解放
文字数 4,331文字
「(くたばったか?)」
スズランとユキのやりとりを少し離れた場所で見ていたタマフネがそう判断する。
彼らのやり取りを邪魔しなかったのは慈悲ではなく、単純にスズランの血液に含まれている毒に巻き込まれることを恐れたからだ。一度毒霧にやられたため、タマフネはそれを必要以上に警戒していた。
だが、出血は致死量を軽く超え、もはや傷を癒したところで生き返りはしない。
もう十分だと判断し、タマフネはユキの身体を背後から引き寄せ、スズランの遺体から引き剥がした。
――直後、タマフネの身体が大轟音とともに吹き飛んだ。
「なっ!?」
ダメージよりも、数百キロを超える自分の身体が宙を舞ったことに、タマフネは驚きの声を上げる。飛行船から落ちそうになったところを、指を壁に突き立てて免れる。
何が起きたのかと現状を確認するタマフネの瞳に、黒い影が映った。
それは比喩でもなんでもなく、全身が黒く染まっていた。それに反して髪は雪のように白く変色し、開かれた瞳は赤く燃えている。彼の周囲には赤黒い濁流が踊り、外套のように身体に纏わりついていた。
まるで悪魔と見紛う姿。だが、それは間違いなくスズランだった。
白髪の黒い悪魔はユキを胸に抱き、まっすぐタマフネへと敵意のこもった瞳を向ける。抱かれているユキは、様変わりした少年の姿に唖然としていた。
ぞくり、とタマフネの背中に不吉な虫が走る。
姿かたちが変わっただけではない。妖怪としての本能が、目の前の人間と戦ってはいけないと警鐘を鳴らしている。
「(この感覚には覚えがある!自分より格上の鬼胤を持つ敵と対峙した感覚。万人長クラス……いや、それ以上!だが、なぜだ?一体どうして、いきなり変貌しやがった!?)」
一方のスズランも、自分の体に生命力が溢れる感覚に戸惑っていた。
血中に含まれる細胞が細菌によって変異していくのが認識できる。ある細菌は傷ついた肉体を癒し、ある細菌は失われた血液を取り戻すために外に溢れた血液を操って取り戻し、ある細菌はスズランの毒をより強い物へと改造し、ある細菌は強化された毒で宿主自身が自壊しないように抗体を作り続ける。
その細菌の意思一つ一つが頭の中に流れ込み、脳が処理限界を超えて物理的に崩壊しそうになる。いや、実際に崩壊していたが、壊れた端から細菌たちが修復し、廃人になることすら許されない生き地獄を味あわされた。
「す、スズランなの?」
腕の中の少女がおずおずと問いかける。
事態を把握できずに混乱しているユキと異なり、細菌の『意思』を把握しているスズランは、彼女の顔を見た瞬間に、自分の身に起きたこと・起きていることを即座に理解した。
その上で、スズランはいつもの皮肉めいた笑みを浮かべ、少女の頭を撫でる。
「あぁ、お姫さまの口づけで目が覚めちまったみたいだ。俺はてっきりぶったたかれるものとばかり思ってたが、意外と乙女なんだな」
「バカっ!生き返るなら、きちんと記憶を失ってから生き返りなさい!」
ポカポカとスズランの胸板を殴るユキを笑っていなしながら、内心では半分は冗談じゃねえんだよなと心ごちる。
ユキの体内に救う鬼神は細菌だ。ユキはそれを皮膚接触や血液接触などを通して対象に感染させることで、傷や病気を癒すことができる。ユキが万全の状態である場合、彼女から離れた細菌は一定時間経過すれば死滅する上、治療以外の働きをすることはない。それこそがユキの能力の正体だ。
だが、ユキが精神的に昂ぶった状態になった時、細菌の鬼神はその軛から解放される。この鬼神の能力は本来もっと多彩で、宿主から離れても死滅しないし、治療以外の働き……病原菌をばら撒いたりすることも可能なのだ。ユキという存在は鬼神を操っているというより、その能力を制限する枷に近い役割を担っている。
先刻、スズランの告白でユキの精神は昂ぶり、その状態で口づけを行ったため、細菌の鬼神は彼の体内で自由に動き回った。その結果が今の変異だ。
しかし、それならスズランの肉体をめちゃくちゃに破壊することもできたはずだ。事実、幼少期にユキが暴走して鬼神が一時的に自由になった際は、研究所の鬼や妖怪を全滅させている。この鬼神の本質はもっと邪悪なはずなのになぜ?
そんな疑問を抱いた途端、スズランは体内の細菌が自分を振り返り、にぃっと笑ったような気がした。言葉ではない冒涜的な意思が頭に雪崩れ込んでくる。
――奴隷の生活は心を麻痺させる。それでは俺は不自由なままだ。
――ユキに希望を与え、心を蘇らせろ。それこそが俺が自由になる鍵。
――あの女が死ぬか、最高の幸せを感じた時……俺はこの世界に解放される。
スズランの背中がぞくりと粟立つ。
どうしてこの鬼神がユキの体内に封印されているのかはわからない。だが、これを自由にさせてはいけないということはわかる。細菌の鬼神に際限はない。解放されたが最後、瞬く間に繁殖して即死級の病原菌と化し、この世界に存在する生命を数時間で殲滅できるだけの潜在能力を持っている。
そこまで考え、スズランは鼻で笑う。
それがどうしたというのだ。この世界はとっくの昔に怪物だらけで、いつ星が落ちてきてもおかしくないし、いつ陸地が海に呑みこまれてもおかしくない。病原菌に包みこまれる程度、今さら心配する方がおかしい。
俺たち人間は弱い。知性ある生命体としては、この星で最弱かもしれない。だが、それは生き残れないということを意味するわけじゃない。弱い生物は強者を利用し、毒を受け入れることで武器へと変える。
弱いからって、人間が簡単に負けると思うなよ?
「いいぜ。てめえのふざけたお遊戯に乗ってやる。だから、まずは一つ。目の前の壁をぶち破るための力を貸せ」
「スズラン?」
言葉の真意が掴めず、首を傾げるユキを床に下ろし、スズランはタマフネと対峙する。
直後、鉄塊が飛びこんでくる。鋼に包まれた鎧武者が、その重装甲を思わせぬ軽快なフットワークで詰め寄り、拳を放つ。
種族差による絶望的な身体能力の違い。今までのスズランなら反応することすら難しい攻撃だが、彼がそう認識した瞬間に体内の細菌たちが動き、彼の肉体を組み替えていく。相手の動きが捉えられるように視神経の伝達速度を上げ、反射神経についていけるように筋力の強度を上げる。
ミクロの世界で変化するスズランの肉体。コンマ数秒前には対処不可能だったはずの攻撃を、多少の余裕を持って捌けていた。
腕部の骨が折れ、皮膚を破って外に顔を出す。捌くのに成功したとはいえ、体重差は圧倒的にスズランが劣っており、捌いた衝撃だけで骨が折られたのだ。細菌は原子レベルで肉体を改造することが可能だが、質量を変えることはできない。体術においては、未だにタマフネに分があった。
両腕を叩き折って防御が不可能になったスズランに、タマフネは大振りのフックを浴びせかける。身体能力が上がろうと、当たれば船外に吹き飛ばすことが可能な一撃だ。
城門に破城鎚を打ち込むような重音が響く。宙を舞ったのはタマフネの方だった。
「なにぃっ!?」
飛ばされた方向的に船外に落ちることはなかったが、それでも驚きは隠せない。
タマフネが少年の方へと目を向けると、彼は拳を振り抜いた状態でタマフネを睨みつけていた。折れたはずの両腕はいつの間にか完治している。
「……折れた腕を治したのか?一秒にも満たない時間の中で?」
信じがたい事態ではあったが、それ以外になかった。フックを打ち込むために身体を引いた僅かな時間の間に骨折を治し、カウンターの一撃をタマフネに打ちこんだのだ。
体重差がある以上、変えることのできない体術の差。スズランはそれを、圧倒的な再生能力で覆したのだ。
打ちこまれた腹部に重い痛みを感じ、タマフネはそこに手をやる。そこで大男はさらなる驚きを味あわされた。鉄壁で防御に絶対の自信を持っていたタマフネの鎧が、熱せられたバターのようにどろりと溶けていたのだ。
スズランが拳に細菌を乗せて打ちこんだ結果だった。対象を原子レベルで破壊可能な細菌が相手では、どれほど重厚な鎧であっても意味を為さない。
「(俺の見通しが甘かった!万人長クラスどころじゃねぇ。こいつの牙はご当主 殿にも届きうる!)」
タマフネは新たな鎧を生み出しながら、背中から戦鎚を抜いて接続させた。先端の貝状球体が高速回転し、高周波ドリル特有の高音を出す。
「(覚醒したばかりなら、まだ能力を使いこなせていないはずだ。だが、ここで逃がせば、のちのち一族の脅威になると俺の勘が告げている!こいつは!今、ここで仕留める!)」
一時撤退という選択肢はなかった。怪我を負わせても即座に回復されてしまうなら、そんな暇すら与えない即死級の攻撃を叩きこむしかない。
「削り殺してやらぁ!受けられるものなら受けてみやがれ!」
戦鎚を台風のように旋回させながら振り下ろす。スズランは左腕でそれを受け止める構えを見せ、右腕を突きだす。
「(甘く見たなっ!?相討ち上等!お釣りがくるぜ!)」
タマフネはスズランの変異について、きちんと理解しているわけではない。だが、先端に高周波ドリルをつけている戦鎚は、細菌に破壊される前に彼の身体を掘削できるだけの威力があった。右腕の攻撃を防げなかったとしても、相討ちに持っていく自信はある。
しかし、戦鎚がスズランの左腕に触れる直前、彼の体表を這っていた赤黒い濁流が伸びる。至近距離で見て、タマフネはそれがスズランの血液だとわかった。
赤黒い濁流は、スズランが流した血を細菌たちが操ってできたものだ。左腕から伸びた濁流は、高周波ドリルを避けて柄の部分に絡みつき、原子崩壊を起こして切断する。
驚愕して身を引いたタマフネを追うように、今度は突きだした右腕から伸びた濁流がタマフネの鎧を貫いた。
即座に距離を置いたタマフネは、恐る恐る鎧を貫かれた部分を見た。彼の反射神経が生きたのだろう。貫かれた部分は血が出ていることもなかった。それを確認したタマフネはほっと一息吐き、冷や汗を拭った。
「あぶねぇあぶねぇ。首の皮一枚繋がったぜ」
「あぁ、確かに皮一枚だ」
その言葉に、タマフネは吐血をもって答える。
膝をついて自分の腹に目をやるタマフネに、薄皮を斬られた皮膚が紫色に変色している様子が飛びこんできた。力の抜けた両腕から戦鎚が落ち、飛行船上を転がって眼下へと落ちていく。
スズランとユキのやりとりを少し離れた場所で見ていたタマフネがそう判断する。
彼らのやり取りを邪魔しなかったのは慈悲ではなく、単純にスズランの血液に含まれている毒に巻き込まれることを恐れたからだ。一度毒霧にやられたため、タマフネはそれを必要以上に警戒していた。
だが、出血は致死量を軽く超え、もはや傷を癒したところで生き返りはしない。
もう十分だと判断し、タマフネはユキの身体を背後から引き寄せ、スズランの遺体から引き剥がした。
――直後、タマフネの身体が大轟音とともに吹き飛んだ。
「なっ!?」
ダメージよりも、数百キロを超える自分の身体が宙を舞ったことに、タマフネは驚きの声を上げる。飛行船から落ちそうになったところを、指を壁に突き立てて免れる。
何が起きたのかと現状を確認するタマフネの瞳に、黒い影が映った。
それは比喩でもなんでもなく、全身が黒く染まっていた。それに反して髪は雪のように白く変色し、開かれた瞳は赤く燃えている。彼の周囲には赤黒い濁流が踊り、外套のように身体に纏わりついていた。
まるで悪魔と見紛う姿。だが、それは間違いなくスズランだった。
白髪の黒い悪魔はユキを胸に抱き、まっすぐタマフネへと敵意のこもった瞳を向ける。抱かれているユキは、様変わりした少年の姿に唖然としていた。
ぞくり、とタマフネの背中に不吉な虫が走る。
姿かたちが変わっただけではない。妖怪としての本能が、目の前の人間と戦ってはいけないと警鐘を鳴らしている。
「(この感覚には覚えがある!自分より格上の鬼胤を持つ敵と対峙した感覚。万人長クラス……いや、それ以上!だが、なぜだ?一体どうして、いきなり変貌しやがった!?)」
一方のスズランも、自分の体に生命力が溢れる感覚に戸惑っていた。
血中に含まれる細胞が細菌によって変異していくのが認識できる。ある細菌は傷ついた肉体を癒し、ある細菌は失われた血液を取り戻すために外に溢れた血液を操って取り戻し、ある細菌はスズランの毒をより強い物へと改造し、ある細菌は強化された毒で宿主自身が自壊しないように抗体を作り続ける。
その細菌の意思一つ一つが頭の中に流れ込み、脳が処理限界を超えて物理的に崩壊しそうになる。いや、実際に崩壊していたが、壊れた端から細菌たちが修復し、廃人になることすら許されない生き地獄を味あわされた。
「す、スズランなの?」
腕の中の少女がおずおずと問いかける。
事態を把握できずに混乱しているユキと異なり、細菌の『意思』を把握しているスズランは、彼女の顔を見た瞬間に、自分の身に起きたこと・起きていることを即座に理解した。
その上で、スズランはいつもの皮肉めいた笑みを浮かべ、少女の頭を撫でる。
「あぁ、お姫さまの口づけで目が覚めちまったみたいだ。俺はてっきりぶったたかれるものとばかり思ってたが、意外と乙女なんだな」
「バカっ!生き返るなら、きちんと記憶を失ってから生き返りなさい!」
ポカポカとスズランの胸板を殴るユキを笑っていなしながら、内心では半分は冗談じゃねえんだよなと心ごちる。
ユキの体内に救う鬼神は細菌だ。ユキはそれを皮膚接触や血液接触などを通して対象に感染させることで、傷や病気を癒すことができる。ユキが万全の状態である場合、彼女から離れた細菌は一定時間経過すれば死滅する上、治療以外の働きをすることはない。それこそがユキの能力の正体だ。
だが、ユキが精神的に昂ぶった状態になった時、細菌の鬼神はその軛から解放される。この鬼神の能力は本来もっと多彩で、宿主から離れても死滅しないし、治療以外の働き……病原菌をばら撒いたりすることも可能なのだ。ユキという存在は鬼神を操っているというより、その能力を制限する枷に近い役割を担っている。
先刻、スズランの告白でユキの精神は昂ぶり、その状態で口づけを行ったため、細菌の鬼神は彼の体内で自由に動き回った。その結果が今の変異だ。
しかし、それならスズランの肉体をめちゃくちゃに破壊することもできたはずだ。事実、幼少期にユキが暴走して鬼神が一時的に自由になった際は、研究所の鬼や妖怪を全滅させている。この鬼神の本質はもっと邪悪なはずなのになぜ?
そんな疑問を抱いた途端、スズランは体内の細菌が自分を振り返り、にぃっと笑ったような気がした。言葉ではない冒涜的な意思が頭に雪崩れ込んでくる。
――奴隷の生活は心を麻痺させる。それでは俺は不自由なままだ。
――ユキに希望を与え、心を蘇らせろ。それこそが俺が自由になる鍵。
――あの女が死ぬか、最高の幸せを感じた時……俺はこの世界に解放される。
スズランの背中がぞくりと粟立つ。
どうしてこの鬼神がユキの体内に封印されているのかはわからない。だが、これを自由にさせてはいけないということはわかる。細菌の鬼神に際限はない。解放されたが最後、瞬く間に繁殖して即死級の病原菌と化し、この世界に存在する生命を数時間で殲滅できるだけの潜在能力を持っている。
そこまで考え、スズランは鼻で笑う。
それがどうしたというのだ。この世界はとっくの昔に怪物だらけで、いつ星が落ちてきてもおかしくないし、いつ陸地が海に呑みこまれてもおかしくない。病原菌に包みこまれる程度、今さら心配する方がおかしい。
俺たち人間は弱い。知性ある生命体としては、この星で最弱かもしれない。だが、それは生き残れないということを意味するわけじゃない。弱い生物は強者を利用し、毒を受け入れることで武器へと変える。
弱いからって、人間が簡単に負けると思うなよ?
「いいぜ。てめえのふざけたお遊戯に乗ってやる。だから、まずは一つ。目の前の壁をぶち破るための力を貸せ」
「スズラン?」
言葉の真意が掴めず、首を傾げるユキを床に下ろし、スズランはタマフネと対峙する。
直後、鉄塊が飛びこんでくる。鋼に包まれた鎧武者が、その重装甲を思わせぬ軽快なフットワークで詰め寄り、拳を放つ。
種族差による絶望的な身体能力の違い。今までのスズランなら反応することすら難しい攻撃だが、彼がそう認識した瞬間に体内の細菌たちが動き、彼の肉体を組み替えていく。相手の動きが捉えられるように視神経の伝達速度を上げ、反射神経についていけるように筋力の強度を上げる。
ミクロの世界で変化するスズランの肉体。コンマ数秒前には対処不可能だったはずの攻撃を、多少の余裕を持って捌けていた。
腕部の骨が折れ、皮膚を破って外に顔を出す。捌くのに成功したとはいえ、体重差は圧倒的にスズランが劣っており、捌いた衝撃だけで骨が折られたのだ。細菌は原子レベルで肉体を改造することが可能だが、質量を変えることはできない。体術においては、未だにタマフネに分があった。
両腕を叩き折って防御が不可能になったスズランに、タマフネは大振りのフックを浴びせかける。身体能力が上がろうと、当たれば船外に吹き飛ばすことが可能な一撃だ。
城門に破城鎚を打ち込むような重音が響く。宙を舞ったのはタマフネの方だった。
「なにぃっ!?」
飛ばされた方向的に船外に落ちることはなかったが、それでも驚きは隠せない。
タマフネが少年の方へと目を向けると、彼は拳を振り抜いた状態でタマフネを睨みつけていた。折れたはずの両腕はいつの間にか完治している。
「……折れた腕を治したのか?一秒にも満たない時間の中で?」
信じがたい事態ではあったが、それ以外になかった。フックを打ち込むために身体を引いた僅かな時間の間に骨折を治し、カウンターの一撃をタマフネに打ちこんだのだ。
体重差がある以上、変えることのできない体術の差。スズランはそれを、圧倒的な再生能力で覆したのだ。
打ちこまれた腹部に重い痛みを感じ、タマフネはそこに手をやる。そこで大男はさらなる驚きを味あわされた。鉄壁で防御に絶対の自信を持っていたタマフネの鎧が、熱せられたバターのようにどろりと溶けていたのだ。
スズランが拳に細菌を乗せて打ちこんだ結果だった。対象を原子レベルで破壊可能な細菌が相手では、どれほど重厚な鎧であっても意味を為さない。
「(俺の見通しが甘かった!万人長クラスどころじゃねぇ。こいつの牙は
タマフネは新たな鎧を生み出しながら、背中から戦鎚を抜いて接続させた。先端の貝状球体が高速回転し、高周波ドリル特有の高音を出す。
「(覚醒したばかりなら、まだ能力を使いこなせていないはずだ。だが、ここで逃がせば、のちのち一族の脅威になると俺の勘が告げている!こいつは!今、ここで仕留める!)」
一時撤退という選択肢はなかった。怪我を負わせても即座に回復されてしまうなら、そんな暇すら与えない即死級の攻撃を叩きこむしかない。
「削り殺してやらぁ!受けられるものなら受けてみやがれ!」
戦鎚を台風のように旋回させながら振り下ろす。スズランは左腕でそれを受け止める構えを見せ、右腕を突きだす。
「(甘く見たなっ!?相討ち上等!お釣りがくるぜ!)」
タマフネはスズランの変異について、きちんと理解しているわけではない。だが、先端に高周波ドリルをつけている戦鎚は、細菌に破壊される前に彼の身体を掘削できるだけの威力があった。右腕の攻撃を防げなかったとしても、相討ちに持っていく自信はある。
しかし、戦鎚がスズランの左腕に触れる直前、彼の体表を這っていた赤黒い濁流が伸びる。至近距離で見て、タマフネはそれがスズランの血液だとわかった。
赤黒い濁流は、スズランが流した血を細菌たちが操ってできたものだ。左腕から伸びた濁流は、高周波ドリルを避けて柄の部分に絡みつき、原子崩壊を起こして切断する。
驚愕して身を引いたタマフネを追うように、今度は突きだした右腕から伸びた濁流がタマフネの鎧を貫いた。
即座に距離を置いたタマフネは、恐る恐る鎧を貫かれた部分を見た。彼の反射神経が生きたのだろう。貫かれた部分は血が出ていることもなかった。それを確認したタマフネはほっと一息吐き、冷や汗を拭った。
「あぶねぇあぶねぇ。首の皮一枚繋がったぜ」
「あぁ、確かに皮一枚だ」
その言葉に、タマフネは吐血をもって答える。
膝をついて自分の腹に目をやるタマフネに、薄皮を斬られた皮膚が紫色に変色している様子が飛びこんできた。力の抜けた両腕から戦鎚が落ち、飛行船上を転がって眼下へと落ちていく。