第9話 山田詠美 知らないということ

文字数 2,356文字

バブル期に社会に出た何名かが、苦しい状況にあるひとに対して、言い方は微妙にちがうけれども、つまるところ「大人なのだから自分でなんとかせよ」と発言しているのを数年前に続けて見た。
コロナ禍が来る前だ。

「自分でなんとかする」とは、「他人をアテにしない」ということだ。あるいは、SOSを出せないことでもある。
ううん、出さない、のかもしれない。

だって、他人をアテにできないなんて、したり顔で言われなくても知っているから。
助けが必要だった子どもの頃にだって助けてもらえなかったのに、大人が助けてもらえるはずはない。

そう思い込んだひとりは上手に銃を手作りまでして、誤った手段で「なんとかしようとした」。

冒頭の大人うんぬんの発言をした方々も、各々踏ん張り、がんばり、そう言えると自負する経験をしたのだろう。
でも、スロットの高設定みたいに、努力が報われやすい時代に世の中に出た事実を踏まえていたかどうか。

そう考えて苦々しく思う時期が続いたが、最近になり、そのひとたちは単に知らなかったのだ、と思い至った。

勤務中の昼食は、社食で一番安い蕎麦かうどんで一年を通す非正規雇用者。
中年になり兄弟で安い賃貸に住み、弟と二人分の弁当を作り、家庭を持てる稼ぎはないから、本気で、フィギアを恋人と信じている兄。
持病を隠しながら自転車で担当区域を走りまわる訪問介護ヘルパー。
犬に餌を与えるように、給料袋を投げてよこす正社員。
老親が入院したときは「仕事だから」と逃げたのに、亡くなってから「お前はひどい」とメールを送ってくる血縁者。

知らないことを想定せよというのは難しいことだ。
自分だって最近になって気がついた。
ほんとうに貧しいひとは、二丁目とか上野とか、ゲイバーに飲みに出ることさえできないのだ。

2019年、山田詠美『つみびと』は、真夏に幼子をマンションに残して遊びほうけて、幼子らを死に至らしめた母親と幼子にとっての祖母、幼子の視点で事件が語られます。
実際の事件に着想を得たらしいですが、あくまでもフィクションであることを断っておきます。

祖母もかつて幼い子どもを置いて出奔しており、彼女は虐待を受けて精神疾患を発症し、どうにか生き延びたサバイバーなのでした。

祖母に置いていかれた母親は弟や妹の世話をするヤングケアラーです。

ヤングケアラーである母親を四歳にして守ろうとする幼子の長男も早すぎるケアラーと言えそうですし、けれど山田さんは「サバイバー」や「ヤングケアラー」などの用語を使用しません。
それを用いた途端、あるはずの個々の事情や心情、事象の裏にある微妙なニュアンスが捉えられなくなるからと自分は推察します。

著者はどのような事実があり、それが先の視点人物らにどのような心の動きをもたらし、それがどのような行動を促したのかを、丹念に丁寧に記録してゆきます。
そこには、昨今流行りのレッテル貼りに背を向ける姿勢がありましょう。

読んでいて時おり息苦しくなったのは、読み手として文章を追い、同時に、視点人物らに己を見たからでしょうか。

 P186



 P340



 P368



単純な図式を拒否した本作を、冒頭のフレーズを用いる方々が読んだらどのような感想を持つだろう。
ある者は「なっがい言い訳」と切り捨てそうだし、別の者は己の言動を省みるかもしれない。

読み進めながら幼子を置き去りにした母親は、どうして行政にSOSを出さないのだとイライラしていました。
でも、母親は地域の福祉課を訪れて、でも言語能力が高くないがために適切な支援を受けられなかったらしいと知り、比喩ですけれども、頭を抱えました。

なんとか事態を維持・向上させるために日々汗をかいているひとびとが少なくないことを、自分は経験則として知っています。
たぶん、言語能力や精神状態から適切な支援につながらなかったひとがいることも薄々知り、しかし意識はそこに向いていなかったのです。

冒頭の発言者たちを批判する資格は自分にはありません。
どこかで線引きなり割り切りなりを行わなければ心身が持ちませんし、ただ、そこに至る過程が各々ちがっただけです。

本作の後に精神科医の春日武彦さんと著者の対談が行われて、春日さんによる「被害者意識」という言葉に、しばらく目が奪われました。

こいつに囚われていた時期の、長く苦しかったこと。
前回、檀一雄『火宅の人』で、次の文を引用しました。



自分の言動、あるいは人生に対して責任を持つことと、コロナ禍以降すっかり聞かれなくなった、けれどしつこく根付いているっぽい自己責任論はまったく別のものです。
困難な状況にあるひとがSOSを出し、支援を受けることは、例えば杖をつかって歩いたり、立ち上がる際に支えを求めるようなもので、つまるところ行動するのは本人なのです。
自己責任論の裏には、「がんばらなかったやつは罰を受けるべき」というウサギとカメ的な価値観がうかがえますが、死なないために、他者に害を及ぼさないために、見えにくいがんばりを続けているひとは意外と多いと思うのです。

届きにくい声、届け、と願いつつ、自分は体調を気にしながら、自らの役割と定めたことに粛々と臨むのみ。
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