第22話 車谷長吉、高橋順子 血みどろの夫婦

文字数 1,880文字

伴侶や子供、友人や編集者。
近しい人による作家の回顧録が好きです。

竹書房のマージャン劇画誌において、漫画家のみやわき心太郎さんが色川武大の妻・孝子さんにインタビューしました。
ご存知の通り、色川は阿佐田哲也の筆名で、「バクチの神様」とか「雀聖」とか呼ばれていましたが、それが虚名であることは本人も書いておられて、また博打で負けたお金などは、孝子さんがご実家に度々無心していたようです。
これは孝子さんの著書「宿六・色川武大」に出てきた話ですが、亡くなられたときの預金通帳の残高は、あれだけのベストセラー作家にもかかわらず50万円だったそうですし(笑)。

晩年の恋人だったヤン・アンドレアの書くMデュラスはデュラスそのものですし、お名前は伏せましょうか、瀬戸内晴美(後の寂聴)と戦後文学を代表する井上光晴が男女の仲だったとか、要するにゴシップが好きなんですね。下品。僕。

でも下品な趣味と知りながら、手にしたのは高橋順子「夫・車谷長吉」
自らを「反時代的毒虫」と呼び、世間に悪罵を吐き続けた作家を伴侶はどう見たのか、ゴシップ好きとしては読まないわけには。
念のため申し上げておきますと、妻・順子さんは元編集者で、高名な詩人であられます。

二人の関係は車谷のアプローチから始まったようです。
順子さんの詩に感動した車谷が、知人を介して絵手紙を度々送ってきたようです。
順子さんは返事を書かず、別のインタビューによると薄気味悪く感じておられたようです。そりゃそうですな、面識ないのに(笑)。

しかし交流が続くうちに車谷の文才に気づいた順子さんは、自費出版の会社をお一人で経営なさっていたのですが、車谷がそこから本を出したいと原稿を持ち込んできます。
一読し、とても自費出版するレベルではないと判断し、また芥川賞の候補になっていたことも後に知り、大手の出版社への持ち込みを勧めます。
結果、その作品、「鹽壷の匙(しおつぼのさじ)」は新潮社から出版され、三島賞を受賞します。
この頃から二人の間に恋愛感情が芽生え、結婚へと至ることになります。

しかし、その結婚生活は波乱に満ちたものでした。
実名を出す私小説、しかも人を罵ることに躊躇しない作風、順子さんのご心労はいかばかりか。

それに車谷が強迫神経症を発症し、それは、具体的にはここに書けないほど、かなりの重症だったようです。

それで思い出したのですが、色川武大の歿後何年かのときに「文學界」が特集を組み、「狂人日記」について、「文学は血みどろ」というような言葉を、車谷が寄せていた気がします。
当時から僕は車谷作品が好きでしたが、さすがにこの言葉には芝居がかったような、鼻白むものを感じましたけれど、順子さんの文章によると、意外に本音だったのかもしれません。

高橋源一郎さんと山田詠美さんのご本「顰蹙文学カフェ」に車谷が招かれて行われた鼎談では、経歴に嘘はないが書き方に大幅にデフォルメがあると高橋さんに指摘され、車谷は悪びれず「安岡章太郎さんは僕を文壇随一の知能犯と呼んでいる」と嘯きますが、その裏に順子さんの献身があった事は間違いありません。
だから、病を患いながら残せた「赤目四十八瀧心中未遂」に「武蔵丸」などの名作たち。

以前に、車谷の「妖談」を取り上げて、車谷の小説からは車谷長吉の本心が読み取れないと書きました。
しかし順子さんへ宛てた手紙の中に、まさに本心と思える箇所がありました。



この世の道連れに――。

車谷さんは孤独だったのですね。そして、同様に孤独だった順子さんの魂もそれに共鳴した。
晩年、車谷が初期作品では考えられない他者への優しさや慈悲を簡潔ながら記したことに、順子さんの存在が無関係だったはずはありません。

そのことに感動しつつ本書を読み進めるうちに、車谷について知りたい下品なゴシップ根性が、いつの間にか順子さんの、抑制の利いた文章に心地よく酔っていることに気づきます。

詩人であられるためか、能弁にはならず、あえて書かなかったであろう空白を読ませる文章、夫ばりに、次々と飛び出す人物の名前とトラブル、何より、車谷長吉と言う文士を見つめる、穏やかなのに冷徹な視線。
詩人は心労を重ねるだけではなく、抜け目なく体験を作品へと昇華して――。

まっこと、文学は血みどろである、のかもしれません。
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