切り札

文字数 5,107文字

 肉鞭を受けたスズランの身体が、毬のように跳ねて吹き飛ばされる。

「とらえ――」

 確かな手応えに口元を吊りあげようとしたナナフシは、すぐにそれを中断し、その長身からは想像できない素早さで身体を仰け反らせる。
 伸縮自在の肉体は便利で強力だが、ナナフシは自分の最大の強みはその目の良さだと認識していた。遥か遠く地平線に落ちる葉を見分けるほどの遠視力に、虫の羽ばたきすら子細に観察可能な動体視力。戦闘力以上に偵察能力を買われてサクラの副官まで上り詰めてみせた、その自慢の視力が彼の命を救った。
 自分が肉鞭を叩きこむのに合わせ、カウンター気味に放たれた手裏剣。ナナフシの優れた動体視力はそれを見逃さず、肌すれすれでそれをかわす。

「……ふんっ、苦し紛れだなぁ。こんな小さな手裏剣じゃぁ、当たっていたとしてもぉ致命傷には程遠いぜぇ?」

 藪蚊に集られたままのスズランが、ふらつきながらも立ち上がる。
 手応えは確かにあったが、分厚く着込んだ衣服が多少衝撃を吸収したようだ。もしかしたら、衣服以外にも何か着込んでいるかもしれないが、例えそうだとしても衝撃を完璧に殺しきることはできていないだろう。ダメージは致命傷に近いはずだ。
 だが、藪蚊の隙間から見える闘志は未だ消えていない。ナナフシはすぐに止めの肉鞭を放とうとしたが、ふと何かに気付いてそれを思いとどまる。

「……ふんっ、まぁいい。どうせこのままなら藪蚊に――」

 言いかけて、スズランに群がる藪蚊の数が急激に減り始めていることに気付いた。地面を覆い始める黒い絨毯。それらが藪蚊の死骸であるとナナフシの鋭い目が捉えた。

「おぎぃあ、ぎゅ、おがあああざあああああああああああんっ!!」

 藪蚊赤子が悲鳴のような声を上げ、ナナフシははっとした顔になる。
 仲間内だから知っていることだが、藪蚊は藪蚊赤子の肉体の一部だ。その数が減るということは、文字通り、藪蚊赤子の命を削っているようなものだ。このまま藪蚊の数が減り続ければ、藪蚊赤子は命を落とすことになる。

「蟲をぉ引かせろぉっ!!」

 ナナフシの決断は早かった。方法はわからないが、藪蚊たちはスズランから何らかの攻撃を受けている。その手段がわからない限り、藪蚊赤子に攻撃を続けさせるのは危険だと判断したのだ。
 波を引くようにスズランから離れ、本体に戻っていく藪蚊たち。黒い霧が晴れ、傷口を抑えて気休めに血止めをしているスズランの姿が露わになった。

「あぶぁああああ、おかああああざああああああああああああああんっ!!」
「なっ!?ぼうずぅっ!?」

 藪蚊を引き戻した藪蚊赤子が突然叫び声を上げ、ぐりんと白目を向く。
 ナナフシにしがみついていた藪蚊赤子は、殺虫剤を振りかけられた蚊のようにぽたりと落ち、地面でピクピクと痙攣して動かなくなった。

「な、なにがぁ……」

 その症状がオケラ爺の死に様と似ていることには気付いたが、どういう攻撃を受けているのかがわからず、ナナフシはスズランから少し距離を取る。
 ナナフシは冷静で慎重だった。露わになったスズランの姿は死に体。忍び装束は大きく裂け、血が止めどなく流れ続けている。もうこちらから積極的に攻める必要はなく、放っておくだけで出血多量で死に至るだろう。
 断然有利なのはナナフシの方。だが、スズランは血が溢れる口元を吊り上げた。

「さぁ、どうするよ。次はオタクがいろいろ考える番だぜ」
「……はぁ?血を流しすぎて頭がおかしくなったかぁ?てめぇこそ――」

 言葉の途中で、ナナフシは膝をつく。
 呼吸がままならず、全身に針を突き刺されたような痛みが走り、身体が思うように動かない。特にスズランを打ちつけた右腕は持ちあげることすらままならず、痛みを通り越して何も感じなくなっていた。

「ばか、なぁ……」

 見れば右手が紫色に膨れ上がっていた。そこでようやく、ナナフシはスズランの攻撃の正体に気付く。
 毒だ。手段は不明だが、奴は毒の使い手だ。
 いつ毒を受けたのか、この状態でスズランを倒すことができるのか、さまざまな疑問が脳内を巡る中、ナナフシは現状もっとも優先すべき事柄を導き出して実行する。
 すなわち、自分の右腕を切り落としたのだ。
 無事な左腕を振るって、動かなくなった右腕を抉り飛ばし、噴出した血で強引な毒抜きをする。すでに全身を駆け巡っている毒物の症状が改善されるわけではないが、それ以上悪化することもなくなった。

「ぐぅ、ぬぅ……」

 だが、毒で弱っているところに大量出血は、妖怪であるナナフシであってもさすがに辛かったようだ。足をふらつかせながら、失われた右腕に力を込める。切り口がぼこりと盛り上がったかと思うと、以前と比べるとかなり短いが、新しい腕が生えてきていた。

「あらら、お子様に見せられないような刺激的な光景だこと。ナナフシよりヒトデかタコに改名した方がいいんじゃないの、オタク?」

 挑発的な言葉。だが、ようやくスズランの正体を見抜いたナナフシはそれに乗らない。

「うるせぇよぉ、毒人間。黙っていればぁ毒殺できたものをぉ、余計なことをぁ口走るからぁこうなるんだぜぇ?」
「そりゃもう、舌まで毒でできる毒舌家だからねぇ。まばたきと同じで、俺の口は死なない限り閉じることはないのよ」

 新しく生えてきたものの、毒のせいでまともに動かない腕を不満そうに見ながら、ナナフシは観察から得られた結論を口にする。スズランは血液・皮膚・髪の毛の一本一本に至るまで毒で構成された毒人間だ。それも触れただけで死に至るほどの猛毒。
 最初にスズランに噛みついたオケラ爺が死んだのは当然。続く藪蚊赤子は、スズランの血を吸った藪蚊を自分の体に引き戻したせいで、本体も毒に侵されてしまったのだ。
 スズランは内心では盛大に舌打ちしていた。普通の相手なら、自分の体に触れた時点で決着はついているようなものなのだ。即座に自分の腕を斬り落とせるだけの機転と度胸が相手にあるとは思っていなかった。このナナフシという妖怪は、想定以上に手強い。

「毒を使うぅ鬼や妖怪はぁ多いぃ。おまえの素体になったのはぁ、爬虫類系かぁ?蟲系かぁ?それとも海洋生物系かぁ?」
「さ~て、なんでございましょう。見事的中させたお方には出血大ご奉仕!血液にはもれなく猛毒がついてくるので、大変お得ですよ、奥さんっと……こほっ」

 言葉の途中で、スズランは咳き込む。内出血で気管支に詰まったらしく、吐血という形でそれらが地面に放たれる。肉鞭のダメージが内臓まで達していたのだろうと思い、ナナフシはその行為に疑問を抱かなかったが、その様子に息を飲む者がいた。

「そんな……」

 ユキだ。彼女は互いに争う者たちから距離を置いて戦闘の成り行きを黙って見守っていたが、スズランの吐血を見て思わずと言った様子で口に出す。

「そ、それは怪我のせいじゃないわね?あなたの毒はあなた自身の身体すら蝕んで、内臓を傷つけ続けているの?」
「なにせ、血でも汗でも一滴でも浴びたら最後、向こう十年はペンペン草も生えないような猛毒だからねぇ。農家の人が聞いたら、激怒してしゃもじを全力投球するほどですよ。お米様より価値の低い俺様が耐えるなんてとてもとても」
「じょ、冗談を言っている場合じゃないでしょう!?そんな身体、常に激痛が走り続けているはずよ!?なんで正気を保っていられるの!?」
「いやぁ、神経も毒に侵されてるからねぇ。。こんな体でどうして生きていられるのかは自分でもよくわからないね」

 熱射病になっても、身動きが取れなくなるほど重症にならなければそのことに気付けない。それほどまでにスズランに感覚機能は鈍っており、同時にそうでもなければ、とっくの昔に自分の毒による激痛で狂人になっていただろう。自身の肉体を蝕む毒は、同時に自身の精神を守る盾にもなっているという危うい均衡で成り立っていた。
 その狂気的ともいえる生き様に、ユキは顔から血の気が引く思いだった。痛みがないとはいえ、肉体と精神を毒に満たされた人生がどのようなものなのか、想像するだけでも背筋が凍りそうになる。
 一方、ナナフシの方も額から嫌な汗を流す。
 一度触れただけで、ここまで追い込まれるような猛毒。血や汗にもそれが含まれているとなれば、安易に触れることも返り血を浴びることもできない。例え死んだとしても、血霧で相手を殺す。相手を殺すという目的ためだけならこれほど厄介な体質はない。

「……なるほどぉ。死んで散っても全てを殺すから、『死散全殺』。どういう意味かと思ったがぁ、とんでもなく厄介な能力だなぁ」
「そうそう、七羅刹の中じゃ俺は最弱だけど、傍迷惑さにかけては一番なのよ。気をつけないと、オタクも蟲みたいにころっと逝っちゃうぜ~」

 確かにスズランの言う通り、決して強い能力ではない。
 猛毒は厄介だが、触れなければ効かないわけだし、触れても即死するわけではない。勝てるか勝てないかで言えば、勝つのは難しくない相手だ。
 だが、犠牲なしで勝つのは大変難しい。特に直接攻撃を主軸に置くナナフシにとっては刺し違えることを覚悟で挑まなければいけない。普段の戦闘ならそれでも構わないが、ユキの護衛役でもあるナナフシはここで命を落とすことを許可されていない。刺し違えてでも相手を倒すという選択は取れない。

「ナメクジぃ、ちょっとぉ手ぇ貸せぇ」

 彼は武人だが、私情より任務を優先させる兵士でもあった。即座に一人に対して複数で立ち向かう選択を取る。
 だが、ナメクジの様子に気付き、大きい目がさらに大きく見開かれる。ナメクジは元々巨躯を持つ妖怪であったが、今はそれが風船と見紛うばかりに膨れ上がっていた。
 弾ける音とともに、ナメクジの肉体が内部から破裂する。
 ナメクジが爆散した後には、どろりとした黄白色の液体で全身を濡らしたメノウが膝をつき、口に入ってしまった液体を吐き出しながら何度もえづいている。

「き、気持ち悪いー。やだー、最悪ー……」

 よほど不快なのか、半べそをかいてはいたが、意外なほど元気そうだった。その全身からは湯上りのような蒸気が立ちあがっている。

「てめぇ、どうやって……」
「ナメクジなんだからー、身体のほとんどは水分でしょー?熱してやれば水分は水蒸気になってー何十倍にも膨れ上がってー、耐えきれなくなった肉体は内側から破裂するでしょー?少し時間はかかったけどー、精神的ダメージ以外はなんてことないわー」

 などと強がっているが、実際のところは紙一重だった。
 ナメクジが破裂するのが先か、メノウが窒息死するのが先かの勝負だったのだ。あと一歩遅ければ、敗北していたのはメノウの方であったろう。

「これで二対一ねー」

 クナイを構えなおしてメノウはそう言うが、それでもナナフシの戦闘意志は揺るがず、迎え撃つ構えを取る。
 二体一の状態になったとはいえ、スズランとメノウは微塵も優位に立てたとは思っていない。二人が満身創痍であることに変わりはなく、一撃必殺の肉鞭を喰らえば一瞬で戦況は覆る。ナナフシという妖怪はそれだけの潜在能力を秘めている。
 強い鬼や妖怪というのは、往々にして何か切り札を隠し持っているものだ。忍びとしての嗅覚が、それを敏感に感じ取っていた。
 スズラン・メノウ・ナナフシ。尋常なる者はこの場になく、誰が生き残って誰が死んでもおかしくない。一寸先の未来は誰にもわからなかった。

「(……まぁ、死にそうなのはどう考えてもこっちなんだけどなぁ)」

 三人の中でもっとも死に近いのは、文句無しでスズランだろう。致命打一歩手前の攻撃を二回も喰らってしまい、出血多量で目が霞んできていた。
 間近に迫る死の足音を聞きながらも、スズランは口元を三日月の形に曲げた。

「いいねぇ、命に火がつく感覚は久しぶりだ。ご期待にお応えして、花火みたいにパーっと散らして魅せてあげようじゃないの」

 相手も隠し球を持っているだろうが、スズランだって奥の手を持っている。本来ならこの状況で使っていいものではないが、賭けに出ずに勝てる相手だとも思えない。メノウならこちらの動きに合わせてくれるだろう。

「(いいぜ、見せてやるよ。俺の切り札ってやつを)」

 この状況を楽しむような、狂気すら感じられる笑みを浮かべながら、スズランは自分の衣服に手をかけた
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登場人物紹介

名前:ユキ

性別:♀

年齢:14

勢力:???

[プロフィール]

一本角の鬼。雪のように白い髪と肌、燃えるような紅玉の瞳を持つ。

囚われの身であるらしく、首輪と手かせをつけられているようだが……。

名前:サクラ

性別:♀

年齢:14

勢力:蓮蛇

[プロフィール]

二本角の鬼。黒髪と長い足が特徴の童女。

自身過剰で能天気だが、蓮蛇勢力で一部隊を任せられる程度の地位はあるようだ。

名前:タマフネ

性別:♂

年齢:32

勢力:九頭竜・霧見一族

[プロフィール]

身長二メートルを超える巨漢。人間と魚を足して二で割ったような外見。

九頭竜勢力の千人長。ユキの護送任務を担当する。

名前:スズラン

性別:♂

年齢:15

勢力:九頭竜・結城衆

[プロフィール]

真夏であっても厚着でいる少年。結城七羅刹の一人。

どれくらい強いかというと、開幕で狸に負けるくらいには強い。

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