第9話 1mmドローン散布計画~秘密がなくなる日

文字数 8,636文字

 郊外の閑静な住宅街の中に、森に囲まれた研究施設があった。研究施設といっても政府機関でもなく大手企業でもない。ただの個人の私有地の中にある小さな研究所兼自宅だった。この中の住人は近所との交流は全くなかった。

 広大な敷地だから、大地主なのだろうと思われそうだが、実はそうではない。今の住人が住み着く前は、確かに何代にもわたって住み続ける有名な大地主が住んでいた。
 その大地主は一人で住んでいた。というのも妻に先立たれ、子どもたちは独立したからだった。
 しかし、彼は孤独な人ではなかった。近所との付き合いがあるのはもちろんのこと、県会議員や市会議員や商工会議所とも交流があり、地域の発展に大きな貢献をしてきた。この地域で彼の顔と名前を知らない人はいなかったといってよかった。

 ある日、彼は突然死した。もともと心臓を患っていたが、亡くなる直前まで元気な姿を見せていたので地元では驚かれた。
 そこにすんなりと新しい住人が住み着いた。
 不動産の登記簿ではこの大地主が亡くなる直前に、この新しい住人に所有者が変わっていた。
 近所ではこの噂が広がり、相続税の問題で土地を売却したんだろうという話だったが、タイミングがあまりにも不可解だった。

 この新しい所有者である現在の住人は大地主とのあいだにどんな関係があるのか、近所の人たちは興味津々だったが、いかんせんまったく交流がないものだから、何の情報もなく、ただ薄気味悪がられていた。

 これだけの土地の広さだから、固定資産税も相当なものだろう、いったい何の商売をやっているのか、さまざまな噂が飛び交っていた。とてつもないビジネスを手掛けている人なんだろうとか、政府関係の人の別宅ではないかとか。
 しかし、そこを出入りしている人といえば、郵便局の配達員か宅急便の配送員くらいで、いかにも重要人物と思われるような人の出入りは目撃されなかった。

 Mはその宅急便の配送員だった。週に4、5度、この敷地に入り、届け物をしていた。だいたいいつも大きな段ボール箱が10個から20個はあったので、彼が運転する2トントラックの半分近くを占めていた。ときには荷台いっぱいのときもあった。彼はまさにこの住人の専用便だったといってもいいくらいだ。

 ある日、Mがこの敷地の門の前でトラックを止めて降りた。
 ブザーを鳴らした。
 するといつものように返事はなく、門が開いた。
 Mはトラックに乗り込み、敷地内を100メートルほど走って小さな研究所兼住宅に着くころ、玄関のドアが開いて、中から二十代の普通の青年が現れた。ここの住人だ。
「いつものように裏の倉庫にお願いします」
 Mはトラックを裏に回して、止めた。
「この荷物全部そうです」
「中に入れてもらえますか」
「はい」
 Mはガレージを大きくしたような倉庫に荷物を搬入した。
 Mはいつも不思議だった。ほとんど毎日のように大量の荷物を入れているのに、倉庫はほとんど空だった。ここで何か製品を作って出荷しているという話を聞いたことはない。これだけの荷物はどこに消えてるんだろう。
 すべての荷物をおろすと、青年はそれぞれの送り状にサインをした。
「いつもご苦労様です」
 青年は丁重な物腰で言った。
「いつもありがとうございます。それにしても何か商売でもされてるんですか?」
 Mは倉庫に積みあがった荷物を見ながら訊いてみた。
「商売ではないです。研究です」
「研究ですか…。すごい研究をされてるんでしょうね」
「そうですね。革命的な研究です」
 Mはその返事に驚いた。ふつうならば、まあたいした研究ではないんですけねとか、趣味的なものですよとか言って、口を濁して謙遜するものだが、はっきりと革命的と言ったからだ。
「革命的、ですか?」
 Mは少し微笑みながら、そう返した。
「信じてないようですね」
 青年は少しむっとした感じで生真面目な顔つきで言ったので、Mはまずいと思い、
「私はそういうの全然分かんないもんでして…」と慌てて取り繕った。
「どういうものか見ますか?」
「ぜひ拝見したいですけど、いったん事務所に戻らないといけないので」
「仕事が終わった後でも」
「そうですね。6時過ぎには事務所を出られるはずなので、それからですけど、でも遅いですよね」
 正直なところ、Mは断りたかった。どんな研究をしているか分からないが、すごく怪しいし何か犯罪めいたものだったら嫌だなと思ったからだ。
「私のほうは全然問題ないです。きっと面白いものだと思います」
「はあ、そうですか。わかりました。仕事が終わったらお伺いします」

 Mは事務所に戻った。今日の整理と明日の配送分の準備を済ませてから、事務所を後にした。
 Mは自分の車を運転しながら、独り言を言っていた。
「なぜただの配送員の俺に、革命的な研究を見せようというのだろう。そういうのはどこかの大学教授やらすごい偉い人たちに見せるものなんじゃないのか。それにあの研究所はちょっと気味が悪い。森がうっそうとしたところにポツンと一軒家が建っている。なんでテレビ局は取材に行かないのかね。山の中じゃないからな。いや、断ってるんだろうな。じゃあなんで俺に見せたがるんだ。もしかして監禁されて実験台にされるとか…」
 Mは考えれば考えるほど行きたくなくなっていた。
 敷地の門の近くまで来て、車を減速しようとしたところ、門が自動的に開いた。
 彼はその速度のまま、門をくぐって仕方なく車をすすめた。

 青年の家に着いたときには暗くなっていて、ポツンと一軒家には明かりが灯っていた。
 彼は車を降りて、ドアの前に着いた。
 ベルを鳴らした。
 反応がない。
 何度か鳴らしたが出てこなかった。
「おかしいな。さっき門が自動的に開いたんだから、俺が入ってくるのは分かってるはずなのに」
 Mは裏に回った。倉庫に明かりがついている。
 中にいるのかな?
 Mは倉庫を覗いた。
 さっき自分が届けた箱を、青年は一つ一つ開けて中身を取り出していた。
「あっ、あのう、宅急便の者です」
 Mはそう言ったが、青年は夢中になっていて気づいていない。
「すいませ~ん! 宅急便の者です!」
 Mは今度は声を張り上げて言ってみた。
 青年は振り返って、「ああ」と言って、一瞬手を休めたかと思ったら、また作業を始めた。
「もうちょっとで終わるから中でくつろいでいてください。玄関開いてますから」
「はい」

 Mは玄関にまわって中に入った。
「お邪魔しま~す」
 返事はなかった。人の気配を感じなかった。
 やはりここの住人はあの若い青年だけなんだろうか。
 リビングに入った。難しそうな本の山が無造作に置かれていた。
 アイランドキッチンは整然としすぎているというか、ふだんから料理をしている雰囲気がまるでない。
 一人暮らしの典型的な部屋だった。
 Mはソファの座面に置かれていた雑誌を横にどけて、そこに座った。

 しばらくすると、青年は戻ってきた。
「お待たせしました。やっと片づきました」
「今日は荷物多かったですからね」
「さっそく見ますか?」
 この青年は軽い世間話的な流れにしようとはしなかった。
 青年はそそくさと2階へと上がっていった。
 Mはそのあとをついていった。

 部屋に入ると、まさに研究所兼製造現場だった。
 入って右側は液晶モニターが20、30台ばかり壁面を埋めつくしていた。
 左側には大きな製造装置があった。ガチャンガチャンと音を立てながら、排出口から細かい粉末のようなものが大量に出ていて、その下の受け箱にたまっていた。
 部屋の中央には広いデスクが3台あって、それぞれに10台ずつノートパソコンがあった。それらはなにやらプログラムが作動していて、黒い画面に意味不明な文字列を高速で表示していた。
「すごいですね」
 Mはそう言った。それしか言えなかった。
「ドローンってご存じですか?」
 青年は言った。
「ドローンってあの空飛ぶやつですよね」
「そうです。それを作ってます。あれです」
 青年は大きな製造装置を指さした。
 Mは青年が指を指した方向に目を向けて、音を立てながら排出口から吹き出る粉末をしばらく眺めながら考えていた。
「素材を作ってるんですか?」と訊いた。
「いいえ」
 青年は製造装置の排出口の下にある受け箱にたまった粉末を手に取った。
「これがドローンです」
 Mは青年の手の上に乗っている粉末に目を凝らしてみた。
 それは1㎜サイズの黒い物体で、薬の錠剤のような形をしている。
「これが飛ぶんですか?」
「まだ完成品ではないんですが、これ単独でも飛びます」
「羽とか見えませんけどね」
「ついてます。現物は小さすぎて見えませんが、拡大をしたものをお見せしましょう」
 青年はデスクにあるノートパソコンのキーボードを叩くと、1㎜ドローンの拡大図が出た。
「いかがです?」
 その図はこの黒い小さな物体とは思えないほど、精巧なドローンだった。
「これが、それなんですか?」
「そうです。驚かれました?」
「いやあ科学ってすごい進歩してるんですね。これはお一人で設計されたんですか」
「そうです。もともとドローンを作っている会社で働いていましたが、個人的な趣味で小型化したドローンを開発していました」
「でもこれどういう風に使えばいいのか、さっぱりイメージがわきませんね」
「そうですか。こちらの画面をみてください」
 青年は再びキーボードを叩いた。
 近所の地図が現れた。
 青年は無作為に1か所クリックをすると、映像が出てきた。
 ごく普通の一軒家のリビングだった。母親と子どもたちが食事をしていた。
「これは何ですか?」
「今の映像です。この家には約100個以上のドローンがあちこちにあります。なので、こうすると、こんなふうになります」
 彼は十字キーを押しながら、その家を縦横無尽に移動していた。
「うわあ、飛んでる、飛んでる」
「いえ、飛んでません。壁とか天井とかにドローンが張り付いてるんですね。そこから得られる映像や音声、位置データが送られてきて、それらを組み合わせて、こうして部屋の中を飛んでいるように映像を再構成させているんです」
「すごいですね」
「さらに会話の内容についても音声収録したものを文字化することもできます」
 青年がキーボードを叩くと、映像の右横にチャット画面のようなものが出てきた。
「今、親子がしゃべっている内容もそうですが、この家の中でしゃべった内容はすべて記録されているので、過去にさかのぼることもできます」
「このご家族は知ってるんですか?」
 青年はそれには答えないで、
「こうしたドローンを毎日、この隣の部屋にある散布装置があるんですが、そこから空に向かってばらまいているんです。すると風にのって遠くに飛んでいくわけです」
「でもそうすると、道端に落ちたりして、相当大量にばらまかないと、この家みたいにドローンは入らないんじゃないですか」
「そうです。隣の部屋に秘密があります。行きましょう」

 青年とMは部屋を出て、隣の部屋に移った
 部屋に入ると、すごい轟音を立てている装置があった。
 その装置はまるで薪ストーブのような形状をしていて、細長い煙突は天井に固定されていた。
「この装置でさっき見たドローンを飛ばすわけですが、あのままだとすぐに落下してしまいます。そこで、この隣にある装置にですね、さっきできた黒い小さいドローンを入れて、飛行距離を伸ばすための最終工程をするわけです」
 その装置は業務用の冷蔵庫のようなものになっていた。
 青年が扉を開けると、中には大きな寸胴が入っていて、中を見ると白い粒になっていた。
「タンポポの原理を採用しています」
「タンポポ…」
「タンポポに綿毛があるでしょう。このドローンのサイズに合うように小さくした人工的な綿毛をつくって、それを付着させるんです。するとこの綿毛によって風に乗って遠くまで飛びやすくなります。ドローンは単独でももちろん飛びますから、言ってみればハイブリッド駆動です」
「ということは、ここから飛ばして、はじめはこの綿毛で遠くに飛ばしていって、方向はこのドローンでコントロールしていくわけですか?」
「その通りです。このドローンはソーラーバッテリーとリチウムイオン電池を内蔵していますが、やはり飛ぶためにエネルギーを消耗させたくないのです。この人口綿毛をつけることで長距離移動の問題を克服しました」
「ところでこれ毎日どのくらいの数のドローンが飛んでいるんですか?」
「今は一日あたり1万個くらいです」
「このあたりを飛んでるんですね」
「風にうまく乗れば遠くに飛べます。最高で20キロ先まで行きました。半径5キロ以内はほぼ飛んでいます」
「となると、この界隈の情報はすべて筒抜けですね」
「そういうことになります」
「それはちょっとまずいんじゃないですか」
「プライバシーの侵害の問題もありますが、需要はありますから」
「どういったところでしょう?」
「たとえば捜査機関ですね。一度あったんですが、最近、連続強盗事件がありましたよね?」
「ありましたね。すごく捜査が長引いてましたね」
「私は最初の段階で把握していました。ただ情報提供するのはためらっていたんですが、結局することにしました」
「ためらっていたのは、やっぱりこういう研究が知られるのが嫌だったからですか?」
「そうですね。もう少し完成度を高めてからと思っていましたが、資金的にも底がついてきたので…。おかげでこの事件をきっかけに捜査機関と連携することができたので、かなり潤いましたけれど」

 1階に降りてきて、2人は向かい合わせにソファに座った。
「ほんとに驚きました。最先端の最先端ですね」
 Mは素直な感想を述べた。
「既存の技術の応用でしかありません。大事なのは技術そのものではなくて活用です」
「そうですね」
「ところで、今は配送のお仕事をされていますよね。この仕事を手伝っていただけませんか?」
「この仕事ですか。私はそんなの全然分かりません」
「難しい仕事ではありません。散布の手伝いをしてほしいのです。今のお仕事はご不満でしょう」
「不満というか、給料は安いですからね。でも私はこれくらいしかできませんから」
「さきほど申し上げた通り、ここからドローンを飛ばすといっても飛ばせる範囲に限界があります。私としては日本全国に飛ばしたいのです。そのためには移動式の散布装置を稼働させることが必須なんです」
「そうは言っても…」
「もっと言いましょうか。あなたは今の会社を辞めたがってますよね。上司はパワハラ気質で職場の雰囲気は悪いでしょう」
「どうしてご存じなんですか」
「さっき見た通りじゃないですか」
「全部ご存じなんですね」
「給料は今の10倍お支払いします」
「そんなにもらえるんですか」
「いかがでしょう?」

 翌日、Mは会社に辞表を出した。
 仕事は簡単だった。2トントラックにドローン散布装置を入れて、ぐるぐると回るだけの仕事だった。特別な操作はいらなかった。すべて自動で行われた。ボンネットにモニタがついていて、そこに表示される地図上に赤い点がついている場所はドローンが散布されているので、それ以外の空白地帯を中心に塗り絵を描くようにしてトラックをまわしていくだけだった。

 週に1度は研究所に戻り、ドローンの入ったタンクを詰め替えると、また旅立っていった。
 北は北海道から南は沖縄までくまなく回っていった。

 グーグルマップのストリートビューってこんな感じで回ってるんだろうなあ、とMは思った。ただ違うのは、このドローン散布は完全に秘密で行われていた点だった。自分は犯罪に加担しているのではないか、とときおり思ったが、給料は高いし、捜査機関に使われていることを考えれば決して悪いことではないだろうと思っていた。

 1年間、こうしてトラックを走らせてきたMのドローン散布は終わった。

 Mは青年のいる研究所に戻ってきた。
「今まであなたが散布してきたドローンの総数は10億個超えました」
「すごい数ですね」
「あなたのおかげで捜査機関への情報提供もより増えて施設も拡大して大幅な増産も可能になりました。ただ、まだ圧倒的に少ないです」
「これだけばらいまいてもですか?」
「日本の人口は1億3000万人です。すると10億個だと一人当たりのドローンは10個に満たないのです。これに故障等があったりするとその数はもっと少なくなってくる。すると得られる情報は時間とともに減少していきます」
「最終的にはどのくらいの数をばらまくつもりですか?」
「理想は1兆5000億個ですね。一人当たり1万個以上のドローンです。このレベルになると、どんな細かな情報も逃しません」
「一生回り切れませんね」
「新しい散布装置を搭載したトラックも用意しました。ドローンの飛行距離も開発を重ねて従来の20倍まで伸びましたし、飛行精度も上がりました。だから幹線道路を走るだけで十分です」

 こうしてまた1年かけて、Mはトラックを走らせた。
 北は北海道から南は沖縄まで。
 散布したドローンの総数が1兆5000億個に達した。

「あなたのおかげでこの計画の進捗状況は実に順調ですよ」
 青年は珍しく微笑んでいた。
「こうしてばらまいた結果はどうなるんでしょう」
「日本から秘密がなくなりますね」
「知ってるのはあなただけでしょう」
「私が知ってるのではありません。クラウドに情報が保存されているだけです」
「でも、アクセスできるのはあなただけでしょう」
「今のところはそうです」
「というと?」
「どこかの時点でこの情報を公開したいのです。いつでもどこでもだれでもアクセスできるように」
 Mは想像したらぞっとした。ありとあらゆる個人的な秘密がすべての人に明かされる社会…。
「それはいいことなんですかね」
「いいことに決まってるじゃないですか!」
青年は珍しく語気を荒らげた。
「個人的なすべての情報がすべての人に共有されれば隠すことの意味が失われます。たとえば誰が誰を好きか、そういう情報もみんなに共有されるから恋愛や結婚のマッチングは劇的にスムーズになるはずです。あるいは誰かが借金で頭が回っていない。それならばプロのファイナンシャルプランナーがこぞって、いい知恵を出し合うでしょう。ほかにあげたらキリがないほど恩恵は絶大です。ですがもっとも重要なことは悪事が起こる前にそれを抑止したり、もし起こったとしても速やかに真相が暴かれて広く正しくすべての人にすべての情報が伝わることです。殺人が行われる前に、誰かがその前兆に気づいて瞬時にその情報が不特定多数に共有されれば抑止されるでしょう。不正によって被害を被った人たちはこのドローンの情報を見て泣き寝入りするようなこともなくなるでしょう。ドローンによって得られた情報は、どんな証言よりも正確で客観的です」
 そう言い終わると、青年は少し息を切らしながら沈黙した。
 しばらく間があってから、Mは静かに言った。
「素晴らしいですね」
 Mは彼の熱弁にすっかり感銘を受けていた。
 青年はさきほどとは打って変わって静かな口調で話を締めた。
「理想的な社会を築くためには、世の中のあらゆる秘密を撲滅するべきだと私は思います」

 それから3年後、ウェブサイトが立ち上げられた。
 日本にあるすべての秘密が突如として露わになった。
 国民は強烈なショックを受けた。
 生々しい裏話が過去にさかのぼって検索することができるようになって、驚愕の真実を目の当たりにしたからだった。
 もちろん青年が言ったように、プラスの面もたしかにあった。しかし実際はマイナス面のほうがはるかに大きかった。長年にわたり良好な関係をもっていると信じていた人たちが、実は裏では日常的に非道極まりない罵りや悪口を言っている事実が明らかになって、それを知って不信に陥った人が急増した。
 政府でも会社でも学校でも家庭でも、ありとあらゆる関係がカオスと化した。もはや国家的な危機だった。関係修復が不可能なところまでいってしまった。
 お互いが疑心暗鬼になった。何もしゃべらなくなった。しゃべれば記録される。メールやSNSの類も同じだった。映像に記録されてしまう。すべてが瞬時にすべての人に知れ渡ってしまう。
 人と人とが何かを話すことがもはやリスク以外のなにものでもなくなった。ありとあらゆるコミュニケーションが断絶された。

 青年は想定外の世の中の激動にショックを受けた。自分は正しいことをしたつもりだったのに、なぜこんなに批判を受けるのか理解に苦しんだ。
 警察に対して、青年を逮捕するべきだ、と国民からの要求が高まった。しかし警察はこの青年とつながっていたから、ためらっていた。

 ところが、大地主の遺族たちの訴えによって、青年はあっさりと逮捕された。不動産取引における脅迫の疑いだった。彼は逮捕後、これを否認していたが、残念なことに証拠が残っていた。

 青年はこの邸宅にドローンを飛ばし、大地主の情報を完全に把握して弱みをにぎり、そして脅した。大地主に対して秘密をばらさない代わりに破格の価格で不動産取引に応じさせた。大地主はそれが引き金で体調が急激に悪化して亡くなった。
 大地主とのやり取りはしっかりとクラウドに保存されていた。彼はそれを消去するのを忘れていた。皮肉なことに、大地主の遺族たちは青年のおかげで真相を知った。
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