第11話 学校(3)

文字数 1,570文字

 親友のトモキは、僕を山岳部(という名の実質キャンプ同好会)の部室に案内してくれた。そこは普段あまり訪れない、D棟の奥まったところにあり、美術室のとなりだったので廊下はテレピン油と絵の具の混ざった臭いがしていた。戸は立て付けが悪く、少し上に持ち上げる必要があった。入ってすぐに分かったのだが、そこは部室ではなく美術準備室だった。
「初めて入る? 美術選択してないんだっけか」
 戸棚の上に石膏像が並べて置かれている奇妙な外観の部屋の隅っこ。日当たりの悪い部屋の、日当たりの悪い端の端に、折りたたみテーブルが二つ突き合わせにされていて、パイプ椅子が四脚収まっていた。すこし不安がよぎるほどのふかふかな木目の床にガムテープで仕切りのラインが引かれている。多分、ここからが部室なんだ。
「関根さん連れてくるからちょっと待ってて」と、僕はパイプ椅子に座らされ、目の前に汚いガラスコップをドンと置かれた。画材を洗うための水場から汲まれた水道水がちょっぴり入っていた。
 僕が壁に貼られた日本地図を穴の開くほど眺めていると、やがて山岳部(という名の実質キャンプ同好会)の顧問にして、生物の教師、関根あつ子が現れた。関根は「よっ」と軽く僕に挨拶をすると、パンツスーツと黄ばんだ白衣に覆われた、たくましい尻をパイプ椅子に乱暴に乗せた。手には部活動の入部申請書類を持っていた。
「話はここにサインをしてからだ」マフィアか?
「やはり入部しないといけませんか?」
「そりゃあね」関根とトモキは目線を合わせた。
「さすがに折りたたみスツールを借りるのとは違ってさ」
「あのさあ」関根は白衣の擦れる独特の音を立てて両腕を組んだ。
「別にキャンプ用品が借りられなくたって、キャンプなんてできるんだぜ?」
 なぜこの教師は巻き舌でしゃべるのか。
「野宿だって立派なキャンプなんだからな」
「極論、極論」トモキはおっかなびっくりツッコミを入れた。
「ジュンの好みに合ってると思うよ、この部活。自然観察好きなんだろ?」
「バイトが忙しいんだ」
「あのさあ」関根は急に真顔になった。
「大人になってから働け。学生は親に借金してでも遊べ」
「正論やめてください。自由に使えるお金が欲しいんです」
 トモキは関根に耳打ちした。彼女彼女。
「トモキは勘違いしているようだけど、アカリ先輩は僕の彼女じゃないんだ」
「え? だって家に招待されて晩御飯いっしょに作ったって……」
「作ったけど彼女じゃないんだ」
「え? そんなことってある?」
「あるんだ」
「でもキャンプも一緒にいくんでしょ?」
 僕は無言で首肯した。

「星空の下で、告白するんだ!」

 蠅が間を横切った。
「あのさジュン。友達にこういう事言うのってどうかと思うけど、キャンプって人によって合う合わないがあってさ……。あまり期待しない方が……」
 そんなトモキを関根が制した。
「よし、そういう事情なら、入部は全部うまくいったらでいいよ」
 関根は口角をにゅっと持ち上げた。
「オレが全面的に協力してやるよ。手取り足取り教えてやるし、私物のギアだって貸してやる。なんだったらオレのランクルを走らせたっていいしな。いいね。いい判断だと思うよ、キャンプ。いっしょに作業すると人間性がでるからさ。変な女はふるいにかけられるっていうか幻滅するんじゃねえかな。きっと幻滅するよ。うっひひ! 楽しみだな!」
 急に一人称がオレに変わった関根に直面して、僕はぞっとした。



『順調。アカリさん生物って選択してる?』

『生物取ってるよ』

『生物の関根先生が山岳部の顧問なんだけど、全部教えてくれるって』

『あっちゃんが? へー』

『車も出してくれるって話だから、アカリさんはそれに乗って現地ね』

『私もなにか手伝いたい』

『そうだな、前日の積み込みの手伝いと、食材の買い出しをお願いします』

『任せろ』

『頼んだ』

『おう』
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