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文字数 2,165文字

 稚児行列が実行委員に見守られながら現れた。
 彼は流れの反対側で出口の方角を指差しながら視線を送ってきた。指示された方向へと意識だけは先走ったが、思うようにはなかなか進まぬ足を引きずりながら対岸の彼に視線を送り続ける。
 ほどなくして数十人の男たちに担がれた輿の朱色が人目を引く。すると人の動きがまた止まる。輿が揺れる度に、下ろした御簾(みす)の隙間から織姫の白い頬が覗く。織姫の輿が過ぎて間もなく、彦星の輿も続いた。
 二つの輿が過ぎ去ったあと、対岸に彼の姿は見えなくなっていた。私は必死にさがした。目星をつけ、今いるであろう当りに視線を向ける。だが、いくら目を凝らしても彼の面影は認められない。さっきまで、ほんの数分前まですぐ傍で息遣いを聞いていたのに。
 行列が過ぎ去り、人の流れが再び元に戻ると、解放された私の体は即座に反応して、駅を目指した。駅へ行けば、必ず彼に再会できると踏んだのだ。彼の影を求めながら駅へと心ははやる。
 やっとの思いで参道の人波をかいくぐり、鳥居を抜けた。
 左右に県道が走り、横断歩道の先には商店街が数百メートルまっすぐのびる。一旦その場に留まって、彼の影を察知しようと、レーダーを張り巡らす。全神経を目に集中させながら潜望鏡よろしく、三六〇度グルリと体ごと旋回して見渡してみる。だが、彼の痕跡は認められなかった。既に駅へ向かったに違いない。
 信号が青に変わると私は突進した。最後に彼の姿を認めて、己の感覚では相当の時間が経過したように思われる。商店街の入り口付近に店舗を構えるうどん屋を覗いた。店内の時計を確認すると、幸いにも待ち合わせ時刻まで十数分程度の余裕がある。走れば、じゅうぶん間に合うはずだ。すかさず足は地べたを強く蹴った。
 小柄な体躯にものを言わせ、うまく人込みをかわしながら、商店街を全力疾走で難なく抜け出した。バスケで鍛えた能力がこんな風に役立つとは思ってもみなかった。すばしっこさは人並み以上なのかもしれない、と意外な我が能力に舌を巻く。
 商店街を抜けてすぐ、また横断歩道がのびる。一層足を速める。しかし、渡ろうとした直前、赤信号に変わったため、左に舵を切る。この通りは交通量はさほどないので、途中、道路を斜めに突っ切って、次の角を右に曲がった。と、有閑マダムの三列横隊に歩道を遮られ、一旦足を止められた。仕方なく両手を膝につき、息を整えることにした。
 私鉄の駅舎が正面に見える。ゴールは目の前だ。目測で百メートル強といったところだ。上体を起こして一度深呼吸をして、マダムたちの横を擦り抜けたら、猛然とダッシュした。私は遅筋より速筋が勝った短距離走者だ。ものの十数秒で決着はつくだろう。駅舎はグングン近づく。
 トップスピードで駅前広場を通過して、駅の階段を駆け上った。コンコースで隈なく見渡す。彼の姿はどこにもない。迷わず券売機で自宅最寄り駅への切符を購入した。自動改札機に切符を差し入れ、もたついた動作に苛立ちながら、切符が流れてくるまでの長い時間を短い呼吸間隔で待つ。二度ほど荒い呼吸を繰り返しただけで押し出されてきた切符を毟り取り、取り合えず近いほうの階段を駆け上がった。
 高架線のホームの端から端までを渡り歩く。もちろん反対側のホームにも注意を払いながら、目を凝らして彼の姿を求めたが、どちらにも気配すらない。
 急行列車がホームへ進入する音が響く。減速してドアが開くと同時に乗客の塊が押し出され、ホームはイモ洗い状態で、その場に留まり続けている私は激しい人の流れに洗われた。
 列車が発車して人間の塊がホームから消え去ると、寂しい空気が、たったひとり立ち尽くす私の全身に纏わりついた。対岸を私の目は右から左、左から右へと彼の面影を求めてさまよう。列車の迫り来る轟音が耳に届いて間髪入れずに反対側の線路を特急列車は速度を緩めず、烈風を置き去りにして走り去った。
 ホームの時計を確認すると、とうに待ち合わせの時刻は過ぎていた。既に彼はこの空間には存在しないのだ。後悔と絶望の海原で胸は凍りつき、シクシクと疼き出す。
 それでも諦めきれぬ私の(まなこ)は懐かしい面影をさがし続けた。次第に熱い思いが凍てついた胸を融かし、瞳を濡らし始める。
 どれくらいの時間が経っただろうか、反対側のホームに普通列車が侵入し始めた。その光景を呆然と眺めながら、先頭車両が私の目の前を横切る寸前、潤んだ瞳がとらえたのだ。像は歪んでいたが、まさしく我が愛しの彦星様だ。
 私の体は即座に反応した。階段を落ちるように下り、階段を四つ足動物のように上った。反対側のホームを列車の進行方向へ走った。
 彼の姿は、既に先頭車両のドアに飲み込まれた。発車のベルが耳をつんざき、ドアが閉まる。列車は静かに動き出した。
 彼が乗り込んだドアの前まで来ると、列車の速度に合わせて走る。彼はドアの前に立っていた。すぐに私に気づいて一瞬驚いた目をしたが、満面の笑みで私に視線を送りながら、手を振ってくれた。
 列車に彼との絆を引き割かれ、最早私の足は追いつけない。次第に彼の姿は視界から失せて行く。完全に見えなくなると、膝に両手をついて荒い息遣いが正常に戻るまでその場で彼の幻を見つめ続けた。
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