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文字数 3,061文字

 チラリと横目で女性陣を一瞥した八木山は右手をズボンのポケットに入れ、すぐさま篠栗だけに視線を向けた。
「なんだい、篠栗。急いでるんだけどな」
「何してる?」
「いや、炭火が熱くなりすぎたんで、水をかけようと思って……」
 バツが悪そうに答えたのは、コンロの担当でもなんでもないからである。
「へぇ、水なんかより、そこいらにいくらでもあるビールをぶっかけりゃあいいじゃないか。風味もつくかもしれないぜ」
 想像だにしないことを言い出され、八木山はたじろいだ。
「そ、そりゃいくらなんでも……それに、ビールだってアルコールなんだから」
「へっ、相変わらず、お堅いやつだ。まぁ、いいから、きみも、ちょっとしたテストに参加しろ」
「な、なんだよ、いきなり」
 たじろぐ八木山の肘を掴むと、有無を言わさず、篠栗はテストを出題した。
「すぐ済む。ではいくぞ――たとえば昼休み、最近親しくなって気の合う異性と並んで歩いていたとき、二人の前に、きみの前々からの意中の人が現れ『おや、付き合ってるの?』と聞かれた。そのとき、きみはどう答える? 待て待て、きみからじゃない。こちらのお嬢さんたちからだ。今回は一人ずつ指名しよう。まずは、このテストを要望した渚ちゃん」
「わたしは、きっぱり『違います』と答えます」
「文枝ちゃんは?」
「『どう見えます?』と、答えるかな」
「千明ちゃん」
「『ええ、そうなんです』なんて平然と言っちゃうかも」
「成美ちゃん」
「わたしはたぶん、庄内(文枝)さんと同じです」
 質問の形式に慣れた女性たちは、みな立て続けに答えた。
「よし、じゃあ、八木山――きみはどう答える? 考えるなよ。思ったことを思ったとおりを言うんだ」
「『そ、そうだったらいいな』って答えると思うよ、たぶん」
 出尽くしたはずの選択肢に、予想外の第四の答えを聞き、初めてまじまじと八木山の顔を見ることになった女性四人であった。
「ハハハ、まったくおまえらしいな。右か左かじゃなく、一歩下がるんだから。では、答え合わせだ。簡潔に行くよ。渚ちゃん、きみは『白馬の王子を求めるタイプ』だ。ともすると、晩婚になりがちだから気をつけるといい。文枝ちゃんに成美ちゃん、きみらは『自分に自信を持った女王様タイプ』だ。しかし、専制君主のように男を支配したい欲望がある一方、奴隷のように尽くしたい願望も秘めている。その気持ちがわかり合えるまで時間がかかるが、わかり合いさえすれば、結婚は早いだろう。『ええ、そうなんです』は危険だね、千明ちゃん。きみは『恋に恋する、夢見る乙女タイプ』だ。渚ちゃんと似て非なるもので、挑発的な態度が、かえってあだとなるパターンだ。意地を張らず、素直に謝ることを覚えなくちゃね。さて、八木山、おまえさんに関しては、ああだこうだ言う前に、横にいた女性が翻然大悟して『いいえ、この人とはなんでもありません!』って先に言い張るだろうな。さ、もう、いいぜ、八木山。肉が炭になっちまう前に、水取りに行ってこいよ」
「えっ、ああ、うん……」
 現にコンロでは黒い煙を上げ始めていた。不本意そうに立ち去る八木山の背中では、女たちのクスクス笑いが始まり、ついには堪え切れない大笑いが一帯に響き渡った。重たい雰囲気も吹き飛んでいた。

 ある懇親会でのこと。
 座敷を貸し切って、いくつかのテーブルで、席を決めずに飲み合っていたとき、もう五分以上にもなるが、八木山が一人の女性を見つめ続けていた。まだ周囲の関心を集めてはいないが、その女性は気管にものが詰まったらしく、こもった咳を繰り返していたのだ。向こうも、八木山が自分を見ていることに気づいたようである。二人は飲み会にあって、あぶれているもの同士であった。
 そのとき、八木山の隣の空いた座布団の上に、どしんと篠栗が腰を落とした。八木山は慌てて視線を逸らしたが、時すでに遅しであった。周囲の目も気にせず、八木山の肩を揺すると、篠栗は声を荒らげて言い放った。深酒を装っていたが、その実、決して酔ってはいなかったのである。
「おいおい、このあと帰り際にでも、想いを告げようったって、あの子のことを見つめすぎじゃないのか、八木山」
「ち、違うよ。そんな気は――」
 二人の会話に気づいた女性は、一刻も早く咳を止めようと、手近にあったコップのビールを口に運んだ。
「わかった、じゃあ、あれだ。おまえがあの子を見ていたのは、あの子が席を離れた瞬間、あの子のコップを奪おうって狙ってたんだろう?」
「そ、そんなこと考えるはずないだろ!」八木山は声を荒らげたが、自ら衆目を集めたことを反省し、上目遣いに女性を見つめながら、篠栗に事情を説明した。「あの子の咳がおさまらないんで、心配してたんだ……」
 しかしそのとき、自分が注目し過ぎたせいで、かえって咳が止まらない状況になっていることに気づいた八木山は、内心後悔を覚えた。一方彼女は、ビールに手を出したのがかえってよくない結果をもたらしたらしく、やはり咳はおさまらず、口に手を当て、小さなこもった咳を定期的に繰り返していた。
 今度はその様子を、篠栗が臆面もなく食い入るように見つめた。
「ああ、なるほどな。よくわかったよ」そこで篠栗は、八木山から話し相手を転じて、咳をしている女性へと話しかけた。彼が声高に呼びかけたせいで、奥にある別のテーブルの視線までもが一気に集まった。「なぁ山野さん、こいつはね、きみが『あのとき』もそんな声を上げるだろうと想像していたに違いないよ」
 確かに我慢しようとしても出てしまう咳は、そんなふうに聞こえなくもなかった。
 咳をしていた女性(山野)が顔から火が出るほどの恥じらいを見せ、顔をそむけると、周囲の女性が視線を振り向かせ、白い目で見つめた――八木山をである。
 八木山はその視線にうろたえながら、自身も顔を赤らめ、小声で篠栗を厳しく責め立てた。
「篠栗、たとえ酒の席でも、ふしだらが過ぎるよ!」
 あざ笑いながら、三倍はある声量で篠栗は言い返した。
「バカ言え、おまえのやってることこそ、ふしだらだってんだ!」
 彼の忠告が丸わかりになるとともに、周囲の男性陣がどっと哄笑した。女性たちも心ならず、つられて笑ってしまい、引っ込み思案な面があり、たまたま一人置き去りだった山野は、すぐさま別の女性たちのグループに引き入れられた。ふと気づいたとき、山野の咳はおさまっていた。
 居残った篠栗が、しばらくして小声で話しかけた。
「それより、この前紹介してやった女はどうだった?」
 唇をとがらせながらも、その場だけのささやき声で八木山は応じた。
「紹介も何もないよ。どういうつもりなんだ。呼び出したと思えば、無理やり酔った女性を押しつけて」
 八木山の剣幕に動じる素振りもなく、篠栗はタバコに火をつけた。
「で、行くところまで行ったのか?」
 八木山は恥ずかしそうに視線を逸らせた。
「きみの言うところがどこかは知らないが、とにかく家まで送って行ったよ。捕まえたタクシーに乗せたが、金を出しても、同乗しなければ泥酔者は送れないと運転手に言われてしまってね。同居人らしい女性に恐ろしい剣幕で怒鳴られたけど、それだって何を言ってるのかわからなかった。だいたいあの子だって、日本語も片言しか話せなかったし」
 篠栗は立て膝をついて、溜息まじりの紫煙を吐き出した。
「ったく、これだもんな。最近の若い女だって、ろくに日本語を話せないじゃないか。まったく、きみってやつは古風な女が好みなんだから。寡婦だったらなおよしってやつだろう?」
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