第17話 河川敷
文字数 1,911文字
アカリさんは進路変更をして栄養学をやりたいと言い出した。偏差値はかなりダウンして、模試の結果は余裕のA判定だった。よくよく聞いてみると弟くんは7歳も年が離れているようで、家族のごたごたに影響を受けないようにサッカーを頑張れているのは、一概に優秀なお姉ちゃんの尽力があってこそなのだった。
僕は一度河川敷に呼び出され、そこで弟、アサヒくんを紹介された。僕にはスポーツを観戦する習慣がなかったので話題がなく、ニュースの知識に頼って「オオタニがーオオタニがー」言っていたら……。
「そういうのいいから」とぴしゃりと言われた。姉弟はとてもよく似ていた。
アサヒくんは野球のキャッチャーミットを僕に渡してきた。サッカーをやるものだと思っていたために、何の用意もしていなかったが、「キャッチボールだよ」ということでほっとした。ところがいざ始まったのは僕の知っているキャッチボールではなく、それは投球練習以外の何物でもなかった。受け止めるにもアサヒくんのボールは信じられないほど速く重く、左手はすぐにしびれてしまった。
「変わるよ」とアカリさんが僕からキャッチャーミットを奪った。
するとアサヒくんはもう一段階ギアを上げて投げ込みを始めた。
ズバン、ズバンと、普通想像される姉弟の微笑ましいキャッチボール風景からはかけ離れた音が響いた。
ヒマリさんの激怒は下級生の耳にも入り始めた。
僕には関係のないものと、知らないふりを通していたのだが、トモキは勝手にビビッて僕 の首を黒き者 の御前へと差し出した。アカリさんの歌声を盗み聞きできる空間があると……。奴 はそう僕に巧妙な嘘をついて、校舎裏の湿った地面と風の吹き溜まりへと誘い出した。
ヒマリさんは胸を張って腰に手をやり、仁王立ちに僕を待っていた。朝にはふんわりと軽やかにに整えられたセミロングヘアは、強風にあおられて顔面に張り付いていた。スカートがまくれあがろうがまるで気にしなかった。
「あんたなんか大っ嫌い!」と。
「うちらの夢のキャンパスライフがこんな奴に壊されるなんて!」
キャンパスライフ! くっだんねぇー! 学びの道を得た者に対して掛ける言葉がそれなのか。
だが別の視点から見ると、そうまでしてアカリさんに拘泥する理由があるということだった。アカリとヒマリの間には僕たちには推し量ることのできない、謎めいた引力が働いているようで……。と言うのは誇張で、彼女たちにはこれだけは唯一といった確かな共通点があった。歯に衣着せぬ物言いをし、決して裏表を作らないという共通点だ。
「アカリさー、今日ちょっとブスいよ?」なんて朝の会話が始まることもあるらしい。
「うん、寝れてない…… 」そしてケンカにもならないらしい。
「何気に線細いよね、太ももから移植手術したら二度おいしいし」
「あー、余裕で同意書だわー」
「〇〇チャンネルみた? ずるくね?」
「あれはずるいねー。ってなに飲んでんの?」
「これ? 良く分かんね。新作っぽいやつ」
「おいしい?」
「あー、甘いっちゃ甘い。酸っぱいっちゃ酸っぱい。なに笑ってんだよ」
「ヒマリの得意技が出た」
「だってそうなんだって。甘いっちゃ甘いし、酸っぱいっちゃ酸っぱいの。笑うなって」
「情報ゼロ」
ヒマリさんも頭が良いはずなのに、二人でいるとだいぶIQが下がるのだった。
そんなヒマリさんが「大っ嫌い!」と。
僕に向かってボロボロと大粒の涙をこぼした。それだけのために呼び出されたのだ。
「何かいいなさいよ!」
僕は何も言う気になれなかった。
陰で待っていたコウキくんが姿をあらわした。ヒマリさんは彼の胸にすがった。
「ヒマリは友達のために涙が流せる女なんだよ」
「僕からするとこの場にコウキくんがいることが意外です。先輩の意図するデザインフレンズにはアカリさんは異邦人のように見えます」
「デザインフレンズって何?」コウキくんは笑った。「少年マンガの読みすぎだろ」
でもジュンが言わんとしてることは分かるつもりだ、と。なぜか僕は突然のジュン呼びに気を取られた。
「俺たちは自然とバランスを取り合ってこうなったんだ。その代わり自然と何度もバラバラになりかけたけどな。だから俺は俺の意図を押し通してそのつど修復させたんだ。いちいちアカリには犠牲になってもらったところはあるから…… 正直、ジュンは俺をもっと恨んでいい」
「恨みなんてないですけど……」
本当に恨みなんてないけど何か言ってあげないといけない。そう強く思った。
「こんな立ち回りしか考えてない男より、僕の方が強ぇって思いました」
「ざけんな不細工!」
ヒステリーに叫ぶヒマリさんをよそにして、コウキくんはゲラゲラ大笑いをしていた。
僕は一度河川敷に呼び出され、そこで弟、アサヒくんを紹介された。僕にはスポーツを観戦する習慣がなかったので話題がなく、ニュースの知識に頼って「オオタニがーオオタニがー」言っていたら……。
「そういうのいいから」とぴしゃりと言われた。姉弟はとてもよく似ていた。
アサヒくんは野球のキャッチャーミットを僕に渡してきた。サッカーをやるものだと思っていたために、何の用意もしていなかったが、「キャッチボールだよ」ということでほっとした。ところがいざ始まったのは僕の知っているキャッチボールではなく、それは投球練習以外の何物でもなかった。受け止めるにもアサヒくんのボールは信じられないほど速く重く、左手はすぐにしびれてしまった。
「変わるよ」とアカリさんが僕からキャッチャーミットを奪った。
するとアサヒくんはもう一段階ギアを上げて投げ込みを始めた。
ズバン、ズバンと、普通想像される姉弟の微笑ましいキャッチボール風景からはかけ離れた音が響いた。
ヒマリさんの激怒は下級生の耳にも入り始めた。
僕には関係のないものと、知らないふりを通していたのだが、トモキは勝手にビビッて
ヒマリさんは胸を張って腰に手をやり、仁王立ちに僕を待っていた。朝にはふんわりと軽やかにに整えられたセミロングヘアは、強風にあおられて顔面に張り付いていた。スカートがまくれあがろうがまるで気にしなかった。
「あんたなんか大っ嫌い!」と。
「うちらの夢のキャンパスライフがこんな奴に壊されるなんて!」
キャンパスライフ! くっだんねぇー! 学びの道を得た者に対して掛ける言葉がそれなのか。
だが別の視点から見ると、そうまでしてアカリさんに拘泥する理由があるということだった。アカリとヒマリの間には僕たちには推し量ることのできない、謎めいた引力が働いているようで……。と言うのは誇張で、彼女たちにはこれだけは唯一といった確かな共通点があった。歯に衣着せぬ物言いをし、決して裏表を作らないという共通点だ。
「アカリさー、今日ちょっとブスいよ?」なんて朝の会話が始まることもあるらしい。
「うん、寝れてない…… 」そしてケンカにもならないらしい。
「何気に線細いよね、太ももから移植手術したら二度おいしいし」
「あー、余裕で同意書だわー」
「〇〇チャンネルみた? ずるくね?」
「あれはずるいねー。ってなに飲んでんの?」
「これ? 良く分かんね。新作っぽいやつ」
「おいしい?」
「あー、甘いっちゃ甘い。酸っぱいっちゃ酸っぱい。なに笑ってんだよ」
「ヒマリの得意技が出た」
「だってそうなんだって。甘いっちゃ甘いし、酸っぱいっちゃ酸っぱいの。笑うなって」
「情報ゼロ」
ヒマリさんも頭が良いはずなのに、二人でいるとだいぶIQが下がるのだった。
そんなヒマリさんが「大っ嫌い!」と。
僕に向かってボロボロと大粒の涙をこぼした。それだけのために呼び出されたのだ。
「何かいいなさいよ!」
僕は何も言う気になれなかった。
陰で待っていたコウキくんが姿をあらわした。ヒマリさんは彼の胸にすがった。
「ヒマリは友達のために涙が流せる女なんだよ」
「僕からするとこの場にコウキくんがいることが意外です。先輩の意図するデザインフレンズにはアカリさんは異邦人のように見えます」
「デザインフレンズって何?」コウキくんは笑った。「少年マンガの読みすぎだろ」
でもジュンが言わんとしてることは分かるつもりだ、と。なぜか僕は突然のジュン呼びに気を取られた。
「俺たちは自然とバランスを取り合ってこうなったんだ。その代わり自然と何度もバラバラになりかけたけどな。だから俺は俺の意図を押し通してそのつど修復させたんだ。いちいちアカリには犠牲になってもらったところはあるから…… 正直、ジュンは俺をもっと恨んでいい」
「恨みなんてないですけど……」
本当に恨みなんてないけど何か言ってあげないといけない。そう強く思った。
「こんな立ち回りしか考えてない男より、僕の方が強ぇって思いました」
「ざけんな不細工!」
ヒステリーに叫ぶヒマリさんをよそにして、コウキくんはゲラゲラ大笑いをしていた。