第19話

文字数 1,039文字





 牙野原の連絡先を訊くのをすっかり忘れていたおれは、放課後牙野原の教室に行くと、そのまま甘味処〈汁粉屋ガルル〉に連れていかれた。
「甘味の前に、まずは腹ごしらえだ」
「昼飯食っただろ?」
「読書に夢中になってたら昼休みが終わっててな、食ってない」
「ああ、そう」
 そしてオーダーして運ばれてきたのは〈ナシゴレン〉だった。インドネシア風チャーハンと呼ばれることの多い、インドネシアやマレーシアの焼き飯料理である。サンバル、ケチャップマニス、トラシもしくはブラチャンなど現地特有の調味料を使い、また、ニンニクやサンバルに入っている唐辛子などが使われる。動物性の食材としては鶏肉、牛肉、エビなどが使われることが多い。そういう焼き飯である。
 ナシゴレンをもしゃもしゃ食べながら、牙野原は和服を着たウェイトレスを呼ぶ。
「ハロハロを二つね。あたしと、こいつの分の、二つ」
「かしこまりました」
 厨房へ消えていくウェイトレス。
「ハロハロってなんだ?」
「知らないのか? ハロハロっつーのはタガログ語で〈混ぜこぜ〉っていう意味で、フィリピンの代表的なかき氷デザートのことだぜ?」
「へぇ」
 焼き飯の直後にパフェ型の氷デザートを食べる牙野原。おれもハロハロを食べる。おいしい。
「う〜〜〜〜ん、おいしい!」
 頬張るその頬を手で押さえて、よだれを流しそうな口元にキラキラの瞳でハロハロを食す牙野原。
「ところで、連絡先の交換と行こう、牙野原」
「鯨瀬も、女の子の連絡先をこうやって採取していくんだな」
「おいおい、おれをそういうキャラにするな」
「はいはい」
「牙野原。おれはこの前、ナス農家に秋ナスもらってきたら、先生は草野心平の『宮沢賢治覚書』をくれたよ」
「鯨瀬。おまえも詩の世界へ来るってことか」
「歌詞を書くのが今、部活で課せられているけど、そうだな、自由詩にも、興味がわいているよ」

「言葉なくそして未練なく。枝々に別れを告げて地に落ちる葉っぱたちの。未練のないその。樹木の倫理の当然さ凜々しき美しさ。透き通った沈黙の深みから沸く。天然の金の竪琴」

 おれは詩をそらんじる牙野原をまっすぐ見つめる。
 牙野原は続けた。

「目醒めているのは、宇宙だけ。夜中の四時の。宇宙のなかに。独り」

 それは草野心平の自由詩で。この金の竪琴を聴くことが出来るのは、詩人と呼ばれる人間なのだと思う。そして、目醒めているのは宇宙だけで、夜中の四時にひとりでこの言葉なく未練さえなく落ちる葉の、自然の摂理を感じ取れる詩人の姿が、おれには見えた。


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