6-2

文字数 2,098文字

 弁当屋の接客係である浦田生子は、そのとき仕事着である割烹着姿のまま表に出て、奥の厨房からは見えない通りに立って、七歳ほどの少年に、紙袋を手渡していた。
「ごめんね、お腹すいたでしょ」
「うん、すいた」
 生子は視線を合わせるようにかがみこむと、素直な少年の頭を撫でた。
「ごめんね。こんな時間になって。朱美、いえ、お母さんの具合はどう?」
「あ、コレ――お金」
 少年は『お母さん』と聞き、言付けを思い出したのだった。
「いいの、残り物をかき集めたお弁当なんだから。お薬はあるの?」
「ある」
「じゃあ、気をつけてお帰りなさいね」
「うん、おばちゃ――おねえさん、さよなら」
「おばちゃんでいいのよ。お母さんと同い年なんだから。夜に伺うわ」
 すでに走り出していた少年に向かって、生子は早口の大声でそう呼びかけ、少年の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。そして、振り返ったとき、ちょうど逆方向から現れた二人と鉢合わせとなった。
「こんにちは、浦田さん。お弁当いいかな」
 生子は最初、たまたま八木山ときれいな婦人とが横並びになっただけと思ったが、八木山が止まると、その女性も足を止め、話しかけられた自分をじっと見つめていることから、八木山の同伴の人であることを認識し、何よりまずそのことに驚いた。挨拶を返すのも忘れて、生子は質問を投げかけていた。
「あの、八木山さん、こちらの方は、もしやその、八木山さんの恋人さん……ですか?」
 八木山は、返事に窮してしまった。
「い、いや、そうじゃないよ……」当然の疑問でありながら、まったく予想していなかったからである。このとき彼の頭は、秀子が現れたことで、それどころではなかったのだ。とっさに頭に浮かんだ兄妹という言葉が似つかわしくない気がして、あとを追って口から飛び出したのが、次なる発言だった。「し、親戚の人なんだ」
 空いた間が気になるところではあったが、それでも彼の返答に得心すると、一瞬だけ顔を輝かせた生子であった。
「そうなんですね。あ、さっきはごめんなさい、こんにちは」と、八木山に挨拶を返したあと、生子は片時も自分から目を離さずに見つめてくる隣の女性にも、頭を下げた。「あ、あの、こんにちは」
「こんにちは。お噂はかねがね。こちらのお弁当屋さんはおいしくて、人気だそうで。ところで、さっきの子供は、あなたのお子さんなのかしら?」
「おひい、ンンッ」喉を詰まらせたような咳をすると、八木山は厳しい口調で『連れの親戚』をいさめた。「秀子さんっ、そんな質問は失礼だよ」
 ところが、まるで八木山の知らぬ間に、秀子と生子の立場が確立しているかのように、生子は素直に彼女の質問に答えた。若干、素直すぎるくらいであった。
「いえ、あの子は高校の同級生の子で、わたしは、その、まだ、誰とも……」言ったあとで、生子は顔を真っ赤にさせた。「アッ、どうぞ、中へお入りください。お弁当は何になさいますか?」
 八木山が弁当を注文したあと、秀子が言った。
「わたしはもう食べてきたし、今日は頼まないから、入口に居るわ」
 傘の都合もあったのだろう。
 遠目の視線とはいえ、突き刺すような秀子の視線に耐えきれず、生子は八木山にささやくように話しかけた。
「あのう、八木山さん、そちらの秀子さんとは、どのようなご親戚にあたるのですか?」
「エッ、うん、ちょっと遠い、母方の叔父の――」
 そのとき、秀子があきれかえった口ぶりで、会話に割って入った。
「嘘ですよ。この人、こういう言い方しかできないんだから。この人とわたし、そんなに遠い親戚じゃないんです。三親等と離れていないんですからね。だから一緒に歩いていられるんです。これが四親等以上だと、とてもじゃないけど、ねぇ?」
 呼びかけられた生子は、伏し目がちに応じた。
「そ、そうなんですね」
 真ん中に立つ八木山は、二人を見返し、不思議そうに秀子に尋ねた。
「なんで、四親等以上は駄目なの?」
「ほら、これなんですもの!」
 秀子が図に当たった顔で叫ぶと、生子は一層恥じらいで、逃げるように厨房を振り返った。

 せっかくの生姜焼き弁当が冷えるからと、通用口の前で八木山を施設内に追い返し、一人になったとき、秀子は思った――『あの人に聞いて、どんな仕事をしているのかと思えば、ひどいものだわ。工場勤めのいたる労働者と、接客せねばならないなんて、まるで男たちへの見せ物のようじゃない。あの子の身の上は、指名を受け、拾われるのを待っていた以前のわたしのよう……。世が世なら、わたしもこんなふうにして働いていたかもしれないわ。いつかあの子も知りもしない金持ちに――金持ちならまだいい、無一文の女たらしに――見初められて、嫁に行くことだってありえない話ではない。お天道様だって、あの子が誰と結ばれるべきかご存じのはずよ。知らぬは今のところ、主役のご両人だけ。じゃあ、今、わたしができることといったら……(エッ、何、この胸を締めつける感覚?)……。それにしても、わたしにだけ見える、あの子の眉間の痣だけは調べておく必要があるようね。病ではないわ。病で死ぬ人には、もっと違う

が見えたはずだから……』。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み