第4話 素人ストリートピアニストの言霊

文字数 5,016文字

 JR高輪ゲートウェイ駅で小学校低学年の女の子がピアノを弾いていた。そばには母親が見守っていた。その周りには数人の人が立ち止まって聴いていた。
 Mは遠くからそれを眺めていた。
「あんな小さな女の子でもピアノ弾けるんだなあ」
 彼は感心しながら見ていた。
 女の子の演奏が終わると、ぱらぱらと拍手が起こった。女の子は母親に促されるようにペコリとお辞儀をした。
 母娘が去ったあとに、Mはピアノのそばに近づき白鍵を軽く叩いてみた。
「弾けたらいいなあ」
 Mはぼそっと言った。

 Mの年齢は20代前半。しがないサラリーマンをやっている。とくに趣味はない。暇つぶしでスマホのゲームをやることくらいしかない。
 しかし心のどこかで目立ちたい、注目されたい、そんな気持ちがずっとあった。SNSで注目されるような何かないかな、とスマホを見るたびに思うのだった。
「そうだ。ストリートピアニストになろう」
 そうは思ってみても、ピアノなんぞいじったことはなかった。今からピアノを習ったとしても、人前で喝采を浴びるまでの腕前になるには、少なくとも10年はかかるだろう。そう考えるとやる気がなえてきた。
 Mはユーチューブでストリートピアノを検索した。プロ並みの人かプロではないかと思われるような人たちが、演奏動画をあげていた。
 その演奏ぶりを見ると、Mはこれは無理だとあきらめてしまった。

 後日、再びJR高輪ゲートウェイ駅。今度はどこかの私立の小学生3人の男の子がピアノの前にいた。そのうちの一人がなにやら難しい曲を弾いていて、残りの2人がそれを見ていた。
 演奏が終わると、見ていた一人が言った。
「めちゃくちゃ弾いてんじゃないの?」
「これはそういう曲だよ」と弾いた子が反論した。
「こんなの俺だってできるよ」
 そういって、弾いた子を押しのけて、
「こういう感じだろ」と言って、両手でガンガンとでたらめにピアノの鍵盤をたたいた。
「すばらしい演奏だったなあ」と自画自賛。
「それ、ぜんぜん音楽に聴こえない」
「分かんないよ。世界のどこかですごい演奏だ!と言う人が出てくるかもしれないよ」
「ない、ない」

 Mはそれを見て、これだ、と思った。
 音楽の定義。音が鳴っていれば音楽である。
 でたらめに弾いても、それっぽく演奏する。気難しく弾いたり、楽しそうに弾いたり、体を激しく揺らしたりしてみる。そうすれば、なんかわかんないけどすごく見えるのではないかと思った。
 ただこれには高度な演技が必要だ。いかにもプロという感じ。奇特で奇抜な天才肌のアーティストの感じ。凡人たちには到底理解できない世界観を見せないといけない。

 Mは帰りに楽器屋に寄って、電子ピアノを買った。
 さっそくセッティングをして、ピアノの前に座った。
 恐る恐る白鍵を鳴らしてみる。
「俺はこれから天才ストリートピアニストになるんだ」
 彼はさっきの子どもがやっていたように、両手でガンガンと鳴らしてみる。
「そうだ。この感じだ」

 Mは動画作成に入った。
 三脚の上にカメラをセッティングし、録画ボタンを押した。
 彼は首を振ったり体を揺らしたりしながらガンガンに演奏してみた。
 5分くらいすると、疲れてきたので、演奏をやめて、カメラの停止ボタンを押した。
 動画チェック。
 Mはその演奏ぶりを見て、
「なかなかよく出来てるじゃないか」と自画自賛。
 リハーサルとしてはなかなかのものだと当初は思っていたが、ユーチューブでプロの演奏家たちの「演技」を見れば、まだまだだな、と感じないわけにはいかなかった。

 それからしばらくして、演技的にはこなれたものになってきた。
 最初の動画から比べると、演技の質と幅が広がってきたように思えてきたのだ。
 また演奏についても、強弱のつけ方だったり、スケールっぽい雰囲気をだしたり、リズムを変えたりしていくと、でたらめなのに音楽っぽく聴こえる瞬間がたまにあった。
 もちろん、本人の都合のいい解釈である。

 Mが電子ピアノを購入してから一か月後、ストリートピアニストとしてデビューした。JR高輪ゲートウェイ駅のピアノの前に座り、彼はでたらめに演奏してみた。
 すると一人の若い男が立ち止まり、それを見ていた。
 演奏が終わると、その若い男はすっと立ち去った。
 周囲を見渡してみたが、その男以外に誰も聴いていそうもなかった。
 時間が日曜日の日中だったこともあって、それほど乗降客がいなかったせいもある。

 それでも一応耳を傾ける人がいたんだという事実はMを勇気づけた。
「世の中の人は音楽なんて知らないんだ。だから誰も知らない曲を渾身を込めて弾いたらすごい曲を弾いているんだとみんな錯覚を起こすはずだ」
 誰も知らない曲、本人ですら知らない曲、というか曲とは呼べないでたらめな曲をただ弾く。ちょっとクラシックに造詣のある人が、自分が聴いたことがない斬新な曲がそこにあれば、耳を傾けるだろう。彼らはプライドが高い。名もなき天才ピアニストを自分が見出したとすれば、自分の耳のレベルの高さを吹聴できるはずだ。
 Mはそんな妄想を抱いていた。

 Mはそこまで想像力をはりめぐらしながら、これからの戦略を練ることにした。
 一つは動画を作成し、ユーチューブにあげること。次に再生回数をどうするか、多数のコメントも必要だ。
 彼は100個のユーチューブアカウントを作成し、それぞれにツイッターのアカウントも作成した。骨の折れる作業だった。
 再生回数は業者に頼むことにした。100のアカウントでは自分の作成した動画にコメントをつけさせるのが目的だが、自分だけにつけさせるのではなく、いろんなストリートピアニストの動画にもコメントを書き込んでいき、地ならしをしていった。

 こうして準備万全のところで、再びJR高輪ゲートウェイ駅。
 今度は仕事帰りの平日の夜を狙った。
 カメラを2台セッティングしてから、演奏を始めた。
 すると今度は3、4人くらいの人が横から眺めていた。なかにはスマホを取り出し撮影し始める人まで出てきた。
 これは、すごい。
 Mの心は弾んだ。
 演奏が終わると、パラパラと拍手が起こった。
 Mは丁寧に何度もお辞儀をして、その場を去った。

 成功だ。世の中の人は音楽なんか知らない。けれども一人、二人集まってくると、なんだかすごい演奏をしている人がいるんだと、みんなが錯覚を起こすんだ。間違ってない。

 Mは自宅に帰って、さっそく今日の演奏を編集した。
 はじめてのユーチューブへのアップロードだ。
 業者によって再生回数をある程度増やさせたところで、毎日2,3件ずつコメントを加えていき、ツイッターで拡散させていった。
 こうした動画が10本、20本と増えていくと、サクラにつられて登録者数も増えていった。サクラコメントの中には、本物のコメントも混じるようになってきた。

 MにはMなりの理屈があった。ジョン・ケージの4分33秒。あれは何なんだ。あんなものが芸術作品になりうるんだ。だったら自分のだって十分に芸術作品になりうるじゃないか。
 Mは芸術というものはそんなもんだと思っていた。言ってみれば最初にやった者が勝ち。大事なことは意味づけだ。作品はそれそのものに価値はない。そこにどれだけ多数の人からいろいろな観点で語られるか、その数によって決まるものなんだ。そのためには…

 Mはこれまでアップロードしてきた作品について、個別に何を表現しているのか、その解釈をつくる必要性を感じていた。またあえて難解な言葉を使って、いかにも哲学的な意義があるかのようにみんなに思わせることで、でたらめな音のゴミを高尚なアートに引き上げることができるかどうかを模索した。

 自らベラベラと語ることは憚れた。安っぽく感じるからだ。できたら誰からの質問に対して答えるような形が望ましい。誰かからというは、M本人である。
 Mは自らユーチューブのコメント欄やツイッターの返信でMに対して質問を投げかけて、それに答えるような形で、「音楽家M」の輪郭を作っていこうとした。自作自演も手の込んだ作業だ。

 Mは自分のファンサイトをいくつか作った。あくまで「ファン」が作ったもので、Mは関知しないという形をとった。そこにはMが語った話のまとめが詳細に記述されて、Mのストーリーが広がっていった。
 またツイッター上で100のアカウント間で活発にツイートをしあいながら、あたかも盛り上がっているように装った。そうしていくうちにそれに乗っかってくる人たちが増えてきた。
 ウィキペディアにもMの項目が作られた。どの音楽家やミュージシャンに負けないくらいの記述量をほこった。
 これらはM本人による地道な作業だった。
 こうした自己宣伝が功を奏したのか、登録者数はうなぎ登りに上がっていった。

 Mは語った。

「ランダムな音の塊と流れのなかに、未知のコードであったり聴いたことのないメロディが露呈することがある。僕はそうしたコードやメロディを丁寧に拾い上げる作業をしている。だからどの音楽作品においてもそれらはどれもが不完全なものあって、いつも不快さとストレスを感じている。作品と呼べるかどうか、僕は確信が持てない。僕の弾くピアノは重層構造になっているから、本当はそれを単純化して磨き上げる必要性があるんだけれども、残念ながら、僕にはまだその技術はないんだ」

 彼はいつもこんな風な語りをして、でたらめな音のゴミに深い意義を与えていた。こうした語りと、それに対する見解が、自作自演のアカウントでどんどんと展開された。

 この作られた盛り上がりに対して、きちんと音楽教育を受けた人たちからは猛烈なバッシングを受けた。しかし、Mの言葉に心酔しきった信者たち(Mのコピーたち)は、こうした正道を歩んだ人たちを旧態依然の保守的な音楽家だと反発した。

 ある日のこと、ある音楽雑誌社から取材をしたいとの申し出があった。彼は快く受け入れた。


ー最近、ネット上で話題の音楽家Mさんですが、音楽を志したきっかけは何ですか?

 そうですね。幼少期の体験かな。僕の住んでた家の近所でピアノを弾いている人がいたんです。すごく下手でね。いつも同じところで間違えるのね。で、また最初からやり直しするわけです。何度も聞かされると、僕だったらうまく弾けるんじゃないかなって。
 でもうちでピアノは買えなかった。貧乏だったから。仕方ないから近くの楽器屋とかで練習したりして。


ー楽器屋ですか。

 そう。いい顔はしないよね。


ーそこで独学で音楽の基礎を学んだということですか。

 いいや。僕はたぶんないんだと思う。つまり断片を吸収しているだけなんだ。雑食育ちというか、だからある意味においては人よりもいろんな楽曲に接しているともいえるんだろうけどね。


ーユーチューブで拝聴しまして、私としては難しいというか、どこからそうした発想が湧くのだろうという感じがしますね。

 たぶん過去の偉大な音楽家たちを偏見なく丸呑みして、胃の中で分解されて、僕の精神と肉体を作っていったようなイメージかな。そこから生み出されるものが今の作品になっているんだと思うんです。しかもそれは1回きりのものです。時と場所、あと場の雰囲気かな。インスピレーションに導かれるままに指先から発する音の一つ一つというのは、自分でも予測不可能なんですよ。だからどんな形で仕上がっていくのか、リアルタイムで作られていくわけですが、本当に分からない。でもそれが本来の音楽ではないかと思うんです。


ー再現性は不可能ですよね。

 再現性の問題というのは、音楽における必須条件ではないですよね。工業製品ですよ。


ー楽譜がある作品は工業製品になるんですか?

 ちょっと言いすぎましたね。僕の作品は譜面に起こしていないだけで、それをデジタルで記録して譜面化するのは可能ですからね。言いたいことはその演奏の瞬間の音楽こそが唯一の音楽作品だということです。



…という具合に適当な言葉を並べながら、いっぱしの音楽家気取りでMはインタビューに応じた。

 Mはプロフィールを詐称したわけでもなく、そのままを語りながらもむだに脚色しながら権威づけすることをつねに意識した。

 作品はそれそのものに価値はない。
 そこにどれだけ多数の人からいろいろな観点で語られるか、その数によって決まるもの。

 Mはただ目立ちたかっただけだ。
 彼はその目的を達した。

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