第20話 いつも一緒にいる友達が欲しい

文字数 7,238文字

 Mはいつも一人で友達がいなかった。人と打ち解けるのが苦手な少年だった。小学校、中学校と友達ができなかった。高校に入ったら、自分を変えてみようと思っていた。積極的に話しかけてみようと思っていた。けれども行動にうつすことができなかった。彼らの目線が気になって、話しかけるのが怖かったからだ。

 入学して1ヶ月が過ぎた。
 クラスにはいくつかのグループが出来上がっていた。部活動関係のグループだったり、趣味を同じくする人たちのグループであったり、あるいはそんなことは関係はなく、たんに気が合う人たちのグループであったりした。Mはどのグループにも属さなかった。
 部活動に入ればよかったけれど、運動部は体力に自信がなかったし、文化系の部活は、Mにとって興味をそそるような活動に思えなかった。そうやって迷っているうちに、入部の時期を逃してしまった。
 Mはやっぱり一人で友達がいなかった。

 電車に乗って帰宅途中、何人かのクラスメイトたちのグループがおしゃべりをしていた。Mは一人スマホをいじったり、外の景色を眺めていたりした。
 駅に着いて扉が開いた。
 Mが下りると、すぐに扉が閉まった。
 クラスメイトたちが降りるのは、ずっと先の駅だ。
「僕もああいう輪の中で話せるような人間になりたいな。いつも気心の知れた友達とずっといっしょに話していたら、どれだけ楽しいんだろう」
 ガラス越しに見えるクラスメイトたちは楽しそうな会話をしていた。
 電車が動き出し、その去っていく姿を、寂しい気持ちで眺めていた。

 駅を出ると、てくてくと歩いていた。ついこの間まで、通っていた中学校の生徒たちが何人かで一緒に和気あいあいと大声を張り上げて、笑いながら歩いてくるのが見えた。
「やっぱり中学生で友達ができないよう人は、高校に行ってもできないよね」
 彼らとすれ違ってから、しばらくして、Mは声にならない声で独り言を言った。

「そんなに友達がほしいのかい?」と、声がした。
 Mは振り返ったが、誰もいなかった。
「あれ? 今、声がしたよな」
 前を向いたら、そこに白衣の中年男が立っていた。
「そんなに友達がほしいのかい?」と、男は再び言った。
「えっ、なんですか?」
 Mは驚いた。
「友達が欲しいんだったら、お手伝いをしようと思ってな」
「お手伝いですか…」
「私はただの研究者なんだ。いろんな研究をしてるんだ」
「ああ、そうなんですか」
「君のような人って世の中にいっぱいいるんだ。だからそういった人を手助けしたいと思って、ボランティアとしてやってるんだ」
「で、僕ですか?」
「もしよかったら、そのあたりでちょっと話を聞いてくれる?」
「ああ、いいですよ、はい」

 Mは白衣の中年男に言われるままに、近くのカフェに入った。
 白衣の男と学生服を着た高校生の組み合わせだから、不審がられることはなかった。さぞ優秀な高校生のように思われたのかもしれない。
 席につくと、白衣の中年男は言った。
「君に友達ができない理由は、君が心から友達をほしいと思っていないのが一番の原因なんだ」
「そんなことないです。やっぱりほしいです」
 Mは首を振った。
「友達ができる人というのは、オーラを発してるんだよ」
「どんなオーラですか?」
「誰でも受けれいるよ、誰でも友達だよ、というオーラだ。君にはあるかい?」
「う~ん」
「それは態度に出てくるものなんだよ。自分では気づかないかもしれないけど。君のまわりの人たちを見てどう思う?」
「あんまり良く分かりません。でもスポーツができる人には友達がいっぱいいるような気がしますけど」
「それは友達ではない。群がっているだけだよ。何かに秀でいる人には人が集まりやすい。アイドルに群がるのと一緒だよ。アイドルは友達じゃないだろう?」
「そうですね」
「君が求めているのはそういうのではないはずだ」
「僕はどうすればいいんですか? 一生懸命に友達がほしいんだってオーラを出さないといけないんですよね」
「そこでだ。私が開発したアイテムがあるんだ。これを使うとオーラを自然に発生してくれるものなんだ」
 白衣の中年男は、カバンを取り出した。中からマウスピースを出してきた。
「これをつけると、周囲の人に、友達になりたいというオーラを出すことができるんだ」
「マウスピースですか?」
「マウスピースの作用として、口の形が変わるのは分かるよね?」
「そうですね」
「それによって表情筋をより柔らかなものにしていくんだ」
「はあ…じゃあそれをつければいいということですか?」
「そうだ」
 さすがのMもこれは怪しい話だと思えてきた。ただのマウスピースをつけるだけで友達ができる? そんな話があるわけないよ、と思った。
「これはただのマウスピースではないんだ。私はこれでも研究者だからね。その辺のお店で売っているようないわゆる矯正器具とは別物なんだ。これは君が心から一緒にいたいと思う友達を作っていく道具で、この機械の中にはそのセンサーが入っているんだ」
「どんなセンサーなんですか?」
「君と気心が合いそうな友達をこのセンサーによって選び出して、その友達に信号を送るんだ。するとその友達は、君の友達になる。一度友達になったら、その人は一生の友達だ」
「一生涯付き合える友達ができるんですね」
「毎日1度は顔を合わすことができる」
「そういう人ってなかなか見つからないですよね。もしそんな友達ができたらすごく嬉しいと思います」
「君の年齢が上がるにつれていろいろな出会いが増えていくと、友達の数は増えていくことになると思う」
「なおさらいいじゃないですか? でも外したらどうなるんですか?」
「一度外せばそれまでの友達とは縁が切れる。もう一度つけてももとには戻らない。またセンサーが作動しなくなるから、今の君に戻ってしまう」
「それじゃ、ずっと一生つけてないといけないんですか?」
「ただ心配する必要はない。口に入れている間は違和感を感じないから、普通通りに生活はできる」
「試してみるか?」
「はい」

 Mはこのマウスピースをつけて学校に通った。すぐに効果は出なかったが、周囲の雰囲気が変わってきたようだった。少しばかりの会話も出てきた。それだけでも嬉しかったが、なかなか友達というところまでは至らなかった。

「やはり友達というのは僕と波長の合う人じゃないとダメなんだろう」

 何週間かすると、いつも話をするような友達ができた。休み時間や放課後にいつも一緒になんでも話ができる友達だった。その友達は性格的にもMに似ている雰囲気があった。
 それから高校卒業まで、2人の友達ができて、毎日顔を合わせていた。

 卒業後、Mは東京の大学に行くことになった。他の2人は地元の大学に通うことになった。せっかく友達ができたのに、お別れをしないといけなくなったのだ。すごく寂しく思った。
 東京に出発する日には、2人の友達が見送ってくれた。
「帰省したときにはいつでも、遊べるよ」と、友達は少し涙を浮かべて言った。
「そうだね」と、Mはぐっと涙をこらえて笑顔で言った。
 Mは地元を離れて東京の一人暮らしのアパートへ引っ越しをした。

 翌日、インターホンが鳴った。
 ドアを開けると、昨日別れた2人の友達が立っていた。
「あれ、どうしたの?」
「いや、考えたら僕たち暇だから、大学が始まるまで東京に遊びに行こうかって思って…」
 友達たちは笑顔で言った。
「そうなんだ。ホテルに部屋とかとってんの?」
「いや、ない」
「じゃあ、うちに泊まればいいよ。狭いけど」

 彼らはMの家で過ごした。日中は東京をぶらぶらとまわった。
 しかし2人の友達は大学が始まっても帰ろうとしないで、東京でバイトを始めた。Mは気にしなったので、その2人はそのまま居ついてしまった。

 大学に通いはじめると、友達が3人できた。今いる友達と合わせると5人になった。新しい友達もMのアパートに住みつくようになって、1Kのアパートに6人で住むようになった。
 Mはそれを苦痛と感じるどころか、わいわいがやがやしていてとても幸せに感じていたけれど、部屋が狭すぎるので、みんなで引っ越すことにした。
 3LDKのマンションに引っ越して、そこでみんなでシェアした。
 とても充実した大学生活を送ることになった。
 卒業までに友達は合計で10人になった。新しい友達もMの部屋に転がり込んだ。Mは苦痛だったかというとまったくそうではない。就職活動の傍らみんなと毎日話をすることは、安らぎだった。不安な毎日を過ごすことなく就活をすすめられたからだ。

 社会人になると、付き合いの幅は大きくなった。外回りの営業をやることになり、日々たくさんの人と接する機会が増えた。それに比例して友達が増えた。
「社会人の友達なんてふつうできないよね」と、その新しい友達は言った。
「ほとんどは知人だよ」と、別の新しい友達が言った。
「こうやっていつまでも仲良くいようね」と、これまた別の新しい友達が言った。

 こうして友達が増えていきMの部屋に居つくようになった。社会人になるとさすがに疲れてくる。学生のあいだはそれで良かったが、だんだんと友達がわずらわしくなってきた。
 ある日、Mは言った。
「みんな独立して住まないの?」
「友達だから一緒にいるのは当たり前じゃない」
「そうだけど生活が大変だよ」
「会えなくなるのは寂しいじゃない」
「いつでも会えるよ。1日に1回は会えると思うんだ」
「うん。わかった。じゃあ夜、遊び行ってもいい?」
「もちろんだよ」

 Mの家は15人くらいが住んでいたが、みんな独立した。
 誰もいなくなった部屋で、とてもほっとした。友達と一緒にいるのもいいけど、ずっと一緒ってのは苦痛だなと改めて思った。

 それからは仕事を終えて家に帰ると、みんな代わる代わる家にやってきて、一緒に話をした。このくらいの距離感がちょうど良かった。

 しばらくいい感じで過ごしていたが、そのあいだも友達は増え続けた。
 30歳になったときには、50人を超えていた。
 友達たちは家にやってきて、いろいろな話をした。それはとても楽しい時間ではあったが、50人になってくると、すべての友達と話し終わるのが深夜になっていた。
 20代の若い頃は全然疲れなかったが、さすがに30歳を超えると体がきつい。

 最後の友達と話をして、やっと寝ようかと思ったころ、インターホンが鳴った。
「今日は友達全員に顔を合わせたつもりなんだけど…」
 ドアを開けた。
 目を大きく見開いて笑顔になった。
 白衣の中年男だった。
「お久しぶりです」
 今まで流れ作業で応じていた友達とのやりとりの疲れをすっかり忘れた。
「やあ、元気そうだね」
 中年男は少し笑顔をうかべていた。
「ええ、おかげさまで。今日はどうされたんですか?」
「ちょっと話そうかと思ってな」
「ああ…そうですか」
 時計は午前2時半を過ぎていた。本当は明日にしてほしかったけれど、彼にとっての恩人だから、無下に帰すわけにはいかない。
「どうぞ」
 中年男を部屋に招き入れた。
「明日は早いだろうから、簡単に話をしておこうと思う」と、中年男は切り出した。「実は君がつけているマウスピースに欠陥が見つかった」
「えっ」
「君もうすうす感じているかもしれないが、友だちが50人超えている。その増加率はどんどん上がっている」
「そうですね」
「私が計算したところ、君が50歳すぎたとき、2000人になってしまうんだ」
「なんで急にそんなに増えていくんですか?」
「コンピューターのシミュレーションでそうなってしまう。本来なら年を取れば友だちはできにくいものなんだが」
「そうですよね。友だちよりも知り合いのほうが多くなりますから」
「通常の感覚だとそうだが、それは間違いの可能性が高い。これは私の仮説だが、中年以降は先が見えていることから、会社に対してコミットしていこうという意識が落ちてくる。つまり年を取れば社会的でない存在になっていくんだ。するとそれに反比例するように、本当の友だちを欲しいという欲求が高まっていくのではないかと考えている」
「一人がいいよねって言う人が多いように見えるんですけどね」
「新しい出会いに対して面倒臭さを感じているんだと思う。なぜならその新しい関係は続かないことを体験してきたからだ。友達なんて簡単に作れないというあきらめから自分に言い聞かせている部分があると思う。子どものころみたいに無邪気に遊べないことが分かっているから、それが自分を抑圧している」
「でも、なぜ2000人にもなってしまうんですか」
「それは出会いの数が格段に増えているからだ。出会う数が増えれば、それに比例して、君に相性のいい人と会う可能性が高まる。そうなると、感度の高いマウスピースがそうした人たちを全部拾い上げてしまうんだ」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「いったんそのマウスピースを外して新しい改良型に付け替えていくしかない」
「今までの友達はどうなるんですか?」
 白衣の中年男はうつむいて黙ってしまった。
「え、まさか、みんないなくなっちゃうんですか?」
 Mは早口でそう言って、中年男の目を見た
「…また新しい友達ができてくる。そうなれば今までのように楽しくやっていけるはずだ」
 白衣の中年男はMを観察するような目で、そう言った。

 翌日、新しいマウスピースに付け替えたMは会社に出勤した。
 会社のなかでも友達は20人ほどいたが、彼らはこれまでの態度を一変させていた。ただの会社の同僚になっていた。本当はこれが普通のはずなのに、急に冷たくされたような気持ちになった。
 彼らとは昼ごはんも食べることができなかった。
 僕と相性のいい人を選び出して友だちだった人たちがどうしてマウスピースを付け替えただけで、他人になってしまうんだろう、今までと同じように友だちでいられるはずじゃないのか?
 Mはそのあたりが納得できなかった。

 自宅に戻ってから、来客はまったく来なかった。高校時代の友達、大学時代の友達、その他いろいろなところで知り合った友達…誰も来なかった。
 たしかに毎晩遅くまで話していたから慢性的に疲れてはいたが、いざ誰とも話さない状態におかれると、ひどく不安な気持ちに襲われた。人としゃべらないことがこんなに怖いことなのかと。
 Mはいたたまれずに、高校時代の友達に電話した。
「今、ちょうど家に帰ったところなんだ」と、友達。
「今日は来ないの?」
「さっきまで会社の同僚と飲んでたんだ。ところで何の用?」
「別に用事はないけど」
「あ、そう。明日早いんだ。悪いけど」
 友達はこう言って電話を切った。
 他の友達も同様だった。
 昨日までこぞって家にやってきた友達と楽しく話をしていたのがウソのようだった。

 それからというものの、友達はできずに無言の日々が増えた。
 黙々と仕事をし、昼休みになると、一人で食事をした。家に帰ってから、かつての友達に電話しようかと思ったが、そっけなくされるのが目に見えているので、何もしないで、布団にもぐりこんだ。
「新しい友達ができるって言ってたけど、全然できないじゃない」

 何ヶ月もたったが、友達ができそうな兆候は見られなかった。
 Mはかつての自分に戻ってしまった。

 ある夜、家のインターホンが鳴った。
 Mは笑顔になって、飛び跳ねるようにして玄関に向かった。
 ドアを開けると、白衣の中年男だった。
「あ、あれ」
 Mは普通の表情に戻った。
「どうもうまくいかないみたいだね」
 白衣の中年男は言った。
 男は部屋に入って座った。
「まったくゼロですよ。それよりも今までの友達から急に冷たくあしらわれたような感じで、すごく寂しいですよ」
 Mは中年男にぼやいた。
「しかし、それが本来の関係だからな」
「でも自分と相性のいい人を選択して友達関係になったわけでしょう。あんなに冷えた関係になるのはおかしいと思うんです」
「君の場合は発信力があまりにも弱すぎるから、普通の人であれば友達になれるところが君の場合にはなりにくかった。だから前回のマウスピースはかなり強めに作っていたわけだよ。君もある程度の年齢になってきて、いろいろな人と接するなかで、コミュ力が上がっていたとばかり思っていたんだ。友達獲得の見込み数もうなぎのぼりに上がっていったから。すると今までのマウスピースではなくて感度の低いマウスピースが必要だと思った。…どうも見込み違いだったようだ」
 中年男はため息をついた。
「僕が悪いんですか?」
「機能してくれればと思ったが、難しいね」
「昔のものに戻してくれませんか?」
「それをやると、一定数増えたら外して全部リセットして、また一定数増えたら外しての繰り返しになる」
「それでもいいです。友達がいたほうがいいです」
「それは友達ではない。ただの癒やしの道具だ」
 Mは黙ってしまった。中年男の言葉が痛かった。
「10年以上、君はマウスピースの力を借りてコミュ力を訓練してきた。ただそれは絵画で言ったらトレースみたいなもんだ。模写ですらない。そこにとどまっている限り、絵は一向にうまくならない。つまり君はまだ自分の絵を描いていないんだ」
 Mは黙って聞いていた。
「君が心から友達をほしいと思っていれば、それを実現できるだけの技術力は備わっているはずだ。自力で友達は作れるはずだ」
「卒業したほうがいいということですか?」
「決めるのは君だ」

 何ヶ月かしてから、一人友達ができた。その新しい友達と屈託なくいろいろなことを話すようになった。それまで培ってきたマウスピースでの訓練は無駄ではなかった。相手は自分自身ですら気づいていない引き出しの存在を発見し、自らすすんで開けることができるようになった。そのきっかけを作ってくれたMを友達と思うようになったのだ。
 また、Mもその友達ができたことで、受け身でひた隠しにしていた自分を表現できるようになった。
 Mの口の中にはマウスピースはなかった。







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