第11話 東大合格者実績100%予備校の謎の授業

文字数 4,931文字

 X予備校は規模こそ小さいけれども、東大合格実績において大手予備校とも引けをとらない抜群の合格実績を誇る予備校だった。
 
 講師陣は厳しい選抜のなかで選ばれた、屈指の伝道師たちだった。彼らのもとで学んだ生徒たちは、難解な問題を簡単なパズルにして解説してしまう彼らの授業に魅了された。こんなに簡単に東大の問題を解けるなんて、まるで魔術だ。

 ただしこの予備校は入学が難しい。厳しい選抜試験に合格した生徒しか通えない。すると通うことができる生徒は自然と一流の進学校のトップレベルの生徒たちしか入れないことになる。
 だから、合格実績が優秀だとはいっても、優秀な生徒を集めれば、どんなに高度な授業であっても、彼らはそれについていくことができるし、予習復習も彼らは勝手にやってくれるから、東大に合格するのは当たり前の話なのだ。

 ここまでだと、ただの少数精鋭の東大受験予備校である、で話は終わりになる。
 この予備校の特筆すべきことは、東大を受験した生徒はすべて合格するという、文字通り100%の合格実績にあった。そしてこの予備校では他大学での実績は0だ。純粋な東大受験予備校だといえた。
 どんな予備校であっても受験者全員合格はありえない。しかしこの予備校ではそれが実現されている。

 何かのからくりがあるのだろうと思われそうだが、それは特別にない。合格者だけでなく受験者も別に公表している。そういう意味においてはよその予備校よりも情報公開において透明性が高い。

 ただこのX予備校の理事長Tは、合格実績がこの予備校の目的ではないことを常日頃語っている。
 予備校の教育理念が、

 生涯にわたって不幸を感じない力を養うこと

 社会に貢献する有為な人材を輩出するとか、すばらしい人格者を育てようといった話はまるでない。ただ不幸を感じない力を養うことだけだった。
 この一風変わった教育理念が東大受験者全員が合格するという快挙を成し遂げているのだった。

 理事室にMが向かった。Mはこの予備校の講師だ。
「今日はどんなご用件なんですか?」
「Mくんのおかげで、来年の東大受験生はだいたいの人が合格できそうな情勢になってきたよ」
 T理事長は手元の資料に目を落としながら、微笑んでいた。
「それは素晴らしいですね」
「合否のライン上にある生徒もそれなりにいるが」
「あと4か月以上ありますからね」
「うん、まあそうなんだが…。ひょっとしたら、君にお願いするかもしれないね」
「そのときにはおっしゃってください」
 Mは丁重に礼をして、理事室を出た。

 ここの講師陣は先ほども述べた通り、最高レベルの教える技術を持った人たちばかりだ。その中でもこのMはもっとも優れた講師だった。
 どれほどすばらしいか。彼は抜群の話術で受験生を魅了し、一度彼の授業を受けた生徒たちはMに心酔し、とりこになってしまう。
 彼こそがX予備校の東大合格100%の実績を担保するのだ。

 Mの担当は表向きは現代文だった。彼は生徒たちに現代文を教えるが、そこで使われる教材は東大の現代文には絶対に出てこない文章を集めたものだった。
 その文章の出典は有名な評論家でもなく作家でもない。この予備校のオリジナルの文章だった。
 Mはこのテキストの作成者でもあった。

 ある日、Mが講義室に入ると、生徒の数が3人増えていた。
「君たち、どうしてここにいるんだ?」
「先生の授業を受けたくて」
「君たちは東大合格は確実だと思うよ」
「たしかにそうなんですけど」
「いろいろ考えちゃうんですよ、東大受験に」
「僕、志望学部は文Ⅱなんですけど、別に経済に興味があるのかというと別にないし」
「進振りがあるんだから、後から考えればいいんじゃない?」
 暗い表情を浮かべている3人に、Mは明るくふるまった。
 4か月前だから、いろいろな不安が出てくるのは、自然なことなのだろう。
「それに先生のもとで勉強すれば気持ちが楽になれると思うから」
「それはそうかもしれないけど。今日のところはいったん帰って、もう少し考え直したほうがいいんじゃないかな?」
「そうですか...」
 3人は不満顔だった。
「君たちはどう客観的に見ても100%合格する。どんなアクシデントがあっても落ちることはない。そういう生徒が僕の授業を受けるのは問題だからね」

 Mの授業を受けたい生徒は次から次へとやってくる。しかし彼は簡単には受け入れない。予備校内の模擬テストの結果やその生徒の気質・性格等を見て、合格ラインからほど遠い人から合否が微妙な人たちまでしか受け入れなかった。

 Mは自分が作成したオリジナルテキストを何度も音読させ、何度も要約させる授業を行っている。このトレーニングのおかげで、生徒たちはこの予備校の教育理念である不幸を感じない力を身につけていく。

 テキストの内容はほとんどが、東大生の卒業後のノンフィクションだった。それは華々しいものから、平凡なものまでなんでも取り揃えていた。
 生徒一人一人に渡されるテキストはすべて異なっていた。
 彼らはそれをしっかり読み込み学ぶのだ。

 年末になって、MはT理事長に呼ばれた。
「そろそろ東大合格者の確定の時期に入ってきたわけだが、現時点で100%確実な合格者は68人だ」
「例年なみですね」
「そうだ。やみくもに数を増やすことはそんなに大事じゃない」
「大事なのは合格率ですからね」
「うちは受験者全員100%合格が大事なんだ。ところで君が担当している残りの83人はどうなってる?」
「58人はほぼ確実でしょう。18人はもう少しといったところで...あと7人ですね。これがすこし手こずってますね。それがクリアされれば100%です」
「手ごたえはどうだ」
「まだ時間がかかりそうですが、受験前には片付くんじゃないでしょうか。彼らのなかにあるプライドを取り除いて、シンプルに自分に向き合う姿勢が出てきてくれればいいんですけど」

 そして受験シーズンが始まった。
 1月に入り、大学入学共通テストが始まった。
 X予備校の講師陣たちは試験問題が入手されるとすぐに解いて、解答の作成に入った。
 試験が終わった受験生たちは予備校に戻ると、その解答にしたがって、自己採点をすませた。
 どの受験生も楽々トップクラスだった。

「ひとまず第一関門突破ですね」
「これなら全員合格だね」
「あとは二次試験だな」
 講師陣たちは安堵の気持ちで笑顔になった。

 この中にあって、ひときわ厳しい顔をしていたのはMだった。
「このSという生徒はちょっと危ないな...」
「そうですか?」
「彼はX予備校の中でもトップ10に入る生徒だし、今回の共通テストも本来の出来ではないけどまあまあできてるし、全く問題ないですよ。それともM先生は何か懸念されてることがあるんですか?」
「彼の性格的なものですね。彼は中学受験も高校受験も第1志望に入れなかったんですよ。それも十分に合格できると言われていて、失敗しているところなんですよね」
 MはSの情報カルテを見ていただけでなく、本人との面接からも、不安をいつも感じていた。
「どうしますか、M先生? Sを引き取りますか?」
「ちょっとSと話をしてから考えましょうか…」

 後日、予備校内の面談室でMはSに語りかけた。
「この前の共通テストは良かったね」
「まあ、そうですね。もうちょっと出来たかなと思ったけど」
「二次試験のほうは順調?」
「まあ、そうですね。まあまあです」
 Sはうつむき加減だった
「自信はあるの?」
「まあ、あると言われればあるし、ないと言われればない、です」
「はっきりしないなあ」
「僕はいつも第2志望の人生歩んでますから」
「それは君にとってどうなの?」
「楽しくないですね。だから東大に合格して全部チャラにしたいとは思ってます」
「チャラね…」
「本当のところは自分でも分かりません。ただ先生のところにいるみんながすごく幸せそうじゃないですか。彼らを見ていると本当に分からなくなってくる」
「うちの予備校の教育理念は分かってるよね?」
「生涯にわたって不幸を感じない力を養うこと、ですよね」
「そう。君の場合は、その不幸の根源にあるのは、失敗してきたことの受け止め方に問題があるんだ。そこが改善されればいいんだ。僕としては君を僕のクラスに入れたくない。分かるよね?」
「それは分かってます」
「二次試験の出願する前までもうちょっと考えてみよう。君は少なくとも十分な学力はあるし、メンタルの問題さえ取り除かれれば100%合格するんだから」
「はい」
 SはMにお辞儀をして面談室を出た。

 Mはため息をついた。
 Sを引き取るべきか。

 Sは二次試験出願締め切り直前にMのところにやってきた。
「先生のクラスに入ってもいいですか?」
 Mはしばらく黙っていたが、こう言った。
「まず君に言いたいことは、君は東大に合格できる力は100%あるということ。これは分かってる?」
「先生がそうおっしゃるならそうなんだと思います」
「僕が言うからではなくて、君自身はどう思ってるかだよ」
「客観的な数字を見ても、100%合格なんだと思います」
「そこまで分かっていて、僕のクラスに入るんだね」
「そうです」
「その理由は?」
 Sはしばらくうつむき加減に無言だった。
 何度か口を開きかけたが、また閉じた。
 MはSの言葉を静かに待った。
 Sは大きく息を吸って、堰を切ったように話し始めた。
「小さい頃から塾に通って私立受験の連続でした。その先にあるのは東大でした。中学、高校と進むにつれて僕の心の中に占める東大の存在は大きくなりました。東大は絶対的なゴール。一日も頭から離れることはなかった。そのために頑張ってきました。今はその先も考えています。国家公務員をやるか司法試験を受けるか外資系企業に行くか…。でもですね、僕は中学校も高校も楽しくなかった。それは第2志望だったからじゃないんです。その場所はただの通過点という意識しかなかったからなんです。だから愛着はありません。東大に行くために籍を置いているにすぎないんです。だから東大に仮に合格できたとしても、合格した後は今までと同じような気持ちで人生を歩む気がしてきたんです。次のステップのための通過点でしかないような捉え方をする気がするんです。言ってみれば、これまでのように、何かをやりたいのではなくて、どこに所属したいのかを望むような人生を送っていくように思えてしまうんです。それは僕にとって本意なのかというと何か違う気がする。あえて東大を受験しないという選択をすることで、本来の自分が解放される気がします。今まで見えなかったものが見える気がするんです。そのためにはきっかけがほしい。先生のクラスに入れば、もっと自由に本当にやりたいことが見つかりそうな気がします」
 Sはそう言い切ると黙った。
 MはSの表情を確かめていた。
「わかった。悔いはないね」
「はい」
 Sは東大受験をやめた。

 Mのクラスは東大受験を断念させるクラスだった。
 X予備校において合格ラインに届かない人は当然のこと、合否が微妙な人たち、そしてSのように自分の本心と東大受験がかけ離れた人たちは、Mのクラスで学ぶことで、東大受験に対して懐疑的な気持ちを養い、レールに乗らない本来の素の自分に向き合うことを学ぶのだ。

 一流の進学校に通ってきた生徒たちだから、ひと際プライドが高い。親からも期待されている。彼らは一本道をひたすら突き進むしか選択肢がない。自己暗示にかかっている。
 東大受験に失敗し中途半端にランクの下がった大学に通うことで生涯ずっとこのときの苦い記憶にとらわれるよりも、あえて東大受験をしないという選択を生徒に意識的にさせることで、彼らの人生がより自由により主体的に自己選択的になっていくことをX予備校では最も重要視しているのだった。

 X予備校の教育理念は、生涯にわたって不幸を感じない力を養うこと。

 思春期のこの大事な時期に、生涯にわたる精神的な傷を負わせないように配慮したものだといってよかった。
 その結果、受験した生徒たちはすべて東大に合格し、受験しなかった生徒たちはそれぞれが自分に正直に向き合いながら人生を切り開いていくのだ。
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