第7話 召喚
文字数 12,481文字
とうとう、お師匠さんが、破門すれすれかどうかも怪しい依頼を引き受けてしまいました。
そうまでして、唐路 様のお母様の出自を伺う必要などあるのでしょうか?和尚様からの手紙で、そうする様に指示をされたのでしょうか?それに大変な事が起こるっとは、どういった事なのでしょう?
「そうか……。引き受けてくれるか。」
唐路 様は、満足そうというか安堵されたように微笑まれました。
側におられた玲奈 様の方は、初めはやや不安げではありましたが、やがて、口をきゅっと結び、決意をされた様に、ゆっくり深く頷かれました。
その日の内に、召喚儀式を行う事となり、僕らは、穴が空いたままの池跡地に立っておりました。
時刻は既に15時を回っております。召喚儀式によって怪異が現れる確率は、術者の技量によりけりですが、現れるまでの時間は、怪異の気分も影響してくるので、早ければ直ぐですが、渋られると何時間もかかる場合も。
怪異が力を増す日暮までには終わらせたい所です。
僕らは、召喚儀式に必要な道具を準備しながら、唐路 様がいらっしゃるのを待っておりました。
屋敷の方から、ザッザッザッっと完全武装をした護衛士達が、隊列を組んで大勢こちらに向かってくるのが見えました。まるで戦場へ向かう軍隊の様です。
その中に、正装をされた唐路 様が、晝馬 護衛士長が押す車椅子に乗って現れました。その横には、青い顔をされた明部 さんの姿まであります。
「あの、唐路 様だけですか?」
お師匠さんは、少し驚いた様に唐路 様に尋ねました。
てっきり、ご自分の生き霊に苦しまれてる鹿野宮 家の方々全員が、参加されるのおかと思っていたので。
なんせ、呪いによって奪われてた”良心”を取り戻した事が原因で、罪悪感に苛まれた結果、生き霊が現れてしまったのですから。
「あぁ、今回は私だけで良い。」
「本当に、そこまでする必要があるのですか?契約を交わせば、今度こそ確実に命を取られますよ。」
「構わない。」
「あなたは、国王以上の権力をお持ちだ。これ以上、何を望むのですか?」
「私利私欲ではないと伝えたはずだが?」
「復讐ですか?」
唐路 様は、首を横に振りました。
「では、なんですか?
今、鹿野宮 家の方々がこの様な状態となってしまい、チャンス到来とばかりに、国王や他の貴族達が、あなた方を失脚させようと動いているからですか?そんな……」
お師匠さんがそう言いかけた所で、唐路 様が、唸る様な声でそれを遮りました。
「私の目的は、その様なくだらない事ではない!」
怒鳴り声ではありませんが、圧迫される様なよく通る声だったので、お師匠さんだけでなく、その場にいた全員が、息を呑み、シーンと静まってしまいました。
「とにかく、初めてくれ。」
「……分かりました。」
お師匠さんは、渋々そう答えると、召喚術の準備を続けました。
召喚陣を描く場所は、安托士 の残留気が一番濃かった池跡地の中央。
別の場所でもいいのですが、なるべくその怪異と縁がある場所の方が、喚びやすいのです。
『安托士 を本当に喚ぶのですか?不味くないですか?』
「怪異を召喚するのは、禁止されてない。」
お師匠さんは、召喚陣の下書きをしながら答えました。
『……そうですけど、呪いの手伝いという事に…なりませんか?』
「だが、もし俺が断れば、きっと呪禁師に依頼しちゃうだろ?そんな事になれば最悪だ。
なんとか呪いをかけさせずに済む方向に仕向けるさ。」
『なんとかって……。大抵の大物妖怪は、悪知恵が回るのでしょ?』
「見くびってなんかいないよ。
それより、命を取りもせず呪いの契約解除をした理由や、長年の縄張りを捨てた理由を、安托士 から聞いてみたい。
むしろ、そっちが本当の目的だ。」
『和尚さんからの指示ですか?』
「まあな。召喚しろとは言われてないけど。」
『……大丈夫……なのですか?』
脳裏に、和尚さんが激怒する姿が浮かびました。
「安心しろ。酔って上機嫌な時に、報告する。」
『……ダメじゃないですか!』
ただでさえ、これから起こる事に不安を感じているのに、帰ってからの不安要素までオマケされるなんて、大変ありがた迷惑です。
「でも……確かに気にはなりますよね?
縄張りを放棄する事は、どの怪異にとっても、死活問題なはず。』
なぜ、死活問題なのかというと、まず、誰の縄張りでもない土地を見つけるのが、非常に困難だという事。
大抵の怪異は、自分の縄張り内で狩をします。となると好ましい場所は、霊が沢山いる場所や、生者が多く住んでいる場所。となると、どうしたって”街”となります。
当然ですが、その様な場所には、既に大物怪異が縄張りを張って棲んでおります。
縄張り争いをして、奪い取る事もございますが、極々稀です。
それは、大物怪異の配下の数が、万単位だから。もし、縄張り争いとなれば、大戦争となってしまうでしょう。そしてそうなれば、どうしたって戦力が、大幅にゴッソリ削られます。
争いに勝った直後なら、相手とその配下を取り込めるので、パワーアップした状態になれますが、決着前のヘロヘロ状態の時に、元気な他者が横槍を入れてきたら、その横槍者によって、両者共に、取り込まれてしまいます。
協力をした場合って?それはございません。
彼らは悪の中の悪。絶対裏切ると分かっている者と、手を組む程、彼らはマヌケではないのです。
それに、怪異の大戦争が起これば、生者にだって被害が出ます。生者 が死に絶えた土地になど、誰が棲みたいか?という話。
と言うわけで、縄張り争いをせず、ずーっと自分の縄張りで暮らしましょうね!っというのが彼らの暗黙のルールとなっている様です。
「呪いも契約も解除されたのってさ、安托士 が縄張りを離れたから、自動的にそうなったんじゃないか?そいつ寄生型の怪異なんだろ?」
少し離れて、召喚陣に使う布能洲 寺秘伝特殊塗料を調合していた八咫 が、戻ってきました。
『あぁ……、なるほど!』
「冴えてるな八咫 。」
お師匠さんは、また八咫の頭をわしゃわしゃ撫でくり回しました。「やめろよ!」っと八咫 が逃げます。
「安托士 が、逃げ出すほどの事が起きてるって訳か……。嫌な予感しかしないな……。」
お師匠さんは真顔になると、深いため息を吐きました。
僕らは手分けをして、八咫 が調合してくれた塗料を使い、カラス流派オリジナルの召喚陣を、召喚術を唱えながら下書きの上に描き始めました。
え?山犬の妖怪盤瓠 を召喚した時は、そんなのしてなかったと?
あの山犬の妖怪は、お師匠さんと侍従契約を交わしているので、召喚陣はいらないのですよ。
僕らは、怪異が陣の外へ出られない様にする為の結界を張りました。こちらも、布能洲 寺秘伝の特殊な編み方をした注連縄を、円を描く様打ち込んだ檜の杭に飾ります。
更にその周囲に、外野(唐久 様や護衛士達)が、勝手に入れない様にする為の結界を。こちらは、布能洲 寺秘伝の特殊樹脂を含ませた松明を、六角形を描く様に建て、火をつけたものです。
怪異召喚の準備を一通り終わらせると、唐久 様の方に向き直りました。
「準備が整いました。本当にいいですか?」
「早く始めてくれ。」
小中の怪異召喚は、これまで多数ありましたが、大物妖怪の召喚は、これまで一回しか見た事がありません。
大抵の大物妖怪は、知性が高いので、出て来て早々人を襲う様な事などないと習っております。
が!知性が高い分、巧みな話術で会話の主導権を握り、いつの間にか理不尽な契約をさせるという、別の意味での警戒が必要です。
見習い程度の僕らは、とにかく目を合わせてはいけない、会話をしてはいけないとキツく教えられております。
教えられているのですが……、分かってはいたのに、前回、大物怪異を召喚した時、名前を呼ばれた八咫 と僕は、ウッカリと申しましょうか、その場の空気でと申しましょうか、条件反射で返事をしてしまい……、気がついたら幻術の中……。
今回こそは、絶対お口にチャックです!
唐久 様と多くの護衛士の方々、「若旦那様だけ、危険目に遭わせられません!」と仰る明部 さんが見守る中、儀式は始まりました。
もちろん、危険が無いよう、僕ら以外は、元池の周りで待機をしていてもらい、決して穴の中には入らない様、注意をさせて頂きました。
お師匠さんが、召喚陣に向かって召喚術を唱えると、風もないのに結界のしめ縄が揺れ始め、周囲の松明の火も揺れ、次第に激しく黄緑色に燃え出しました。
どうやら呼びかけに成功した様です。
護衛士の方々が、「ひぃぃい!」という悲鳴が、あちこちから上がりました。
唐久 様だけは、慣れていらっしゃるのか、肝が据わっていらっしゃるのか、静かに召喚陣を見つめておられます。
「地獄の門は開かれた。悪神の子よ、我の前に姿を現せ。その名は安托士 !!」
お師匠さんの呼びかけに応える様、ゴロゴロと雷雲が上空に集まり、大粒の雨がポツポツと降りだしました。
おそらく雨は、安托士 の仕業なのでしょう。この敷地の上空だけにしか真っ黒な雷雲がありません。
ザーっと雨が激しくなり、せっかく描いた召喚陣を、洗い流していきます。
「クソッ!」
『八咫。早く描き直しましょう!』
僕らは、荷物袋の中から布能洲 寺秘伝特殊塗料を取り出し、杖の先端に塗ると、術を唱えながら、消えかけている箇所の修復にあたりました。
言い訳ですが、普通の雨で召喚陣が消えるなどという事は、まずありえません。怪異の術による邪気を含んだ雨だからです。
お師匠さんが、もう一度召喚術を一から唱え直し、安托士 に呼びかけます。
ですが、安托士 は姿を現すどころか、威嚇する様に雷をゴロゴロ鳴らし、召喚陣や、お師匠さん、八咫や僕を目掛けて、ドーンドーンドーンっと雷を落としてきました。
周囲から更に悲鳴が聞こえ、中には逃げ出す護衛士が、視界の端で何人か見えました。
せっかく描き直した召喚陣は、真っ黒焦げになり、白い煙が立ち上っています。
「せっかく描き直したのに!」
八咫 は、空を睨みました。
「八咫 、ミツチ。俺が、囮術で雷を引き付ける。その隙に描き直せ。」
『分かりました!』
僕らは、もう一度召喚陣を描き直し始めました。
お師匠さんは、僕らに向かって落ちてくるはずだった雷を、術で自分の方へ引き寄せるように仕向け、僕らや元池から離れて行きました。
なぜ、他の場所へ落とす様に仕向けないのか?ですか?
そうするには、新たな陣を描かなければならないからです。自分に集める分には、口頭の術だけで済むので、陣はいりません。
召喚陣の周りに雷を防ぐ結界を張れば?
そうすると、安托士 も陣の中に入れなくなってしまうのです。
落雷による邪魔は無くなったものの、嵐の様な土砂降りの雨のせいで、元池の穴に水が溜まりだし、その水かさは、どんどん上がり、とうとう僕らのくるぶしまで上がってしまいました。
『どうしましょう八咫 。別の場所に描き直すしかありません。それに塗料も残り少ないです。』
「参ったな。一から全部か……、面倒臭え。大物妖怪って、攻撃的じゃないって話じゃなかったか?」
『丁度、これからご飯の時間だった……とかでしょうか?』
「いいや、便所だな。下痢だ。」
場所を変える事を決めた僕らは、注連縄やら松明などを回収し始めました。
その間も雨は激しさを増し、元池の穴には、たっぷりの雨水が溜まり、とうとう池の様になってしまいました。
無事に全て召喚陣の道具を回収できましたが、この調子では、この庭も冠水してしまいそうです。建物の中という手もありますが、この雨が怪異の仕業である以上、建物を崩される危険もあります。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッツ!!!!
物凄い轟音と、地響きがし、八咫 と僕は、音がした方をバッと振り向きました。
池から大きな水飛沫を上げ、巨大な水上竜巻が空に向かって渦を巻きながら上昇しておりました。
『「なっ⁈」』
僕らは、あわわと圧倒され、後ろに転倒してしまいました。
しかもその水の竜巻は、徐々に水大蛇の姿に変わり、大気を泳ぐ様に滑空をし出したのです。
そして水大蛇は、お師匠さんの姿をとらえると、凄まじい速さでお師匠さん目掛けて突っ込んできました。雷も一緒に。囮術がまだ効いている様です。
「お師匠!」
『お師匠さん!』
それに気づいたお師匠さんは、だっと駆け出しました。
その直ぐ背後では、無数の落雷がドーンドーンと落ち、水大蛇が巨大な庭石に激突し、石がごなごなに粉砕されるのが見えました。
水大蛇は、巨体な割には動きが速く、身をひるがえすとお師匠さんの方へ向かい、周囲の倉庫や竹林を破壊しながら追っかけて行きます。
『ここは危険です。逃げてください。この敷地の外へ!』
僕は、唐久 様達にそう告げましたが、唐久 様は首を横に振りました。
「諦めて下さい。安托士 は、召喚に応じる気がないんです。」
八咫 も説得しましたが、唐久 様は全く聞く耳を持って下さいませんでした。それどころか、水大蛇の方へ向かって、自ら立って歩き出したのです。
「頼む安托士 !もう一度、私から”良心”を奪い、無情にしてくれ!」
唐久 様は、晝馬 さんの制止を振り切り、必死に何度も何度も訴えました。
「唐久 様!あれは、安托士 じゃない!あいつの配下なんです。下がってください!」
八咫 がそう説明しますが、振り返りもしません。
『晝馬 さん!』
「分かってる!!若旦那様、失礼します!」
晝馬 さんは、力づくで唐久 様を抱き抱えると、水大蛇から引き離してくれました。
「大蛇よ頼む!安托士 を喚んでくれ!お願いだ!」
唐久 様の叫びから、とてつもない必死さを感じました。それは、決して自分の欲を叶えたいという狂気ではなく、なにか切実なものの様に思えます。
「八咫 とミツチは、逆さ雨乞いの唄を歌えっ!」
水大蛇と雷から逃げ回っているお師匠さんが、大声で叫びました。
「逆さ雨乞いの唄……?なんで?」
八咫 が、首を傾げ、僕に聞いてきました。
『水大蛇の力の源である水が減れば、力が弱まるからですよ!それに、雷も無くなる。』
「なるほど!」
逆さ雨乞いの唄は、そのままの意味で、雨をやませる唄です。
成功率は、半人前の僕らがやるので……半々。別に、音痴だからとかではありません。……多分。
早速僕らは、元気よく逆さ雨乞いの唄を歌い始めました。
お師匠さんは、侍従契約をしている雷獣 というイタチのような妖怪を召喚しました。
雷獣は、元気よく空へ飛び出すと、舞う様に宙を飛び回り、お師匠さん目掛けて落ちてくる雷をパクパク食べ始めました。雷は、雷獣の好物だからです。
なぜ、初めから出さなかったかですか?
召喚術は、怪異の強弱にもよりますが、それなりの体力を必要とします。まして、大物怪異の召喚を控えているとなると、余計体力を温存しておかないといけません。そうしないと、怪異を召喚しても、あっさり喰われてしまうからです。
因みにあの雷獣は、小型で可愛らしいですが、一応大物妖怪の分類に入るので、召喚する度に体力をごっそり持っていかれてしまいます。よって、ご利用は計画的にしないと自虐してしまうのです。
残るは水大蛇です。逆さ雨乞いの唄で、一刻も早く雨を止ませ、お師匠さんを助けて差し上げないといけません。
そう……解っているのですが、お師匠さんを狙う水大蛇は、ただ突進するだけではなく、長い舌を伸ばしたり、時には水の鱗を飛ばしたりして攻撃をしており、それを見ていますとと、ハラハラしてしまい、気が気ではありません。
「ミツチ!集中しろ!」
『はい!』
八咫 に怒られてしまいました。
そうですね。たかが唄ではありません。これもちゃんとした術です。ちゃんと歌って、水大蛇の力の源を断たなければ!
何回も何回も何回歌ったか忘れてしまうぐらい歌い続けておりますと、真っ黒だった雲が、灰色っぽくなってきて、明らかに雨も弱くなってきました。
「やった!効いてきてる!」
『もう一度歌いましょう!』
大声で歌っていると、昨晩、唐久 様の怪異の時にご一緒した紗雨 さんが、僕らに話しかけてきました。
「歌詞は覚えた!俺が歌っても効果はあるか⁈」
『えっ?は、はい!晴れて!っと念じれば。』
「私も歌うわ。」
『羅須 さん……。』
今度は4人で、歌い始めました。
羅須 さんは、歌手ですか?というぐらい美しい歌声で、僕らよりも声量がありました。
更に驚いたのは、紗雨 さんの歌声でした。若いのに声がバリトンボイスで、うっかり歌うのも忘れ、聞き惚れてしまうほど。
後で伺った話では、このお二人は従姉弟で、彼らのお祖父母がオペラ歌手だとか。なるほど……。
そんなお二人に囲まれてしまった僕らは、なんだか歌うのが恥ずかしくなってきました。というか、そんな方々の前で堂々と歌っていたなんて……。
とはいえ、今は、のど自慢大会ではありません。上手い下手は関係ないのです!
生き恥を晒しながら歌い続けておりますと、いつの間にか他の護衛士の方々も一緒に歌って下さっていました。
皆さん、なんて良い人達なのでしょう!
ただ……ちょっと困ったのは、八咫 の横で歌っていた大和 班長での歌でした。
上手いのです。上手いのですが、妙に演歌調で、声が誰よりも大きい。しかも珍妙な合いの手まで付けるので、近くで歌っている八咫 や、他の方々までが引きずられてしまい、逆さ雨乞いの唄が、別の曲になってきているのです。
まぁ……逆さ雨乞いの唄のとは、覚えやすい様、長い呪文に曲をつけただけなので、曲が変わっても影響はない……とは思います。ただ、変な節になる度に、皆んながブッと吹き出しそうになるので、それが影響しないか心配なのです。
とはいえ、大和 班長は大真面目で気持ちよさそうに歌っていらっしゃるので、注意するわけにもいきません。
かすかな心配要素があったものの、皆んなで歌ったおかげか、雨は完全に止み、お師匠さんの予想通り、水大蛇も徐々に細く短くなり、弱ってきました。
「ミツチ、あの池の水を抜けば、水大蛇は消えるのか⁈」
紗雨 が聞いてきました。
『たぶん……。はい。』
「水門を開ければ、時間はかかるが、池の水を抜く事ができる。」
『水門?どこにあるんすか⁈』
「あっちだ。」
鬱蒼とした竹林の方を、紗雨 さんが、指でさしました。
「1分もあれば着く。」
「俺も行きます。安托士 が、黙って見てるって保証はない。」
八咫 が、喉をさすりながら言いました。
『そうですね。僕は、召喚陣を張り直しておきます。』
「任せた!」
そう言うと八咫 は、紗雨 さんと竹林の中へ駆けて行きました。
さて、雨は上がったものの、この冠水した庭のどこに召喚陣を描いたら良いのやら……。
お師匠さんは、やっとご自分の背丈くらいの長さになってきた水大蛇と睨み合っておりました。
常に腰に下げている銀の短剣(銀なのは、怪異共通の弱点だからです)を抜き、水大蛇の隙をうかがい、カウンターを狙おうとしていました。
弾丸の様に飛んでくる水鱗を、短剣を振って弾きますが、槍の様に細長い舌もうなりをあげて迫ってくるので、かわすのに精一杯です。
なんとか距離を詰めたいものの、一歩近づく度に、頬や脇腹、腕などの皮を切り裂かれる。
切り裂かれる程度で済んで良いるのは、雨が止み、紗雨 さんと八咫 が、水門を無事に開く事ができたからかもしれません。
とはいえ、このまま池水がなくなるまで待てるほど、お師匠さんの体力と集中力が持つはずもなく、水大蛇を倒せたとしても、安托士 を召喚できるほどの体力は残らないでしょう。
(こいつ、弱ってもこんなに強いのか。それとも、俺が鈍ったのか?最近、腹が出てるって八咫 に言われちゃったしな……。)
っと、お師匠さんは日頃の反省をした刹那、水大蛇の舌が首をかすり、カッ熱くなった後、生温かいモノが首を伝うのを感じました。
(クソッ!油断した。)
お師匠さんは悪態をつき、次の攻撃を体をねじってかわしながら、水鱗の攻撃で手や腕が切れるのも構わず、銀の短剣を伸ばし、水大蛇の長い舌を、やっと断ち切ったのです。
水大蛇がのけぞった瞬間を見逃さず、お師匠さんは飛び上がると、水大蛇の脳天から胴体を縦に切り裂きました。
真っ二つになった水大蛇は、左右にバシャンと水飛沫を立てて倒れると、ただの水となり、消えてしまいました。
残り一回分の召喚陣を任された僕は、ある事を思いつきました。
たしか昨日、ここにはウシガエルがたくさんいると護衛士の方々が仰っていました。
それならと思い、僕は招集術で、この池辺りにまだいらっしゃるであろうウシガエル達を集めました。(僕はまだ、妖怪を召喚する事はできませんが、小さい生き物なら呼び寄せる事ができるのです。)
すると、あちっちこっちの茂みから、ピョコピョコとウシガエル達がたくさん集まってきてくれました。これは予想以上の数です。
僕は、残り少ない布能洲 寺秘伝特殊塗料を、ウシガエル達の頭に塗りました。
『ごめんなさい。儀式が終わったら必ず取ってあげますから我慢してて下さい。』
次は、塗料を塗ったウシガエル達を一列に整列させ、行進をさせました。ウシガエル達は、僕の指示通りに円を描き、まだ水浸しの地面に召喚陣を完成させてくれました。最後に、注連縄の結界と、松明の結界を張れば終わりです。
「おっ、ミツチ。上手い事考えたな。」
汗だくのお師匠さんが戻ってきました。
『可哀想ですが、塗料が残り一回分だけでしたし、また雨雲が現れたら困るので。』
「そうだな。時間も、もうないし。」
僕らは、既に赤くなり始めてる夕焼け空を見上げました。
「お師匠、水大蛇やっつけたんだな。」
八咫 も紗雨 さんと一緒に竹林から戻ってきました。全身泥だらけで。
簡単に開けられた…っというわけではなかったのかもしれません。
「急ごう!」
お師匠さんの言葉に僕らは頷き、再び召喚陣の前に立ちました。
少し離れた所では、冷静を取り戻された唐久 様が、晝馬 さんと明部 さん一緒に佇んでおられました。
「我の前に姿を現せ。安托士 !」
召喚術の最後にお師匠さんがそう叫ぶと、ようやく召喚陣の中から、若く清楚そうな女性が現れました。
その女性の髪は、青みを帯びた黒のロングストレートで、お顔は、透ける様な白い肌に、切れ長の一重が印象的なクールビューティーさんで、妖怪と言うより飛天でした。
「なんてしつこさでしょう?しつこい殿方は嫌われますよ。それに、カエルさん達を使うなんて、かわいそう。」
安托士 は、可愛らしく微笑むと、パチンと指を鳴らし、ウシガエル達の頭と背についている塗料を消すと、僕がかけた術から解放してやりました。
……うう。確かにカエルに塗料を塗る事も、操る事も酷い事です……って!早くも、動揺させられてしまいました!
妖術士は、第六感の強さや知識や技術、経験の豊富さを求められますが、何よりも重要視されるのは、怪異の術にかからないタフな精神力。
お師匠さんは、その力が誰よりも特化している、希少な妖術士です。
よって、僕の様に速攻で動揺させられませんし、どんな精神攻撃をされようが、絶対に翻弄されるお師匠さんではありません。
……ありません……?
お師匠さんは、顔を蒼白にし、魂が抜けた様に突っ立っておりました。
ど、どうしたのでしょう?
八咫 もお師匠さんの異変に気づいた様で、お師匠さんの腕を引っ張りました。ですが、反応がありません。
「クソ師匠っ!なにボケっとしてんだ!」
八咫 は、お師匠さんのお尻に向け、思い切りドカッと回し蹴りをかましました。
お師匠さんはよろけ、ハッとすると、いつものひょうひょうとした顔戻ってくれました。
「あぁ……。わりぃ。」
あぁ……大丈夫……でしょうか?
「……俺は、妖術士だ……。あんたか、この家の人達と呪いの契約をしたのは?」
「え?あぁ……ええ。そういえば。」
安托士 は、すっかり忘れている様子です。
「ナゼだ?ナゼ無償で解除した?」
「ただの気まぐれです。別に良いではありませんか。」
「あんた程の大妖怪が、理由もなく契約を解除するとは思えない。」
安托士 は、ふふふっと口元を隠して、上品に笑いました。
「もう一度、私の”良心”を取ってくれ!頼む‼️」
唐久 様が、話に割って入ってきました。
「頼む!呪ってくれ!」
「……残念ですができません。」
安托士 が、静かに首を横に振りました。
「あの事が原因か⁈」
「ええ。ですから、私はもう、この土地どころか、この国を離れたいのです。なので、あなたに寄生して呪う事はもうできません。」
どうやら八咫 の予想が的中していたみたいです。ですが、”あの事”とはなんでしょう?
「解ってる。だが、私の最後の目的を達成してからでもいいだろ?」
「その目的が危険なのです。間接的でも、私が関わったとなれば、私にも危険が及ぶ可能性があります。頼むのなら、他をあたって下さい。」
安托士 の表情は、決して意地悪で言っている様には見えません。むしろ、本当に怖がっている様子です。
唐久 様は、その真っ青な安托士 の表情をしばらく見つめると、うなだれてしまわれました。
「危険ってなんだよ?オバさん!」
「お、オバさん⁈」
安托士 は最初、八咫 をジロリと睨みつけました。
『もう八咫 !大妖怪とは口をきくのは危険だって習ったでしょ⁈前回の事を忘れたのですか⁈』
「だってさ〜。まどろっこしいんだもん。」
オバさん呼ばわりされて、どんなにお怒りだろうと、恐々と安托士 をチラリと見ると、安托士 は、不思議そうな顔をして僕を見つめておりました。
そして、姿をシュルシュルと変え、今度は、美しいですが派手な感じの女性になり、背中には大きな蝙蝠の様な翼を生やし、下半身は人魚の様になってしまいました。
どうやら、これが本来の安托士 の姿なのかもしれません。
「あんた……。」
『……?』
「……嘘でしょ⁈なんで……水虬 が?」
『え?』
安托士 は、僕に近づき、観察する様にジロジロと見つめてきました。
なぜ、僕の事を知っているのでしょう?
……もしかして、子供の頃に襲われた水妖って安托士 の事?それなら、お師匠さんが彼女を見た瞬間、青い顔をしたのも頷けますが……。
「ミツチ!そいつと喋んな!」
お師匠さんが、鬼の様な形相で、怒鳴りました。
なるほど、これは罠なんですね!危うく、また動揺させられる所でした。
「この国を離れる理由はなんだ⁈」
「そんな事、そこにいる水虬 に聞いたらいいじゃない?」
『え?僕?』
きょとんとしている僕を見た安托士 は、顔をしかめました。
「っていうか、ここん所水虬 の気配を感じないと思ってたけど、なるほどね。あんたがやったの?」
安托士 が、感心した様な顔でお師匠さんに尋ねました。
「俺の質問の答えがまだだ!安托士 。」
お師匠さんが怒鳴るので、安托士 はいかにも不愉快そうな顔をしました。
変……ですね。
いつものお師匠さんじゃない気がします。いつもなら、こんなに強い口調ではなく、もっと話しやすい雰囲気を作ったりして、上手く情報を引き出すはずです。こんな風に怒らせる様な態度など取りません。
「あんたじゃなさそうね。おこりんボさんには無理だもの。」
お師匠さんが、ジロリと睨むのを見て、安托士 は、満足そうに笑いました。すっかり彼女のペースです。
「なぜ、ここを離れる?」
「知りたい?だったら、私と契約をし〜て。そして、異国で面白おかしく暮らしましょ。」
安托士 は、そう言いながら、最初に現れた時の清楚そうな女性の姿に変身しました。
お師匠さんの顔から、血の気がサーッと引き、ぎゅっと硬く握られた拳が震えております。
その女性が誰なのか分かりませんが、これは……マズイです。
「たぶん、この女と関係があると思うわ。私がここを離れなきゃいけない理由。」
「そんな訳ないだろ⁈」
「そうかしら?
私の能力は、人として必要な”善良な心”を奪うだけじゃなく、その人が一番逢いたいって思っている人の姿に変身できるのよ。
さっき、私は、あなたの心を視てこの姿になった。」
「だからって、彼女が誰かまでは分からないだろ?」
「その通りだけど、偶然にも、私は、この女が誰か知ってたの。」
お師匠さんが、血走った目で安托士 を睨みつけました。
「彼女は……どこの国だったかしら?そう……滅亡した国の……シャ……」
楽しむ様に焦らしながら言う安托士 の言葉をお師匠さんが遮りました。
「言うなっ!!分かった。契……」
『「ダメェェ!!!!!!!!!!」』
八咫 と僕が、大声で阻止し、八咫 が、お師匠さんに飛びかかりました。
「さっきっから何やってんだよ、お師匠!しっかりしろよっ!」
『そうですよ!らしくないですっ!』
お師匠さんは、びっくりした顔をして、僕らを見つめると、額の冷や汗を拭いました。
「八咫 。ちょっと俺を殴ってくれ。」
「はっ?何言ってんだ⁈」
っと驚きつつも八咫 は、思い切りグーでお師匠さんの顔面を殴りました。
「ぃってー。八咫 !タミングおかしいだろ⁈」
不意を突かれたのか、鼻血を垂らしながらお師匠さんが文句を言いました。
「はぁ?殴れって言ったじゃん。」
「普通、『え?でも?』『いいから殴れ』『それじゃぁ……』で、遠慮がちに頬にパンチだろ。」
「知らねぇよ。」
「鼻の骨いったぞ。」
「唾つけときゃ治るよ。」
「治んないってーの!」
いつものお師匠さんに戻ったみたいで良かったです。
「ちょっと、人を無視して、つまんないコントしてんじゃないわよ。契約はどうすんの?」
安托士 が、不機嫌そうに腕を組み、貧乏ゆすりをしています。
「するか!クソッタレ!」
「この女の情報が欲しいんじゃないの?」
「もういらん。唐久 様のお母様の出自を知った時から、もしやと睨んでた。そして、お前のおかげで、それが証明された。喋りすぎたな安托士 。」
安托士 は、お師匠さんを睨みながらフンと鼻を鳴らすと、すっと姿を消してしまいました。
「ありがとさん!」
お師匠さんは満面な笑みで、もういない安托士 に手を振りました。
「お師匠……。証明されたってどう言う事?」
「それは、和尚に話してから、お前らにも説明する。
とにかく、全て計画通りだ!」
『……計画…通り…なのですか?』
「あぁ!」
お師匠さんは、笑顔で答えました。
「安托士 と契約しそうになったのも?」
「あぁ!迫真の演技だったろ?」
八咫 と僕は、顔を見合わせました。
演技だった……のでしょうか?
「唐久 様。」
お師匠さんが、まだうなだれてる唐久 様に、力強く声をかけ、手を差し伸べました。
「大丈夫です。あなたの目的は、私が果たします。」
「なに?」
唐久 様は、訳が分からないと顔をしかめながら、お師匠さんを見上げました。
「おそらく、唐久 様の目的も、私の目的も同じでしょう。」
お師匠さんは、まだ戸惑っておられる唐久 様の両手を力強く握ると、引っ張り立ち上げらせました。
そうまでして、
「そうか……。引き受けてくれるか。」
側におられた
その日の内に、召喚儀式を行う事となり、僕らは、穴が空いたままの池跡地に立っておりました。
時刻は既に15時を回っております。召喚儀式によって怪異が現れる確率は、術者の技量によりけりですが、現れるまでの時間は、怪異の気分も影響してくるので、早ければ直ぐですが、渋られると何時間もかかる場合も。
怪異が力を増す日暮までには終わらせたい所です。
僕らは、召喚儀式に必要な道具を準備しながら、
屋敷の方から、ザッザッザッっと完全武装をした護衛士達が、隊列を組んで大勢こちらに向かってくるのが見えました。まるで戦場へ向かう軍隊の様です。
その中に、正装をされた
「あの、
お師匠さんは、少し驚いた様に
てっきり、ご自分の生き霊に苦しまれてる
なんせ、呪いによって奪われてた”良心”を取り戻した事が原因で、罪悪感に苛まれた結果、生き霊が現れてしまったのですから。
「あぁ、今回は私だけで良い。」
「本当に、そこまでする必要があるのですか?契約を交わせば、今度こそ確実に命を取られますよ。」
「構わない。」
「あなたは、国王以上の権力をお持ちだ。これ以上、何を望むのですか?」
「私利私欲ではないと伝えたはずだが?」
「復讐ですか?」
「では、なんですか?
今、
お師匠さんがそう言いかけた所で、
「私の目的は、その様なくだらない事ではない!」
怒鳴り声ではありませんが、圧迫される様なよく通る声だったので、お師匠さんだけでなく、その場にいた全員が、息を呑み、シーンと静まってしまいました。
「とにかく、初めてくれ。」
「……分かりました。」
お師匠さんは、渋々そう答えると、召喚術の準備を続けました。
召喚陣を描く場所は、
別の場所でもいいのですが、なるべくその怪異と縁がある場所の方が、喚びやすいのです。
『
「怪異を召喚するのは、禁止されてない。」
お師匠さんは、召喚陣の下書きをしながら答えました。
『……そうですけど、呪いの手伝いという事に…なりませんか?』
「だが、もし俺が断れば、きっと呪禁師に依頼しちゃうだろ?そんな事になれば最悪だ。
なんとか呪いをかけさせずに済む方向に仕向けるさ。」
『なんとかって……。大抵の大物妖怪は、悪知恵が回るのでしょ?』
「見くびってなんかいないよ。
それより、命を取りもせず呪いの契約解除をした理由や、長年の縄張りを捨てた理由を、
むしろ、そっちが本当の目的だ。」
『和尚さんからの指示ですか?』
「まあな。召喚しろとは言われてないけど。」
『……大丈夫……なのですか?』
脳裏に、和尚さんが激怒する姿が浮かびました。
「安心しろ。酔って上機嫌な時に、報告する。」
『……ダメじゃないですか!』
ただでさえ、これから起こる事に不安を感じているのに、帰ってからの不安要素までオマケされるなんて、大変ありがた迷惑です。
「でも……確かに気にはなりますよね?
縄張りを放棄する事は、どの怪異にとっても、死活問題なはず。』
なぜ、死活問題なのかというと、まず、誰の縄張りでもない土地を見つけるのが、非常に困難だという事。
大抵の怪異は、自分の縄張り内で狩をします。となると好ましい場所は、霊が沢山いる場所や、生者が多く住んでいる場所。となると、どうしたって”街”となります。
当然ですが、その様な場所には、既に大物怪異が縄張りを張って棲んでおります。
縄張り争いをして、奪い取る事もございますが、極々稀です。
それは、大物怪異の配下の数が、万単位だから。もし、縄張り争いとなれば、大戦争となってしまうでしょう。そしてそうなれば、どうしたって戦力が、大幅にゴッソリ削られます。
争いに勝った直後なら、相手とその配下を取り込めるので、パワーアップした状態になれますが、決着前のヘロヘロ状態の時に、元気な他者が横槍を入れてきたら、その横槍者によって、両者共に、取り込まれてしまいます。
協力をした場合って?それはございません。
彼らは悪の中の悪。絶対裏切ると分かっている者と、手を組む程、彼らはマヌケではないのです。
それに、怪異の大戦争が起これば、生者にだって被害が出ます。
と言うわけで、縄張り争いをせず、ずーっと自分の縄張りで暮らしましょうね!っというのが彼らの暗黙のルールとなっている様です。
「呪いも契約も解除されたのってさ、
少し離れて、召喚陣に使う
『あぁ……、なるほど!』
「冴えてるな
お師匠さんは、また八咫の頭をわしゃわしゃ撫でくり回しました。「やめろよ!」っと
「
お師匠さんは真顔になると、深いため息を吐きました。
僕らは手分けをして、
え?山犬の妖怪
あの山犬の妖怪は、お師匠さんと侍従契約を交わしているので、召喚陣はいらないのですよ。
僕らは、怪異が陣の外へ出られない様にする為の結界を張りました。こちらも、
更にその周囲に、外野(
怪異召喚の準備を一通り終わらせると、
「準備が整いました。本当にいいですか?」
「早く始めてくれ。」
小中の怪異召喚は、これまで多数ありましたが、大物妖怪の召喚は、これまで一回しか見た事がありません。
大抵の大物妖怪は、知性が高いので、出て来て早々人を襲う様な事などないと習っております。
が!知性が高い分、巧みな話術で会話の主導権を握り、いつの間にか理不尽な契約をさせるという、別の意味での警戒が必要です。
見習い程度の僕らは、とにかく目を合わせてはいけない、会話をしてはいけないとキツく教えられております。
教えられているのですが……、分かってはいたのに、前回、大物怪異を召喚した時、名前を呼ばれた
今回こそは、絶対お口にチャックです!
もちろん、危険が無いよう、僕ら以外は、元池の周りで待機をしていてもらい、決して穴の中には入らない様、注意をさせて頂きました。
お師匠さんが、召喚陣に向かって召喚術を唱えると、風もないのに結界のしめ縄が揺れ始め、周囲の松明の火も揺れ、次第に激しく黄緑色に燃え出しました。
どうやら呼びかけに成功した様です。
護衛士の方々が、「ひぃぃい!」という悲鳴が、あちこちから上がりました。
「地獄の門は開かれた。悪神の子よ、我の前に姿を現せ。その名は
お師匠さんの呼びかけに応える様、ゴロゴロと雷雲が上空に集まり、大粒の雨がポツポツと降りだしました。
おそらく雨は、
ザーっと雨が激しくなり、せっかく描いた召喚陣を、洗い流していきます。
「クソッ!」
『八咫。早く描き直しましょう!』
僕らは、荷物袋の中から
言い訳ですが、普通の雨で召喚陣が消えるなどという事は、まずありえません。怪異の術による邪気を含んだ雨だからです。
お師匠さんが、もう一度召喚術を一から唱え直し、
ですが、
周囲から更に悲鳴が聞こえ、中には逃げ出す護衛士が、視界の端で何人か見えました。
せっかく描き直した召喚陣は、真っ黒焦げになり、白い煙が立ち上っています。
「せっかく描き直したのに!」
「
『分かりました!』
僕らは、もう一度召喚陣を描き直し始めました。
お師匠さんは、僕らに向かって落ちてくるはずだった雷を、術で自分の方へ引き寄せるように仕向け、僕らや元池から離れて行きました。
なぜ、他の場所へ落とす様に仕向けないのか?ですか?
そうするには、新たな陣を描かなければならないからです。自分に集める分には、口頭の術だけで済むので、陣はいりません。
召喚陣の周りに雷を防ぐ結界を張れば?
そうすると、
落雷による邪魔は無くなったものの、嵐の様な土砂降りの雨のせいで、元池の穴に水が溜まりだし、その水かさは、どんどん上がり、とうとう僕らのくるぶしまで上がってしまいました。
『どうしましょう
「参ったな。一から全部か……、面倒臭え。大物妖怪って、攻撃的じゃないって話じゃなかったか?」
『丁度、これからご飯の時間だった……とかでしょうか?』
「いいや、便所だな。下痢だ。」
場所を変える事を決めた僕らは、注連縄やら松明などを回収し始めました。
その間も雨は激しさを増し、元池の穴には、たっぷりの雨水が溜まり、とうとう池の様になってしまいました。
無事に全て召喚陣の道具を回収できましたが、この調子では、この庭も冠水してしまいそうです。建物の中という手もありますが、この雨が怪異の仕業である以上、建物を崩される危険もあります。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッツ!!!!
物凄い轟音と、地響きがし、
池から大きな水飛沫を上げ、巨大な水上竜巻が空に向かって渦を巻きながら上昇しておりました。
『「なっ⁈」』
僕らは、あわわと圧倒され、後ろに転倒してしまいました。
しかもその水の竜巻は、徐々に水大蛇の姿に変わり、大気を泳ぐ様に滑空をし出したのです。
そして水大蛇は、お師匠さんの姿をとらえると、凄まじい速さでお師匠さん目掛けて突っ込んできました。雷も一緒に。囮術がまだ効いている様です。
「お師匠!」
『お師匠さん!』
それに気づいたお師匠さんは、だっと駆け出しました。
その直ぐ背後では、無数の落雷がドーンドーンと落ち、水大蛇が巨大な庭石に激突し、石がごなごなに粉砕されるのが見えました。
水大蛇は、巨体な割には動きが速く、身をひるがえすとお師匠さんの方へ向かい、周囲の倉庫や竹林を破壊しながら追っかけて行きます。
『ここは危険です。逃げてください。この敷地の外へ!』
僕は、
「諦めて下さい。
「頼む
「
『
「分かってる!!若旦那様、失礼します!」
「大蛇よ頼む!
「
水大蛇と雷から逃げ回っているお師匠さんが、大声で叫びました。
「逆さ雨乞いの唄……?なんで?」
『水大蛇の力の源である水が減れば、力が弱まるからですよ!それに、雷も無くなる。』
「なるほど!」
逆さ雨乞いの唄は、そのままの意味で、雨をやませる唄です。
成功率は、半人前の僕らがやるので……半々。別に、音痴だからとかではありません。……多分。
早速僕らは、元気よく逆さ雨乞いの唄を歌い始めました。
お師匠さんは、侍従契約をしている
雷獣は、元気よく空へ飛び出すと、舞う様に宙を飛び回り、お師匠さん目掛けて落ちてくる雷をパクパク食べ始めました。雷は、雷獣の好物だからです。
なぜ、初めから出さなかったかですか?
召喚術は、怪異の強弱にもよりますが、それなりの体力を必要とします。まして、大物怪異の召喚を控えているとなると、余計体力を温存しておかないといけません。そうしないと、怪異を召喚しても、あっさり喰われてしまうからです。
因みにあの雷獣は、小型で可愛らしいですが、一応大物妖怪の分類に入るので、召喚する度に体力をごっそり持っていかれてしまいます。よって、ご利用は計画的にしないと自虐してしまうのです。
残るは水大蛇です。逆さ雨乞いの唄で、一刻も早く雨を止ませ、お師匠さんを助けて差し上げないといけません。
そう……解っているのですが、お師匠さんを狙う水大蛇は、ただ突進するだけではなく、長い舌を伸ばしたり、時には水の鱗を飛ばしたりして攻撃をしており、それを見ていますとと、ハラハラしてしまい、気が気ではありません。
「ミツチ!集中しろ!」
『はい!』
そうですね。たかが唄ではありません。これもちゃんとした術です。ちゃんと歌って、水大蛇の力の源を断たなければ!
何回も何回も何回歌ったか忘れてしまうぐらい歌い続けておりますと、真っ黒だった雲が、灰色っぽくなってきて、明らかに雨も弱くなってきました。
「やった!効いてきてる!」
『もう一度歌いましょう!』
大声で歌っていると、昨晩、
「歌詞は覚えた!俺が歌っても効果はあるか⁈」
『えっ?は、はい!晴れて!っと念じれば。』
「私も歌うわ。」
『
今度は4人で、歌い始めました。
更に驚いたのは、
後で伺った話では、このお二人は従姉弟で、彼らのお祖父母がオペラ歌手だとか。なるほど……。
そんなお二人に囲まれてしまった僕らは、なんだか歌うのが恥ずかしくなってきました。というか、そんな方々の前で堂々と歌っていたなんて……。
とはいえ、今は、のど自慢大会ではありません。上手い下手は関係ないのです!
生き恥を晒しながら歌い続けておりますと、いつの間にか他の護衛士の方々も一緒に歌って下さっていました。
皆さん、なんて良い人達なのでしょう!
ただ……ちょっと困ったのは、
上手いのです。上手いのですが、妙に演歌調で、声が誰よりも大きい。しかも珍妙な合いの手まで付けるので、近くで歌っている
まぁ……逆さ雨乞いの唄のとは、覚えやすい様、長い呪文に曲をつけただけなので、曲が変わっても影響はない……とは思います。ただ、変な節になる度に、皆んながブッと吹き出しそうになるので、それが影響しないか心配なのです。
とはいえ、
かすかな心配要素があったものの、皆んなで歌ったおかげか、雨は完全に止み、お師匠さんの予想通り、水大蛇も徐々に細く短くなり、弱ってきました。
「ミツチ、あの池の水を抜けば、水大蛇は消えるのか⁈」
『たぶん……。はい。』
「水門を開ければ、時間はかかるが、池の水を抜く事ができる。」
『水門?どこにあるんすか⁈』
「あっちだ。」
鬱蒼とした竹林の方を、
「1分もあれば着く。」
「俺も行きます。
『そうですね。僕は、召喚陣を張り直しておきます。』
「任せた!」
そう言うと
さて、雨は上がったものの、この冠水した庭のどこに召喚陣を描いたら良いのやら……。
お師匠さんは、やっとご自分の背丈くらいの長さになってきた水大蛇と睨み合っておりました。
常に腰に下げている銀の短剣(銀なのは、怪異共通の弱点だからです)を抜き、水大蛇の隙をうかがい、カウンターを狙おうとしていました。
弾丸の様に飛んでくる水鱗を、短剣を振って弾きますが、槍の様に細長い舌もうなりをあげて迫ってくるので、かわすのに精一杯です。
なんとか距離を詰めたいものの、一歩近づく度に、頬や脇腹、腕などの皮を切り裂かれる。
切り裂かれる程度で済んで良いるのは、雨が止み、
とはいえ、このまま池水がなくなるまで待てるほど、お師匠さんの体力と集中力が持つはずもなく、水大蛇を倒せたとしても、
(こいつ、弱ってもこんなに強いのか。それとも、俺が鈍ったのか?最近、腹が出てるって
っと、お師匠さんは日頃の反省をした刹那、水大蛇の舌が首をかすり、カッ熱くなった後、生温かいモノが首を伝うのを感じました。
(クソッ!油断した。)
お師匠さんは悪態をつき、次の攻撃を体をねじってかわしながら、水鱗の攻撃で手や腕が切れるのも構わず、銀の短剣を伸ばし、水大蛇の長い舌を、やっと断ち切ったのです。
水大蛇がのけぞった瞬間を見逃さず、お師匠さんは飛び上がると、水大蛇の脳天から胴体を縦に切り裂きました。
真っ二つになった水大蛇は、左右にバシャンと水飛沫を立てて倒れると、ただの水となり、消えてしまいました。
残り一回分の召喚陣を任された僕は、ある事を思いつきました。
たしか昨日、ここにはウシガエルがたくさんいると護衛士の方々が仰っていました。
それならと思い、僕は招集術で、この池辺りにまだいらっしゃるであろうウシガエル達を集めました。(僕はまだ、妖怪を召喚する事はできませんが、小さい生き物なら呼び寄せる事ができるのです。)
すると、あちっちこっちの茂みから、ピョコピョコとウシガエル達がたくさん集まってきてくれました。これは予想以上の数です。
僕は、残り少ない
『ごめんなさい。儀式が終わったら必ず取ってあげますから我慢してて下さい。』
次は、塗料を塗ったウシガエル達を一列に整列させ、行進をさせました。ウシガエル達は、僕の指示通りに円を描き、まだ水浸しの地面に召喚陣を完成させてくれました。最後に、注連縄の結界と、松明の結界を張れば終わりです。
「おっ、ミツチ。上手い事考えたな。」
汗だくのお師匠さんが戻ってきました。
『可哀想ですが、塗料が残り一回分だけでしたし、また雨雲が現れたら困るので。』
「そうだな。時間も、もうないし。」
僕らは、既に赤くなり始めてる夕焼け空を見上げました。
「お師匠、水大蛇やっつけたんだな。」
簡単に開けられた…っというわけではなかったのかもしれません。
「急ごう!」
お師匠さんの言葉に僕らは頷き、再び召喚陣の前に立ちました。
少し離れた所では、冷静を取り戻された
「我の前に姿を現せ。
召喚術の最後にお師匠さんがそう叫ぶと、ようやく召喚陣の中から、若く清楚そうな女性が現れました。
その女性の髪は、青みを帯びた黒のロングストレートで、お顔は、透ける様な白い肌に、切れ長の一重が印象的なクールビューティーさんで、妖怪と言うより飛天でした。
「なんてしつこさでしょう?しつこい殿方は嫌われますよ。それに、カエルさん達を使うなんて、かわいそう。」
……うう。確かにカエルに塗料を塗る事も、操る事も酷い事です……って!早くも、動揺させられてしまいました!
妖術士は、第六感の強さや知識や技術、経験の豊富さを求められますが、何よりも重要視されるのは、怪異の術にかからないタフな精神力。
お師匠さんは、その力が誰よりも特化している、希少な妖術士です。
よって、僕の様に速攻で動揺させられませんし、どんな精神攻撃をされようが、絶対に翻弄されるお師匠さんではありません。
……ありません……?
お師匠さんは、顔を蒼白にし、魂が抜けた様に突っ立っておりました。
ど、どうしたのでしょう?
「クソ師匠っ!なにボケっとしてんだ!」
お師匠さんはよろけ、ハッとすると、いつものひょうひょうとした顔戻ってくれました。
「あぁ……。わりぃ。」
あぁ……大丈夫……でしょうか?
「……俺は、妖術士だ……。あんたか、この家の人達と呪いの契約をしたのは?」
「え?あぁ……ええ。そういえば。」
「ナゼだ?ナゼ無償で解除した?」
「ただの気まぐれです。別に良いではありませんか。」
「あんた程の大妖怪が、理由もなく契約を解除するとは思えない。」
「もう一度、私の”良心”を取ってくれ!頼む‼️」
「頼む!呪ってくれ!」
「……残念ですができません。」
「あの事が原因か⁈」
「ええ。ですから、私はもう、この土地どころか、この国を離れたいのです。なので、あなたに寄生して呪う事はもうできません。」
どうやら
「解ってる。だが、私の最後の目的を達成してからでもいいだろ?」
「その目的が危険なのです。間接的でも、私が関わったとなれば、私にも危険が及ぶ可能性があります。頼むのなら、他をあたって下さい。」
「危険ってなんだよ?オバさん!」
「お、オバさん⁈」
『もう
「だってさ〜。まどろっこしいんだもん。」
オバさん呼ばわりされて、どんなにお怒りだろうと、恐々と
そして、姿をシュルシュルと変え、今度は、美しいですが派手な感じの女性になり、背中には大きな蝙蝠の様な翼を生やし、下半身は人魚の様になってしまいました。
どうやら、これが本来の
「あんた……。」
『……?』
「……嘘でしょ⁈なんで……
『え?』
なぜ、僕の事を知っているのでしょう?
……もしかして、子供の頃に襲われた水妖って
「ミツチ!そいつと喋んな!」
お師匠さんが、鬼の様な形相で、怒鳴りました。
なるほど、これは罠なんですね!危うく、また動揺させられる所でした。
「この国を離れる理由はなんだ⁈」
「そんな事、そこにいる
『え?僕?』
きょとんとしている僕を見た
「っていうか、ここん所
「俺の質問の答えがまだだ!
お師匠さんが怒鳴るので、
変……ですね。
いつものお師匠さんじゃない気がします。いつもなら、こんなに強い口調ではなく、もっと話しやすい雰囲気を作ったりして、上手く情報を引き出すはずです。こんな風に怒らせる様な態度など取りません。
「あんたじゃなさそうね。おこりんボさんには無理だもの。」
お師匠さんが、ジロリと睨むのを見て、
「なぜ、ここを離れる?」
「知りたい?だったら、私と契約をし〜て。そして、異国で面白おかしく暮らしましょ。」
お師匠さんの顔から、血の気がサーッと引き、ぎゅっと硬く握られた拳が震えております。
その女性が誰なのか分かりませんが、これは……マズイです。
「たぶん、この女と関係があると思うわ。私がここを離れなきゃいけない理由。」
「そんな訳ないだろ⁈」
「そうかしら?
私の能力は、人として必要な”善良な心”を奪うだけじゃなく、その人が一番逢いたいって思っている人の姿に変身できるのよ。
さっき、私は、あなたの心を視てこの姿になった。」
「だからって、彼女が誰かまでは分からないだろ?」
「その通りだけど、偶然にも、私は、この女が誰か知ってたの。」
お師匠さんが、血走った目で
「彼女は……どこの国だったかしら?そう……滅亡した国の……シャ……」
楽しむ様に焦らしながら言う
「言うなっ!!分かった。契……」
『「ダメェェ!!!!!!!!!!」』
「さっきっから何やってんだよ、お師匠!しっかりしろよっ!」
『そうですよ!らしくないですっ!』
お師匠さんは、びっくりした顔をして、僕らを見つめると、額の冷や汗を拭いました。
「
「はっ?何言ってんだ⁈」
っと驚きつつも
「ぃってー。
不意を突かれたのか、鼻血を垂らしながらお師匠さんが文句を言いました。
「はぁ?殴れって言ったじゃん。」
「普通、『え?でも?』『いいから殴れ』『それじゃぁ……』で、遠慮がちに頬にパンチだろ。」
「知らねぇよ。」
「鼻の骨いったぞ。」
「唾つけときゃ治るよ。」
「治んないってーの!」
いつものお師匠さんに戻ったみたいで良かったです。
「ちょっと、人を無視して、つまんないコントしてんじゃないわよ。契約はどうすんの?」
「するか!クソッタレ!」
「この女の情報が欲しいんじゃないの?」
「もういらん。
「ありがとさん!」
お師匠さんは満面な笑みで、もういない
「お師匠……。証明されたってどう言う事?」
「それは、和尚に話してから、お前らにも説明する。
とにかく、全て計画通りだ!」
『……計画…通り…なのですか?』
「あぁ!」
お師匠さんは、笑顔で答えました。
「
「あぁ!迫真の演技だったろ?」
演技だった……のでしょうか?
「
お師匠さんが、まだうなだれてる
「大丈夫です。あなたの目的は、私が果たします。」
「なに?」
「おそらく、
お師匠さんは、まだ戸惑っておられる
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