第8話

文字数 1,744文字





「エモいって言葉が流行ったことがあるわね。詩に関して言えば、ポエムっていうのはエモい詩、なんて認識されたりして。〈エモ〉ってもともとウィーザーってバンドのジャンルとして使われて(彼らは「泣き虫ロック」とも呼ばれたわね)、その後ラッパーやギークが流行らせたわ。エモい詩から入門してそのままずっとエモい詩から離れられないのは、詩を書き続けるとしたらいただけないわね。口語自由詩をつくった萩原朔太郎が文語詩に戻っていったのを思い出してほしいわね。ある程度経ったらジャンルの歴史を学ばないと、同時代のエモだけがただある腐ったこの環境を抜けられないとわたしは思う」
 緋縅先生が牙野原に話した、そんな言葉を思い出す。

 牙野原は〈汁粉屋ガルル〉のエアコンの羽根の動きを観てから、テーブルにある手元のスプーンを持った。
「あたしはストーリーテラーではないし、そもそも自分ごときの想像力なんて信じていない。ひたすら勉強しないと、あたしは最低で最下位の、クズのまま終わるし、終わるのだろう。だが、だ。あたしは〈作品〉を書く。〈あたしだけの作品〉を。これがあたしの〈存在証明〉だ。これからあたしの作品がどう変わっていくかはわからない。でも、自分は、自分の歪さと向き合いたい。向き合って、打ち勝ちたい。歪で、卑怯で、臆病で、嘘吐きで、死んだ方がマシなこのあたし自身と向き合って、打ち勝ちたい。それがあたしにとって、詩を書くということなのさ」
 汁粉屋でパフェをスプーンですくいながら、牙野原はそう言った。
「まるで、牙野原がよく口に出す〈十字架〉の話だな。なにか、十字架を背負って生きているような感じがするよ、おまえは」
 と、おれ。
「鯨瀬は面白いことを言うぜ。十字架背負って生きていかなきゃならない部分はあるだろう。被害者ヅラはあたしには似合わない。即刻やめて、作品に向かった方があたしらしいや」
 そういや目の前のこいつは、統合失調症という病気と闘っているのだ、という事実を思い出す。しゃべっていると、どこか、病的なところがあるのがわかる。だが、それがどうした。精神障害だ、と蔑んで終わるような話か? 違うだろう。目の前のこいつは闘っている。その確認が、この言葉の数々でわかる。それこそ、アントナン・アルトーという男が電気椅子に座らされながら思案した言葉の数々を想起させるだろう。
「あたしをいじめてきた奴らは今もどこかでのうのうと生きているからなぁ。虚飾の上塗りをしている人々。生きて、この人生であたしを蹴落としてきた奴らのケツに鉛玉をぶち込むしかねーわな」

 この一連の話を聞いた奴がいたら短絡的に〈エモい〉と表現する奴らもいるかもしれない。だが、そこからちょっと、一段階、パラダイムシフトしてみる必要が、あるのではないか。どういうディスクール……言説を扱うか、それを、おれや牙野原は、意識的になる必要があるのではないか。
 スプーンで運んだパフェを一口食べて、「う〜ん! おいしい!」と唸るこいつに、しあわせになってほしいな、と思うおれがいる。おれはおしるこを啜りながら、汁粉屋ガルルで、放課後を潰す。
 ああ、部活にここ数日、出ていない。夏野や最知が目くじら立てているだろうなぁ。
「たまにこの〈ガルル〉に来ようぜ、鯨瀬」
「ああ、いいよ」
「わりぃな。なんだか誘っちまって」
「いや、奇縁だと思うよ、おれも」
 上級生たちはまだおれのことを殴りたいだろうし、牙野原のことも、目をつけているだろう。田舎の高校も、困ったもんだよな、人間関係。昭和かよ。
「学校で授業を受けていたらこんな時間になってしまったわけだけどよー、鯨瀬とトークするのは有意義だ。今後も付き合ってもらうぜ」
「〈学校の授業の方がついで〉みたいな発言だな、牙野原」
「こちとらパンを食べるためだけに生きてるわけじゃねーんだよな」
「ふぅん」
「たまには甘味を食べねーとな!」
「格好良いと思ったおれがバカだったッ? そういう意味なのか」
「違うけどな!」
「はいはい、甘味に付き合うよ」
「よろしく」

 で、部活に出ようとしたら秋ナスもらいに農家へゴー、という流れだ。しかも、おれひとりで。
 牙野原も大概な部分があるが、その姉である緋縅先生は、おれをなんだと思っているんだ……。


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