与作
文字数 1,657文字
たぶんこうして明確に「対話」ができる構図がつくられると、作者=〈私〉が完全に第三者になれるのだ。
これも、どこか無責任さを薄く感じながらも、一つの立派な手だなと思えもする。
70年代のフォーク、のちにニューミュージックと呼ばれていた人たちの歌も、今聴き返せば演歌みたいに聴こえる時もある。…松山千春の「恋」とか中島みゆきの恨み節的な歌、河島英五の「酒と泪と男と女」とか。
でも演歌ってのは確固として揺るぎない、日本独特のものだろうよ。「音頭」もそうだね。
あまり積極的に聴いたことはないが…。
今まで紹介してきた女性ボーカルの歌も、なかよしの友達とよく歌ったもんさ。
歌ってほんと素晴らしいよ。気持ちも込められるし、気持ちも晴れる。
歌わなきゃ!
「手紙」とか「電話」とか、よく歌詞に出てくる。
これが「メール」とか「ケータイ」だとダメだろうな。
情緒に訴えかけるものがないというか、薄っぺらく感じられる。
その感じから、ふさわしいメロディもつくれない… ふかみがなく、インスピレーションも失われる感じがする。
気のせいかな?
でもそれが求めるものが、現実に「在る」ということも事実で。
人間が求めてきたものが今現実になっているんだ。
youtubeでいろんな音楽を聴けるのは嬉しいけど、作り手のこと、作曲者のことを考えると、喜んでばかりもいられないよ… 「作品」が作りにくいと思う。一枚のレコード、CDとして。
何でもストリーミング?ダウンロード?だか何だかして、聴かれちゃうんだから…。それは作品というより空気だよな。
形がない! 「物」として存在していないんだよ。
嘘をつくことは大罪だと思ってる。自分に対しても。
でも本名をさらしたりすると、よろしくない空気があるよな…
悪い人が増えたのだとしたら、あきらかに民度、人のレヴェルが下がってきてるよな。
ほんとに自分のことしか考えられないなんて、あり得ないと思うんだが。
せっかくの能力が泣いているよ。誹謗中傷なんて、かなりのものらしいからなぁ。
でも人は変わる。その人の意地の悪さもその時を過ぎれば収まるかもしれん。