第7話 安楽死高層ビル

文字数 5,271文字

 Tオーナーは開発担当責任者Sの報告を受けて、ため息をついた。
「これじゃビル建てても赤字じゃないか」
 Tオーナーは自嘲気味にSに当たった。
「そうですね。困りましたね」
「困りましたね、って他人事みたいに言うな!」
「申し訳ございません」

 いきさつはこうだ。
 Tオーナーは都内にそれなりの規模の土地をもっていて、デベロッパーから商業用の高層ビルを建設するのはどうですか、と提案された。
 Tオーナーは周囲の反対を押し切って、その話に簡単にのってしまった。
 契約を結ぶと、工事は着々と進んでいった。
 ところが肝心のテナントが決まらない。

「どうして決まらないのですか?」
 開発担当責任者に任命されたSはデベロッパーに問い詰めたが、
「いや、それが不思議なんですよ。おおよそ入ってくれそうな会社に声をかけてるんですが、音沙汰がないんです」
「それはおかしいじゃないですか。うちは決して一等地とはいえませんけど、駅近で絶好の場所なんですよ。こぞってテナントが入ってもおかしくないでしょう」
「そうなんですよね。ところがどういうわけか、みなさんご辞退されてるんですよ。ただ1件だけは前向きなんですけどね」
 その会社名を聞いたとき、Sは怪訝な表情を浮かべて言った。
「さすがにそれはないんじゃないでしょうか。なぜそんな会社に声をかけたんですか」
「我々も必死ですから」

 Tオーナーは開発担当責任者Sの話を聞きながら、
「ところで、その1件というのはどんな会社なんだね?」
「葬儀屋です」
 Tオーナーは唖然とした。
「今のところその1件だけなんですが、その葬儀屋が言うにはですね、近くに大きな霊園がありますよね、そこで駅近という立地を利用して、集客をしたいということなんだそうです」
「まあ、理にかなってるな。だけど入れるわけにはいかないだろう。商業用ビルだぞ。衣料品店、飲食店、雑貨屋、そういう店がメインだ。葬儀屋なんか入れたら客が離れる」
「そうは言ってもですね。高齢者はこれから先どんどん増えていきますよね。すると安定した高い需要が見込まれるわけです。葬儀のイメージもこれから変わっていくと思いますよ」
「まあ、そうだな」
「これについてはデベロッパーに腹案があるらしくて、どの商業用ビルにも負けないくらいの収益を確保するために、今動いているところらしいんです」

 高層ビルが完成した。
 オープニングセレモニーには自治体関係者や地元選出の議員らがかけつけて、お祝いの言葉を述べた。
 しかし、オープンしてから3か月も満たないうちに、このビルは忌まわしいビルとして地元で不評がわいた。
 というのも、毎日のように最上階からの飛び降り自殺が後を絶たなかったからだ。

 雑誌社Pで働くM記者は上司から取材に行くように言われた。
 Mはさっそく取材を申し込んだ。開発担当責任者Sが応じることになった。

「駅と連結してるんですね」
 Mはそう切り出した。
「そうですね。雨の日でも傘なしでビルに入ることができます」
「ただ、ここのテナントは異質ですね」
「どうでしょう。飲食店、衣料品店、リサイクル専門店、病院などが入ってます。生活するうえで必要なものを考えたうえでテナントさんに入っていただいております」
「葬儀屋が入ってますね」
「エンターテインメント色というよりも、本当に必要で、なくてはならないものを考えましたから」
「たしかに葬儀屋は必要ですね。ところで…」と、Mが切り出そうとしたところ、Sはそれを遮るようにして
「最上階に行きましょうか」と、言った。
 SはMの取材目的を事前に聞かされていたし、それに対する準備もしてきたから、手際よく終わらせたいと思っていた。
 エレベーターで最上階に上がると、たくさんある高層ビルにあるような飲食店があり、展望台があった。
 ぱっと見で特別変わった様子はない。

「いかがですか?」Sはたずねた。
「上から駅が見えますね。隣の駅も見えるし、さらにその先の駅も」
「鉄道ファンにはたまらない光景だと思いますね」
「撮影に来るんですか」
「そうですね。オープン当初は多数来られましたけど、最近はめっきりいらっしゃらなくなりました」
「それはどうしてでしょう」
 Sはそれには答えずに、こちらに行きましょうか、と案内した。
「いい景色ですね。あそこの緑が広がっているところは何でしょう」
 Mは眼下に広がる光景に目を見張った。
「あそこは霊園ですね。去年からですが、大規模な工事が始まってまして」
「霊園で工事って何をするんですかね」
「従来の墓地というイメージを払拭して、公園にしようということなんですね。お墓参りだけに来るのではなくて、日常生活の中で憩い場のようなものにしたいそうなんですよ」
「いいことですね」
「そのためにも従来ある施設とかも一新して、ということで」
「葬儀屋がテナントで入っているのはそのためですか?」
「当初はそうでしたね」
「今は違うと」
「総合プロジェクトになりましたから」
「どんな?」
「あれですね」
 Sは指をさした。

 通路沿いに動物園の檻のような鉄の囲いがあった。
「なんなんですか、あれ?」
「バンジージャンプ台です」
 近づいてよく見ると、その囲いの部分は窓に密接している。
「どうやってジャンプするんですか?」
「檻の中に入って奥の右側にボタンがあるんですよ。それを押すと窓が開くようになってまして。試してみます?」
「ああ、はい」

 二人は檻の中に入った。Sが壁際の赤いボタンを押すと、シャッターが上がるように、下から窓が上がっていった。完全に開くと、檻の全面が外と接していた。
「怖いですね」
 Mは足がすくんで、前にはいけなかった。
「怖いですよ」
 Sはすぐに緑のボタンを押した。すると今度は逆に上から窓が下がってきて、ガンと鈍い音を立てて止まった。

 二人は檻の外に出た。
「バンジージャンプ目的で作ったわけですが、みなさんご自由に遊んでいただければ、という思いでやっております。なかにはパラグライダーとしてやられている方もいらっしゃいます」
「けれども本来の目的でない飛び降り自殺も含まれているということですね」
「まあ、そういうことになりますね」
「そうなるとですよ、安全対策上の問題が出てくるでしょう。国土交通省とか警察とか、いろいろ指摘されるはずですよね」
「そういったことは全くございませんね」
「そんなはずはないでしょう」
「ちなみにこのビルには警察署と消防署が入ってます」
「テナントですか」
「そうですね。より地域に本当に必要な何かというのを考えたときに、こうした公共の機関に入っていただくというのは、うちとしてはとてもありがたい話で」
「でもこれはどう考えたっておかしな話ですよ。毎日のようにここから飛び降り自殺をしているわけでしょ。毎日のように実況見分するわけでしょ」
「そうですね」
「何かしらの改善命令みたいなものがあるはずじゃないですか」
「ないですね」
「それはテナントゆえにいろいろ甘くなるということですか?」
「いえ、そういうわけではないと思います。というよりもバックアップ体制を整えていこうということなんですね。ここから不幸にも飛び降りてしまう人がいるわけですが、そういう方というのはここでなくてもどこかで命を絶たれる可能性が高いわけです。人によっては自宅で首を吊って亡くなる方、電車に飛び込んで亡くなる方、いろいろいらっしゃいますよね。結果的にはここから飛び降りることで、さまざまな社会的コストの削減には繋がっているのではないかと思うのです」
「それは自殺ほう助ではないですか?」
「いいえ、うちはあくまでバンジージャンプです。バンジージャンプでも事故が発生する場合がありますよね。下には消防署と警察が入っています。速やかに対応できる体制をとっているということです」
 Sはきっちりと答えた。

 すると一人の50代後半の男性がやってきて、檻の中をじっと見つめていた。
 SはMに、移動しましょうか、と促したが、Mは「ちょっと待ってください。あの人、危ないですよ」と言った。
 Sは人差し指を立てて口にあてた。
「どういうことですか?」
「大きな声を上げないでください」
 Sはしーっ、しーっと、Mにしゃべらせないようにした。

 男性は檻の中に入っていった。
「ちょっと止めないと」
「バンジージャンプのお客様ですから」
「係員がいないのに、バンジージャンプもなにもないでしょう」
「一応バンジージャンプなんですよ。これ以上言わせないでください」

 男性は赤いボタンを押した。窓が全開した。
 さすがにMは黙っていられなかった。
「そこの人、駄目だよ。早まっちゃだめだよ」
 男性は振り返らないで、下を見ている。
「10分考え直せ」
 男性はMの方を向いた。魂が抜けた顔つきだった。
「話そう。あなたに何があったか知らんけど」
 次の瞬間、Mの前から男性は消えた。

 Mは窓際まで行こうとしたが、Sが制止した。
「見ないほうがいいですよ」

 しばらくして、Sは窓際に行って下を見た。
「もう大丈夫みたいですね」
 Mはおそるおそる窓際に近づいて下を見た。

 遺体はなかった。血痕のあともない。
 何もなく平和な地面があった。

「これはどういうことです?」
「だからバンジージャンプなんですよ」
「彼は死んだんですか?」
「それは分かりませんけど、一応飛び降りてますから、死んだことにはなるんでしょうね」
「平然と言いますね」
「私としては、これ以上のことは分からないのです。新聞で当ビルから自殺が相次いでいるとの報道がありますけれども、実際に事故現場を見たことはないのです。というより見た人は一人もいないのです」
「おかしな話ですね。でも自殺ですよね」
「そういうことになってますね」
「こんなことが頻繁に起こってくるとビルの評判はがた落ちでしょう」
「世間的にはそうかもしれません」
「テナントはよく離れませんね」
「賃貸料はよそのビルの十分の1ですからね」
「いわくつきなら理解できますけどね」

 Mは何も分からないまま取材を終えた。社に戻って上司に報告すると、
「取材ごくろう。それ、記事にはできないから」
「申し訳ございません」
「いや、そうじゃなくて上からストップがかかったんだ。だから終わり」


首相官邸にて

 N首相は言った。
「新しい安楽死のモデルが成功したらしいね」
「そうですね。省庁を横断した極秘プロジェクトとしては素晴らしいものだと思いますね」
 首相補佐官は笑顔で応じた。
「そもそもどんなスキームなのかね?」
「まず問題意識として、安楽死は要件が厳しい。議論をしたくてもなかなか前に進みません。医者は殺人罪と隣り合わせになるわけで、積極的にやりづらいわけですね。一方で、先がない人にとっては早く死を選びたいわけです。すると自殺という選択肢が出てきてしまう。自殺は他人に迷惑がかかります。アパートで死なれたら大家は困ります。電車に飛び込んで死なれたら駅員がそれを処理しなければいけません。トラウマになりますよね。だから自殺できる施設を用意する必要があるわけです」
「それはさすがに無理だな」
「もちろんです。自殺のススメをする国なんてありませんから。このビルの場合、自殺志願者たちにはこれからどういう流れで死ぬのかを担当の人が説明します。ここから飛び込んでも死ぬことはないと伝えられるわけです。これによって死にたいけれども飛び降り自殺に恐怖を持っている人たちが安心して飛ぶことができるように安心安全設計になっています」
「ロープは繋がってないよね」
「繋がっていないです。窓が開いた瞬間に、下に大きなネットが用意されるんです。飛び込む人はそれを確認して飛び降りるのです」
「落ちた瞬間は生きてるんだね」
「普通に生きてます」
「じゃあなぜ、死ぬんだ?」
「そこからは警察と消防と病院の連係プレーです。飛び降りた人はすぐにビルの中の病院に運ばれて全身麻酔を打たれます。医師によって安楽死処置されます。けれどもこれは飛び降りによる自殺ということにするのです。実際に飛び降りてますからね。そしてビルの中に入っている葬儀屋で葬式をすませます。これらはビルの中ですべて完結するので外部からは分かりません」
「なるほど。しかし火葬場に行ったときに怪しまれないか?」
「言い忘れましたが、このビルの地下は火葬場になっていますので、ビルを出るときには遺骨になっています。近くに霊園があるのでそのまま移送して埋葬できますから、ほぼワンストップですね。だから怪しまれることはありません。また火葬場の熱によって発電もやっておりますから地域の電力もまかなうことができます」
「素晴らしいな。安楽死だけど自殺扱い。手順にしたがって滞りなく処理されていくわけか。みんなハッピーだ。政府も政府で支払う年金も減らせるし、医療費の削減にもつながる。財政再建の切り札だね。こうした高層ビルを全国に作ったほうがいい」
「国民がうすうす感づいたころで、安楽死税創設ということで」
「いいね! 君は優秀だね」
 N首相は終始にこやかだった。
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