第6話 中村うさぎ 闘いに区切りをつけた先

文字数 1,252文字

「自己評価の一段下が他者の評価」
「誰かを嫌うのは、そこに嫌いな自分を見るから」

言い回しは間違っているかもしれません、こういうニュアンスのことを書かれていたのは間違いないのですが。

中村うさぎさんには大変に影響を受けていて、例えば「文学」をとても大事に思いながら、同時にそのうさん臭さ、自己陶酔を呼び勝ちな要素への警戒などは、氏から学んだことのように思います。

買い物依存、ホストへの入れ込み、整形、デリヘル。
体当たりで得たものを思考し、論理を大事にして徹底して客観に努める。
ときに己が他者に示す優しさすらも欺瞞を孕んでいるのではないか客観のまな板にのせ切り刻む。

そのやり方は誤解を招きましたし招いても致し方ない面があるように思いますし、また揶揄される場面も見ました。

でも、いつだって本気だったと僕は思っています。

マツコ・デラックスさんが出された二冊目のご本で倉田真由美さんと鼎談をなさっています。
そのときうさぎさんは50歳前後でしょうか、紙オムツを穿いて場に現れて、爆笑をかっさらっておりました。



数年前の夏、5分に一度トイレに立つことが続きました。
膀胱は大洪水を予告しているのに、出る物はシシオドシ。ちょぽん。
神経系がおかしくなっていたのでした。
思えばあの頃「デビッド・ボウィ」が出てこなくて、まず若年性アルツハイマーを疑って背筋が凍ったけれども、その他もろもろ鬱病の症状がくっきりと形になり始めていて、と気づくのはもう少し後のことです。

自分の体験を下敷きに想像します、固い意思によって世に流布する常識やフレーズにひそむ欺瞞を引っぺがし、その客観のメスはときに自分自身に向かい、そのときうさぎさんの肉体はどれほど怖かったでしょう。緊張し、怯え、逃げたいのに意思は闘いを止めない。
いたましいものを目撃した気持ちになり、けれども誰も止める権利を持たないのだ、ということを改めて思います。

虐待を受けて育った若きイラストレーターの、こうきさんが絵を担当し、うさぎさんが文を書き、絵本『ぼくは、かいぶつになりたくないのに』がクラウドファンディングを経て2018年に出版されました。



長くつらい闘いの日々を越えて、うさぎさんが示したものが、献身的な介護を続けてくれる、性愛に由来せず利便性に基づいて結婚したゲイの夫への感謝であり、虐待や、雰囲気や容姿や、運に恵まれなかったことや、あるいは特性で生きづらさを抱えた者どもへの嘘偽りのない慈愛の言葉であったことに胸うたれます。

とても、とても、胸うたれます。
氏が書く以上、それは本心でしかないからです。
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