◇2

文字数 863文字

 あのとき、少年は必ず連絡をくれるようにと陽子に告げた。ところが彼の連絡先の情報は何も聞いていなかったことを帰宅して気づき、翌日、もう一度少年の家を訪問してみた。既に家には人気などなく、引っ越したあとであった。
 今振り返ると、あの少年の思い違いだったのではないか。自分と誰かを間違えたとしか思えない。だが、たとえそうだったとしても、確信に満ちたあの熱い眼差しは幼い少女の胸を焦がすに余りある贈り物であった。あれ以来、仄かな憧れを胸に沈めたまま時は過ぎ去ったのだ。
 陽子は不思議な体験をした三歳の頃から何となくこの池のほとりの、このベンチに腰かけ、時間を過ごすことが多くなった。ここにいると、気分は高揚し、何とも例えようもないくらい温かな気持ちになるのだ。十七歳になった今は、ほぼ毎日、放課後はここに立ち寄ることにしていた。
 今日もいつものようにベンチに腰を落ち着け、ぼんやり池を眺めていた。と、突然夕立に見舞われ、慌ててベンチの後ろの木陰に避難した。

の裾が雨に濡れる。両肩に降りかかった雫を手で交互に払い落とした。
 しばらく鼻歌交じりに雨筋を目で追っていたら、見知らぬ少年が駆け込んで、いきなり話しかけてきた。陽子よりもかなり長身の彼の顔を見上げる。
「さっきは気づかなかった……隣にいたのに……けど……君だったんだね? もしや、と思って慌てて引き返して来てこのザマだよ」
 彼はずぶ濡れ姿でおどけながら息も絶え絶えに微笑みかける。「元気だった?」
 陽子はその面影にハッとした。紛れもない、あのときの少年だ。
 二人は無沙汰の挨拶をしたあと、言葉少なに近況を語り合うだけが精一杯だった。高校二年生の二人にはもっと話題もあったはずなのに、結局、二言、三言ずつ、途切れ途切れに発してはお互い頷くだけの会話しかできなかった。恥じらいと照れが勝り、もどかしさに胸が締めつけられる。相手からもそんな感情がひしひしと陽子にも伝わってきた。
 雨がやむと、明日の夕刻、もう一度ここで会う約束をして別れた。
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