奪ってどうするのですか?
 “良心“を奪ったって、呪いたい相手は悪い人になるでしょうし、死ぬどころか、自殺すらしないと思いますが?』
安托士(あんたくと)が大物なのは、そこだよ。」

 そう仰いながらお師匠さんは、和尚様からお手紙に目を通し始めました。
 お手紙はたった一枚だけのようですが、お師匠さんは、みるみると真っ青なお顔になってしまい、手紙を持っていた手はぶるぶると震え出し、その手紙が溢れる様に落ちると、床に着く手前でサラサラと消えてしまいました。きっと抹消術がかけられていたのでしょう。

『どうしたのですか?』

 お師匠さんは、ハッとすると、僕が書いたリストをもう一度手に取り、じっと一箇所を見つめました。

「ミツチ。おまえ、掴んだよな?生き霊を?」
『はい。普通の人間と同じような感触でした。けど、体温はまるでなくて……。』
「そうか……。なるほど。全て分かった……。」

 お師匠さんは、真っ青な顔のままそう呟くと、ベッドの上に倒れ込んでしまいました。
 全て?……何が分かったのでしょう?



 お昼過ぎ頃、若旦那様がお呼びしていると言う事で、僕らは若旦那様のお部屋へ向かいました。
 長い長い廊下を歩いている際、僕の足は、鉛の様に重く、若旦那様のお部屋へ近づく程、その足取りは重くなっていくように感じました。

「ミツチ!何トロトロ歩いてんだよ!屍人憑き(しびとつき)(死体に霊が取り憑く怪異)のマネか?」

 だいぶ先を歩いていた八咫(やた)が、舌をダラっと垂らし、両腕を前でブラブラさせ、う〜う〜唸りながらフラフラと歩き出し、わざと何度も壁にぶつかり、その度にゲラゲラと楽しそうに笑っております。
 なんか言って欲しそうだったので、大人な僕は、華麗にスルーしてあげました。

「ミツチ、若旦那様達の怪我は、お前の所為じゃない。俺達の上司、和尚の責任だ。気にするな。」
『そこは、俺の責任だ……じゃないんですか?』
「まぁ、それでも気になるなら、肩揉み1時間で許してやるぞ。勿論、俺の肩だ!」
『なぜ、お師匠さんにご奉仕しないといけないのですか?』

 あぁ……この師匠にあの弟子ありですね。僕は、あははと笑うお師匠さんと、まだ屍人憑き(しびとつき)のマネをしてる八咫(やた)を、力無く見つめました。

 唐久(とうく)様のお部屋には、ご内室の玲奈(れいな)様もいらっしゃいました。
 昨日お会いした時もそうでしたが、玲奈(れいな)様は、黒いレースでできた頭巾のような物を、肩まですっぽりかぶっておられる為、お顔が全く見えません。
 この七輝王国は、たくさんの民族や小国家が併合した国なので、その分たくさんの宗派がございます。宗教についてはよく分かりませんが、既婚女性がお顔を隠していらっしゃる方々を見た事があります。きっと、そういった宗教上の理由かもしれませんね。
 ですが、……街で見かけた方々は、もっと華やかな色や柄のレースをかぶっておられ、口元は出されていたと思いますが……。身分によって頭巾の長さが違ったりするのでしょうか?
 唐久(とうく)様は、どんなにお顔を腫らしておられるのだろう?具合が悪そうなのだろうと心配をしておりましたが、普通に寝具の上に座っておられ、昨日、初めてお部屋でお会いした時よりも、心なしかお加減が良さそうに見えました(僕の願望が見せる、幻覚でないといいのですが……)。

「お加減はいかがですか?」

 お師匠さんが、観察するような目で唐久(とうく)様に伺いました。

「昨日から

を使っていないせいか、久しぶりに気分がいい。」
「お怪我の方は?」
「大した事はない。医師の話では、打撲程度だ。」

「ほら。」と唐久(とうく)様は、着物を脱ぎ、上半身をはだけて見せて下さいました。

 確かに、見た感じ……大怪我をされた様子ではありません。ただ、青アザが大小無数にあるのが痛々しいです。
 お師匠さんは、唐久(とうく)様に近づくと、「失礼」と言い、無遠慮にまじまじとアザなどを見つめ、大きなアザなどは触ったりもしていました。

「痛いですか?」
「まあ、多少は痛いが、この程度なら、鎮痛剤を打たずとも我慢はできる。」

  鎮痛剤は、使われていないのですね。……ですが、確かに僕は、骨が折れるような音を聞きました。それにあの殴られ方。打撲程度で済むはずがありません。
 健康だった頃の唐久(とうく)様のご様子は分かりませんが、今の体型は物凄く痩せていらっしゃいますし、脂肪も筋肉もあるとは思えません。
  聞き間違え……だったのでしょうか?

「ところで、昨晩は、何か収穫はあったか?」

 唐久(とうく)様は、着物を着直しながら、本題に切り出しました。

「収穫は、ありました。」
「その前に、これらに見覚えは?」

 お師匠さんは、呪具として使われた木偶を、8枚とも唐久(とうく)様の前に、並べて見せました。

 木偶をご覧になられた唐久(とうく)様は、少し顔をしかめましたが、ハハッと笑いました。
 まさか笑うとは思わなかったので、八咫(やた)と僕は驚き、互いの顔を見合わせました。

「早かったな。祈祷師共は、一週間もかかったぞ。」

 やはりお師匠さんの読み通り、祈祷師の方々も見つけていらしたのですね。先走らなくて良かったです。ま、呪い返しも、阿奈(あな)様も、全く関係なかったのですけど……。
 ですが、術者が誰で、何の目的で安托士(あんたくと)に良心を取ってもらう呪いをかけてもらったのでしょう?

「なぜ、ご自分で、ご自分を呪う様な事をしたのですか?」

 お師匠さんは低い声で、唐久(とうく)様と玲奈(れいな)様に尋ねました。
 反応したのは、唐久(とうく)様方ではなく、何も聞かされていなかった八咫(やた)と僕と、そして明部(めいぶ)さんでした。

「は?ななな、何を⁈えっ⁈」
「お師匠っ⁈え?自分で自分を呪った⁈」
『ど、どう言う事ですか⁈』

 玲奈(れいな)様は、やや動揺されておりましたが、唐久(とうく)様は、狼狽えるでも驚くでもなく、黙ってお師匠さんに先を促しました。

「この木偶を使い、池に棲む怪異と契約が行われ、阿奈(あな)様を除いた鹿野宮(かのみや)家の方々が、呪いを受けた。
 だが、その呪いは、呪われた者が不幸となり、苦しむ類のモノではなかった。
 そうですね?」

 唐久(とうく)様は目を閉じ、ゆっくり頷きました。

「初めは、呪いとは、不幸をもたらすモノだと決めつけていたのと、既に呪いは解除されていたので、今回の怪異騒動とは別物だと思っておりました。
 ですが、池の怪異が安托士(あんたくと)だと知り、それが勘違いだと気づきました。」

「ほぉ。それで、現在我々に起こっている……怪異とは?」
「呪が解除された事による反動です。」
「なるほど。噂通り、祈祷師と引けを取らぬようだ。」
 
 驚くでもなく、元から答えを知っていたかのように、唐久(とうく)様は満足そうに答えました。
 祈祷師に引けを取らぬ?とはどういう意味でしょう?木偶を見つけただけでなく、祈祷師達も、池の怪異が安托士(あんたくと)だと突き止めてたという事でしょうか?

「その仰り方……。全て分かっていらしたのですね?」
「あぁ。」

唐久(とうく)様の目が、光った様に見え、僕はゾクリとしてしまいました。

「あなた方の本当の依頼は何ですか?」

 お師匠さんの怒気を含んだ言葉に対し、唐久(とうく)様は静かに微笑み返しました。

「話が早くて助かる。
 ……我々の本当の望みは、安托士(あんたくと)を喚び出し、もう一度同じ呪いをかけてもらう事だ。」

 僕らは、唖然としてしまいました。
 しばらく黙っていたお師匠さんが、深呼吸を吐くと、静かに尋ねました。

「祈祷師達が怒って帰られたのは、その依頼が原因ですね?」
「あぁ。あれこれ条件の良い提示を出したが、にべもなく断られた。」
「当然でしょう。彼らは、自分達が神の(しもべ)であり、神の代行者として、怪異を成敗していると信じ切っているのです。
 侮辱されたと怒り狂った事でしょう。
 もし、欲に目が眩んで、その依頼を引き受けたりしようものなら、破門どころでは済まされないでしょうし。」
「らしいな。当人は終身刑で、その家族は爵位を剥奪される上に、財産は全て没収だと言っていた。
 故に、怪異と侍従契約をしている妖術士ならと思ったのだ。」
「残念ながら、妖術士でも、召喚はともかく、怪異を使って呪いをかけるなど、御法度中の御法度です。裏社会の呪禁師に依頼するべきでしたね。」

 お師匠さんが、鼻で笑いました。

「藪は突かない主義だ。」
「祈祷師でも、呪禁師でもないとすると、今までは、どうやって安托士(あんたくと)を喚び出してたのですか?
 木偶の古さから、一度に全員分の術をかけたとは思えません。何度かに分けて呼び出したのでは?」
「あぁ。いつもは、私が呼んでいた。呪いを解除されてからは、現れてくれないが。」
「呼ぶ?ご自身で?」
「最初は名前すら知らなかったから、“おーい“とか“出て来い“とかだったと思う。」
唐久(とうく)様、霊感は?」
「無い。以前はこの屋敷にも霊がウヨウヨしていたらしいが、全く視た事も感じた事もない。安托士(あんたくと)ぐらいだな。怪異というものを見たのは。」

 八咫(やた)も僕も驚愕してしました。妖術士が一人前になるには、怪異を召喚し、侍従契約を交わす事が第一条件です。
 僕らが、まだ見習いなのは、低級怪異すら召喚出来ないから。
 なのに、唐久(とうく)様は、なんの修行もされず、霊感も無いのに、「おーい」だけで大物怪異を喚び出した……ですと?

「普通、一般の方が呼んだぐらいで、怪異は現れません。まして大物怪異はプライドが高い。恭しく儀式をしてからでないと、なかなか現れてくれません。
 唐久(とうく)様には、何か特別な力があったのだと思いますが、何か……お心当たりは?」

 お師匠さんの目に緊張の色が見え、唐久(とうく)様はその目を見ながら、お師匠さんの言葉の裏にあるモノを考えておられる様子でした。

「何が言いたい?」

 お師匠さんは、フーッと長い息を吐くと、膝の上に乗せていた両手の拳をグッと握り直しました。

唐久(とうく)様の出自に……関係がお有りなのでは?」

 冷静そうな唐久(とうく)様の瞳に、怒りの色が一瞬見えました。

「私の母が、

だという話をしたいのか?」

 唐久(とうく)様の声のトーンがあまりにも単調だったので、余計怖く感じます。
 お師匠さんは、ごくりと生唾を呑み、背後の明部(めいぶ)さんのお顔からは、みるみると血の気が引くのが目の端で見えました。

 まずい事になったのでは?と焦る中、僕は、昨晩の看護師達のやり取りをフと思い出しました。
 そういえば、あの時、桐絵(きりえ)さんだけが、“平民“という言葉を使って、僕を罵っていたと思います。唐久(とうく)様もあの場にいらしたので、年配の看護師は、慌てて桐絵(きりえ)さんだけを叩いて、クビを言い渡したのでしょう。
 大和(やまと)班長も、その話題を避けたがってましたし……。一部の人達の間では周知だったけど、それはタブーだった。なるほど……。

 お師匠さんは、唐久(とうく)様の怒気に気圧される事なく、落ち着いた口調でお話を続けました。

「いいえ、その事ではありません。唐久(とうく)様もご存知なはずです。お母様の本当の出自を。」
「なっ⁉︎」

唐久(とうく)様が、初めて動揺を見せました。玲奈(れいな)様は勿論、明部(めいぶ)さんまでもが、狼狽始めました。
さすがと言いましょうか、唐久(とうく)様は、直ぐに落ち着きを取り戻されると、お師匠さんの緊張気味な顔から、その意図を探る様にしばらく見つめておられました。

「……今回の事とは、無関係だと思うが?
 それに母は凡人だ。其方が期待をする様な事は何もない。母の事を調べ上げているのであれば、それも分かっているのだろ?」
「仰るとおりです。ですが、あの事が事実なら、無関係とは言い切れません!お母様について話して下さい!もっと大変な事になる前に!」
「大変な事だと?それは何だ?母は、とっくの昔に亡くなっているのだぞ?」
「今は、申し上げられません。」

唐久(とうく)様とお師匠さんは、長い間睨み合いました。

 若奥様も、訳が分からないと言ったお顔ですし、いつも織り目正しい明部(めいぶ)さんなんて、先程から汗をハンカチで拭ってばかりおります。
 空気を読むことが苦手な八咫(やた)ですら、ポカンとしたままです。

「条件がある。先ほど其方は、召喚はともかくと言ったな?それは、禁止されていないという事か?」
「……まぁ。」

 お師匠さんが、顔をしかめました。

「呪いの再契約交渉は自分でやる。其方は、安托士(あんたくと)を喚び出せ。そうしたら母の事を話そう。」
「それはできません!
 安托士(あんたくと)は、人の心を呪いで奪い、呪った相手に寄生する怪異だからです。」

 寄生する怪異?初めて聞きました。八咫(やた)も“?“っという顔で僕を見ているので、知らないという意味で、頭を横に振りました。

「寄生?特に害はなかったが?」

 唐久(とうく)様の答えに、玲奈(れいな)様が静かに頷きました。

「運が良かっただけです。
 安托士(あんたくと)は、呪いで“良心“を奪い、無情にした者を宿主にする。無情となった宿主は、残虐非道な行いをするようになり、人々を死に至らしめる。その魂を安托士(あんたくと)が待ち構えた様に喰らう。
 普通は、直ぐに宿主が殺人罪か何かで捕えられてしまいます。そして、もう役に立たないと分かると、安托士(あんたくと)は宿主を殺し、喰らってしまうか下僕にするのです。
 あなた方が、何の罪にも問われず、安托士(あんたくと)に見放されなかったのは、この国で最強の権力を持っているから。最高の宿主だったからです。」

「だとしても、このままでは困る。」

「最初に申し上げた通り、あなた方が、今現在苦しんでいるのは、呪いが解除された事により、安托士(あんたくと)に奪われた“ 心“を取り戻してしまった反動です。
 昨晩現れた生き霊は、あなた方の本心、罪悪感が形となり、まだ呪いに頼ろうとしているあなたを方を責めているのです。
 変身して現れた商人風の女性も、農民風の少年も、炭鉱士風の大男も、あなたが苦しめた人達でしょ?実際は見ておられないかもしれませんが、夢の中で見ていたのでは?」
「……知らん。」
唐久(とうく)様。あなたの罪悪感が爆発してしまっているから、夢の中の出来事が怪異となって現れてしまっているのです。
 まだ、罪の無い誰かを苦しめたいのですか?今、こんなに後悔してあなたご自身も苦しんでるのに?
 あなた方に必要なのは、安托士(あんたくと)ではなく、罪を悔い改め、財界から身を引き、心の病を治す事です。
 賢いあなたなら、そんな事言われなくても分かっていますよね?」

唐久(とうく)様は、お師匠さんから目を背けました。

「……其方には分からない。何を犠牲にしてでも、やり遂げなければならない事があるのだ。」

 顔を上げた唐久(とうく)様の目は、血走っており、強固な意志が感じられました。そして、玲奈(れいな)様も、同調するように深く頷かれました。
 その後、お師匠さんは、宥めたり強気に出たりと1時間以上も交渉を続けましたが、お二人の意思は、全く変わりませんでした。

 唐久(とうく)様達の目的も気になりますが、唐久(とうく)様のお母様の事を、なぜお師匠さんが知りたがっているのかも気になります。和尚さんからのお手紙にその事が書かれていたのだとは思いますが、大変な事になるとはどういう事でしょう?

 お師匠さんは、厳しい表情を浮かべたまましばらく考え込んでおりましたが、長いため息を吐くと、ようやく答えました。

「分かりました。喚びましょう。」
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登場人物紹介

八咫(やた)  


布能洲《ふのす》寺、カラス門戸の妖術士見習い。15歳。


性格:楽観的でお調子者だが、たまに、冴えた事を言う。素直で、努力家。

能力は:妖術士の中では、一番第六感が弱いが、体力は見習いの中で一番で、駿足は妖術士の中で、一番。

以前は、兄と住んでいたが、ある怪異事件によって兄が死んでしまった。その後、布能洲《ふのす》寺で引き取られる事になった。

ミツチ


布能洲《ふのす》寺、カラス門戸の妖術士見習い。14歳。

性格:心配性で、頭でっかちになりがちだが、謙虚で、誰にでも優しい。

能力:妖術士の中では、一番の第六感の持ち主だが、その分、邪気に当てられやすい。小柄で、痩せ気味なため、体力があまりないが、勉強家。

幼い頃、水妖に襲われ、カラス門戸の妖術士達に助けられた。だが、記憶を失っていた為、布能洲《ふのす》寺で引き取られる事になった。

嶺文(れいぶん)


八咫とミツチの師匠。

布能洲(ふのす)寺カラス門戸の上級妖術士。年齢不詳。

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