第17話 干刈あがた それでいいよと背中を押してくれた作品
文字数 3,119文字
それは、私私身の生い立ちや性指向などを考慮すると、私個人の幸福は世間一般の定める幸福と必ずしも一致しないのではないか、その予感から生まれているように思います。
そして、「それでいいよ」と思春期に背中を押してくれたのが、干刈あがたさん「黄色い髪」であります。
本作は1980年代末、私が高校生の頃に新聞連載され、主人公の年齢が近いこともあり、夢中で読み、今も時おり読み返しては目を熱くします。
当時は管理教育の徹底されていた頃、母子家庭に育ち弟を持つ14歳の夏美は学校でいじめに遭い、「自分から学校にさよならする」と決め、髪を金色に染め、ときに深夜のディスコへ行き、ときに原宿の雑踏を歩き、自分は何をしたいのか、どうすればいいのか、「彷徨」という言葉を使いたくなるほどに悩み、惑う日々を送ります。
もう一人の視点人物となるのが夏美の母親・史子です。
若くして夫を亡くし、美容師として働きながら二人の子どもを育て、大変さもあるけれども満たされたものも得ていた彼女の前に突然突き詰けられた娘の不登校という事態。
これを切っ掛けに史子は娘に何が起こり何を感じ考えているのかを知るために、学校や役所の係に相談したり、夏美の同級生の家族を訪問したり、果ては夜の街をうろつく不良少年少女たちに話を聞いたりします。娘と同じく金髪にして。
まず前提として、昨今はピンクや緑などカラフルにする御仁がめずらしくありませんが、当時髪を金色にするということは不良の証拠でした。
夏美も、史子も一旦「アウトサイダー」となって社会の外から社会を眺め、社会と関わり、社会を身をもって知り、社会を考察する。
その過程が、相当な作者自身の勉強量・取材量に基づいて描かれます。
その過程において、やはり社会からはみ出している人物らと夏美や史子は出会います。
例えば、現実がつまらないから良家の子女とか訳知りの不良など役割を演じて酒に酔う夜遊び少女・ユキコ。
夫の死後恋愛をする気にもならず子育てと仕事に集中した史子の暮らしを「女として不自然」と決めつける児童相談所の相談員。
「ウリ」なんて簡単とうそぶく少女たちの中で、堕胎経験を持ち史子の我が子を心配する気持ちを理解し、心を開いて生い立ちを話してくれる不良少女。
生徒の自主性を重んじるフリースクールのようなところへ通うちょっと変わり者の男の子。
親との相性が悪く不登校になったため(当時の)精神病院に入院させられて、母親に「てめえなんか殺したる!」と叫ぶ、あるいは、叫ぶより仕方ない少女――。
こうして眺めると、SNS上でキャラを演じ、しかし現実に会うと全然ちがう人柄の方とか、夜の繁華街で身を寄せ合う未成年者たち、個々の事情を顧みず「子を思わない親などいない」などと定型句を持ち出して共同親権を推進しようとする政治家、フリースクールなどのサポート機関や相談相手を持てず、実家の子ども部屋で膝を抱えている若者とか、家族関係に安心を得られず精神の安定を保てない者など、現代にも形こそ変化していても本質的な部分においては変わりのないひとびとがいると、溜め息を吐いてしまいます。
社会と関わることで、史子は史子なりに考え夏美に手紙を渡します。
その長い手紙の、大事と思われる部分をご紹介します。
お母さんはこれからあなたに、とても残酷なことを言うかもしれませんが、どうか最後まで読んでください。
(中略)
けれど学校へ行かない生き方を、それでよいという気持ちにもなり切れません。多くの人が学校を中心にして生きている中で、それからはずれるということは、もっともっと辛い生を覚悟しなければならないでしょう。
(中略)
私に言えることは、夏美自身が選ぶことに意味があると思う、ということです。どちらか(学校に行くor行かないのこと・樋口注)を選び、その結果として、夏美が生き難さに崩れたり、死を選んだりしたら――私はそこまで考えました――それが夏美が選んだ生の結果だと思わねばならないという覚悟もしました。
如何でしょう。
「多くの人が学校を中心にして生きている」の部分を「多くの人が異性を恋愛の対象として生きている」と置き換えたら、夏美の悩み・苦しみは、たちまち私のものになりました。
けれど、夏美の母親は「夏美自身が選ぶことに意味があると思う」と伝えてくれました。
私も、半ば強引にですが、ろくに稼ぎもできないのに、私の進んだ道を歩かせて貰いました。
幸せの形は人それぞれで、それを選ぶことができた。
夏美も私も親に恵まれたと思います。そう思うまでに、色々とあったにせよ。
本作は脇役も含めて実に魅力的な登場人物が出てきます。
例えば夏美の祖父は元小学校の校長で、そのときの昔話を語ります。
(親たちが事情を持っているため村の子と町の子の仲が悪く・樋口注)親とは関係なく子供どうしは自由で平等だと教えようとしたが、なかなか変わらなかった。大人の世界が変わらなければ、子供たちも変われなかったんだね」
おじいちゃんは詠子と夏美を見た。
「生徒たちは履き古した運動靴や下駄で通学していたが、上履きを持っているような子は何人もいなかったから、みんな裸足で新しい教室や廊下を歩いたんだ。おじいちゃんもだよ。今でも足の裏にはその感触が残っている。
この一文を読み、「生きてきた感触」とでも呼ぶべきものが、祖父の足の裏には刻まれているのだなと思います。
同時に、「人」を育てようとした祖父の教育と、大人にとって都合のいい「良い子」を「生産する」ことに必死だった管理教育との差についても。
また、史子の店の従業員で、恐らくフェミニズムを学んでいる保子は物語の終盤近くで史子とこんなやり取りをします。
「子どものことがよくわかるのね」
いつもどこか醒めているような、得体のしれないところのある保子に、じっと見つめられていたような気味悪さを感じながら、史子は言った。
「子供を産んだこともない女が、と思ってるんですか? 子供を持ったことがないから、子供の姿がよく見えるってこともありますよ。もしかしたら、子供の愛らしさなんか、当たり前だと思っている親より、よく見えるかもしれませんよ。その愛らしさが、くだらないものによって歪められていることもね」
「保子さん、もしかしたら子供を欲しいと思ってるの?」
「ほしくても持てないってこともありますから」
それなりに体験し学んで尚、史子には見えない社会の問題点が、保子には見えているようです。
念のため注記すれば、史子と夏美のサポートを保子は陰でずっと行っています。
社会の厳しさを知りつつ、誰よりも優しいのです。優しいから、社会の矛盾に気づかざるを得ないのかもしれません。
作者の干刈あがたは1982年デビュー、立て続けに芥川賞候補となり芸術選奨新人賞・野間文芸新人賞などを受賞し、ますますの活躍を期待された矢先、49歳の若さで亡くなります。
本作の最後、作者自身の言葉として、ある種の切実さと共に以下が記されます。当時は、若者、あるいは幼い子の自死が社会問題となっていました。
ちなみに、自死した者らと同世代のお子さんお二人を干刈さんはシングルマザーとして育てておられました。
付記――これを書くに当たり、若い死者たちの遺書や生活記録を、何度も読ませていただきました。
しかし、私の最後のお願いですが、直接の原因だけを勝手に推測して、自分の考え方のみで「たいしたことないのに」と判断を下すのだけはやめて下さい。感じ方、考え方は人によって違うのです。私はたとえようがない程、苦しく、悲しかったのです