第3話 筋肉少女帯 泥道の先の光

文字数 2,118文字

中二病という言葉には悪い思い出がある。
サメ映画が今のように流行る前、『鮫葬』という話を書いて、「ミステリーかと思ったらミステリーではなかった。なんだこれはと思った。中二病的な世界が展開される」と☆二つのレビューを書かれて激怒アンド失望、ミステリーを期待したのは先方の手落ちであり、いま振り返るとそれほどよい作品ではなかったから☆ふたつは納得しているけれども、万が一レビュアーに偶然会ったら鼻折ったるねんくらいの気概はある。嘘ですけど。暴力はダメ。
憎しみに憎しみで対抗しても憎しみが増えるだけなので。

筋肉少女帯は私が十代の頃から活躍し、当時はオーケンの歌詞やステージでのコミカルさばかりに目が行き、好きだけどファンというほどでもなく。

が、四十代半ばにヒョイと聴いてみたら、演奏めっちゃ上手い。それに歌詞、パロディ精神でコーティングされた奥には、こんなにも深い内容があるだなんて!

以来、一人カラオケでは一曲目から『釈迦』を入れて調整に失敗して開始早々喉をやらかしたり。
クラシックが好きだという殿方に何を聴くか問われて元気に「筋肉少女帯!」と答えて戸惑わせたり。
持病で聴覚過敏が凄いことになってテレビも音楽も毎年のお楽しみ、M-1グランプリも観れず聴けず、でも少し調子がよかったときにはキンショ―のYouTubeを見た。食い入るように観た。
憶えている。当時大好きだったひとのことを思いながら『僕の歌を総て君にやる』を聴いて泣いたのだ。
歌詞の中でオーケン歌う主要人物は、メンタルの薬を三種類服んでいるけれど、自分は日に二錠までと硬く決められているSSRIを日に一錠処方されて、劇的に効果を示し、ようやくのこと社会復帰への道筋が見えた。
実際に復帰するのに、二年くらいかかったけれど。

筋肉少女帯の『中二病の神ドロシー』は、メジャーデビュー25周年時にリリースされたセルフカバーベストアルバムに収録されて、リードトラック的に位置づけられていたようだ。

四半世紀(=25年)推していたバンドが実在しないと、推定四十代女性が気づいたらしい。
HPもウィキも消えて、バンドが存在した痕跡はなく、幻か妄想を信じていたと女性は気づき、それは、例えば敗戦により教えられていたことが180度反転したり、病が癒えて認知の歪みが修正されて友人だと思っていたひとが友人ではないと気づいたり、親が実はけっこうなクズと知ったり、己が己として立つ土台が崩れること。怖ろしい。

PVはキンショ―の中でも異色の出来栄えで、リストカットをしているらしき制服姿の女子が現れる。

こういうとき、なんと言えばいいのか……自傷行為をする者を見世物的に、ある種ショッキングに扱うと、観ているこちらはたちまちに冷めるものと思います。
でも、このPVの中のその場面では、ファン贔屓のせいもあるかもしれないけれども、違和感がなく、リストカットに対する当事者意識がバンド側にある、気がしました。

当事者意識。リストカットは、生きたいという気持ちの表出、それを知っているから、裁かない。叱らない。
嗚呼、偉そうだ。自分は痛いのが怖くてそれをしたことがないのに……。

曲中で歌われる四十代女性のメンタリティは、まるで文系の中学生女子として比喩的に扱われて、その文系女子を「ドロシー」とこっそり内心で呼ぶ中二病男子が歌の中ににわかに登場します。

事ここに至りて、物語の前提が崩れます。
ほんとうに「ドロシー」は存在したのか? それもまた中二病男子の妄想ではないのか?

けれど終盤に来てオーケンは歌う、そのバンドは演り続けているのだと。25年、曲を届け続けているのだと。

冷笑的に扱われがちな「中二病」であると筋肉少女帯は高らかに宣言する。
女性的なフリルのついたドレスに身を包んだギタリストの橘高が超絶テクを展開し、作曲した本城はその人柄が滲む佇まいでギターを掻き鳴らし、ベースの内田さんは深刻な歌詞内容に対し飄々とした踊り(?)を一瞬だけ見せて、ほぼ仙人。
そして、大槻ケンヂは、血染めの白衣を着て派手に動くことはなく、眉を動かし眼光は鋭く、年齢は50歳前後か、大したイケオジぶりで、終盤では知的な眼鏡にブルーデニム、アコースティックギターでサビを歌い、中二病が大人へと成長したときの理想図の一例を提示してみせる。

我々は中二病、世間になじみ切れず空想世界を必要とする者。
しかし、だからそれがどうした?
運動ができる。喧嘩が強い。人望がある。モテる。金がある。美貌。
世間一般に評価されがちな基準をかなぐり捨てて、ひとによっては馬鹿げたと失笑する道を四半世紀突き進んだ結果、到達した境地、そこにあるものを歌にした。

中二病の神は、ドロシー。

神は……多くのものを持たざる者が持つことを赦された、唯一のよりどころである気がする。
それを使って金儲けに走るとはとんでもないことで、どうで天罰が下るであろう。
しかしドロシーを信仰する者は信用できる。

苦に満ち満ちた泥道を四半世紀歩いてつかみ取った光、それがドロシーであり、新型コロナがいまだ蔓延する2021年、メジャーデビューから30年ほど、かつて中二病だった少年は歌うのだ、『楽しいことしかない』と。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み