第18話 絶対に眠らせない枕

文字数 5,110文字

 Mは週末、家具屋に出かけた。今使っている枕がヘタってきたので、買い替えようと思ったからだ。
 枕のコーナーに行って、どれにしようか迷っていると、販売員から声をかけられた。
「どのような枕をお探しなんですか?」
「いやあ、何でもいいんですけどねえ」
「枕は大事ですよ。睡眠の質が変わりますからね」
「そうみたいですね。でもあんまり気にならないんですよ。オススメあります?」
「そうですね。こちらはいかがでしょうか。最近入荷した商品なんですが、画期的な商品です」
 店員は枕のサンプルをもってきた。
 Mはそれを触ってみた。
「これはですね。『絶対に眠らせない枕』なんですよ」
「絶対に眠らせない? 寝れないならダメじゃないですか」
「いいえ。今までの常識を覆した商品なんですよ。どういうことかと申し上げますと、よく眠れるとか、朝の目覚めがスッキリだとか謳った商品が多いわけですが、それがその人に合うかどうかとなりますと、人それぞれなんですね」
「そうでしょうね」
「ところがこの商品は無理に眠ろうとする必要はないんじゃないかという疑問から開発された商品なんですよ。私たちは夜になるとたいして疲れていないのに布団に入って寝ようとします。それは次の日に仕事があるからです。日中眠くなったら大変ですからね。だから私たちの日々の生活では『夜は寝ないといけない』という強迫観念にいつも縛られています。それがプレッシャーになって、余計に眠れなくなってきます。挙句の果てには睡眠薬に頼るような生活になってしまいますね。人間の自然の摂理に反することだと思うんです」
「なるほどね」
「私たちの仕事は大昔の仕事と比べると、肉体をほとんど使ってません。太陽の下で一日中、鋤や鍬をもって田んぼや畑を耕しているわけではありませんよね。疲れているのは頭です。疲労のほとんどは頭だけなんです」
「ほう」
「そこでです。この枕は頭の疲れ、つまり脳の疲れだけを吸収するわけです。ですから布団に入って眠れなくても大丈夫です」
「じゃあ疲れたな、と思ったとき、これに頭を乗せて横になるだけでいいんですか?」
「そうですね。掃除機のように脳の疲れというゴミが吸い取られていくイメージですね。そうすると頭の疲れは取れちゃいますから」
「『絶対に眠らせない枕』って、ネーミング悪くないですか?」
「ですが効果は抜群ですよ」

 Mは物は試しと思って、その枕を購入した。
 夜11時。就寝時刻。
 Mは『絶対に眠らせない枕』の上に頭を乗せた。普通の枕だった。寝ようとしても、確かに眠れない。Mは寝付きがいいほうだから、少し不安になってきた。
「いやいや、『絶対に眠らせない枕』なんだから、寝たら逆にまずいんじゃないか。ということは寝られないというのはとてもいいことなんだよな」
と、考え直した。
「いやいや、寝ないとさ、明日会社で眠くなったらどうするんだよ。会社にこの枕をもっていって、デスクの上において、そこで頭を乗せるわけ? 昼休みはいいけどさ、まわりからは変な目で見られそうだよな」
 時刻は1時すぎになった。
「いやあ、なんだかんだと布団に入って2時間くらいたっちゃったなあ。たしかに眠れそうもない。眠らせないよな、これ。ホント、考えれば考えるほど不思議な枕だな。脳の疲れが取れたかって言われると、それはなんともいえないけどね。目がどんどん冴えちゃってるからね。ああ、これが疲れが取れるってことなのかね。でもさ、朝方に強烈な睡魔が襲ってきたらどうするんだ? そこで爆睡なんかしちゃったらさ、出勤はムリでしょ。いやほんとに。いやあ、どうなんだろう、これ。失敗したかな。前に使ってた枕、捨てなきゃよかったかな。でもかなりヘタってたしな。でもさ。目が冴えてるんだから、元気になってるんだよね、たぶん。あ、そうだ。スマホ見たって疲れないってことだよね。だってこの枕がどんどん疲れを吸い取ってくれるわけでしょ。そういうことだよね。たぶんそうだよ」
 Mは体を起こして、スマホを見た。眩しい痛々しい光が目を刺してきた。
 2時半すぎになった。
「もう、こんな時間じゃないか。4時間後には起きなきゃいけないんだよ。いやずっと起きてるんだから、起きなきゃいけないなんて考える必要はないんだよ。眠らせないんだからね、この枕が。いいことなんだよ。そう効果が発揮してるんだよ。そうだ、そうだ。あれ、ダウがじりじり下がってんじゃないかあ。ああ、為替もだめじゃない。ちょっとさ、困るよ。ああ… 何、今の急落! 誰か仕掛けてるんじゃないの? ちょっとさ、ああ、そうか、3時過ぎになると、FRBの記者会見だっけ? 3時半だっけ。というかさ、話、漏れてるよね、これ。こんなのさ見たくないんだよね。でもこの時間起きちゃってるとさ、見ちゃうんだよね。オレさ、インデックス運用なんだよ。見たくないのよ。投機的な動きを見るのはイヤなのよ。これ見ちゃうと疲れるだけなんだよな。こういう疲れもさ、枕が吸い取ってくれるんだよね。ホントかよ。枕をヘルメットがわりにして、1日中つけてたら、24時間起きていられるのかね? FRBはもういいよ。サプライズはないでしょ。はあ、ユーチューブでも見るか…」
 4時すぎになった。
「もうそろそろ朝だよ。ほんとに眠れないな。絶対に眠らせないというのは、ほんとにすごいね。でも元気になる感じはまったくしないな。体にいいんだか悪いんだかわかんないけど。たしかに体は疲れてないからな。それでも万歩計で見ると、1万歩以上は歩いているんだぜ。そんなに歩いてるっけ? スマホの万歩計も当てにならんけどな。でもちょっと気になるな。体の疲れはどうやって癒やすんだ? たとえば、日テレでやってるやつ、24時間マラソンみたいの。体くたくたでしょ。あんだけ走って、途中どうしてるか知らんけど、寝てるかもしれないけど、いやないな、ハイになってるからな。体がくたくたになったら、コクンと寝るでしょ。普通そうでしょ。でももしこいつ使ったら、絶対に眠らせないんだぜ。いやいやマジで、体の疲れはどうやって回復させるのよ。あの店員は今の人は体使わないからって言ってたけど、まあオレなんかはたしかにそうよ。ついでに頭も使ってないけどね。ハハハ。でもさ、でもよ、肉体労働者はどうなのよ。工事現場で働いている奴らとかさ、夏場とかすんごい体力使うじゃない? ぐったりでしょ。夜帰って風呂はいる気力なんかないぐらいぐったりでしょ。そういう連中だって、この枕使ったら、シャキーンとするわけ? お目々パッチリになるわけ? ウソでしょ~ちょっとありえないね。疲れ切ってる人はどんな枕使おうが爆睡よ。マジ爆睡。決まってんじゃない。まあ、あの店員のセールストークだからね。半分ウソも入ってるだろうけどさ。徹夜続きの人にこれを試してほしいよな。ほんとに寝ないかどうかみてみたいな」
 5時すぎになった。
「朝だよ。『絶対に眠らせない枕』、効果が半端ないね。いやあ、これさ不眠症の人にオススメしたいね。あれ? 不眠症は寝れないんだから、必要ないか。いや、違うな。不眠症は日中眠くなるんだっけ? そうだよな。日中も寝なくても大丈夫だったら、24時間戦えるもんな。あ、こんなの今どき流行んないな。そうそう、とにかく疲れるわけだから、この『絶対に眠らせない枕』で脳の疲れが取れれば、不眠症は問題じゃなくなるんだよな。そうすれば睡眠薬に頼る必要なんかない。そうだ。そうそうそう。あの店員はそう言ってた。どうしようかな、この時間になっちゃったからな、起きようかな。というかずっと起きてるんだけど。疲れは取れているはずなんだからね。まさか朝メシ食ったら、いっきに睡魔が襲ったりしてね。それじゃ意味ないよ。でも何時間、頭乗せてればいいわけ? 今、何時よ。もう5時半ちかいか。そろそろなんか明るくなってきたかな…もう6時間? それ以上? この枕で寝てるんだね。疲れは取れてるはずなんだけど、どのくらいの時間寝ていたらいいんだ? 店員は説明してなかったな。1時間だったら、こうやってぐだぐだと布団の中にいるのは時間の無駄だなあ。あ、説明書あったな。捨てちゃったっけ? さっき箱ごと捨てちゃったな。ちょっと見てみるか」
 Mは布団から出て、ゴミ箱に捨てた説明書を拾い上げた。
 また布団に入った。
「え、なになに? う~ん。時間は書いてないな…。『人間は約7時間睡眠をとる必要があると言われています』って? まあそうだろうけどさ、この枕はどうなのよ。『快適な睡眠をとるためには、ストレスを溜めないことです』だって? そんなの当たり前でしょ。『寝る前はリラックスしましょう』って、そんな普通のこと言われたってねえ。『夜寝る前や布団に入っている間、あれこれ考えごとしたり、スマホを見たりしていると、寝れなくなってしまいます』…まあ、そりゃそうだな。そうした人のために、この枕が開発されたのだね。ハイハイ。『絶対に眠らせないというのは、夜眠れないなら寝なくてもいいという考え方から開発が始まりました』ああ、そうね。あの店員もそう言ってたな。『この枕を使うことによって、みなさんは絶対に眠ることはなくなります』だとさ。これさ、絶対って怪しいよな。問題だよな。絶対だぞ。商品名に絶対はまずいだろう。健康関連の商品でしょ。厚生労働省か経済産業省かどこか知らんけど、突っ込まれるでしょ。これ買った客はマジで消費者庁にクレームだよ。あ、いや違うか。『絶対に眠れる枕』って言ったら、そりゃクレームが行くけど、『絶対に眠らせない枕』って言ったら、これどうなんだ?クレームしようがないよな。いや、客のなかには、オレ眠るつもりなくて、この枕使って寝てしまった、ふざけんな、って言うのかね? 消費者庁からしたらいい迷惑だな。というか、『絶対に眠らせない枕』なんて言ったら、ふつうそんなことあるわけないでしょ、って話になって、ジョークアイテムみたいに思われそうだわ。まあメーカーはいくらでも言い逃れはできるわな。じゃあ、その絶対に眠れないって何さ? え~と、う~ん、なんて書いてんだ? 『この枕で寝ているあいだ、あなたは考えるはずです、絶対に眠らせないって本当のなのかと』だって。そりゃそうでしょう。眠らせないよって、ベッドの上で男が女に向かって言うんだろう。『今夜は眠らせないよ…』とか言っちゃってフフフとか笑って、女の鼻をつんつんして…そんくらいしか思いつかん。そんなこと言うやつがいるとも思えんけどね。ネタでやるぶんにはアリか。ムードぶち壊しだな。ああ、でもそういうのは付き合いの長いカップルで、かつ仲がいい場合に限るな。ん、そうだな。ま、そんなことはどうでもいいや。で、続きはどうなってんのよ? 『この枕で横になっている間、あなたは何も心配しないでいろんな考えごとをすればいいのです』って。へえ、考えるな、じゃなくて、とことんまで考えちゃえということね。それじゃ寝れないじゃない。ああ、いいんだ。眠らせないんだから、そっか。それで? 『あれこれ考えて頭から考えごとを排出することがとても大事です』らしい。考えると考え事が頭から排出されるのか? う~ん考えて独り言をぶつぶついうかんじ? 日記みたいなもんかな。その日にあったいろいろ嫌なことを書きつけることで発散されるような? でも考えると排出されるって、ちょっとおかしくね? まあ、いいや。排出することは悪いことじゃないよな。溜め込むことは体に悪いよな。どんどん外に出していったほうが健全だわな。心も体もそうなんでしょ。で、続きは? 『頭のなかがすっきりすれば、あなたは心地よい眠りに落ちるのです』と。ん? どういうことよ。この枕を使っているあいだ、頭のなかのいろんなモヤモヤみたいのをぜんぶすっきり出しちゃうわけだよね。店員も言ってたな。掃除機のように脳の疲れのゴミだかなんだかを吸い取っちゃうっって言ってたな。うん、そうね。間違ってないね。間違ってないな。でも、そこで眠り落ちるって?」
 時刻が6時30分。起床時間。
 Mの頭がモウロウとしてきた。
「やばい。すっげえ眠くなってきたじゃないか。ええ、どういうことよ。ああ、なんかなんとなく分かってきた。オレは一晩中、この『絶対に眠らせない枕』のことを考え続けてきて、すっきりしたから眠くなってきたんだ。あの店員の言うことはたしかに間違ってない。嘘は言ってない。商品名もそのまんまだ。でも、意味ないな、これ…」
 Mはそのまま眠りについてしまった。




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