暗殺
文字数 2,143文字
「……なるほど、鬼神の移植に成功した鬼ですか。それは確かに珍しい。鬼神はおろか、通常の鬼胤を鬼に移植したという話すら聞いたことがありませんが?」
「それはそうだろう。理由は不明だが、鬼に別の鬼の鬼胤を移植した場合、拒絶反応が起きて死に至る。実験自体は各勢力で多く行われているが、それで生き残った鬼はユキだけだ。我々が情報を掴めていないだけという可能性もあるがな」
布槌にほど近い土胡坐領の廃屋にて、二つの影が会話を交わしていた。
片方は日本人離れした金髪碧眼を持つ少女、アオだ。彼女は資料に目を落としているもう一人の影に対して、酷く冷たい声で告げる。
「そういう意味でもユキは大変貴重な素体だ。その上、移植されたのが鬼神ならば、その価値は天井知らず。鬼神の強さは国の強さそのものだ。その能力を限界まで使いこなすことができるなら、一国を手に入れたも同義。各国が停戦条約を破ってでも手に入れたがる理由がわかったか?」
夕刈山で起きた事態の裏事情を聞きながら、影は資料に目を通していく。そこにはユキの経歴が事細かに書かれていた。
影は大して気のない様子でページを捲っていたが、あるページに至ったところでその手を止める。アオが気付くか否かという僅かな差異であったが、眉がピクリと動いた。
「……一つ疑問なのですが、そこまでして彼女にこだわる必要があるのですか?鬼神の力が使えると言っても、所詮は治癒能力でしょう。それに加えて、彼女はその能力を使いこなせていないため、死者の復活なんてものも妄想に過ぎない」
影の表情の変化に気付かず、アオはもっともな質問だと頷く。
ユキの治癒の力は確かに脅威だが、国を左右するほどの大人物が大怪我や不治の病を患ってでもいない限り、宝の持ち腐れだ。そして、九頭竜にせよ、蓮蛇にせよ、そのような人物がいるという話は聞いたことがない。元来、鬼や妖怪というのは身体が丈夫で、時間さえあれば大抵に怪我は治せるし、大病を患う可能性も低いのだ。
やはり、各国が血眼になってユキを確保しようとする理由としては弱すぎる。少し頭を回せば、当然思いつくことであったが――
「私は知らされていない。ウチザルさまが私に話していないということは、知る必要がないということだ。だから、おまえも知る必要はない」
きっぱりと迷いなく、アオはそう告げた。それは隠密としてそうあろうとしているのではなく、主君に対する絶対の信頼から来るものだとその瞳が語っている。
「(有能な狂信者ほど性質の悪いものはないな)」
ウチザルが死ねと言えば、アオは喜んでその命を捧げるだろうなと影は考える。
「では、アオ殿の考察を聞かせていただきたい。九頭竜や蓮蛇は、これほどまでにユキにこだわるのだと思われますか?」
「そうだな。……理由はあれだろう」
そう言って、アオは窓から覗く夜空を見上げた。釣られて影もそちらに目を向ける。
そこに浮かぶのは、鮮血を思わせる赤色の月だ。鬼神たちが現れる前までは、そこには薄黄色の月があったが今はない。現在存在する赤色の月に破壊されてしまったからだ。不気味に蠢く赤色の月面は、いつ見ても忌々しいと影は顔を歪める。
「鬼神『紅炉有珠 』。おそらく、この世でもっとも有名な鬼神だ」
そう、あれも鬼神の一柱だ。ただ、月を破壊し、代わりにその場所に居座って以降、動きらしき動きは見せていない。行動原理が不明なため、配下となる鬼や妖怪はいないが、その規格外なスケールのせいで誰もが知る鬼神でもある。
「大きさだけなら、鬼神の中でも隋一だろう。なぜ月を破壊したのか、なぜこの星を襲わないのかは不明だが、真に恐ろしいのは、各地を治める鬼神があれと同格かそれ以上 の力を持っているということだ」
そのことは影ももちろん知っていたが、改めて語られると嫌な汗が流れる。鬼や妖怪も強大な存在だが、鬼神はもはや次元が違う。
「我々は鬼神たちを主と仰いで戦いを繰り広げているが、実際に鬼神同士が戦ったという話は聞いたことがない。鬼神たちにとって国取り合戦は遊びに過ぎないから見守っているのか、あるいは鬼神同士が戦えばこの星が保たない からなのか」
鬼神の力に比べれば、鬼同士の戦争など茶番に過ぎない。鬼神たちが本気で参戦していれば、今頃各国の戦力図は地図ごと書き換えられているだろう。
「ユキはその鬼神の力の一部が使えるのだ。ただ傷を癒すだけの存在が、鬼神と呼ばれるはずがない。あの赤い月に匹敵する何か を隠し持っているのだ」
それがどんなものかはわからないが、各国がユキを欲しがる理由がそこにある。それがアオの考えだということだろう。
「……だが、それが使いこなせるのなら、ユキが捕まるはずがない」
「そのとおり。だが、捕まった後も使いこなせないままとは限らない。可能なら土胡坐でユキを確保したかったが、それができないなら次善の手を打たなければならない」
ようやく本題といった様子で、アオは影に短く告げた。
「影よ。九頭竜の領地の奥地に連れていかれる前に、ユキを殺すのだ」
「それはそうだろう。理由は不明だが、鬼に別の鬼の鬼胤を移植した場合、拒絶反応が起きて死に至る。実験自体は各勢力で多く行われているが、それで生き残った鬼はユキだけだ。我々が情報を掴めていないだけという可能性もあるがな」
布槌にほど近い土胡坐領の廃屋にて、二つの影が会話を交わしていた。
片方は日本人離れした金髪碧眼を持つ少女、アオだ。彼女は資料に目を落としているもう一人の影に対して、酷く冷たい声で告げる。
「そういう意味でもユキは大変貴重な素体だ。その上、移植されたのが鬼神ならば、その価値は天井知らず。鬼神の強さは国の強さそのものだ。その能力を限界まで使いこなすことができるなら、一国を手に入れたも同義。各国が停戦条約を破ってでも手に入れたがる理由がわかったか?」
夕刈山で起きた事態の裏事情を聞きながら、影は資料に目を通していく。そこにはユキの経歴が事細かに書かれていた。
影は大して気のない様子でページを捲っていたが、あるページに至ったところでその手を止める。アオが気付くか否かという僅かな差異であったが、眉がピクリと動いた。
「……一つ疑問なのですが、そこまでして彼女にこだわる必要があるのですか?鬼神の力が使えると言っても、所詮は治癒能力でしょう。それに加えて、彼女はその能力を使いこなせていないため、死者の復活なんてものも妄想に過ぎない」
影の表情の変化に気付かず、アオはもっともな質問だと頷く。
ユキの治癒の力は確かに脅威だが、国を左右するほどの大人物が大怪我や不治の病を患ってでもいない限り、宝の持ち腐れだ。そして、九頭竜にせよ、蓮蛇にせよ、そのような人物がいるという話は聞いたことがない。元来、鬼や妖怪というのは身体が丈夫で、時間さえあれば大抵に怪我は治せるし、大病を患う可能性も低いのだ。
やはり、各国が血眼になってユキを確保しようとする理由としては弱すぎる。少し頭を回せば、当然思いつくことであったが――
「私は知らされていない。ウチザルさまが私に話していないということは、知る必要がないということだ。だから、おまえも知る必要はない」
きっぱりと迷いなく、アオはそう告げた。それは隠密としてそうあろうとしているのではなく、主君に対する絶対の信頼から来るものだとその瞳が語っている。
「(有能な狂信者ほど性質の悪いものはないな)」
ウチザルが死ねと言えば、アオは喜んでその命を捧げるだろうなと影は考える。
「では、アオ殿の考察を聞かせていただきたい。九頭竜や蓮蛇は、これほどまでにユキにこだわるのだと思われますか?」
「そうだな。……理由はあれだろう」
そう言って、アオは窓から覗く夜空を見上げた。釣られて影もそちらに目を向ける。
そこに浮かぶのは、鮮血を思わせる赤色の月だ。鬼神たちが現れる前までは、そこには薄黄色の月があったが今はない。現在存在する赤色の月に破壊されてしまったからだ。不気味に蠢く赤色の月面は、いつ見ても忌々しいと影は顔を歪める。
「鬼神『
そう、あれも鬼神の一柱だ。ただ、月を破壊し、代わりにその場所に居座って以降、動きらしき動きは見せていない。行動原理が不明なため、配下となる鬼や妖怪はいないが、その規格外なスケールのせいで誰もが知る鬼神でもある。
「大きさだけなら、鬼神の中でも隋一だろう。なぜ月を破壊したのか、なぜこの星を襲わないのかは不明だが、真に恐ろしいのは、各地を治める鬼神があれと
そのことは影ももちろん知っていたが、改めて語られると嫌な汗が流れる。鬼や妖怪も強大な存在だが、鬼神はもはや次元が違う。
「我々は鬼神たちを主と仰いで戦いを繰り広げているが、実際に鬼神同士が戦ったという話は聞いたことがない。鬼神たちにとって国取り合戦は遊びに過ぎないから見守っているのか、あるいは鬼神同士が戦えば
鬼神の力に比べれば、鬼同士の戦争など茶番に過ぎない。鬼神たちが本気で参戦していれば、今頃各国の戦力図は地図ごと書き換えられているだろう。
「ユキはその鬼神の力の一部が使えるのだ。ただ傷を癒すだけの存在が、鬼神と呼ばれるはずがない。あの赤い月に匹敵する
それがどんなものかはわからないが、各国がユキを欲しがる理由がそこにある。それがアオの考えだということだろう。
「……だが、それが使いこなせるのなら、ユキが捕まるはずがない」
「そのとおり。だが、捕まった後も使いこなせないままとは限らない。可能なら土胡坐でユキを確保したかったが、それができないなら次善の手を打たなければならない」
ようやく本題といった様子で、アオは影に短く告げた。
「影よ。九頭竜の領地の奥地に連れていかれる前に、ユキを殺すのだ」