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文字数 3,734文字

 細かな日時や額面を割愛すると、彼が説明したあらましはこうである――彼らの会社は、取引から経費の精算、給与にいたるまで、現金一括でおこなっていた。最初に帳簿が合わない――誤差とは言えぬ使途不明金がある――ことに気づいたのは半年前になる中間決算であった。その後、精度を高めるべく、四半期決算を、また予定にない月次決算をおこなったが、あるべき現金と金庫におさまった額が、ほぼ一定の割合で足りなくなることがわかった。先々週のこと、社長の監視のもと、出納係に居残りさせ、金庫に入れる前の入出金を確認したところ、またも足りないことがわかった。流用の可能性が高いとみた社長は、一切の予断を失くすべく、この調査を若く有能な篠栗に当たらせた。篠栗は手始めに、経理に入り浸って、現金が支払明細書とともにどのように持ち込まれ、受領書と交換にいかにして持ち出されているかを調べると、金庫におさめてからは厳重だが、それまでは実に大雑把で、各部署から集められた時点では置きっぱなしに近い状態であり、会社の血液とも呼べるものが粗雑に扱われていることに驚きを禁じ得なかった。それでも彼は、日を替えて部署ごとに収支をおこない、結局一か所に集められる直前の段階で抜き取られた可能性が高いことにたどり着き、何曜日のどの時間帯が疑わしいかを導き出した。集められた現金に接触できるものたちとして、実質ここにいる半数を含め、十数名まで犯行可能な人間を絞ったが、本人が先に述べたように、そこからの容疑者の切り捨て、現場不在証明(アリバイ探し)が難航した。その過程で容疑者から外せたのは、若干名であった。次に着手したのは、動機の面からの調査だった。ここ数年のうちに家や車を買ったもの、最近クーラーやカラーテレビを新調したもの、以前より賭け事にはまっているものなどを探ってみた。その十数人の中にも数名いたが、そのものの人柄と実績、また犠牲や代償を考慮すれば、あり得ないように思われた。一週間の調査としては、そこで手詰まりだった。それを昨日の月曜日、社長に報告したところ、かえって安堵するような笑みを浮かべ、社長はこう述べた――『そうか、犯人が見つからなかったのなら、それはそれで結構。わたしとしては、今後こういったことが起きなければいいと思っているだけだから。さっそく明日にもみなを集めて、このことを報告するとしよう』――。
 篠栗の報告は続いた。
「おおよそ被害の総額はわかっており、職場内に盗んだものがいることもわかっています。もちろん、本格的に調べる時間と権限を与えてくだされば――わたしも現在の仕事をしばらくなげうたねばなりませんが――、盗んだものを見つけ出すことはできるでしょう。ですが、社長がこれ以上の犯人探しを望まないとなれば、致し方ありません。この施設のどこぞにいる犯人に告げるとするなら、盗んだ額が経営に支障をきたすまでにいたらなかったこと、二度と同じ犯行がおこなえないことから、罰をまぬかれた社長の恩赦に深く感謝するがいい。でもみなさん、せっかくですからこの場を借りて言わせていただければ、今後は、各部局で現金の扱いをもっと厳格にするべきですし、いくら信用第一とはいえ、いつまでも家内工業のような決済をしていてはいけません。われわれはもはや、周辺に見られるような小規模事業者ではないのですから。向こうが困るからといって、こっちまで同じ手法をとる必要はないのです。取引に関してはもっと、口座を介すなり、小切手を活用するなりしないと。財務も、主計官や税理士に任せきりにするのではなく、監査役を社内に設けるべきです。もちろん何かあった場合は彼らにも責任を取らせます。そうでなければ、形骸化した無意味なものになってしまいますから」年長者である聴衆はうつむくように話を聞き、それに反比例する形で篠栗の言葉には熱が入り、身ぶりを交え、ついには壇上に立つように獅子吼した。「今後はもう、各所手箱のような小さな金庫で現金を保管しておくというやり方は避けねばなりません。手癖の悪いものはどこにでもいます。それはあたかも、目の届かない店頭に高価な商品を置くようなもの。そのものにとっては万引きしてくれと言ってるようなものなのです。『盗人にも三分の理』との言葉があります。しかし、このときの盗人は本当に三分の理のみだったのでしょうか。もともとその気がなかった人間に、その気を起こさせたのですから、われわれに非がないとも言えない。……穂波さんが今、同意できないという顔で睨まれましたが、わたしはあくまでも客観的な立場で申し上げているのです。もし今回と似たような案件が、一般の商店で起きたとしたらどうでしょう? 最新の片手持ちできるラジオを露店のような場所に出しっぱなしにして盗まれたら、それでも警察官はわれわれにまったく罪はなかったと言うでしょうか。見つからなくても仕方がない――『そういうことをされたらわれわれも手の打ちようがないよ』と、慰めつつも暗に訓戒を垂れるのではないでしょうか。とはいえ、このことと、今回の犯人に対する社長の寛容さとは、まったく似て非なるもので、社長が犯人探しを取りやめにしたのは、これ以上身内を追い込むのをよしとしなかったから、その一点だけでした。『仕方ない』ではなく、『そう望まれた』ことをみなさんどうか忘れないでいただきたい……」このとき熱弁が途切れると同時に、老人たちの顔つきがそれまでと変わり、全体の雰囲気が穏やかなものに移行した。彼を指揮者にたとえるなら、さながら大盛り上がりから、余韻嫋嫋静かに幕が閉じるのを導くかのようであった。「わたしはみなさんを責めているのではありません。昔はそれで何の問題もなかったのでしょう。しかし、旧態依然としたやり方は、時代とともに変えるべきではないでしょうか。今回の件に関しては、わたしも内部の人間であり、ある程度内情をわかっていながら、指摘してこなかったことを後悔していますし、責任も感じています。だからこそ、今こうして嫌な役を買って出てまで、僭越にも諸先輩方に申し上げているのです。わたしは今、この会社に入社して、本当によかったと思っています」老人たちの顔つきは、もはやこの結末に満足さえ抱き始めているようだった。「しかし、次はありません! もし同じことが繰り返されるなら、わたしは断固たる調査を社長に進言し、今度は社長も容赦しないでしょう。すべての業務を一時停止してでも、わたしは犯人探しに臨む所存です」
 そのとき、かすかな声が、長机の端より聞こえた。
「ん――、誰です。いま何か言われたのは?」
 発言に集中していた篠栗は、みなが顔を向けたのを見て、かすかな声の発言者に気づいた。それは組んだ手を机上に投げ出し、輪になった腕の中に頭をうずめている八木山であった。今一度、彼は吐き捨てるように、同じことを言った、語尾に名前だけを付け足して。
「……きみだって見つかりっこないさ、篠栗……」
「それは……八木山……どういう意味だい?」
 社長を含め、そこにいた全員が、まなこを見開き、息を呑んで同期二人の会話を見守った。
 三十秒以上かかって、ようやく八木山は声を絞り出した。
「きみが……きみが、犯人なんだから」
 ガタリと椅子が鳴った。立っていた篠栗が身体ごと八木山のほうに向き直ったからである。そのほかここにいる全員は、物音一つ立てることなく、椅子の上で尻を滑らせ、瞬時に篠栗を振り返った。
 篠栗は肺がけいれんを起こしたような笑い声を上げながら、言い返した。
「な、何を言うんだ、八木山? 日頃の憂さ晴らしにしても、冗談が過ぎるぞ!」
「ぼくはきみに、憂さなんて一度も感じたことはないよ、篠栗。それどころか、きみはぼくの誇りであり、ぼくにはできないことをやってのけるきみが――ぼくは大好きだった。いや、今も好きだし、これからもずっとそうあり続けるだろう、少なくともぼくのほうは」
「何をバカバカしい……。冗談で済ますなら今のうちだぞ!……根拠があってのことだろうな。証拠を見せろよ、証拠を。もっとも簡単に論破してやるがな」
 八木山は組んだ手をほどくと、左手で右手を覆い、その手を見つめながらつぶやいた。
「そんな気はなかった……それまできみを疑ったことなんて……。四日前の金曜日の夜、きみは部下たちと開いた飲み会に、ぼくを誘い入れ一緒に昇進を祝ってくれた。話を少し戻すが、その日の午前まで、ぼくの財布には少し変わった一万円札が入れてあった。偶然手に入れ、もう何年ものあいだ、使うに使えずお守りのように入れておいたお札だった。といっても、他人には何の価値もない、紙幣の刻印の末尾が、元号の年数を含め、ぼくの誕生日と一致したというだけのものだった。その日の昼、手提げ金庫からお金を出し入れした際、手を滑らせ、一万円札を汚れたグリースの上に落として、仕方なくその一万円札と自分のを交換した。で、その夜――、きみは、ぼくの折半の申し出を笑って断り、一人で飲み代の勘定を受け持ち、ぼくに『払っといてくれ』と二万円を手渡して、便所に向かった……。その一枚が――

だったんだ」
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