第4話 三島由紀夫 いち初老同性愛者の読む『禁色』

文字数 2,530文字

三島由紀夫『禁色』をようやくのこと読み終えて、こんなにも時間が掛かったのは、うっかりコロナ陽性になったり(後遺症なし)、三船敏郎や「鬼滅の刃」にうつつをぬかしていたりしたせいですけれども、やっぱり一文一文の情報が濃厚で、解釈に時間を要したからでもあります。

解釈。
文庫本のあとがきや解説が好きです。
自分はこう読んだけれども、この評者はどう読んだのか、また自分にない知識を多々運んでくれて、フルコースの後のデザートみたい。

が、『禁色』における解釈および鑑賞という面で、野口武彦さんの文庫解説ははなはだ不満の多いものとなりました。
同性愛が既成の概念を破壊するプロテストというような記述は、発表された時代を考慮すればむべなるかなァ、なのですが、初老の男性同性愛者である自分は、もっと素朴に、ちがう物語として読み、大いに感興を得た面があります。

ちがう物語。
これは、醜貌ゆえに女からの愛情に恵まれず、社会的抑圧だったのか、あまりに対象が魅力的だったのか、とにかく老齢(といっても66歳)に至りてにわかに美青年に恋をした作家の、一般的ではない充足と失恋の物語です、と言い切ってしまおう。
そう、同性愛という「種族」でなく、通常は男性として、おおむね恋愛対象を「眺める」方々にはピンと来ないかもしれず、そこには皮肉や箴言、哲学や文学性などの要素はありますが、自分は世にも稀な純愛として読み、その読書体験がもたらしたものは、せつなさ、でした。

絶世の美青年・悠一が好むのは、作中の言葉を借りれば「育ちの悪い男の子」であり、悠一と易々と媾合に至るのは、恋愛の駆け引きに長けて、社会的地位や資産面で恵まれている、しかし容姿は抗いようもなく衰えている(とされる)中・壮年男性。
余談ですが、(とされる)と書いたのは、現実においては成熟した男性も全然需要があるからです。

けれど体を交えても、悠一は心を明け渡すわけではありません。
誘われれば結構簡単に寝るけれども、なかなか惚れてくれず、移り気。
こういうひとを二丁目界隈では、ある種の失笑と畏怖の念を込めて「魔性」なんて呼びましたが、「魔性」に惹かれ「魔性」と一線を越えて深く関わり、「魔性」に溺れれば翻弄されるのは必定。
追いかければ追いかけるほど「魔性」は遠のき、最終的には舗道にひざまずいて靴に接吻して捨てられ、別の者はプライドをズタズタにされた上で手切れ金を支払い、別の男の子は養父の貯金を盗んで悠一との出奔を目論み、悠一に手痛く裏切られます。

このとき悠一は圧倒的な強者であり、それは王が部下の降格を、眉ひとつ動かさずに命じたり、裏切った部下の処刑を朝食を摂りながら決断するのに似て、つまり役目であり獲得している権限からすれば当然のことでもあって、その情の希薄さが、また魅力的に思われるので不思議です。
これは三島自身の箴言のようですが、愛されたかったから愛してはいけない、始終冷たい態度をとらなければ。
そして、悠一は計算も意思も用いずに、愛してくる男らに冷たくできる男なのです。

醜貌の老作家・檜俊輔は悠一に惹かれながら手のひとつも握れるでもなく、でも、ひと晩同じ屋根の下で眠り、



という充足を得ます。
そう。「魔性」にはうかつに触れず、崇めているくらいがちょうどよく、あれだけ気持ちの暗い俊輔が、悠一と関わることで、段々と(本質的にはちがうけれども)快活になり身なりも派手好みになるのが可笑しいです。

可笑しくて、俊輔に感情移入してしまいます。
容姿のみならず体力は衰え、膝の神経は意味なく痛み、手腕を見れば枯れ枝で、愛する者に愛される可能性は、ない。
それでも愛することを止められず、その姿にどれだけ「分かる」とうなずいたことか。

俊輔と同じく「触れない一夜」を経験するのは鏑木夫人で、悠一はこのビッチにして純真かつ勇敢な女性にまったき信頼を持ち、ふたりきりで旅に出て、一つの部屋で、なんの憂いもなく眠ります。
そのとき夫人が、その美しい唇に触れようか触れまいか葛藤しているとは夢に思わず。

姿



この懊悩の一夜を経た朝の夫人の素敵なこと!
悠一が夫人に向けた信頼を裏切ってはならないという思いであり、肉体の欲望を制御することが精神的な欲求になる寝苦しい一夜をぬけた彼女は、人間として一回りも二回りも大きくなっているのです。最高。

やがて、「第三十三章 大円団」と三島そのひとに名づけられた最終章で、俊輔は俊輔らしく、悠一は悠一らしく物語の決着をつけて、自分は大満足。

しかし――、異性愛者として生き、幾度となく異性に手痛く裏切られ、老齢に至りて同性に恋する俊輔に感情移入した樋口芽ぐむそのひとは、色ごとのお誘いを受けることがめっきり減り、たまさか機会に恵まれその恋を失っても、かつての痛痒も熱情も覚えず、老齢のとば口に立って同性愛者たる条件を失いつつあるようです。

いや、同性愛者として生きた過去を踏まえれば、自分もやはり同性愛者であると思って問題ないでしょうか。
まァ、何がどうなるのか分かりません。
俊輔とちがい、異性に恋することはないでしょうが。
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