第2話 公園(1)

文字数 1,757文字

 その日、僕と友人、トモキはある恩賜公園にいた。
 黒山の人だかりの公園の、早めに花をつけた桜の下にいた。出店にもトイレにも人がいっぱいで、スギ花粉も収まっていなかったのでマスクを着けた顔ばかりがあふれていた。正面駐車場は満車で、第二駐車場、第三駐車場へとさまようワンボックスカーが見られた。
 気温はそこまで高くなかったが、トモキは額に汗をかいていて、しきりに「なあ」「なあ」と僕を小突いて来た。
「なあ、やっぱり挨拶したほうがいいかな?」
 僕は「いいって」と切り返し、無視するように促したが、彼は集中力をまったく欠いていて、ペットボトルを仰いでは「なあ」と言い、敷いたレジャーシートからはみ出た草を引き抜いては「なあ」と言った。
 僕は面倒くさくなってトモキを無視してスマホで桜を撮影していた。マイクは雑音を拾ったが、臨場感は十分だった。ただ、トモキの挙動不審ぶりだけが邪魔だった。
「俺、やっぱり挨拶してくるよ」
「やめろって、僕たち下級生の顔なんて覚えられてないって」
「でもさ……」
 でもさ、その言葉は続かなかった。その次の言葉から先はトモキの頭の中にだけある架空のストーリーなんだ。それはこう。カナタくんは僕らの顔を記憶していて、休み明けに校舎裏かなにかに呼び出され、おい無視してんじゃねえぞとか言われて殴られる。そんなシナリオ。しかし僕はそんなシナリオ見たことも聞いたこともなかった。僕らはカナタくんを知っている。彼は学校では有名人だった。カナタくんにはいろいろな方面から好き勝手に都合の良いストーリーが付与されたが、モブキャラである僕たちに割り振られたセリフなんて精々一行程度の簡単なものじゃないのか。
「絶好のお花見日和ですね」そしてそれは誰の記憶にも残らない会話デッキ。分かるかトモキ、話しかけられるまでモブキャラに役割はないんだ。
 しかし、コンビニ菓子を広げただけの僕らのレジャーシートと比較すると、偶然隣り合った3年生グループのレジャーシートは華やかだった。パーティー用のオードブル容器の中には卵焼き、スライスされたハム、エビのシュリンプ、半円のキッシュ、フルーツの盛り合わせ、切りそろえられたバケット……。横にはお酒? らしき深緑色のグラスボトルが何本かあった。
「あんまりジロジロみるなよ、失礼だろ」
 僕の視線を気にするトモキに対して、まったく無関心な3年生グループはバレーボールを持って急に立ち上がると、桜の園から遠く離れて人波に消えていった。レジャーシートの上には女性がひとり残り、スマホで遊びながら全員分の貴重品を監督していた。
「今だ!」とトモキはレジャーシート用のペグを引き抜き始めた。勝手に花見をお開きにされることに少しいら立ちを感じたが、十分な映像を撮影できていたので僕はしぶしぶ片づけを手伝った。ゴミをひとまとめにしてスニーカーを履いていると、足元に枯れ枝のかけらが飛んできた。
 かけらの飛んできた先を見上げると、隣りで三角に座った貴重品監督官が、枯れ枝を細かく折っては何度も投げつけて来ていた。その行為に僕らは二人同時に気づいたのだが、トモキは顔も上げずにリュックサックを胸に抱えると、僕の方をちらりとも見ずに「じゃあな」と言って駆け出した。何が彼をそんなにおびえさせるのか……。少し気の毒に感じた瞬間、枯れ枝は僕のすねにピシリと当たった。
 立ちあがった僕の視線と、つまらなそうに見上げる彼女の視線が交わった。
「ねえ、君、キタコーセーでしょ?」
 と、変に間延びした言い方で僕らの母校を表現した。「そうです」
「ごはん、食べていかない?」驚きの提案だった。
「なんか欲しそうにしてなかった? 余っちゃってさ」
 そう言いながら両手はもう紙コップにスープをよそっていた。
「お腹は空いてますけど……」逡巡する僕に。
「ん」っと、斜め30度上に紙コップを突き出して来た。右目が少し明るめに脱色された前髪に隠れていた。
「えっと」
 立ち尽くす僕をよそに、彼女はスマホいじりを再開しだした。
 僕は両足にアンクルを付けたような鈍い錯覚を感じた。その重い足をなんとか片方ずつ折り畳み、残り物の料理の前に慎重に正座をした。「いっ」
 彼女はこっちを見ていなかった。
「いただきます」
 彼女は両腕に頭を伏せて肩を震わせた。
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