第12話 斎藤緑雨 泣きての後の

文字数 2,808文字

吉野孝雄さん『飢えは恋をなさず 斎藤緑雨伝』の表紙にある緑雨その人の姿を見ていると、なんとも居心地の悪い感じがします。

神経質そう、人様の容姿をあれこれ公の場でいうのはよくないと承知しているのですが、目、鼻、顔の輪郭、各パーツは悪くないのに全体でみるとそこはかとない違和感、なんでしょ、西加奈子さん『ふくわらい』的な。

大体において筆名に「緑雨」なんてエバーグリーンな感じをかもしちゃうのがダメだ、諧謔・皮肉・毒筆だけど根はピュアなオレと理解してくれってか。ぷぷぷ。ビージーズの「若葉のころ」歌うぞ高らかに。
などと笑いにより愚弄した後、己の筆名が「芽ぐむ」でやっぱりエバーグリーンな感じであることに思い至り、緑雨、飲もう、オレからの奢りだ。ヤクルト。さささ、ぐいっと飲りな。

――と書き連ねたのは緑雨の精神であり文章を模倣してみたわけですが、普段の樋口とそう変わりがなかったです。反省。
けれど模倣したくなるくらいに緑雨にわが身を見た、他人とは思えなかったようでもあります。

本書の三本柱となるのは以下の通りでして、この三要素が絡み合って展開されます。

1・明治の歴史・文芸シーンの人間模様・紹介
2・樋口一葉について
3・斎藤緑雨の生涯

まず1から樋口の感想をお書きしますと、生田長江とか馬場胡蝶とか名前は見たことあるけど何やったのか知らない人たちの人となりなどが分かり、ひいてはネット検索するにおよんで「ほお、長江はハンセン病で若くして亡くなっているのか、『小説を書くのは精神的種族の保存のため』という言葉を残したらしいけど、切実なものがきっとあったのだろうなァ」とか。

あ、緑雨は都新聞で働いている。都新聞といえばわが愛する中日ドラゴンズも関係浅からず、樋口が敬愛する宇野千代の元夫・北原武夫が勤めていたはずなどと文芸オタ心をいたく刺激されて、
平面でしか知らなかった明治の文芸シーンが多少は立体感を持って理解できそうです。何人かの作家は作品も読まなきゃなという気分になりましたし。

2の一葉ですけど、クレバー&クール。

えっと、文名があがると先の馬場胡蝶や川上眉山、上田敏などが一葉の家に遊びに来てなんだかんだと文学談議に花を咲かせるわけですね。

で士族の家に生まれるも没落、若くして妹と母の生活費を稼がねばならなかった一葉は世間に揉まれた苦労人、先の作家たちにより文学の空気にふれられることを楽しんでいる半面、浮世と距離のある理想論など鼻白む感じを持ったようです。

また眉山などは変質的に一葉にこだわり再三写真をくれと要求し、はては二人には縁談話があると噂が。有名になるのも良いやら面倒臭いやら。

『たけくらべ』が評判となりにわかに「今清少よ、むらさきよ」とはやし立てられ周囲が騒々しくなるも、やはり一葉はクールなもので、日記には



と浮かれた様子なく、一方で斎藤緑雨の『にごりえ』以後の作品評、



などは一葉にとって核心をつき皮肉でも罵倒でもお追従よりよほど的確な批評でよろこばしいことであったようです。

緑雨自身も生活に苦労した人であり、一葉は彼をおもしろがっていたようですし上記の如き風変わりな信頼をおいていたようです。

とはいえ24歳の若さにして結核により逝去。

一葉の葬儀を取り仕切り、家に残った借金などの片づけを緑雨は行ったようです。それだけではなく何くれとなく一葉の母と妹の面倒を見、妹が結婚する際には媒酌人を務め情の厚さが垣間見え、また妹も変に世間に騒がれることを警戒して燃やしたと嘘をついていた一葉の日記を緑雨に預けます。
すなわち、出版の一切を彼に任せたわけで、そこには全き信頼があるように思います。

さて3、緑雨とはどのような人物でありましたでしょう。



と数少ない幼時の緑雨評があるのですが、えーっと、樋口のことを書いているのでしょうか。喰え、緑雨。うまい棒。やっぱチーズ味だよな!

文名が上がっていた折は人力車を乗り回して服にも凝り粋を装っていたようですが、一家の暮らしの担い手となり家計が苦しくなると服も無粋な物になり、以前に馬鹿にしていた牛鍋をにわかに肯定し始めたり。

そうですよね、調子が上向きのときは人間景気のいいことが言えるしやれるし、他人様に優しくもできる。けれど下り坂になったとき変に虚勢を張るのもまた人間。飲もう、緑雨。おでんのつゆ。あったまるよお。

さて彼の毒と諧謔と批評性にのっとった文を読むと、才があったのかどうか分からないのですが、文芸に人一倍の愛情を持っていたらしいとは感じます。

けれどその愛情に基づく文芸批評をまっすぐに行わず笑いでコーティングするのは、なんでしょうね、一つには当時の作家たちはいわゆる知識人出身が多く、家庭の事情で学を諦めたことに対するコンプレックスが諧謔批評につながったのでしょうか。つまり、直球は投げずに変化球主体のピッチング。

また「浮世」をジャーナリスティックに取り扱う文芸への反発もあった、というか浮世側にいる緑雨としては「けっ」てな思いがあったのでしょうか。

あるいは親しい作家に対しても皮肉たっぷりな文を寄せたりしていて、それは分かりにくいけれども彼なりの愛情表現であり、 失礼なことを書いても怒らない→友人の証 という何か相手を試そうとする辺り、緑雨の本質が隠れているような。他人を遠ざけかねないことをして、心の奥では他者を求めてやまない。

文芸界隈からは毒筆故に蛇蝎のごとく嫌われる一方で、緑雨には意外に友人が多いです。自身も経営が苦しいのに緑雨に原稿を書かせて生活を助けた幸徳秋水、死期を悟った緑雨から例の一葉の日記を預けられたナイスガイの馬場胡蝶。

また幸田露伴は友人というほど近くはないけれども、関わらなくて構わない緑雨に、プライドを傷つけないよう配慮しながら幾度となく金銭を渡していたようです。露伴のこの施しは、露伴の作品や娘・文の作品などを参考にすると、どうも骨絡みで偽善とか自己満足とは違うもののように感じますが、それはまた別の機会があれば。

要するに緑雨は蛇蝎の如く嫌われる一方で人一倍人間関係に恵まれていました。また結核を患ってから結婚した妻は献身的に世話をしてくれた。
つまり、そう悪い人生ではなかった、と記したいところですが、結核、当時は治療法のない病、歳はまだ三十代、生活が苦しくなったとは言え健康ならもう一旗でも二旗でも挙げられたでしょう。
また彼の中のピュアな精神にふれると一旗揚げさせたかったような、十分がんばったよと労わりたいような。

あ、ふと思ったのですけれど、彼の皮肉に毒舌もまた、「泣きての後」だったのかもしれません。
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