第7話 学校(1)

文字数 1,631文字

 アカリさんは僕の言う『青春ごっこ』を辞めなかったが、僕はアカリさんから金曜日の夕方や土曜日の昼なんかに呼び出されるようになった。喫茶店やファミレスが主な待合いの場所だったが、稀に駅ビルの学習プラザだったり、郵便局の駐車場だったこともあった。スマホには何のオブラートにも包まれず、ただ『会える?』とか『会いたい』とだけ届いた。『会える?』と聞かれて、断ったことは一度もなかった。クラスのカラオケに参加していても親を体調不良にして抜け出した。おそらく同級生の何名かにはバレているはずだった。
 しかし駆け付けた先に(移動手段が自転車だと文字通り駆け付けた)僕の癒しや救いが待っているとは限らなかった。アカリさんはパンツルックにパーカー姿だったり、上下ジャージ姿だったりすることもあったが、僕の予想を裏切り、ざっくり肩の空いたノースリーブだったり、腰のラインが強調された大人っぽいロングスカートだったりすると、僕の脳は瞬間的に沸騰して嫉妬で直視できなくなってしまった。その嫉妬に歪んだ僕の眉毛に向かって、彼女はため息をついたり、「行きたくないなぁ」と独り言ちたりしたのだ。狙ってやっているとしたらとんだ小悪魔だ。
 しかもこの小悪魔は、弟の話、弟の話と、なんだかアイドルや女優が男の影をちらつかせるときのような身の上話をしてきた。「弟が言うには、男が浮気だと判定するときの分水嶺にはパターンがあるらしくって……」って、もうこれぜったい彼氏いるやん! 試しにちょっとした記念にディオールのハンドクリームをプレゼントしたら、全く喜んでくれない上に……。
「ジュンにはこういうの期待してない」とはっきり言われた。
「じゃあもう返せよ!」「いや、使わないとは言ってない」「返せ、返せ! 僕の時給何時間分だと思ってるんだ!」「うれしくないとも言ってない」
 だが、一通りじゃれあったら嫉妬がどうとか、そんな仮想的な張り合いがどうでも良くなったということはあった。
「次はがっかりさせないから……」
 ちょうどアカリさんのアイスティーがなくなって、ストローの先から空気を吸う破裂音がした。
「彼氏とも三か月続いたことないんだけどな……」
 僕の頭の中に、パッと真っ白な枕カバーとベッドシーツが浮かんだ。妄想上のアカリさんは投身自殺をするように全裸の肢体をベッドに投げ出すのだった。

 ある日、僕のクラスに焼き菓子の香ばしい匂いをさせてヒマリさんが現れた。手提げバックからクッキーを入れた包み紙を二つ取り出して、僕の机の上に並べた。それは青いシールと赤いシールを貼られて分別されていた。何かと何かを重要な意味合いを持って分別していた。
「どっちがアカリちゃんが作ったクッキーでしょうかー」
 ヒマリさんの背後の、教室の入り口から少し廊下に出たあたりで、アカリさんは腕組みしながら歯をむき出しにして、眉をひそめていた。心の声が丸聞こえだった。「くっだんねぇー!」だ。
 アカリさんはこんな風に親友から女子力マウントを取られるのが平気なのか? こんな人間関係なんてばっさり切ってしてしまえばいいじゃないか。だけどアカリさんがヒマリさんとの関係性を大切にしていることは、その空気感で分かってしまうのだった。
「こっちです」と。
 僕は口の内の水分に注意して(むせ)ないように慎重に飲み込んでから、青いシールの貼られた方を選んだ。
 すると、ヒマリさんは正解とも不正解とも僕に知らせずに、「はあ?」と言ったっきりぶりぶりと怒って自分のクラスに帰って行ってしまった。僕とアカリさんと顔を合わせて、お姫様が退場した先を見ながらため息をついた。
「なんでそっちを選んだの?」
「赤いシールの方は練りこまれた紅茶の茶葉の香りもよくて素直に美味しかったんですけどね……。青いシールの方がしっかりと甘くてシンプルだったからです」
「よくわかんない」
「アカリさんだけでしょ、僕が甘党なの知ってるの」
 最終的にアカリさんも正解を教えてくれなかった。

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