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文字数 3,059文字

 篠栗には、よく人前であざけられたが、それさえ八木山には面映ゆくも喜ばしい、かけがえのない思い出だった。そうでもなければ、自分なんかが同僚たちの口の端に上ることなどないだろうと彼は思っていたから。

 彼らの会社では、八月下旬になると暑気払いとして、よく晴れた日の仕事終わり、従業員全員参加で中庭と屋根のある工場の一角を活用して、酒盛りとバーベキューをおこなうのが、恒例行事となっていた。あくまで社内でおこなわれる催し物であるため、忘年会のような無礼講とはいかず、会費を取らない代わりに一つの業務命令があった。社内での親睦を深めるため、各課の壁を取り払うよう努めることであった。そうなると、八木山の居場所は無いといって過言ではなかった。放りっぱなしだったトングバサミを握ったが最後、いつしか彼はバーベキューコンロの係となって、木炭の燃え具合を調整したり、肉や野菜の場所を移動しながら、ぬるいビールを飲むはめになっていた。しかし、大汗をかくので、そこまでまずくはないのだった。立ったり座ったりするので、ほどよく酒が回ったためかもしれない。あまりによく働くので、そのうちみな、彼がそういう役どころを任じられたのだろうと勘違いするようになった。これはまだ、彼が主任になる前の話である。
 屋根のある場所で、女性陣がしみじみ杯を重ねている席に、篠栗が顔を出した。
「おやおや、各課の看板娘であり、わが社でも指折りの美人四人衆が、こんな隅っこのテーブルで何やってるんだい? よければ話題に参加させてもらえないかな」
 一人が黄色い声で応じた。
「どうぞどうぞ、篠栗さんなら大歓迎。さっき若い男性二人組が来て、何にもしゃべんないから、色々質問したら、逃げ帰ったところだったんですよ」
 篠栗は怯えるまねをしておどけて見せた。
「フュー、そのとき、どんな質問したかはあとで聞くとしてだね」男どもが逃げ帰った跡と思われる空いた空間に、よそのパイプ椅子を滑り込ませ、どっかと腰かけると、横座りに足を組んで、篠栗は話を続けた。「ここの連中は、金属の扱いは熟知しても、こと女性の扱いに関しては、何一つ知らないやつが多いからね。ほら、そこにいるあいつ(八木山)なんて、誰も相手してくれないから、いよいよ鉄板相手に愛撫し始めやがった。見なよ、女王のおみ足に触れることを許された家来のような顔とその繊細な手つき。あいつは、女より金属のほうが好きなのさ。女心はまるで理解しえないのに、金属の延性と展性を見極めることに関しては誰よりも優れ、自由自在の形状に――というか金属にとって、あられもない姿にさえできるんだからね」
 他の三人はクスクスと笑っていたが、前置きなしの猥談に、驚きと戸惑いを隠せない――最近受付に配属された――若い女が、声をこわばらせ隣の先輩社員にささやいた。
「えっ、嘘でしょう? 嘘ですよね?」
 表情だけの返事に留めて否定しない女子社員に替わって、篠栗が答えた。
「ああ、碓井さん、いや渚ちゃんは、去年入社したばかりだったな。そうなんだ、きみみたいなあまり世間擦れしていない若い子が危険なんだ。パッと見、影があり、無口で、仕事ができる先輩――やつは、きみみたいな年上羨望型の女性にとって、惚れる要素が満載なんだから。でもね、無口なのは、単に頭で思っているのが、常に口にできないようないやらしいことばかりで、仕事で溜まった鬱憤は、怪しげな裏町で、ある別のもの、いや、ある行為で発散させているとしたら、どうだろう?」
 まだ噂でしか知らない世界を目の当たりにした気がして、渚は顔をそむけるようにしてうつむいた。
「わ、わたしには全然、そんな人には見えませんけど……」
 それでも反意をにじませる渚を前に、今度は他の三人の女性が驚いた様子で顔を見合わせた。そのうちの一人が問いただすように、渚の顔を覗き込んだ。
「あなた、もしかして、あの人のこと、『いい』って思ってるんじゃないでしょうね?」
「だ、だって、優しそうだし……」
 だしぬけに別の二人が、手で口を覆って噴き出したが、その先輩女子は笑い飛ばさず、顔を向き合せて、真摯に言い聞かせた。
「あのね、渚ちゃん。あの人だけはやめたほうがいいわ。ちょっとでも好意を見せてごらんなさい。家までつけてきかねない人なんだから。みんな、そう噂してるわ。ほら、篠栗さんも助言してあげてよ。あなたはあの方に関して、誰よりもお詳しいんでしょう?」
 それまで頬杖をついて、興味深そうに、じいっとその娘――碓井渚を見つめていた篠栗は、空咳を一つすると真面目くさった調子で言い放った。
「渚ちゃん。あいつはね、ぼくの同期で、実にいいやつですよ」
 周囲にいる人たちが一斉に振り返るくらい、三人が大声を上げて、篠栗を責め立てた。
「ア――ッ、もう、そんな言い方して!」
 次の瞬間、彼女たちが手のひらを返したように笑い出したのは、自分たちがこうなることを見越した上での、篠栗の発言であったことに気づいたからであった。
 篠栗は篠栗で、両手を肩の位置まで上げて、笑ってごまかし、話をすり替えた。
「あはは、じゃあ話題を変えて、きみたちの性格を診断する、ちょっとしたテストをしてみないかい?」
 もともと気乗りしない話題からの分岐に加え、そもそも若い女性が好む話題でもある。一も二もなく女性陣は賛同した。
「するする」「しますします」
「それじゃあ時計回りに、文枝ちゃん、成美ちゃん、渚ちゃん、千明ちゃんの順で答えてもらおう。あまり深く考えず、思いついたことを即座に言うんだよ」みながうなずくのを見て、篠栗はテストを始めた。「もし動物に生まれ変わるとしたら、何がいい? さ、文枝ちゃんから」
「え、そんないきなり……ね、猫かな」
「あたし、鳥。おっきなやつ」
「わたしは魚です。そこまで大きくなくてかまいません」
「じゃあ、わたしは熊、いえ、ライオンってことで」
 腕を組んで、鷹揚に構えた篠栗は、一人静かに得心して見せた。
「ふむ。これで、きみたちの内に秘めた願望が明らかになったよ」
 篠栗が自信たっぷりにそう断言すると、女子四人組は席から腰を浮かせるようにして色めき立った。その華やいだ声の大きさから、篠栗と四人の女子社員のいる席は、一層周囲の関心を集め始めた。前々より一部の青年たちは、事あるごとに彼女たちに視線を送っていたのである。
 何がわかったのかを質問攻めする彼女たちを押しとどめて、篠栗は順番に打ち明けていった。
「まず、猫を選んだ文枝ちゃん。案外きみは寂しがり屋だったんだねぇ。独立独歩のしっかり屋さんに見せておいて、実は甘えたがりなんじゃないか? 真っ赤になったところを見ると、自覚できているようだね。次に、鳥を選んだ成美ちゃん。きみは休みがあれば、旅行に出かけたがるほうじゃないかい?――やっぱり。平凡な生活から抜け出して、自由を求めたがる性格のようだ。鳥の大きさは、その度合いを表している。さて、渚ちゃん。きみは逆に、魚を選ぶんじゃないかと思っていたよ。きみは相手との距離を大事にする子だね。近過ぎず、遠過ぎずの微妙な距離を取ろうとする。というのも、誰とも清い関係でいたいからさ。八方美人の気があるが、決して悪いことじゃないからね。そして、熊ではなく、ライオンを選んじまった千明ちゃん。どっちも同じことだがね。きみはサディスティックな願望の持ち主だ。男をいじめたり、振り回すことに愉悦を覚える。もっとも、わざと出てない選択肢を選ぼうとしたのなら別だがね」
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