第18話 前田健(お笑い芸人) もちろんだ、生きよう
文字数 1,533文字
2016年4月に急逝なさった前田健さんの短編小説「サンフラワー」は、こんな書き出しで始まります。
主人公・浩一は性的指向をオープンにしていないゲイで、内気で、プロボクサーなのです。
彼はセクシュアリティに由来して自己評価が低く、やめる勇気がないからボクシングを続けているだけで、でも恋をしています。
恋の相手の山崎はスポーツライターであり、浩一を取材対象にしています。
取材とは相手を理解しようとする試みであり、浩一と山崎の会話は、僕にはエロチックなものを感じさせます。体ではなく、心が交わっているから。へ理屈でしょうか。
山崎に、何と戦っているのかを問われて、浩一は答えます。
この答えで、内気な浩一は彼なりに、山崎に彼の大切な部分を開示したと思われて、裸を見せてもらうより、僕にはエロチックに感じる場面です。大切な部分を開示することは、相手を信頼している証と感じるから。
「サンフラワー」は「それでも花は咲いていく」という短編集に収録されて、この短編集には、例えば性欲のない人、例えばセックスに耽溺する人など、性的に様々な事情を抱えた人々が登場します。
そして前田さんは、事情を抱えた人々に寄り添おうと努めて、あるいは人々の痛みに共感を示していると感じます。
テキストを離れ、氏の芸能活動を顧みても、寄り添い痛みに共感する姿勢は、単に芸能界で生き残るための戦略だったとは思えません。
オネエブームの到来する前にゲイだとカムアしたり、他のオネエタレントさんが笑いを取る中、芸人としては損なのに(空気を読んで笑いに走ったほうが得と思われるのに)、バラエティ番組でさりげなく性的マイノリティの置かれている状況についてまじめに発言したり、芸人であると同時にゲイとして生きることは氏には大事なことだったのではないかと推察します。
恋愛を通じボクシングを通じ、浩一は、徐々に己を肯定します。
そして、試合中にこう思うのです。
僕の勝手な想像ですが、前田さんは日頃から健康に不安を持ち、彼自身がつらいから他者の痛みやつらさに敏感で、そこから、「寄り添う」という姿勢が生まれたのではないでしょうか。
いや、僕の考えすぎで、単に前田さんは感受性が豊かで、優しかっただけなのかもしれません。
でも氏の死後に「サンフラワー」を読み直して、45歳のおっさんの甘い感傷だと承知しつつ、泣きました。
己に生きる価値があるのかという問いは、浩一ではなく、実は前田さんの心の叫びだったのではないかと思って。
そして、「それでも花は咲いていく」全編を通じて、氏は、「もちろんだよ、生きよう」と伝えてくれたと思うのです。
なのに。
単なる偶然にすぎませんが、前田さんは、僕と同い年。
面識はなく、嘆いても仕方ないけれども、早い。
【追記】
その後、事務所の後輩にあたるオードリーさんが事務所の先輩であるはなわさんや原口あきまささんらと番組でマエケンさんの思い出話に花を咲かせておりました。
生きれば生きるほど不幸になる。
ボクシングのトレーニングジムの、壁一面の鏡に映る自分の姿を見ながら、そう思った。俺は牛のようにでかく、毛深い体に汗をいっぱいかいて、鏡をボンヤリ見ていた。
主人公・浩一は性的指向をオープンにしていないゲイで、内気で、プロボクサーなのです。
彼はセクシュアリティに由来して自己評価が低く、やめる勇気がないからボクシングを続けているだけで、でも恋をしています。
背が高く、スポーツ刈りの髪には白髪が混じり日焼けした肌に白いシャツが浮き上がって輝き、黒の革のジャケットを軽い感じで着こなしていた。そう、山崎さんは41歳の男だ。
恋の相手の山崎はスポーツライターであり、浩一を取材対象にしています。
取材とは相手を理解しようとする試みであり、浩一と山崎の会話は、僕にはエロチックなものを感じさせます。体ではなく、心が交わっているから。へ理屈でしょうか。
山崎に、何と戦っているのかを問われて、浩一は答えます。
世の中の、どうにもならないことってありますよね。きっとそういうものと戦おうとしてるんじゃないでしょうか。
この答えで、内気な浩一は彼なりに、山崎に彼の大切な部分を開示したと思われて、裸を見せてもらうより、僕にはエロチックに感じる場面です。大切な部分を開示することは、相手を信頼している証と感じるから。
「サンフラワー」は「それでも花は咲いていく」という短編集に収録されて、この短編集には、例えば性欲のない人、例えばセックスに耽溺する人など、性的に様々な事情を抱えた人々が登場します。
そして前田さんは、事情を抱えた人々に寄り添おうと努めて、あるいは人々の痛みに共感を示していると感じます。
テキストを離れ、氏の芸能活動を顧みても、寄り添い痛みに共感する姿勢は、単に芸能界で生き残るための戦略だったとは思えません。
オネエブームの到来する前にゲイだとカムアしたり、他のオネエタレントさんが笑いを取る中、芸人としては損なのに(空気を読んで笑いに走ったほうが得と思われるのに)、バラエティ番組でさりげなく性的マイノリティの置かれている状況についてまじめに発言したり、芸人であると同時にゲイとして生きることは氏には大事なことだったのではないかと推察します。
恋愛を通じボクシングを通じ、浩一は、徐々に己を肯定します。
そして、試合中にこう思うのです。
山崎さん。
俺はこんなでも生きていく価値はありますか? 俺がやっていることは愛されることにつながっていきますか?
俺の弱さを誰かが抱きしめてくれる日は来ますか?
俺……生き方合ってますか?
僕の勝手な想像ですが、前田さんは日頃から健康に不安を持ち、彼自身がつらいから他者の痛みやつらさに敏感で、そこから、「寄り添う」という姿勢が生まれたのではないでしょうか。
いや、僕の考えすぎで、単に前田さんは感受性が豊かで、優しかっただけなのかもしれません。
でも氏の死後に「サンフラワー」を読み直して、45歳のおっさんの甘い感傷だと承知しつつ、泣きました。
己に生きる価値があるのかという問いは、浩一ではなく、実は前田さんの心の叫びだったのではないかと思って。
そして、「それでも花は咲いていく」全編を通じて、氏は、「もちろんだよ、生きよう」と伝えてくれたと思うのです。
なのに。
単なる偶然にすぎませんが、前田さんは、僕と同い年。
面識はなく、嘆いても仕方ないけれども、早い。
【追記】
その後、事務所の後輩にあたるオードリーさんが事務所の先輩であるはなわさんや原口あきまささんらと番組でマエケンさんの思い出話に花を咲かせておりました。