第15話 裏切り
文字数 13,982文字
飛天の聖母へ、生贄を捧げずに済む方法が分かっているのに、伝える手段がないまま死なせてしまうなんて我慢できません。
僕は邪神に訴えました。
『お願いです!なんとかして下さい!!』
“さっきっから、お願いばかりじゃないか。考えろ!努力しろ!10代のニキビ男子が、甘えん坊キャラとか、キモいわ!“
キモい……。確かに、最近修業とかストレスとかで、ニキビがちょこっとできてしまいましたが、ブツブツではありません!!
『考えても分からないから聞いてるんです。
それに、妖術も使えない僕なんかに、悪鬼(=飛天)の術なんて破れっこないです。
ですが貴方は、悪鬼以上の存在なはず。本当はどうにかできるのでしょ?』
“確かに、ワシが悪鬼とガチンコでやり合ったら、ワシが勝つ。
だがワシには、人間共の味方をする理由は無いし、飛天と敵対する理由も無い。
ワシは中立的立場。できる事は、温かい目で貴様を見守る事だな。“
え〜……。
『で、崖から落ちた時みたいに、助けてくれないんですか?僕を守るという契約があるでしょ?』
“前に言ったはずだ。飛天とのやりとりは別だと。ワシは中立的立場だからだ。自分で何とかしろ!“
『動けないんです!呪文も唱えられません!』
“ったく、やる前から諦めとる。諦めたら人生終了だぞ!!“
邪神は、体育会系的な事を言いだしました。脳みそに青春でも詰まっているのでしょうか?
“今の状況を言ってみろ?“
『……どうしようもない……以外に何か?』
“術の話をしてる。和尚から何を習ってんだ?“
『今は……腐っていく術がかけられてます!そして、動けません!』
“体を硬直させる術は?“
『……金縛り……、石化……、それぐらいしか思いつきません。』
“金縛りは基本中の基本。妖術士でなくても、誰にでも解ける術だ。“
『はぁ?』
誰にでもって……。町中の人達は動けないままじゃないですか。たかが金縛りなわけないですよ。
“金縛りを解く方法を言ってみろ。“
僕はイライラっぷりをアピールする為、ぶっきらぼうに答えました。
『……深呼吸をしてから、ゆっくり指から一本づづ動かすんです。でも!悪鬼(=飛天)がかけた術なんですよ!そんな方法で解けるわけないじゃないですか!?』
“本当か?じゃあ、とりあえずそれを試してみろ。
ワシが正しかったら、鳳凰福園の塩大福つぶあんを毎日買うんだ。で、間違ってたら、貴様が死んだ時、魂を頂く契約を破棄してやる。“
塩大福と、僕の魂を天秤にかけるなんて、失礼にも程がある!
『分かりました!やればいいんでしょ。やれば!』
半信半疑で僕は、深呼吸を試みました。
『体の感覚がないので、深呼吸なんてできません。』
“イメージだ。呼吸するイメージをするんだ。それを、ワシがいいと言うまで続けろ。はい、吸って〜、吐いて〜、吸って〜……。“
そんな教え方、どこで覚えたんだか……。僕が寝ている間に僕の体を勝手に使って、ヨガ教室で覗きでもしているんじゃないか心配になってきました。
別の事で不安になりながらも、言われるがまま呼吸をするイメージを繰り返しました。
どれぐらい経ったでしょうか?多分、30分ぐらいは経ってしまっていたと思います。いい加減うんざりしてきた頃、僅かに肺が動いたような感じがしました。
えっ?っと戸惑いつつも、邪神の「吐いて〜、吸って〜」に合わせ呼吸を繰り返しいていると、鼻が動き、空気が鼻から肺に伝わっていくのが感じられたのです。ウソでしょ⁈
“はい、じゃあ、今度は右手の小指を動かしてみろ。“
驚きながら右手の小指に神経を集中し、「動け」と念じながら動かすイメージをしました。
“深呼吸も忘れるな。呼吸に合わせて動かすイメージだ。吸って〜、吐いて〜、吸って〜……。“
先程までは半信半疑だったので、あまり集中していませんでしたが、今度は丹田(ヘソの下辺り)を意識しながら深呼吸を繰り返してみました。
“それにしても分からんな。
父親といえ、赤の他人も同然だったのだろう?それに、お前の事を大事にしていた母親を死に追いやった張本人だ。なぜ、そうまでして救いたい?“
『……別に。父だけを助けたい訳ではありません。他の生贄の方々もです。
助けられるなら、助けたい。……普通です。』
“そいつらは良い奴なのか?そうでないだろ?そんな奴らを生かした所為で、そいつらが将来、多くの善人を苦しめないと言えるか?“
『…………。』
“お前が、あの男を助けたいのは。自分が理想とする父親像を諦め切れとらんからだろ。救って、優しい言葉をかけてもらいたいのではないか?“
『…………。』
そんなんじゃない!……とは否定できませんでした。
八咫にも遠回しに指摘されてしまっていた事だったからです。頭では父が酷い人間とは分かってはいますし、憎むべき相手なのも分かってはいます。それなのに、父からの愛情を受けたいと願ってしまう自分がいて、頭と心が一致しないのです。
何度か指を動かすイメージをしながら、深呼吸を繰り返していると、小指がわずかに動くのを感じました。
『動いた!』
小指から薬指と、次々に指を動かし、全部の指が動くようになり、足の指、腕、脚、首も。
“ほれみろ。動いた。ワシの勝ちだ。“
『なぜ?!どうして?!何か術を使ったのですか?』
“使っとらん。一般的な金縛りの原因を言ってみろ。“
意図が分からない僕は、戸惑いながら答えました。
『えっと……。身体は眠っているのに、脳が目覚めてしまったから。いわゆる睡眠麻痺状態です。その要因は、重度のストレスとか、疲労からです。』
ふむふむと邪神が偉そうに言ってます。
“心霊現象による金縛りは、術でその要因となるストレスや疲労を過度に与え、金縛りがかかりやすい状態にするだけで、体を硬直させるわけじゃない。石化以外はな。
それなら、そのストレスと疲労を解消してやれば良い。それが深呼吸だ。“
『でも、これが石化術だったって可能性もありましたよね?』
“石化はない。腐らんかったら、あの巨木の生贄 にならんだろ?“
気のせいでしょうか?邪神が、まるで神の様に思えてしまいました。
『……ありがとうございます。』
“塩大福忘れんな。鳳凰福園のだぞ。つぶあんだ!“
『は、はい。』
やっぱりただの食いしん坊さんでした。
“あ、そうそう。腐っていく術は解けとらんから、あの飛天を退治するなりしてどうにかしろ。“
『ええぇ?!』
邪神に、あれこれ問いましたが、それ以降、全く答えてくれなくなってしまいました。
時間切れでしょうか?
最後に瞼が動くようになり、目が開くと、驚いた事に蓮林 村長は既に立ち上がっており、手足をぶらぶらさせたり、首を回したりと、軽い運動をしておりました。
そうですよね。僕が解けたのですから、元妖術士の村長が解けないはずありませんよね……。
「おや、ミツチも動ける様になったんだね。解いてやろうかと思ってたんだが、さすが優等生。」
『え?あぁ……はぁ……。』
なんだか損をした気分です。もう少し待っていたら、村長が金縛りを解いてくれていたのかと思うと。
いえ、塩大福を食べるのは、結局僕(=邪神)なんですけど、お金がもったいないです。鳳凰福園の塩大福は高いので。ニキビも増えてしまいますし。
「腐っていく術は解く事はできないから、急いで布能洲 寺に戻るよ。」
僕は頷くと、蓮林 村長と一緒に、塀をよじ登り、城郭の外へ出て、動かなくなってしまった人達を避け、先程の悪鬼に出くわさないか心配しながら寺の方へ駆け出しました。
日が暮れた頃にとった最初の休憩で、邪神が言っていた巨木が見えないか、西の空を見ました。
が、何も見えませんでした。暗くなってきたからなのか、遠すぎるのか分かりませんが、直ぐに見える様な物なら、行く時に気づいたはずですよね。
「ミツチ、疲れてるだろうが、そろそろ出発しよう。」
蓮林 村長ご自身も疲れているでしょうに、僕を気遣うように言ってくれました。
『あっ、はい。』
最後に、あまり体力は使いたくなかったのですが、好奇心に負けて霊視をすると……、うっすらですが、青白く光っている細長い線が、空まで伸びているのが視えました。
あれだ!
枝葉は、まだ伸びでいないので、天変地異までの時間はありそうですが、 雷梛《らいな》の町の人達の事を考えると、やはり急がなければなりません。
「ミツチ、どうしたんだい?」
蓮林 村長が振り返りました。
『……いえ。なんでもありません。行きましょう!』
僕らが布能洲 寺に辿り着いたのは、翌朝でした。
時間がないので、ほぼ休まず走ってきたのですが、腐っていく術をかけられているせいか、体がむくみ始め、だるく、特に足の痛みが酷くて、門に着いた時は、気絶する様に倒れ込んでしまいました。
幸い、寺の門では、八咫 から事の次第を聞いて、出発の準備をしていた事務員の 茶徒 さんがいたので、直ぐに発見してもらえました。
『ちゃ茶徒 さん……。和尚さんに、生贄を国外に、巨木の根が届かない場所に避難させて下さい……と。』
たぶん僕はそう言って、意識を失ったと思います。
目覚めると、目の前には心配そうな顔の和尚さんがいました。
僕が目を覚したのを見て、和尚さんが柔らかく微笑んでいます。
「安心しろ。もう大丈夫だ。体が腐っていく術も解いた。
悪鬼にやられる前、蓮林 が、雷梛 の町全体に龍目の術をかけておいたらしく、そのおかげで私でも解く事ができた。」
龍目……?そういえば、八咫 と僕に、軽症者を探すように命じて、蓮林 村長はどこかへ行ってしまわれましたね。その時に……?
法術の龍目は、魔除けや、浄化、毒や邪気の浄化をしてくれます。それがあったから、悪鬼の術の効果が半減された……という事らしいです。
邪神に怒られるのも当然です。妖術が使えなければ、悪鬼に対抗できないと思い込んでいたので、修行すれば誰にでもできる法術の力を軽んじていました。
悪鬼に術をかけられる前に、村長が坐禅を組んだのも、金縛りを解く事を見据えた上での事だったのでしょう。坐禅を組んでおけば、丹田(へその下)呼吸がしやすくなります。
丹田呼吸ができれば、普通に深呼吸をするより、はるかに早くリラックスでき、心身も回復できるので、金縛りが解きやすくなる。
経験値が乏しいのは仕方がないとしても、こんな基本中の基本を忘れてたなんて……。
僕は起きあがろうとしました。
「休んでおれ。高熱を出しとったんだ。」
『村長は?』
「無事だ。今朝も様子を見に行ったが、息子が止めるのも聞かず、既に農作業をしておった。」
『良かった……。あの……僕は、どれだけ眠っていたのですか?」
「3日だ。」
『3日もっ⁉︎』
まさか、そんなに眠ってしまっていたとは……。
「あ、あの、……父は?!』
和尚さんの顔が曇りました。
「ミツチが茶徒 に伝えた意味は、生贄の7名が、あの巨木の根が届かぬ範囲にいれば、“その者“達は生贄にならずに済むという事だな?」
『はい。』
僕は、邪神から聞いたままの話を和尚さんにしました。
飛天達がニルフさんなどの悪鬼(=飛天)等を喰らい、自分達の力の糧にしている事。
力を得た飛天達は、術を使って町の人達を腐らせ、聖母を復活させる巨木の肥料としようとしてる事。
巨大な木が天に届くまで成長し、空を覆い尽くすほどの枝や葉が生い茂り、大輪の花が咲くと、飛天の”聖母”が復活する事。
聖母が復活し、天変地異が起これば、シャルを滅ぼした7つの王家の末裔である長が全て死ぬまで続く事。
聖母の復讐を止める術はないが、“7つの王家の末裔である長“達を、復活の前に生贄として捧げれば、天変地異は回避できる事。なぜなら、聖母の目的は、7つの王家の血筋を根絶やしにする事だから。
生贄が助かる方法は、あの巨木の根が届かない場所に移動させる事。気配が分からなければ、血族が耐えたと判断するだろうと。
「いくつかは、我々も把握していた事だが、飛天達が共食いをしていたとは驚きだ。
邪気が浄化されれば、天に戻れるだろうと信じ、長年ニルフさんを封印をしておったが、奴らの糧にされてしまったとは……。」
『シャルの人達は、戦の経験がなかったから、この国に負けてしまったと教わっていたので、穏やかな種族なのだと思ってました。』
「シャルは謎だらけだ。シャル人とは、飛天が転生した種族だと知ったのも、ミツチが邪神から得た情報で初めて知ったしな。」
『それで、父は、助かりそうですか?』
和尚さんの険しい表情や、話をはぐらかす様な感じから、あまり良い結果は聞けなさそうだと分かっていましたが、聞かずにはいられませんでした。
「……既に、雷梛 を含めた5つの都で、人々が腐っていく術がかけられてしまっている。
シャルを滅ぼした 雷梛《らいな》、冠馬 、ネンネ、ゴル、マシュ、オルカ、エアデンの王の末裔の長7名を逃した所で、その術がすぐに解けるのかも分からん。それと、巨木の成長も直ぐに止まるかどうかも。
たった7名を救う為に、大勢を危険に晒す事はできん。」
……やっぱり。そうですよね。
『僕がもっと早く、その情報を邪神から聞いてたら!僕のせいです!』
和尚さんは、僕のおでこから落ちた手拭いを拾い、水が入った桶につけると、絞り、汗まみれの僕の顔を優しく拭ってくれました。
「ミツチのせいではない。その話を一年前に聞いていたとしても、結論は同じだろう。」
『え?』
「かつてこの国が、帝国だった頃、冠馬 、雷梛《らいな》、ネンネ、ゴル、マシュ、オルカ、エアデン の7つの国の関係を強固にする為、政略結婚を頻繁に繰り返しておった。
冠馬 以外の6つの国は、過去に起きた天変地異や、内乱などで滅んでしまったが、7つの王家の血筋は今も残っておる。
その末裔というのが、ミツチやミツチの父親を含めた、今の七耀 王国の貴族達だ。
七耀 王家も、旧冠馬 の末裔ではあるが、他の6つの王家の血も流れておる。
旧エアデン王家は、旧冠馬 王家との繋がりがあったからこそ、圭亜 の領主という地位を得られたはずだしな。」
当たり前すぎてというか、無縁過ぎてすっかり忘れていました。貴族は、王家の血筋だから貴族だという事を。
邪神に、父を連れて国外に逃げろと言われ、ついてっきりエアデン王家の血筋は、父と僕だけなのだと勘違いしてました。
栄亞奠 の氏を名乗っていなくても、約400年も経っていれば、エアデン王家の血筋の人達は、今もどこかにたくさんいるはず。つまりそれは、もし僕らが、巨木の根が届かない場所に逃げてしまえば、エアデン王家の血筋の誰かが生贄候補にされてしまう……。
「生贄の儀式も、天変地異も回避するには、この国の貴族全員が、巨木の根が届かない国外に逃げなければならん。
この国の貴族達は、“7つの王家の末裔“でもあり、“七輝王家“でもあるんだ。」
和尚さんは、ゆっくりと低い声で言いました。
トドメを刺された気分でした。
それでも、どうにか出来ないかと邪神の言葉を思い返してみますが、頭が混乱するばかりです。
『あの……、ちょっと違和感があるんですけど。』
「なんだ?」
『聖母の目的が、七輝王家なり、7つの王家の血筋なりを根絶やしにする事が目的なら、各地にある貴族街を攻撃すれば済む話ですよね?』
「うむ……なぜ貴族街を……狙わないのか……かぁ……。」
『そもそも、戦争の当事者でない人に復讐する意味がわかりません。酷い祖先を持った事に後悔しろとでも言うのでしょうか?
それに、シャルの人達が飛天で、肉体は失っても死ぬ事がない生命体だとするなら、何の為の復讐なのでしょう?家族や友達に、二度と逢えない訳じゃないですよね?』
眉間にシワを寄せた和尚さんは、また唸りながら考え込んでしまいました。
「まさかっ!」
小声で和尚さんはそう言いうと、いきなり立ち上がり、凄い勢いで部屋から出ていってしまいました。
ここにいた方がいいのだとは思いますが、父の命がかかっているのだと思うと、居ても立ってもいられず、和尚さんの後を追いかける事にしました。
立ち上がった瞬間、ちょっと立ちくらみがしましたが、そんな事気にしている場合ではありません!
急いで廊下へ出ると、和尚さんが、地下にある書庫室に入っていくのが見えました。急ぎましょう。
ひんやりとした広い書庫室に入ると、和尚さんは手持ち行灯の蝋燭に火をつけ、真っ直ぐ一番奥の一枚岩でできた大きな扉へと向かいました。
その扉の左右には、巨大な斧を持った僧武者の石像が、斧で通せんぼうをするように立っています。
因みに、僕はこの先へは一度も入った事がありません。お師匠さんにねだった事もありましたが、「妖術士になるまで絶対にダメ!」と断られてしまいました。
和尚さんは、何やら呪文を唱え、最後に空を切るように人差し指と中指で何かを宙に描きました。
すると、ゴゴゴッっと凄い音を立てて、僧武者の石像が外側に回転し、奥の石扉が自動で開きました。
心の中で、凄い!っと驚いていたのですが、扉の奥は、何もないからっぽの小さな部屋があるだけ。泥棒にでも入られたんでしょうかね?
和尚さんは、迷わず中に入ったので、僕も慌てて後に続きました。和尚さんは僕に気付いている様でしたし、何も言わないので、多分ご一緒していいのでしょう。
小部屋の中央の石の床には、呪術陣が彫り込まれていて、和尚さんは、その中央に立つと、また呪文を唱え出しました。
すると、呪術陣の床の部分だけが昇降機になっているのか、ゴゴゴっと下に降り始めたのです。
『エッ?!』
「中央におれ。挟まれるぞ。」
僕は、慌てて這いずるように和尚さんの近くに寄りました。
暗闇の中をずーっと長い間降り、地の底まで続くんじゃないかと心配になり始めた頃、ドドーンっとやっと昇降機が止まりました。
昇降機の扉が開くと、その先には、広い空間が広がっていました。っというか、そこは大きな鍾乳洞でした。
鍾乳洞の天井にぶら下がっている土ボタルの光が星空のように綺麗で、広大な空間なだけに、夜空かと勘違いしてしまいそうです。
下の方には、川が流れているのか、水が流れるような音がし、遠くの方では滝が落ちる音まで聞こえてきます。
こんな巨大な鍾乳洞が山の中にあったとは……。
30畳ほどの岩棚に、本棚や、変な大きな装置とか、大きな木箱が沢山ありました。倉庫として利用しているのでしょうか?
っというか、めちゃくちゃ寒いです。鳥肌が立ち、カチカチと歯が鳴っています。
「ほれ、これでも羽織っておけ。」
和尚さんが、近くにあった厚手の毛布を僕に渡してくれました。
僕は、急いでその毛布を体に巻き付けましたが、毛布はひんやりしてて、温かいのか分かりません。
『あ、ありがとうございます。あの、ここはなんですか?』
「簡単に言うと、秘密基地だな。宝なんてないが。
とはいえ、ここにある品々の殆どは“いわく付“だからうっかり触らんように。命が惜しけりゃな。」
『えぇっ?!』
寒過ぎて気付きませんでしたが、ここは邪気が凄いです。
きちんと封印がされているので、近づかなければ邪気にあてられるという事はなさそうですが、ちょっと気を緩ませると、「開けろ〜」「助けて〜」などの不気味な声が聞こえてきます。
なるほど、妖術士以外立ち入り禁止な訳です。
僕は、急いで近くの本棚から離れました。
ハハハと笑いながら和尚さんは、大きな岩の暖炉に火をつけ、岩壁に設置してあるいくつかの松明にも火を灯しました。
「さて……。」
和尚さんは、僕がさっき離れた本棚へ近寄り、何やら古そうな資料を引っ張り出しました。
「私の師匠が書いた…あの巨木についての調査資料だ。そして……。」
資料の何冊かを本棚から引っ張り出すと、和尚さんは別の本棚に移動し、今度は何冊かの圭亜 命名名簿帳を引っ張り出しました。
そして、調査資料と名簿を、暖炉の側にある大きな木の卓に広げました。
「ミツチ。この名簿から、お前の父、栄亞奠 由椏 の名を探し出してくれ。」
『は、はい!』
これから何を調べるのでしょう?
命名名簿の項目には、圭亜 で生まれた人達で、布能洲 寺の歴代和尚様に命名された人達の“氏名(命名)“、“親の名“、“住所“、最後に赤い墨で塗られた空欄がありました。
何故赤く塗られているのでしょう?気にはなりましたが、父の名を探しました。
和尚さんはというと、和尚さんのお師匠さんが書かれた調査資料を熱心に調べています。
『ありました。栄亞奠 由椏 。』
「そうか。見せてみろ。」
僕は、栄亞奠 由椏 と書かれた欄を指しました。
和尚さんは、名簿を受け取ると、栄亞奠 由椏 と書かれた欄の、赤い空欄部分に右手をかざし、ゴニョゴニョと呪文を唱え始めました。
聞いた事もない言語なのと、凄い早口だったので、何を言っているのかさっぱりです。
呪文が唱え終わるや否や、赤い空欄部分がピカーっと赤く光りだしました。
それはあまりにも眩しすぎて、僕は思わず顔を逸らしてしまいました。
光が消え、和尚さんはコクリ頷くと、再び調査資料の方へ目を向けました。
「今度は、栄亞奠 櫂 の名を探してくれ。多分、100年から130年前にあるはずだ。」
『そんなに昔の?』
僕は、100年代前と130年前の命名名簿30冊を手に取りました。これは大変そうです。
父の名が載った名簿は、まだ字が読みやすかったのですが、100年以上も前となると、紙が黄ばみ、字が薄れてしまっているだけでなく、達筆過ぎて非常に読み難いです。
それでも数時間、四苦八苦しながら目を凝らして調べていると、それらしい文字がやっと見つかりました。
『あ、ありました!栄亞奠 櫂 。……多分。』
和尚さんは、また、その名簿の栄亞奠 櫂 と書かれた横の赤い空欄部分に向かって術を唱えました。そして、先程のように、赤い空欄部分が赤く光りました。
今度は、目を覆い細め、何が見えるのか見てみました。が、やはり眩し過ぎるのか、何が見えるのかわかりません。和尚さんには、一体何が見えているのでしょう?
「やはり!」
和尚さんは満足そうに頷くと、僕の方を振り向きました。
「もう40年も前か……、私の師匠が亡くなる少し前、この資料を託されたのだ。
“7つの王家の末裔の長“を、巨木の花が咲く前に捧げれば、天変地異を回避できる。大昔、悪鬼ニルフさんを捕らえた時、当時の布能洲 寺の和尚が、その情報を聞き出したそうだ。
次に巨木が現れた時、半信半疑ではあったが妖術士達と祈祷師教会は、冠馬 、雷梛《らいな》、ネンネ、ゴル、マシュ、オルカ、エアデンの末裔の長を生贄とし、密かに捧げた。公には不幸な事故が起きたと言ってな。
生贄を捧げた翌日、巨木は消え、天変地異は起こらず、悪鬼ニルフさんの情報は正しかった事が証明された。
以来、“7つの王家の末裔の長“達を、巨木が現れる度に、密かに捧げる様になった。」
人間達は、その情報を、ニルフさんから聞いていたのですね。
「……師匠は、幼少期にあの巨木を初めて視た時から興味を持ってしまい、妖術士となったのも、それを研究する為だったそうだ。
この国の7つの王家に復讐を果たそうとするのなら、何故一気に貴族街を破壊し、貴族達を根絶やしにしないのだろう?とミツチと同じように疑問を抱いておられた。
更に、そもそもそのニフルという悪鬼は、“7つの王家の末裔の長“を捧げさせる行為が復讐だと言ったであろうか?
大抵、鎮魂系の生贄儀式は、人々の記憶を風化させぬ為に、定期的に行わなければならぬ場合が多いが、なぜ、巨木は不定期で現れる?
巨木が誰にでも視えるものならそれでも良いだろうが、霊視できぬ者には見えんし、もちろん生贄達にも視えていない。
それでは、王族達にも貴族達にも、シャルを滅ぼした行為を後悔させる事も、反省させる事もできないではないか。
シャルがこの国を恨んでいるのは事実だろうが、生贄の目的は、もっと別の根深いモノがあるのではないか?と。」
……そう言われてみれば。
邪神から、七輝王家への復讐が目的だとは聞きましたが、それはあくまで邪神の考え。邪神は、飛天達から直接聞いたと言ったでしょうか?
凄い力を持つ邪神がそう言うのだからと、疑いもせず信じてしまいましたが、何か違和感があり、その違和感があるから、父を助け出す手段があるのではないかと勘違いしてしまった様に思えます。
「まぁ……師匠が存命中に巨木が現れたのは、幼少期と20代の頃の2度だけだったから、調査は中途半端なまま終わってしまったのだがな。」
和尚さんは、優しく資料を撫でました。けれど、表情は険しく、悲しみ……というより後悔の色が見えたように感じました。
「魂名の話は、茶徒 から聞いたな?」
『はい。前世にも来世に、永遠についてまわる名だと。』
「栄亞奠 由椏 は、現在35歳だ。前回巨木が現れた、73年前には生まれていない。」
『はい……。』
「師匠の資料と、命名名簿のおかげで、73年前に生贄にされた栄亞奠 家の長、栄亞奠 櫂 の魂名と、ミツチの父、栄亞奠 由椏 の魂名が同じだと分かった。そして、生贄にされた年齢も35歳と同じだったと言う事も。」
『ま、まさか!!』
僕は、ゴクリと唾を呑み込みました。
『それって、ずっと同じ魂の人が、生贄に?……で、その魂は……、シャルを滅ぼした王の一人、エアデン王⁉︎』
「それは分からん。エアデン王の魂名は分からんし、それより前の命名名簿はあるにはあるのだが、魂名までは記載されておらんから確かめようがない。
それと、この事は、師匠が個人的に調べていただけ。総本山に報告はしていただろうが、貴族街や他の地域で、魂名まで記録させていたか……。」
和尚さんは首を横に振りました。
多分、他の地域でも、前回の生贄の魂名と、今回の生贄の魂名を照合してはいないでしょう。もし、していたら今回の生贄の方が産まれた時点で気づいたはず。今日までその報告が全くない……のが、その証拠。
『魂が、子孫に生まれ変わるって事は珍しいのですか?それともよくある事なのですか?』
「それも残念ながら分からん。
アレも託されたのだが、手つかずだ……。」
和尚さんは悲しそうな顔で、奥にある一際大きな木箱を見つめ、深いため息を吐きました。
きっとその中に、魂名の研究資料が沢山あるのでしょう。
「“7つの王家の末裔の長“達は、あの巨木の樹洞に入れられる。だが、生贄以外の者はどうやっても入れないらしい。故にその後、生贄達がどうなるかは知られていない。
師匠は、巨木はどのようにして、その者が生贄か、そうで無いかの区別をするのか、調査すべきだと訴えた。その者達が選ばれた理由が必ずあるはずだと。“生まれ変わり“とか。
だが、他の妖術士や祈祷師教会は、態々“7つの王家の末裔の長“とあちらが要求しているのだから、当然区別がつくのだろう。生まれ変わりだなんて小説の中だけだ……と取り合わなかった。……この私も。」
確かに、生まれ変わりなんて突拍子もない発想ですから、素直に信じるのは難しいかもしれません。
僕が、こうしてすんなり生まれ変わり説を受け入れられたのは、魂名が今回の生贄と、前回の生贄の魂名が同じという証拠があったからですし。
「決して師匠を侮っていたのではない。術に関しても怪異に関しても研究熱心で、誰よりもそういった知識が豊富だったからな。後にも先にも、師匠以上の妖術博士を私は知らん。
ただ……私は、今回のあの巨木が現れるまで、一度も見た事がなかった故、巨木に関しても、魂名の研究に関しても、師匠の様に興味が持てなかったのだ。」
和尚さんは、暖炉の前の椅子に腰掛けると、俯いてしまわれました。
仕方がないと思いました。そのお師匠さんだって、子供の頃に視たから興味が湧いたのですから。目にしなければ、危機感も生まれないでしょうし、人生に一度か二度で、解決方法も既にあるのであれば、関心度は低くなるでしょう。
『お師匠さんは、生まれ変わりの可能性から、魂名に着目されたのですね?』
「そうだ。師匠は、この資料を私に託した時、栄亞奠 櫂 と同じ魂名の者を探せと言っておったのだ。
約束通り、栄亞奠 家の者達だけでなく、圭亜 で生まれた者で、私が命名した者達の魂名は、全てここに記録していた。
だが、不覚にも私は、栄亞奠 櫂 の魂名を調べておかなかった。今度今度と後回しにしておったのだ。一番最初に知っておくべき事だったのに。
師匠の推理は正しかった。悔やんでも悔やみきれん!」
バン!バン!と和尚さんは、剃り上がった自分頭を何度も大きな手で叩きました。
和尚さんの職務は多忙です。最優先事項をこなしていくのに手一杯。ちょっと気になる程度の事にまで、気なんて回らないと思います。まして、100年以上も前の命名名簿なんて調べている時間などないでしょう。
それに魂名は、その人の来世にも関わる重要な名前。気軽に口頭で伝えていい事ではありません。まして、歴史に関わる重要人物の魂名なんて。
『もし僕なら、自分に酷い事をした人には、もう二度と会いたいとは思いません。
でも、どうしても会わなければならないとするなら……、何か……その人が……僕にとっての重要な物を持っているとか、情報を持っている……とかだと思うんです……。」
そこまで言って、何を馬鹿な事を言ってしまったんだろうと恥ずかしくなってしまいました。僕と聖母が同じ考え方をするはずがありません。
『す、すみません。勘繰りすぎですよね……。』
「いや、シャルの民が、不死の生命体であるのなら……、その線もあるのやもしれん。
シャルを滅ぼした7人の王達しか知らない何かがあり、それを知るか見つける為に、生贄という形で呼び出し、何らかの術を使って、前々……前々前世の記憶を思い出させているという事はないだろうか?」
『……けれど、王達はなかなかそれを白状しない。……とすると。』
「それは、命を懸けてでも言えない何かだ。」
『一体、それは何なんでしょう?』
「……検討もつかんな。
だが、もしこの説が正しいとするなら、分かった事が一つある。」
『え?』
「生贄達を、国外だろうが、決して逃してはならんという事だ。」
『どういう事ですか?居ないと分かれば、聖母は諦めるんじゃないんですか?』
「果たしてそうかな?
人が死ねば、その魂がどうなるのかは分からん。だが、聖母には、その魂が転生したかどうかが分かる能力がある。
つまりそれは、その魂が、この世にいるか、あの世にいるか分かるという意味ではないか?」
『あの世にいないと分かれば、逃げたと判断される……と?それって……。』
和尚さんは、静かに頷きました。
「邪神はずっとダンマリだったのに、最近になってミツチに助言をするようになったな。父親を連れ、遠くへ逃げろなどと。」
『まさか、嘘?邪神が……僕を利用してたと?中立だって言ってたのに、本当は飛天の味方だったって事ですか?』
「味方かは分からんが、この国を滅ぼしたいとは思っておるだろうな。」
……ショックでした。言葉を交わしたせいでしょうか?勝手に仲良くなった気がしていたのかもしれません。
そうですよね。食べ物に釣られて、僕に宿る事にしたなんて嘘に決まってますよね。本当は神でも何でもないんですから、嘘ぐらい……。
『ですが、人間への憎悪は、封印したはず。』
「それは、その時までの憎悪だ。感情を封印したわけではない。」
『そう……ですね……。』
一瞬、僕はひやっとしました。
『和尚さん!この話、邪神に聞かれてるんじゃ……。』
「聞かれてるのではない。聞かせておるのだ。」
和尚さんの声は、決して大きくはありませんでした。むしろ、ゆっくりで低く静か。なのに、胆が縮み上がりそうな程の怒気がありました。
「嶺文 や私が近くにおらぬ時だけ現れ、純心な子供を利用するとは。恥を知れ恥を!」
“チッ!“
今頭の中で、舌打ちが聞こえたような気がしました。
次の瞬間、僕の意識は、灯りを消したかのように失くなってしまったのです。
『調子に乗るな。クソ坊主!』
少年の声とは思えない怒声が、鍾乳洞中に響き渡った。
『恥だと?恥は貴様ら人間の方だろ?!
何百年も何千年も同じ過ちを繰り返しおって。
その都度、巻き込まれる側の事を考えた事があるのか?
11年前の件に関しては、もうどうでも良い。
だが、この小僧に宿ってからの11年。人間共の身勝手さにはますます呆れるばかりだ。』
李庵 和尚は、深いため息を吐いた。
「それが、子供を利用していいという言い訳か?
目的はなんだ?飛天に同情でもしたのか?」
『飛天の奴らもどうでもいい!
奴らも、人間と対して変わらんからな。聖人君子ぶってはおるが、聖母の為なら何でもするムカつく奴らだ。』
「聖母の為?復活の為ではないのか?」
『同じ意味だろ?貴様も、小僧のように、重箱の隅を突くタイプか?
ワシは、人間と飛天が相討ちになって、双方が消えてくれればいいと思っただけだ。
目の前に小石があったから、投げたのだ。』
邪神に憑依された少年は、不敵な笑みを浮かべ、フンと鼻で笑った。
「その子はただの小石ではない。金にも金剛石にもなる。環境次第でな。」
『どうだか。
もう邪魔はしないが、ワシはこのガキから出て行く。そもそも、このガキの魂など、腹の足しにもならんしな。』
「……飛天側につくのか?」
『まさか。くだらない争い事にはうんざりだ。』
「そうか。好きにせい。
だが、その子との契約を反故にするのだから、それなりの代償は払え。」
『はぁ?そんな事言える立場か?今すぐ寺ごと破壊し、全員殺してやってもいいのだぞ?』
李庵 和尚は動じる様子もなく、赤く光っている少年の目をじっと見つめた。
『分かった。一つだけ質問に答えてやる。』
「飛天の真の目的は何だ?」
『やはり、その事か……。』
少年は、どう答えようか考えているかのように、少しウロウロと歩き、足を止めると、真剣な顔で李庵 和尚を見つめました。
『奴らの目的はただ一つ。聖母の夫の行方だ。』
その男は、人間で、人間がシャルを襲う事になった張本人だ。
……更に、その男が姿を現さなければ、飛天は絶滅する。』
「どう言う事だ?」
『質問は、一つだけだ。後は、自分で調べろ。答えはここにある。』
不敵な笑みを浮かべながら少年は両腕を広げた。そして、糸が切れた操り人形の様に、冷たい岩の床にぐったりと倒れた。
僕は邪神に訴えました。
『お願いです!なんとかして下さい!!』
“さっきっから、お願いばかりじゃないか。考えろ!努力しろ!10代のニキビ男子が、甘えん坊キャラとか、キモいわ!“
キモい……。確かに、最近修業とかストレスとかで、ニキビがちょこっとできてしまいましたが、ブツブツではありません!!
『考えても分からないから聞いてるんです。
それに、妖術も使えない僕なんかに、悪鬼(=飛天)の術なんて破れっこないです。
ですが貴方は、悪鬼以上の存在なはず。本当はどうにかできるのでしょ?』
“確かに、ワシが悪鬼とガチンコでやり合ったら、ワシが勝つ。
だがワシには、人間共の味方をする理由は無いし、飛天と敵対する理由も無い。
ワシは中立的立場。できる事は、温かい目で貴様を見守る事だな。“
え〜……。
『で、崖から落ちた時みたいに、助けてくれないんですか?僕を守るという契約があるでしょ?』
“前に言ったはずだ。飛天とのやりとりは別だと。ワシは中立的立場だからだ。自分で何とかしろ!“
『動けないんです!呪文も唱えられません!』
“ったく、やる前から諦めとる。諦めたら人生終了だぞ!!“
邪神は、体育会系的な事を言いだしました。脳みそに青春でも詰まっているのでしょうか?
“今の状況を言ってみろ?“
『……どうしようもない……以外に何か?』
“術の話をしてる。和尚から何を習ってんだ?“
『今は……腐っていく術がかけられてます!そして、動けません!』
“体を硬直させる術は?“
『……金縛り……、石化……、それぐらいしか思いつきません。』
“金縛りは基本中の基本。妖術士でなくても、誰にでも解ける術だ。“
『はぁ?』
誰にでもって……。町中の人達は動けないままじゃないですか。たかが金縛りなわけないですよ。
“金縛りを解く方法を言ってみろ。“
僕はイライラっぷりをアピールする為、ぶっきらぼうに答えました。
『……深呼吸をしてから、ゆっくり指から一本づづ動かすんです。でも!悪鬼(=飛天)がかけた術なんですよ!そんな方法で解けるわけないじゃないですか!?』
“本当か?じゃあ、とりあえずそれを試してみろ。
ワシが正しかったら、鳳凰福園の塩大福つぶあんを毎日買うんだ。で、間違ってたら、貴様が死んだ時、魂を頂く契約を破棄してやる。“
塩大福と、僕の魂を天秤にかけるなんて、失礼にも程がある!
『分かりました!やればいいんでしょ。やれば!』
半信半疑で僕は、深呼吸を試みました。
『体の感覚がないので、深呼吸なんてできません。』
“イメージだ。呼吸するイメージをするんだ。それを、ワシがいいと言うまで続けろ。はい、吸って〜、吐いて〜、吸って〜……。“
そんな教え方、どこで覚えたんだか……。僕が寝ている間に僕の体を勝手に使って、ヨガ教室で覗きでもしているんじゃないか心配になってきました。
別の事で不安になりながらも、言われるがまま呼吸をするイメージを繰り返しました。
どれぐらい経ったでしょうか?多分、30分ぐらいは経ってしまっていたと思います。いい加減うんざりしてきた頃、僅かに肺が動いたような感じがしました。
えっ?っと戸惑いつつも、邪神の「吐いて〜、吸って〜」に合わせ呼吸を繰り返しいていると、鼻が動き、空気が鼻から肺に伝わっていくのが感じられたのです。ウソでしょ⁈
“はい、じゃあ、今度は右手の小指を動かしてみろ。“
驚きながら右手の小指に神経を集中し、「動け」と念じながら動かすイメージをしました。
“深呼吸も忘れるな。呼吸に合わせて動かすイメージだ。吸って〜、吐いて〜、吸って〜……。“
先程までは半信半疑だったので、あまり集中していませんでしたが、今度は丹田(ヘソの下辺り)を意識しながら深呼吸を繰り返してみました。
“それにしても分からんな。
父親といえ、赤の他人も同然だったのだろう?それに、お前の事を大事にしていた母親を死に追いやった張本人だ。なぜ、そうまでして救いたい?“
『……別に。父だけを助けたい訳ではありません。他の生贄の方々もです。
助けられるなら、助けたい。……普通です。』
“そいつらは良い奴なのか?そうでないだろ?そんな奴らを生かした所為で、そいつらが将来、多くの善人を苦しめないと言えるか?“
『…………。』
“お前が、あの男を助けたいのは。自分が理想とする父親像を諦め切れとらんからだろ。救って、優しい言葉をかけてもらいたいのではないか?“
『…………。』
そんなんじゃない!……とは否定できませんでした。
八咫にも遠回しに指摘されてしまっていた事だったからです。頭では父が酷い人間とは分かってはいますし、憎むべき相手なのも分かってはいます。それなのに、父からの愛情を受けたいと願ってしまう自分がいて、頭と心が一致しないのです。
何度か指を動かすイメージをしながら、深呼吸を繰り返していると、小指がわずかに動くのを感じました。
『動いた!』
小指から薬指と、次々に指を動かし、全部の指が動くようになり、足の指、腕、脚、首も。
“ほれみろ。動いた。ワシの勝ちだ。“
『なぜ?!どうして?!何か術を使ったのですか?』
“使っとらん。一般的な金縛りの原因を言ってみろ。“
意図が分からない僕は、戸惑いながら答えました。
『えっと……。身体は眠っているのに、脳が目覚めてしまったから。いわゆる睡眠麻痺状態です。その要因は、重度のストレスとか、疲労からです。』
ふむふむと邪神が偉そうに言ってます。
“心霊現象による金縛りは、術でその要因となるストレスや疲労を過度に与え、金縛りがかかりやすい状態にするだけで、体を硬直させるわけじゃない。石化以外はな。
それなら、そのストレスと疲労を解消してやれば良い。それが深呼吸だ。“
『でも、これが石化術だったって可能性もありましたよね?』
“石化はない。腐らんかったら、あの巨木の
気のせいでしょうか?邪神が、まるで神の様に思えてしまいました。
『……ありがとうございます。』
“塩大福忘れんな。鳳凰福園のだぞ。つぶあんだ!“
『は、はい。』
やっぱりただの食いしん坊さんでした。
“あ、そうそう。腐っていく術は解けとらんから、あの飛天を退治するなりしてどうにかしろ。“
『ええぇ?!』
邪神に、あれこれ問いましたが、それ以降、全く答えてくれなくなってしまいました。
時間切れでしょうか?
最後に瞼が動くようになり、目が開くと、驚いた事に
そうですよね。僕が解けたのですから、元妖術士の村長が解けないはずありませんよね……。
「おや、ミツチも動ける様になったんだね。解いてやろうかと思ってたんだが、さすが優等生。」
『え?あぁ……はぁ……。』
なんだか損をした気分です。もう少し待っていたら、村長が金縛りを解いてくれていたのかと思うと。
いえ、塩大福を食べるのは、結局僕(=邪神)なんですけど、お金がもったいないです。鳳凰福園の塩大福は高いので。ニキビも増えてしまいますし。
「腐っていく術は解く事はできないから、急いで
僕は頷くと、
日が暮れた頃にとった最初の休憩で、邪神が言っていた巨木が見えないか、西の空を見ました。
が、何も見えませんでした。暗くなってきたからなのか、遠すぎるのか分かりませんが、直ぐに見える様な物なら、行く時に気づいたはずですよね。
「ミツチ、疲れてるだろうが、そろそろ出発しよう。」
『あっ、はい。』
最後に、あまり体力は使いたくなかったのですが、好奇心に負けて霊視をすると……、うっすらですが、青白く光っている細長い線が、空まで伸びているのが視えました。
あれだ!
枝葉は、まだ伸びでいないので、天変地異までの時間はありそうですが、 雷梛《らいな》の町の人達の事を考えると、やはり急がなければなりません。
「ミツチ、どうしたんだい?」
『……いえ。なんでもありません。行きましょう!』
僕らが
時間がないので、ほぼ休まず走ってきたのですが、腐っていく術をかけられているせいか、体がむくみ始め、だるく、特に足の痛みが酷くて、門に着いた時は、気絶する様に倒れ込んでしまいました。
幸い、寺の門では、
『ちゃ
たぶん僕はそう言って、意識を失ったと思います。
目覚めると、目の前には心配そうな顔の和尚さんがいました。
僕が目を覚したのを見て、和尚さんが柔らかく微笑んでいます。
「安心しろ。もう大丈夫だ。体が腐っていく術も解いた。
悪鬼にやられる前、
龍目……?そういえば、
法術の龍目は、魔除けや、浄化、毒や邪気の浄化をしてくれます。それがあったから、悪鬼の術の効果が半減された……という事らしいです。
邪神に怒られるのも当然です。妖術が使えなければ、悪鬼に対抗できないと思い込んでいたので、修行すれば誰にでもできる法術の力を軽んじていました。
悪鬼に術をかけられる前に、村長が坐禅を組んだのも、金縛りを解く事を見据えた上での事だったのでしょう。坐禅を組んでおけば、丹田(へその下)呼吸がしやすくなります。
丹田呼吸ができれば、普通に深呼吸をするより、はるかに早くリラックスでき、心身も回復できるので、金縛りが解きやすくなる。
経験値が乏しいのは仕方がないとしても、こんな基本中の基本を忘れてたなんて……。
僕は起きあがろうとしました。
「休んでおれ。高熱を出しとったんだ。」
『村長は?』
「無事だ。今朝も様子を見に行ったが、息子が止めるのも聞かず、既に農作業をしておった。」
『良かった……。あの……僕は、どれだけ眠っていたのですか?」
「3日だ。」
『3日もっ⁉︎』
まさか、そんなに眠ってしまっていたとは……。
「あ、あの、……父は?!』
和尚さんの顔が曇りました。
「ミツチが
『はい。』
僕は、邪神から聞いたままの話を和尚さんにしました。
飛天達がニルフさんなどの悪鬼(=飛天)等を喰らい、自分達の力の糧にしている事。
力を得た飛天達は、術を使って町の人達を腐らせ、聖母を復活させる巨木の肥料としようとしてる事。
巨大な木が天に届くまで成長し、空を覆い尽くすほどの枝や葉が生い茂り、大輪の花が咲くと、飛天の”聖母”が復活する事。
聖母が復活し、天変地異が起これば、シャルを滅ぼした7つの王家の末裔である長が全て死ぬまで続く事。
聖母の復讐を止める術はないが、“7つの王家の末裔である長“達を、復活の前に生贄として捧げれば、天変地異は回避できる事。なぜなら、聖母の目的は、7つの王家の血筋を根絶やしにする事だから。
生贄が助かる方法は、あの巨木の根が届かない場所に移動させる事。気配が分からなければ、血族が耐えたと判断するだろうと。
「いくつかは、我々も把握していた事だが、飛天達が共食いをしていたとは驚きだ。
邪気が浄化されれば、天に戻れるだろうと信じ、長年ニルフさんを封印をしておったが、奴らの糧にされてしまったとは……。」
『シャルの人達は、戦の経験がなかったから、この国に負けてしまったと教わっていたので、穏やかな種族なのだと思ってました。』
「シャルは謎だらけだ。シャル人とは、飛天が転生した種族だと知ったのも、ミツチが邪神から得た情報で初めて知ったしな。」
『それで、父は、助かりそうですか?』
和尚さんの険しい表情や、話をはぐらかす様な感じから、あまり良い結果は聞けなさそうだと分かっていましたが、聞かずにはいられませんでした。
「……既に、
シャルを滅ぼした 雷梛《らいな》、
たった7名を救う為に、大勢を危険に晒す事はできん。」
……やっぱり。そうですよね。
『僕がもっと早く、その情報を邪神から聞いてたら!僕のせいです!』
和尚さんは、僕のおでこから落ちた手拭いを拾い、水が入った桶につけると、絞り、汗まみれの僕の顔を優しく拭ってくれました。
「ミツチのせいではない。その話を一年前に聞いていたとしても、結論は同じだろう。」
『え?』
「かつてこの国が、帝国だった頃、
その末裔というのが、ミツチやミツチの父親を含めた、今の
旧エアデン王家は、旧
当たり前すぎてというか、無縁過ぎてすっかり忘れていました。貴族は、王家の血筋だから貴族だという事を。
邪神に、父を連れて国外に逃げろと言われ、ついてっきりエアデン王家の血筋は、父と僕だけなのだと勘違いしてました。
「生贄の儀式も、天変地異も回避するには、この国の貴族全員が、巨木の根が届かない国外に逃げなければならん。
この国の貴族達は、“7つの王家の末裔“でもあり、“七輝王家“でもあるんだ。」
和尚さんは、ゆっくりと低い声で言いました。
トドメを刺された気分でした。
それでも、どうにか出来ないかと邪神の言葉を思い返してみますが、頭が混乱するばかりです。
『あの……、ちょっと違和感があるんですけど。』
「なんだ?」
『聖母の目的が、七輝王家なり、7つの王家の血筋なりを根絶やしにする事が目的なら、各地にある貴族街を攻撃すれば済む話ですよね?』
「うむ……なぜ貴族街を……狙わないのか……かぁ……。」
『そもそも、戦争の当事者でない人に復讐する意味がわかりません。酷い祖先を持った事に後悔しろとでも言うのでしょうか?
それに、シャルの人達が飛天で、肉体は失っても死ぬ事がない生命体だとするなら、何の為の復讐なのでしょう?家族や友達に、二度と逢えない訳じゃないですよね?』
眉間にシワを寄せた和尚さんは、また唸りながら考え込んでしまいました。
「まさかっ!」
小声で和尚さんはそう言いうと、いきなり立ち上がり、凄い勢いで部屋から出ていってしまいました。
ここにいた方がいいのだとは思いますが、父の命がかかっているのだと思うと、居ても立ってもいられず、和尚さんの後を追いかける事にしました。
立ち上がった瞬間、ちょっと立ちくらみがしましたが、そんな事気にしている場合ではありません!
急いで廊下へ出ると、和尚さんが、地下にある書庫室に入っていくのが見えました。急ぎましょう。
ひんやりとした広い書庫室に入ると、和尚さんは手持ち行灯の蝋燭に火をつけ、真っ直ぐ一番奥の一枚岩でできた大きな扉へと向かいました。
その扉の左右には、巨大な斧を持った僧武者の石像が、斧で通せんぼうをするように立っています。
因みに、僕はこの先へは一度も入った事がありません。お師匠さんにねだった事もありましたが、「妖術士になるまで絶対にダメ!」と断られてしまいました。
和尚さんは、何やら呪文を唱え、最後に空を切るように人差し指と中指で何かを宙に描きました。
すると、ゴゴゴッっと凄い音を立てて、僧武者の石像が外側に回転し、奥の石扉が自動で開きました。
心の中で、凄い!っと驚いていたのですが、扉の奥は、何もないからっぽの小さな部屋があるだけ。泥棒にでも入られたんでしょうかね?
和尚さんは、迷わず中に入ったので、僕も慌てて後に続きました。和尚さんは僕に気付いている様でしたし、何も言わないので、多分ご一緒していいのでしょう。
小部屋の中央の石の床には、呪術陣が彫り込まれていて、和尚さんは、その中央に立つと、また呪文を唱え出しました。
すると、呪術陣の床の部分だけが昇降機になっているのか、ゴゴゴっと下に降り始めたのです。
『エッ?!』
「中央におれ。挟まれるぞ。」
僕は、慌てて這いずるように和尚さんの近くに寄りました。
暗闇の中をずーっと長い間降り、地の底まで続くんじゃないかと心配になり始めた頃、ドドーンっとやっと昇降機が止まりました。
昇降機の扉が開くと、その先には、広い空間が広がっていました。っというか、そこは大きな鍾乳洞でした。
鍾乳洞の天井にぶら下がっている土ボタルの光が星空のように綺麗で、広大な空間なだけに、夜空かと勘違いしてしまいそうです。
下の方には、川が流れているのか、水が流れるような音がし、遠くの方では滝が落ちる音まで聞こえてきます。
こんな巨大な鍾乳洞が山の中にあったとは……。
30畳ほどの岩棚に、本棚や、変な大きな装置とか、大きな木箱が沢山ありました。倉庫として利用しているのでしょうか?
っというか、めちゃくちゃ寒いです。鳥肌が立ち、カチカチと歯が鳴っています。
「ほれ、これでも羽織っておけ。」
和尚さんが、近くにあった厚手の毛布を僕に渡してくれました。
僕は、急いでその毛布を体に巻き付けましたが、毛布はひんやりしてて、温かいのか分かりません。
『あ、ありがとうございます。あの、ここはなんですか?』
「簡単に言うと、秘密基地だな。宝なんてないが。
とはいえ、ここにある品々の殆どは“いわく付“だからうっかり触らんように。命が惜しけりゃな。」
『えぇっ?!』
寒過ぎて気付きませんでしたが、ここは邪気が凄いです。
きちんと封印がされているので、近づかなければ邪気にあてられるという事はなさそうですが、ちょっと気を緩ませると、「開けろ〜」「助けて〜」などの不気味な声が聞こえてきます。
なるほど、妖術士以外立ち入り禁止な訳です。
僕は、急いで近くの本棚から離れました。
ハハハと笑いながら和尚さんは、大きな岩の暖炉に火をつけ、岩壁に設置してあるいくつかの松明にも火を灯しました。
「さて……。」
和尚さんは、僕がさっき離れた本棚へ近寄り、何やら古そうな資料を引っ張り出しました。
「私の師匠が書いた…あの巨木についての調査資料だ。そして……。」
資料の何冊かを本棚から引っ張り出すと、和尚さんは別の本棚に移動し、今度は何冊かの
そして、調査資料と名簿を、暖炉の側にある大きな木の卓に広げました。
「ミツチ。この名簿から、お前の父、
『は、はい!』
これから何を調べるのでしょう?
命名名簿の項目には、
何故赤く塗られているのでしょう?気にはなりましたが、父の名を探しました。
和尚さんはというと、和尚さんのお師匠さんが書かれた調査資料を熱心に調べています。
『ありました。
「そうか。見せてみろ。」
僕は、
和尚さんは、名簿を受け取ると、
聞いた事もない言語なのと、凄い早口だったので、何を言っているのかさっぱりです。
呪文が唱え終わるや否や、赤い空欄部分がピカーっと赤く光りだしました。
それはあまりにも眩しすぎて、僕は思わず顔を逸らしてしまいました。
光が消え、和尚さんはコクリ頷くと、再び調査資料の方へ目を向けました。
「今度は、
『そんなに昔の?』
僕は、100年代前と130年前の命名名簿30冊を手に取りました。これは大変そうです。
父の名が載った名簿は、まだ字が読みやすかったのですが、100年以上も前となると、紙が黄ばみ、字が薄れてしまっているだけでなく、達筆過ぎて非常に読み難いです。
それでも数時間、四苦八苦しながら目を凝らして調べていると、それらしい文字がやっと見つかりました。
『あ、ありました!
和尚さんは、また、その名簿の
今度は、目を覆い細め、何が見えるのか見てみました。が、やはり眩し過ぎるのか、何が見えるのかわかりません。和尚さんには、一体何が見えているのでしょう?
「やはり!」
和尚さんは満足そうに頷くと、僕の方を振り向きました。
「もう40年も前か……、私の師匠が亡くなる少し前、この資料を託されたのだ。
“7つの王家の末裔の長“を、巨木の花が咲く前に捧げれば、天変地異を回避できる。大昔、悪鬼ニルフさんを捕らえた時、当時の
次に巨木が現れた時、半信半疑ではあったが妖術士達と祈祷師教会は、
生贄を捧げた翌日、巨木は消え、天変地異は起こらず、悪鬼ニルフさんの情報は正しかった事が証明された。
以来、“7つの王家の末裔の長“達を、巨木が現れる度に、密かに捧げる様になった。」
人間達は、その情報を、ニルフさんから聞いていたのですね。
「……師匠は、幼少期にあの巨木を初めて視た時から興味を持ってしまい、妖術士となったのも、それを研究する為だったそうだ。
この国の7つの王家に復讐を果たそうとするのなら、何故一気に貴族街を破壊し、貴族達を根絶やしにしないのだろう?とミツチと同じように疑問を抱いておられた。
更に、そもそもそのニフルという悪鬼は、“7つの王家の末裔の長“を捧げさせる行為が復讐だと言ったであろうか?
大抵、鎮魂系の生贄儀式は、人々の記憶を風化させぬ為に、定期的に行わなければならぬ場合が多いが、なぜ、巨木は不定期で現れる?
巨木が誰にでも視えるものならそれでも良いだろうが、霊視できぬ者には見えんし、もちろん生贄達にも視えていない。
それでは、王族達にも貴族達にも、シャルを滅ぼした行為を後悔させる事も、反省させる事もできないではないか。
シャルがこの国を恨んでいるのは事実だろうが、生贄の目的は、もっと別の根深いモノがあるのではないか?と。」
……そう言われてみれば。
邪神から、七輝王家への復讐が目的だとは聞きましたが、それはあくまで邪神の考え。邪神は、飛天達から直接聞いたと言ったでしょうか?
凄い力を持つ邪神がそう言うのだからと、疑いもせず信じてしまいましたが、何か違和感があり、その違和感があるから、父を助け出す手段があるのではないかと勘違いしてしまった様に思えます。
「まぁ……師匠が存命中に巨木が現れたのは、幼少期と20代の頃の2度だけだったから、調査は中途半端なまま終わってしまったのだがな。」
和尚さんは、優しく資料を撫でました。けれど、表情は険しく、悲しみ……というより後悔の色が見えたように感じました。
「魂名の話は、
『はい。前世にも来世に、永遠についてまわる名だと。』
「
『はい……。』
「師匠の資料と、命名名簿のおかげで、73年前に生贄にされた
『ま、まさか!!』
僕は、ゴクリと唾を呑み込みました。
『それって、ずっと同じ魂の人が、生贄に?……で、その魂は……、シャルを滅ぼした王の一人、エアデン王⁉︎』
「それは分からん。エアデン王の魂名は分からんし、それより前の命名名簿はあるにはあるのだが、魂名までは記載されておらんから確かめようがない。
それと、この事は、師匠が個人的に調べていただけ。総本山に報告はしていただろうが、貴族街や他の地域で、魂名まで記録させていたか……。」
和尚さんは首を横に振りました。
多分、他の地域でも、前回の生贄の魂名と、今回の生贄の魂名を照合してはいないでしょう。もし、していたら今回の生贄の方が産まれた時点で気づいたはず。今日までその報告が全くない……のが、その証拠。
『魂が、子孫に生まれ変わるって事は珍しいのですか?それともよくある事なのですか?』
「それも残念ながら分からん。
アレも託されたのだが、手つかずだ……。」
和尚さんは悲しそうな顔で、奥にある一際大きな木箱を見つめ、深いため息を吐きました。
きっとその中に、魂名の研究資料が沢山あるのでしょう。
「“7つの王家の末裔の長“達は、あの巨木の樹洞に入れられる。だが、生贄以外の者はどうやっても入れないらしい。故にその後、生贄達がどうなるかは知られていない。
師匠は、巨木はどのようにして、その者が生贄か、そうで無いかの区別をするのか、調査すべきだと訴えた。その者達が選ばれた理由が必ずあるはずだと。“生まれ変わり“とか。
だが、他の妖術士や祈祷師教会は、態々“7つの王家の末裔の長“とあちらが要求しているのだから、当然区別がつくのだろう。生まれ変わりだなんて小説の中だけだ……と取り合わなかった。……この私も。」
確かに、生まれ変わりなんて突拍子もない発想ですから、素直に信じるのは難しいかもしれません。
僕が、こうしてすんなり生まれ変わり説を受け入れられたのは、魂名が今回の生贄と、前回の生贄の魂名が同じという証拠があったからですし。
「決して師匠を侮っていたのではない。術に関しても怪異に関しても研究熱心で、誰よりもそういった知識が豊富だったからな。後にも先にも、師匠以上の妖術博士を私は知らん。
ただ……私は、今回のあの巨木が現れるまで、一度も見た事がなかった故、巨木に関しても、魂名の研究に関しても、師匠の様に興味が持てなかったのだ。」
和尚さんは、暖炉の前の椅子に腰掛けると、俯いてしまわれました。
仕方がないと思いました。そのお師匠さんだって、子供の頃に視たから興味が湧いたのですから。目にしなければ、危機感も生まれないでしょうし、人生に一度か二度で、解決方法も既にあるのであれば、関心度は低くなるでしょう。
『お師匠さんは、生まれ変わりの可能性から、魂名に着目されたのですね?』
「そうだ。師匠は、この資料を私に託した時、
約束通り、
だが、不覚にも私は、
師匠の推理は正しかった。悔やんでも悔やみきれん!」
バン!バン!と和尚さんは、剃り上がった自分頭を何度も大きな手で叩きました。
和尚さんの職務は多忙です。最優先事項をこなしていくのに手一杯。ちょっと気になる程度の事にまで、気なんて回らないと思います。まして、100年以上も前の命名名簿なんて調べている時間などないでしょう。
それに魂名は、その人の来世にも関わる重要な名前。気軽に口頭で伝えていい事ではありません。まして、歴史に関わる重要人物の魂名なんて。
『もし僕なら、自分に酷い事をした人には、もう二度と会いたいとは思いません。
でも、どうしても会わなければならないとするなら……、何か……その人が……僕にとっての重要な物を持っているとか、情報を持っている……とかだと思うんです……。」
そこまで言って、何を馬鹿な事を言ってしまったんだろうと恥ずかしくなってしまいました。僕と聖母が同じ考え方をするはずがありません。
『す、すみません。勘繰りすぎですよね……。』
「いや、シャルの民が、不死の生命体であるのなら……、その線もあるのやもしれん。
シャルを滅ぼした7人の王達しか知らない何かがあり、それを知るか見つける為に、生贄という形で呼び出し、何らかの術を使って、前々……前々前世の記憶を思い出させているという事はないだろうか?」
『……けれど、王達はなかなかそれを白状しない。……とすると。』
「それは、命を懸けてでも言えない何かだ。」
『一体、それは何なんでしょう?』
「……検討もつかんな。
だが、もしこの説が正しいとするなら、分かった事が一つある。」
『え?』
「生贄達を、国外だろうが、決して逃してはならんという事だ。」
『どういう事ですか?居ないと分かれば、聖母は諦めるんじゃないんですか?』
「果たしてそうかな?
人が死ねば、その魂がどうなるのかは分からん。だが、聖母には、その魂が転生したかどうかが分かる能力がある。
つまりそれは、その魂が、この世にいるか、あの世にいるか分かるという意味ではないか?」
『あの世にいないと分かれば、逃げたと判断される……と?それって……。』
和尚さんは、静かに頷きました。
「邪神はずっとダンマリだったのに、最近になってミツチに助言をするようになったな。父親を連れ、遠くへ逃げろなどと。」
『まさか、嘘?邪神が……僕を利用してたと?中立だって言ってたのに、本当は飛天の味方だったって事ですか?』
「味方かは分からんが、この国を滅ぼしたいとは思っておるだろうな。」
……ショックでした。言葉を交わしたせいでしょうか?勝手に仲良くなった気がしていたのかもしれません。
そうですよね。食べ物に釣られて、僕に宿る事にしたなんて嘘に決まってますよね。本当は神でも何でもないんですから、嘘ぐらい……。
『ですが、人間への憎悪は、封印したはず。』
「それは、その時までの憎悪だ。感情を封印したわけではない。」
『そう……ですね……。』
一瞬、僕はひやっとしました。
『和尚さん!この話、邪神に聞かれてるんじゃ……。』
「聞かれてるのではない。聞かせておるのだ。」
和尚さんの声は、決して大きくはありませんでした。むしろ、ゆっくりで低く静か。なのに、胆が縮み上がりそうな程の怒気がありました。
「
“チッ!“
今頭の中で、舌打ちが聞こえたような気がしました。
次の瞬間、僕の意識は、灯りを消したかのように失くなってしまったのです。
『調子に乗るな。クソ坊主!』
少年の声とは思えない怒声が、鍾乳洞中に響き渡った。
『恥だと?恥は貴様ら人間の方だろ?!
何百年も何千年も同じ過ちを繰り返しおって。
その都度、巻き込まれる側の事を考えた事があるのか?
11年前の件に関しては、もうどうでも良い。
だが、この小僧に宿ってからの11年。人間共の身勝手さにはますます呆れるばかりだ。』
「それが、子供を利用していいという言い訳か?
目的はなんだ?飛天に同情でもしたのか?」
『飛天の奴らもどうでもいい!
奴らも、人間と対して変わらんからな。聖人君子ぶってはおるが、聖母の為なら何でもするムカつく奴らだ。』
「聖母の為?復活の為ではないのか?」
『同じ意味だろ?貴様も、小僧のように、重箱の隅を突くタイプか?
ワシは、人間と飛天が相討ちになって、双方が消えてくれればいいと思っただけだ。
目の前に小石があったから、投げたのだ。』
邪神に憑依された少年は、不敵な笑みを浮かべ、フンと鼻で笑った。
「その子はただの小石ではない。金にも金剛石にもなる。環境次第でな。」
『どうだか。
もう邪魔はしないが、ワシはこのガキから出て行く。そもそも、このガキの魂など、腹の足しにもならんしな。』
「……飛天側につくのか?」
『まさか。くだらない争い事にはうんざりだ。』
「そうか。好きにせい。
だが、その子との契約を反故にするのだから、それなりの代償は払え。」
『はぁ?そんな事言える立場か?今すぐ寺ごと破壊し、全員殺してやってもいいのだぞ?』
『分かった。一つだけ質問に答えてやる。』
「飛天の真の目的は何だ?」
『やはり、その事か……。』
少年は、どう答えようか考えているかのように、少しウロウロと歩き、足を止めると、真剣な顔で
『奴らの目的はただ一つ。聖母の夫の行方だ。』
その男は、人間で、人間がシャルを襲う事になった張本人だ。
……更に、その男が姿を現さなければ、飛天は絶滅する。』
「どう言う事だ?」
『質問は、一つだけだ。後は、自分で調べろ。答えはここにある。』
不敵な笑みを浮かべながら少年は両腕を広げた。そして、糸が切れた操り人形の様に、冷たい岩の床にぐったりと倒れた。
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