第2話 西村賢太 追悼

文字数 2,190文字

貧乏は身体にわるい。
西村賢太の訃報を受けてつくづくそう思います。

東日本大震災があった年、自分は土の検査をする会社でアルバイトをしており、賢太が芥川賞を『苦役列車』で受賞しあの風俗発言でにわかに注目を浴びており、一度も口を利いたことのない会社の上役が小説を書いていると知っていたのか自分に話しかけます、「どえらい新人が出たなァ」
自分は困惑しました。
賢太は同人誌に発表した『けがれなき酒のへど』が2003年に『文學界』に転載されて実質的なデビュー、華々しい新人賞受賞と無縁であるところが実に賢太らしく、異様に粘着質で古めかしくもキャッチな言葉を駆使する文体、女性への暴力に酒や獣じみた性欲、一転私淑する藤澤淸造への純な傾倒ぶりなどゼロ年代には類する物なく、また彼が売りにした中卒という時代がめぐり令和ではたまに聞く履歴とも相まって、一部の読書家や批評家のあいだでは注目、すでに野間文芸新人賞を受賞、また芥川賞の候補作とされていたのです。
自分もまた、『けがれなき~』で賢太そのひとと思われる主人公の容貌を水死した金太郎と記した箇所にふれてぞっこん、以後他の作家よりごひいきにしておりました。

けれど『けがれなき~』では後に彼の大きな武器となる笑いへの意識、自己の戯画化が充分ではなく、「このひと自殺しちゃんじゃないかな~」といまにして思えば苦笑ものであり見当違いの心配をしたものです。

短編集『どうで死ぬ身の一踊り』の中で女性にチャランポを喰らわす主人公。
『瘡瘢旅行』の中で、同棲する女性の前で土下座を駆使して目当ての物をゲットし、意気揚々と自画自賛する主人公。
(これは芥川賞以後のことだけれども)有吉弘行さんや他のゲストとともにお酒を呑んで馬鹿話をする名古屋のテレビ番組でびっくりするぐらい直球のセクハラ発言をして女性ゲストに「さいっていっ」とマジギレされる賢太。
どれもこれも最低だ。最低なのに嫌いになれない。なぜでしょう。

『苦役列車』はそのあまりに濃すぎる個性・作風がある程度一般にも通用するようチューニングされ、映画もすばらしく広い読者を得ました。
とはいえ日本の伝統的な破滅型私小説になれておられない向きにはピンと来ないことも多かったようですが、とにかく彼は一時期テレビに出まくり、けれどしばらくして、すうっとそこから引いたようです。波のように。

扶桑社から出ていた文芸誌『en-taxi』においてマツコ・デラックスと対談をしており、たぶんゲイ雑誌の編集者を辞めて実家でひきこもり生活を送り、家を追い出されるに近い形で出て駆け出しライターや女装パフォーマーとして暮らしていた頃でしょうか、貧しいアパートで暮らし先が見えない状況の話をマツコがして、座はそれなりに盛り上がり、でもふたりが仕事仲間以上に親しくなった感はありません。
思えば賢太と親しいひとと言うと、飲み仲間である浅草キッドの玉ちゃん以外に思い浮かばず、同じ私小説作家であった車谷長吉や佐伯一麦をののしり、作品そのままに人間関係は貧しいものだったのでしょうか。でもあんなひどいことを書いているのに女性作家にふしぎとファンがおり、このひとの魅力はなんなのか、どうも、よく分かりません。つまるところ愛嬌なのでしょうか。

テレビへの露出がへってからの短編集『形影相弔・歪んだ忌日』の文庫本において富岡幸一郎さんが賢太作品を



と評して膝を打ちましたけれども、娯楽小説的などんでん返しを用いて現実の重苦しさ侘しさを反転させており、読む悦びを滋味深く堪能しました。
ふつう、それは「書きなれた」とも言い換えられるわけであり必ずしもよい意味にはならないのですが、賢太の場合はそれでよかったのだと思います。
書いて書いて書くうちに、それまで持ち上がらなかった岩がフワッと持ち上がる。先の短編集に収められた一篇の、若い頃に迷惑を掛け続けた母親とのやり取り、そのクライマックスには背筋が冷えるものがあり、私小説作家としてどんどん前へ進んでいることが感じられました。
いまは脂ぎった中・壮年男性ですけれども、老いをはっきり意識するようになると、ふっと春のひだまりに似たやわらかい私小説を書くのではないだろうか。そんな予感がしていました。

賢太がメディアをにぎわせていた頃、女性問題とか路上でケンカとかマヌケな事情でバッシングを受ける覚悟は固めておりましたが、こんなに早く亡くなるとは、うかつなことにまったく予想していませんでした。
私小説はノンフィクションに見せかけたフィクションという説を唱える者もおり、それは納得できて車谷とて賢太とて作品として成立し読者を楽しませるための操作はしたと考えますが、しかし破滅型なら破滅型に向かう種は実体験や実感であり、大体にして破滅型私小説作家で長生きしたひとは、川崎長太郎くらいしか思い浮かびません。
佐伯さんとか八木義徳さんなど穏健型はまたちがうのですけれども。

なんにせよ、他に破滅型の私小説作家は見当たらず、このジャンルも衰退しめでたく滅亡ということでいいでしょうか。
それとも、賢太に私淑する新たな破滅型が、いつかどこかでうめき声めいた産声をあげるでしょうか。
何年先か知りませんが、そのとき自分が今生に留まれているならば、ダミ声で喝采を叫びましょう。
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