第17話 無人島に模型世界を作った少年が彼女と旅する夢

文字数 8,146文字

 Mはこの島の住民だった。
 この島といっても彼のほかに誰も住んでいない。彼がいなければ無人島だった。
 物心がついたとき、一人だった。
 記憶をたどってみても、誰かに育てられた記憶がない。
 本当に小さいころは、誰かが一日中彼の面倒を見てくれていたのかもしれない。
 しかし、そのような記憶は全くない。
 彼にあるのは、毎日水平線の向こうから船に乗ってやってくる船員たちだった。
 浅黒い顔をした屈強そうな男の船員たちと戯れることだけだった。
 船員たちは太陽がのぼるころ遠くからやってくる。
 彼らは食料や水その他生活に必要な物資を置いていく。

「やあ、坊主。元気してるか?」
 毎日顔を合わせる船員たちは、Mにとって唯一のつながりだった。
「うん、元気だよ」
 それから小一時間ほど、Mは船員たちと遊ぶ。
 やがて船員たちは船に乗り込みんで、
「またあした来るからな」と、言って手を振って別れる。

 Mの一日の生活はシンプルだった。
 誰が作ったか知らない小屋で、Mは目覚める。
 彼は海岸に行って、砂浜にしゃがみ込んで、夜明け前の赤い太陽が水平線の向こうから浮かんでくるのを待っている。
 太陽がのぼるころ、遠くかなたに1つの黒影が見えてくる。
 少しずつ形をあらわした船は、波にゆられてやってくる。
 船から降りてくる船員たちは荷物を下ろし、小屋まで運んでいく。その後、彼らはMの遊び相手になる。
 船員たちが帰った後は、Mの一人遊びの時間だ。
 彼は雑木林に入って、大小の小枝を拾ってきては、いろいろな模型を作っていた。
 小屋を作ったり、船を作ったり…。
 砂浜に出る。
 砂で小屋を作ったり、船を作ったり…。
 日が沈むころ、疲れ果ててぐっすりと眠りにつく。
 Mの日常は、これがすべてだった。

 Mは8歳になった。
 彼は船員たちと無邪気に遊ぶというよりも、いろんな話をすることが多くなってきた。
 船員たちはどこからやってくるのか、この食料に書かれているラベルは何を意味しているのか、これは何?それは何?
 船員たちは自分たちが知っている限りのことをMに教えた。
 けれども彼は満足しなかった。
 あることを知ると、それは何?という風に、質問攻めするようになって、船員たちを困らせるようになった。

 あるとき、船員に混じって、一人の女の子がやってきた。
 彼女の年のころはMと同じくらいだった。
 彼は女の子という存在を知らなかったから、風貌が違う彼女を奇異な目で見ているだけだった。
 何か珍しいものをみているような好奇心と胸がざわざわする落ち着かない気持ちがまじりあっていた。
 彼女も彼女で彼の顔をじろじろ見ているだけだった。
 船員たちは、子ども同士でも男女の意識はあるんだなあ、と笑って見ていた。

 それから毎週末、彼女がやってくるようになった。
 二人は少しずつ慣れてきた。
 彼女は少し意地悪だった。
 彼が時間をかけて作った小さな砂の小屋を壊した。
「なんで壊すんだよ!」
 Mは怒った。
 けれども彼女は無頓着だった。
「また作ればいいでしょ」
「せっかく作ったのに」
「もっとすごいのを作ればいいでしょ」

 ひょうひょうと余裕な口調で語る彼女は、Mにとって不快だった。
 しかし彼女が船に乗って帰っていくと、壊された砂の小屋のことはすっかり忘れて、また新しい小屋を作り始めた。
 その後、彼女が島にやってくるたびに、時間をかけて作った砂の小屋は跡形もなく壊された。
 Mはそのたびに怒り、彼女が島を去ると、また作り始めた。
 そんなことがしばらく続いた。
 彼女は言った。
「どうしていつもおんなじおうちを作るの?」
「同じじゃないよ」
「もっとすごいのを作ってよ」
「どういうの?」
「お城がいい。ディズニーランドにあるようなお城」
「ディズニーランド?オシロ?」
 さっぱり意味が分からなかった。
「知らないの?」
「知らない」

 彼女は船に戻ってタブレットをもってきた。
 Mは初めて見る代物に興味津々だった。
「こういうの作りなよ」
 彼女が指先で画面を操作しながら、Mに見せた。
 Mは画面を食い入るように見ていた。
 いろんな画像や動画が次から次へと出てくる。
「この中にいろんなものが入ってるんだ…」
 彼女はMの様子を呆然とながめていた。
「ぜんぜん知らないんだ…」
「海の向こうに、オシロというものがあるの?」
 Mは「オシロ」というものが理解できなかった。
「ほかにもいっぱいあるよ」
 彼女は画面をクリックしながら、世界のいろいろな景色を見せた。
 Mは彼女の話を聞きながら、いろいろなことを知った。
 外の世界には自分と同じくらいの年の人たちがいっぱいいて、一緒に遊んでいることを知った。
「なぜここで一人で生活してるの?」
 彼女はきいた。
 Mはだまっていた。
 質問の意味が分からなかった。
 なぜ「なぜ?」ときくのか?
 彼女は質問を浴びせてきた。

「なぜ学校に行かないの?」
「なぜ友だちと一緒に遊ばないの?」
「お父さんとかお母さんはどこにいるの?」

 未知の世界の話が一気に押し寄せてきた。
 Mは混乱してきた。
 彼女の質問が遠くから押し寄せてくる波の音に包まれてこだまするようだった。

 船員の一人が叫んだ。
「そろそろ帰るぞ!」
 彼女は立ち上がった。
「また、今度来るね」
 Mは頭の中で整理がつかないまま、彼らを見送った。

 砂浜に座って船が去っていく様子を見ていた。
 船が形を失って小さな黒い点になって水平線に消えていくと、Mは寂しい気持ちになってきた。
 彼女の「なぜ?」の問いかけを理解するのは難しかった。
 けれども自分以外の子どもたちには普通にあることが、自分にはないということだけは分かった。

 Mは寝転がって流れる雲をぼんやりとながめながら、タブレットのスクリーンに映っていた初めて見る世界を思い出していた。
 空にただよう雲は世界の建物に変わった。
 遠くの向こうから潮風に乗って運ばれてやってくる。彼の頭上を流れていって、どこか遠くの場所に行ってしまう。
 彼がひとり住んでいるこの島には、何も残さない。
 彼は壊された砂の家の残骸を見ていた。
 何度も作り何度も壊された砂の家は、彼の中で本当にただの砂になってしまった。
 どんなに立派なものを作っても砂に戻ってしまうことをMは受け入れた。

 次の週、彼女はまたやってきた。
「今日はおうちは作ってないんだ…」
「だってきみがいつも壊すから」
 彼女は少し残念そうな顔をした。
「それよりも、この前のあれ、見たい」と、Mは言った。
「あれって?」
「ほら、こういうの」
 Mは両手の人差し指で四角く描いた。
「タブレット? もってくる」

 彼女は船に戻ってタブレットをもってくると、二人で世界中のいろいろな建物や観光名所を見ていった。

  エジプトのピラミッド、ギリシアのパルテノン神殿、
  イタリアのピサの斜塔やコロッセオ、パリのエッフェル塔や凱旋門、
  スペインのサグラダ・ファミリア、オランダの風車、
  ニューヨークの自由の女神像、
  オーストラリアのエアーズロック、
  ペルーのナスカの地上絵、マチュ・ピチュ、
  インドのタージ・マハル、中国の万里の長城、
  日本の寺院や仏像など…

 Mはどれ見ても新鮮でワクワクした。
 とくに気に入ったのはヴェネチアだった。
 広い海をゆっくりと動く船しか見たことがない彼は、町中の運河を行き来するカヤック・カヌーを見て、自分もああいうふうに乗ってみたいと思った。

「私ね、こういうところに住みたい」と、彼女は言った。
 それはオランダキュラソー島の港町ウィレムスタットのカラフルな家だった。
「行ってみたいなあ」
 彼女は画面を見つめている。
 Mは彼女の横顔を見ている。
 ふだん意地悪なことばかりやっている彼女が初めて見せる優しげな表情だった。

 それから二人は、こういうところに行きたいよね、と話しながら、架空の旅行プランを作っていった。
 彼女は小さなメモ帳に行きたい場所を書いていった。
 次はこっち行って、その次はあっちに行って、という風に細かくメモしていた。
 二人はそのメモを見ながら、検索していく。
「おいしいものを食べようよ」
「この建物の上までのぼっていこう」
「あっちの通りになんかありそうだよ」
「電車があるから、これに乗っていこうか」
と、二人で画面を見ながら、想像旅行をして楽しんた。

 船員の一人が叫んだ。
「そろそろ帰るぞ!」
 彼女は立ち上がった。
「また、今度来るね」

 今までの「今度」とくらべて、今の「今度」はとても長く感じた。
 今までだったら、小枝を拾って小さな小屋を作るとか、砂浜に行って砂で小屋を作るとか…。
 けれども、今のMはこうした作業にまったく関心がもてなかった。
 砂浜で遠くの水平線を見たり小屋で寝転がっているあいだずっと、Mの心は「今度」に飛んでいた。彼女と一緒に想像旅行のやりとりの続きを楽しみにしていた。
 Mは彼女の顔をぼんやりと浮かべてみた。これを形にしたいと思った。
 小屋の近くの地面に小枝で彼女の顔をなにげなく描いてみた。
 こんな顔だったっけ?
 納得できずに何度も何度も描き直した。
 彼女を描いていると、Mはとても幸せな気持ちになってきた。
 起きている時間はずっと地面のあちこちに彼女の顔を描いていった。

 毎週末、Mと彼女はタブレットを見ながら世界を想像旅行した。
 おそらく一生かかってもできないほど、いろんな場所に二人は出かけて、いろんな会話で弾んだ。
 しかし、長い旅は人を沈黙させる。
 それは二人にも例外ではなかった。
 いろいろなところを見尽くした二人は語ることがなくなってきた。

 彼女はMが住んでいるところに行ってみたいと言った。
「いいよ」
 Mの小屋にやってきた。
 小屋のまわりの地面には、Mが小枝で削って描かれた彼女の絵がいっぱいあった。
「これ何?」
 彼女の目には絵には映らなかった。ただの模様にしか見えなかった。
「きみの絵」
「私?」
 Mは、こっちから見てみなよ、と言った。
「ああ、ほんとだ」
 二人は移動しながら、角度を変えながら、一つ一つの絵を見ていった。
 けれども彼女の表情は曇っていった。
「ちゃんと描いて欲しいな」
「思い出しながら描こうと思っても難しいんだよ」
「今いるんだから描いてよ」
「いいよ」
 Mは近くから小枝を拾ってしゃがみ込んだ。
「ねえ、スケッチブックないの?」
「なにそれ」
「もってないんだ…船にあるからもってくる」

 彼女はスケッチブックと色えんぴつをもってきた。
 Mはそれを珍しそうに見ていた。
「こういうふうに描くんだよ」と言って、何枚かの彼女の絵をMに見せた。
 Mはその絵を見て驚いた。
「すごい」
「Mくんの絵を描いてあげるね」
 彼女はささっと描いてMに見せた。
「ぼくってこんな顔をしてるの?」
「してるよ」
 自分の顔を見たことがないので、ぼくはこんな顔をしてるのか…とがっかりした。
 次にMは彼女の顔を見ながら、絵を描いてみた。
「私、もっときれいだと思う」
 彼女は不満そうだった。

 それからの毎週末は、二人は島のあちこちに出かけて、Mは彼女の絵を描いた。
 彼女はいろいろなポーズをとって、それをMが描いた。
 ふだんの日でも、Mは小屋にこもって朝から晩まで彼女を描き続けた。
 何度も何度も彼女を描いていくうちに、上手になってきた。
 表情の細かいところまで表現できるようになってきた。色加減も自在になってきた。

 ある日、砂浜で絵を描こうということになった。
 適当な場所を見つけると、彼女は両足を抱えて座った。
 Mをのぞき込むようにして見ている。
 Mはスケッチを始めた。
 彼女はときおり海をながめたり、首をかしげたりする。
「動かないでよ!」
 Mはそう言って、色えんぴつを頻繁に替えていきながら夢中になって描いている。

 彼女はとつぜんMにきいてきた。
「好きな女の子とかいないの?」
 彼は手を止めた。
 いつもそうだが、彼女の問いかけの意味がわからない。
 「女の子」というものは理解できるようになった。ただ「好き」というのはどういうことなのか、考えてみても分からない。
「いないの?」
「女の子はきみしか知らない」
 わかっていることだけしか言えなかった。
「それってどういう意味?」
「どうって、ぼくは他の人を知らないから。だからきみしか知らない」
 Mがそう言うと、彼女は首を少しかしげた。

 Mは止めていた手を動かし始めた。
 彼女はMのほうを見ようとしないで、海を見ていた。
「こっち向いてよ」と、Mは言った。
 彼女は顔を向けようとしなかった。
「ねえ、こっち向いてよ」
 Mはぼやいた。
 彼女はゆっくりと向き直って、まっすぐにMの目を見つめた。
 一呼吸した。
「私はMくんのことが好きだよ」
 彼ははっとして、思わず下を向いた。
「私のこと好き?」
 彼は唇をかんだ。
「どうなの?」
 Mは持っている色えんぴつを見ていた。手が震えていた。
 彼はなんとか声をふりしぼった。
「分からない」
「そう…」

 翌週、彼女は来なかった。
 船員にきいたが、分からないと言った。
 Mは少しがっかりした。
 今までも来ない日があったので、来週には来るだろうと思った。
 けれども、その翌週も、さらにその翌週も来なかった。
 彼女と会えない時間が長くなればなるほど、Mは落ち込んでいった。
 小屋の隅に転がっている何冊かのスケッチブックに描いた彼女の顔を見たとき、胸が急に痛んできた。今まで味わったことのない締めつけられるような痛みだった。
 毎日、太陽が東の水平線からのぼって、西の水平線にしずんでゆく。
 Mは海の向こうの彼女に向かってつぶやいた。
「次は来るよね」

 けれども、彼女は来なかった。
 船員にきいた。
「どうして彼女は来なくなったの?」
「分からない」と、いつもの返事だった。
「もう来ないの?」
 Mは泣きそうな顔になっていた。
 船員は困った顔をした。
「本当のこと言って。彼女はもう来ないの?」
 船員たちはお互いに顔を見合わせていた。
「彼女はもう来ない」

 船員たちの乗った船を見送っているあいだ、Mの頭はすっかり真っ白になっていた。
 彼女は来ないんだ、もう会えないんだ。
 Mは小屋に戻って、スケッチブックの中にある彼女の顔をながめているうちに、目がうるんだ。

 小屋の片隅に何かが転がっているのが見えた。
 メモ帳だった。彼女が旅行プランを立てたときに細かく書いたメモ帳だった。
 そのメモ帳を開いてみる。パラパラとめくってみると、一緒にタブレットを見ながら世界中のあちこちを旅行したころの光景が浮かんできた。
 外の世界に行ってみたい、とMはその思いを強くしていった。
 向こうに行けば、彼女にも会えるし、一緒に旅行だってできる、なんでもできるんだ、外の世界に行ってみたい、行ってみたい…

 次の日、船がやってきたときに、Mは言った。
「ぼくを船に乗せてほしい」
 船員たちは困った顔をした。
「どうして?」
「どうしても。向こうの世界に行ってみたい」
 Mは必死だった。
「乗せられないんだ」
「なぜ?」
 みんなだまってしまった。
「みんなは海の向こうで生活してるんだよね? どうしてぼくはここで一人で生活するの?」
 Mはたたみかけるように訴えた。
 船員たちは顔を雲らせたまま、うつむいた。
「なぜ?」
 一人が口を開いた。
「すまないな、坊主。俺たちができることってこれくらいのことしかないんだ。ほかには何もしてやれねえ。何も言えねえ。ほんとにすまない」
「ぼくはここで一生、一人で生活するの? なぜ?」
「俺たちはこうやって毎日行くし、生活で困るようなことは絶対にさせねえ」

 Mは怒りに似た気持ちを抱きながら、彼らが去っていくのを苦々しくながめていた。
 小屋に戻って、彼女が残していったメモ帳をながめていた。
 メモ帳に書かれている建築物の名前を見て画像を思い出していた。
 Mはいつの間にか色えんぴつを握っていた。まっさらなスケッチブックにそのイメージを叩きつけるように描いていった。1枚描いて、もう1枚描いて…彼は何かに取りつかれるように描いていった。激しい怒りとむなしさが、彼の腕を手を指先を止めなかった。ときおり涙がこぼれそうになったが、歯を食いしばってこらえた。
 そして、描き疲れて、色えんぴつから手を離した。
 Mは一枚一枚の絵を力なく手にとって、彼女のメモ帳に書かれた順番にならべてみた。
 彼女とのやりとりを丁寧に思い出していく。

「おいしいものを食べようよ」
 彼女の声がきこえた。
 Mはそれに応えるように
「食べよう。食べよう」
「これ、おいしいね!」
 彼女の声が鮮明に聞こえた。
 遠くから波の音がかぶせた。
 彼は引き戻されてしまった。
 彼女の絵を拾い上げてながめていると、涙の粒が大きくなってくる。
 涙がこぼれ落ちた。
 彼女の顔が涙で濡れた。
 Mは激しく泣いて、泣いて、泣きつづけた。

  旅行に行こうよ
  でもぼくは行けないんだ
  どうして?
  だってだめだって言うんだ
  作ってよ
  何を?
  砂のおうち作ってたでしょ
  でもきみは壊すから
  砂じゃなくて、ちゃんとしたものを作ってよ
  オシロ作るの?
  ぜんぶ。ここにぜんぶ作って、二人で旅行するのはどう?
  そうか。毎日旅行できるよね…

 Mは目を覚ました。
 夜明け前だった。
 彼は砂浜に行った。
 夢の中で出てきた彼女がそのあたりにいたらいいなと思ったが、心の奥に大事にしまった。
「毎日旅行できるよね」
 Mはつぶやいた。
 東の水平線から太陽がのぼってきた。
 波は静かな音とともに、砂浜を濡らして色をかえた。

 船が遠くからやってきた。
 船員たちが降りてきた。
「坊主、おはよう…」
 船員たちは昨日のやりとりのことが頭にあって、少しばかり元気がなさそうだった。
「おはよう」
 Mは元気にあいさつした。
 船員たちは船から荷物を下ろして小屋まで運んでいった。
 彼らの作業を見ていたMは船員に頼んだ。
「作りたいものがあるんだ」
「なんだ?」
「オシロとか世界の建物を作ってみたいんだ」
「模型かい」
「うん」
「そうか。わかった。必要なものを準備する」
「ありがとう」

 Mは届けられた資材や工具や塗料を使って、彼の描いたスケッチブックをもとに、次から次へと模型を作り始めた。
 島をぐるりとまわりながら、そこの場所にふさわしい模型を並べていった。
「ここにニューヨークを作ろう」
「あそこの高いところはヒマラヤ山脈だな」
「ここの砂浜はピラミッドだ」
 Mはこうして模型を作り続けた。
 けれども彼は出来上がった模型に満足しなかった。
 スケッチを何度も描き直した。描き直すたびにより緻密な絵画になっていった。
 それをもとに、時間をかけて作った模型を壊して、また作り直した。
 作業はとてつもなく膨大な時間が費やされた。

 何もない無人島は彼が作る模型で時ともに様相が変わっていった。

 こうして長い年月をかけて、無人島は古今東西の建築物や風景の模型がぎっしりと詰め込まれた島になった。
 無人島そのものがMのアート作品になった。

 Mは完成された島を一人めぐった。

「お城すごいきれい」
「上ってみたいね」
「そのあとにカフェに行こうよ」
「ロンドンにする?」
「ニューヨークがいい」
「ついでに自由の女神像を見ていこう」

 Mは一人、島のあちこちにある建物や観光名所で立ち止まり、彼女と会話をした。
 彼女は楽しそうにみえた。

 Mはそれでも満足していなかった。
 何かが足りない。彼はちゃんと分かっていた。
 旅行して疲れてお互いにしゃべることがなくなったとき、二人が帰る場所が必要だった。
 最後に二人が住む家を作った。
 彼女が住みたいと言っていたカラフルな家。オランダキュラソー島の港町ウィレムスタットの家。
 彼はそれを海の見える高台に建てた。
 何軒もつらなるカラフルな家のそれぞれの部屋の壁には、これまでMが描いてきた彼女の絵を貼っていった。

 かつての少年は、白髪まじりの深い皺が刻まれた老人になっていた。
 彼は旅行先で、ありし日の彼女の面影を思い出しながら絵を描きつづけた。

 彼女がいつかまた島にやってきて、自分が作った世界を一緒に旅行して、一緒に住む夢を抱きながら。







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