第14話 ブレット・アンダーソン(SUEDE)

文字数 2,726文字

英国のバンド、suedeは、1994年の2ndアルバム「ドッグ・マン・スター」に、どうして「ステイ・トゥギャザー」を収録しなかったのだろう。

あの曲はシングルチャートで全英3位になり、当時のバンドの最大のヒット曲だった。
日本版では、4分くらいのラジオで流す用のエディット・ヴァージョンと、後にバンドを脱退するバーナード・バトラーの独壇場とも思えるギターワークが後半に炸裂する7分半の大曲、断然自分はこちらが好きだった。
あとインスト(カラオケ?)ヴァージョンも入っていただろうか。

つまり、通常の感覚ならば、アルバムの目玉曲となるはずだったのに、どうして収録しなかったのだろう。
長さの問題とは思えない。なぜならば、やはり9分以上の「アスファルト・ワールド」が収録されていたから。

スゥエードは無名のインディレーベルと契約し、92年のデビューシングル発売前から英国では話題になっていたらしい。
バンド名をそのまま冠したデビューアルバムはおおむね好意的に迎えられて、同性愛、近親相姦、獣姦などタブーの意味合いが濃い性を題材にして、ボーカルであるブレット・アンダーソンの挑発的な発言、「僕は男性経験のない両性愛者だ」などがメディアを賑わす。
後のブリットポップの先駆けとなったのはスゥエードというのが一般的みたいだけれども、それは自分の記憶とも一致する。

先のブレットの発言は当時のLGBT団体から批判されたようで、自分もいま見たらムッとする。
でも、学生の自分は己がゲイだと薄々自覚しつつ、それを直視しないようにしていた時期で、単純に憧れただけだった。

2ndアルバムの制作がほとんど終わっている段階で、ギタリストのバーナードが脱退してしまう。
大学の購買部で買った「ロッキング・オン」にそれを示唆する記事が載っており、愕然としたものだ。
演奏や曲を評価してほしいバーナードは、それら以外で話題となるブレットに嫌気が差して、編集部が掲載を控えるほどの罵りを行ったらしい。

デビューアルバムが佳曲揃いの1枚なら、「ドッグ・マン・スター」は全体で都会の虚無とでも言うようなものを体現したアルバムであり、スウェードが現在地に留まることを良しとせず、更なる高みを目指すバンドであることを理解した。
しかし売れ行きは、デビューアルバムに及ばなかったらしい。
「ヒロイン」や「ウィー・アー・ザ・ピッグス」など好きな曲が多いのだが、シングル盤であんなに聴き込んだのに、どうして「ステイ・トゥギャザー」が入っていないのか納得がいかなかった。
核戦争が終わった後の世界を表した、あの曲。

オアシス、ブラーらがブリットポップを牽引し、スゥエードは話題にならなくなった。
しかし、バーナードに代わり17歳のギタリスト、リチャード・オークスとキーボード奏者のニール・コドリングが加入、3rdアルバム「カミング・アップ」はデビュー作にもどったかのような、いや私的にはそれ以上に粒だった佳曲揃いの傑作。
アルバム収録曲のうち5曲がシンブルカットされ、ほどなくB面曲ばかり集めた「サイ・ファイ・ララバイズ」をリリース、スウェードは華麗に帰還した、かに思えた。

99年の4作目、スゥエード流ダンス・アルバム、「ヘッド・ミュージック」は商業的に不振、なんでもこの時期ブレットは、薬物依存に苦しんでいたらしい。

依存をどうにか克服した2002年、5th「ニュー・モーニング」をリリース、
それまでの裏声ヨーデル歌唱法を封印し、健全健康的な衣服に身を包んだブレットはストレートな歌声を響かせて、つまりは高みを目指した。
けれどファースト以来の退廃かつ虚無を愛したファンは離れて、やはり不振、しばらくの後バンドは活動停止。
自分の「青春」にも区切りがついた、かに思えた。

自分は、ブレット・アンダーソンに憧れていたが、性愛の対象に観ていたわけではなかった。
顔は端正だけれども、紡ぐ世界観もルックスも耽美的で、そういう対象とは思えなかった。
逆に言えば、ブレットと「やりたい」とは思わなかったけれども、「なりたい」とは思ったかもしれない。
暮らし、あるいは生き方への影響という意味では、スゥエードは色川武大並に、自分には大きかったかもしれない。
ブレットの、あまりに真摯に、あるいは愚直に、表現に向き合う姿。

スゥエードの活動停止後、ブレットはバーナード・バトラーと関係を修復して、バンドを結成。
うまく行かず、ソロ活動も行うが、商業的には伸び悩む。
この時期ブレットの活動は知っていたが、貧乏だったせいもあって、アルバムを買うことをしなかった。
スゥエードは自分にとって特別だから、スゥエードの雰囲気が漂う別物は、聴きたくなかったのかもしれない。

時を経て、ロックの社会における立場も代わり、自分も音楽はCDではなくネット経由で聴くようになったいま、スゥエードが活動を再開していたと知る。
あにはからんや、2022年のアルバム「オートフィクション」は全英2位だったとロッキング・オンのサイトにある。
結成から30年以上のギターバンドのアルバムが2位? 目を疑った。
しかし、痛快でもある。

ブレットは、まじめなひとのようだ。
デビュー作の二番煎じを良しとせずコンセプトアルバム的な1枚を作り、バンドの要のギタリストが抜けても新メンバーを迎えてシーンに返り咲く。
かと思えば誰も想像していないダンス・ミュージックをリリースして転び、持ち味であった世界観すらかなぐり捨てて、その時点における己のリアルを唄う。溌溂と。まっすぐに。
で、コケる。
のに、立ち上がる。
「ステイ・トゥギャザー」を収録しなかったことも、彼でありメンバーの、何らかの意図があったのだろう。

デビューアルバムはロック史に残る物となったようだし、最近の彼の映像を観て何におどろくって、若い頃と体形が変わっていない。
食事やトレーニングに、ストイックなまでに拘っているのだろうか。
薬物依存の頃は、不健康な肥え方をしていたのに。

先に観た映像とは、障害者と健常者が一緒になって演奏する「パラオーケストラ」という楽団とのセッション。
まじめだから、大向こうに不謹慎な発言をしたり題材を扱ったりした彼が、パラオーケストラの演奏で歌う姿には、違和感がなかった。
いま現在の彼がやりたいことなのだと思ったからだろうか。

ブラーほど器用ではなく、オアシスほどパワフルでもなく、けれど不器用に泥臭く歩み続けたブレットでありスゥエードが、ライブを続けて、安定感のある活動を続けている。その姿に励まされる。
世の中そう捨てたモンじゃない。

デビューアルバムや「カミング・アップ」に耽溺していた頃の自分が聞いたら、鼻で笑いそうだけれども、実感である。
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