雪兎
文字数 1,911文字
朝露に濡れる草葉が生い茂る草原を、壺を抱えた少女が一人歩く。
少女は黒服に身を包んだメノウだった。普段ののんびりした雰囲気は影を潜め、暗い表情で壺を大事に抱えている。風を感じた彼女は、その原因である空を見上げた。
空を行くはクジラを思わせる巨体の飛行船。夕刈山に墜落した灰銅鑼号の姉妹機に当たる堕魂号だ。刈島城の天守閣に停泊していた堕魂号はゆっくりと動きだし、空の王者を思わせる堂々とした風格で、霧見一族の本拠地である霧見港に向かって進む。
矮小な人間には、それを見送ることしかできない。見上げる少女の目には僅かな憎しみが込められていたが、すぐにその無意味さに気付き、視線を壺へと向けた。
それはスズランの遺骨が納められた骨壷だった。
結城衆でも名のある者なら墓を造ることができるが、裏切り者であるスズランにはそのようなことは許されない。引き取り手のない遺骨を手に、メノウはたった一人で亡くなった幼馴染のための葬儀をあげる。
誰も来ないような森の片隅。骨の一部だけ土の下に埋め、その上に石を積み上げただけの至極簡単な墓を造り、彼女は手を合わせる。
「墓を造るのは掟に反するぞ」
背後からかかった祖母の声に、メノウは頷きで返すが、墓を崩そうとはしない。シオンもそれ以上追及することなく、頭上を緩やかに通り過ぎる飛行船を見つめる。
「人間って、しっかり燃やすとこんなに小さくなっちゃうんだねー。ここまでしっかり燃やしたことないから、知らなかったやー」
手に持った骨壷を見ながら、メノウがぽつりと言う。
「これがスズランなんて信じられないー。私、昨日まで普通にスズランと話してたんだよー?彼ってば、いっつも死にかけてて、愚痴ばっかりの手のかかる弟みたいでさー」
「あぁ」
「でも、いざという時は頼りになるしー、私が危ない時はいつも助けに来てくれるのー。皮肉屋を気取ってる癖に実は仲間思いでー、仲間を見捨てるってことは絶対しないのー。自分でそれに気付いてないところがとっても笑えてねー」
ぽたりと骨壷の中に一滴の水が落ちた。
シオンはそんな彼女を抱きしめて頭を撫でてやる。メノウは祖母の胸に顔をうずめると大声で泣き始めた。
「私ねー。スズランのそういうところ、好き、だった」
タマフネとの戦いでスズランに加勢していれば、何かが変わっていただろうか?おそらく、何も変わらなかっただろう。だが、その後悔は少女の心に黒い影を落とす。
少女の思いに答えられる人物はもうここにはいない。シオンは何も言うことができず、孫娘が泣き止むまでの間、胸を貸すことしかできなかった。
「……おばあちゃん、ありがとうー。もう大丈夫―」
堕魂号が過ぎ去ってすっかり見えなくなった頃、ようやく平静を取り戻したメノウが、照れくさそうに祖母から離れる。
彼女は即席で作ったスズランの墓の前にしゃがみこむと、懐から取り出した木彫りの人形を墓の前の添え、手を合わせて黙祷を捧げる。
「その人形は自分で彫ったのかい?」
「うぅん、ユキちゃんがスズランに贈ったやつだよー。スズランに持たせたままだと没収されるだろうと思ってー、私が預かっておいたのー」
木彫りの人形は兎を象った可愛らしい物だ。
ユキが持っていたというのなら、きっと雪兎のつもりなのだろう。小さいながらも丁寧に作り込まれており、今にも動き出しそうだ。よく使われていたのか、手垢で汚れていて使い古されたのが見て取れる。
「可愛いよねー。おばあちゃんがよく作ってくれるやつに似てるかもー」
「ユキは霧見一族の研究所で移植手術を受けたらしい。その時、結城衆の誰かからもらったんだろう。結城衆の木彫り細工は伝統だからな。作りはある程度似てくるものだ」
「へー、そうなんだー」
そういえば、木彫り細工を作る者は割と多いと今さらながら思い出す。若い者は修行で忙しいのでほとんどやらないが、引退した年寄りは暇つぶしによく作る。
「……ねぇ、おばあちゃんー。私にも木彫り教えてもらっていいー?スズランのお墓に、お供えしてあげたいんだー」
「もちろん、いいとも。何を作るんだい?」
「えへへー、内緒ー」
口元に人差し指を当てて、メノウは微笑む。少し元気が出てきた孫娘の様子を見て、シオンは少しほっとしたような顔になる。
「それにしても、これ本当に出来がいいねー。おばあちゃんとどっちがうまいかなー?」
兎の人形を手にとって眺めながら、メノウは何気なくそんなことを聞いてみた。その問いに対して、シオンは即答する。
「その兎を作った人の方がうまいよ」
少女は黒服に身を包んだメノウだった。普段ののんびりした雰囲気は影を潜め、暗い表情で壺を大事に抱えている。風を感じた彼女は、その原因である空を見上げた。
空を行くはクジラを思わせる巨体の飛行船。夕刈山に墜落した灰銅鑼号の姉妹機に当たる堕魂号だ。刈島城の天守閣に停泊していた堕魂号はゆっくりと動きだし、空の王者を思わせる堂々とした風格で、霧見一族の本拠地である霧見港に向かって進む。
矮小な人間には、それを見送ることしかできない。見上げる少女の目には僅かな憎しみが込められていたが、すぐにその無意味さに気付き、視線を壺へと向けた。
それはスズランの遺骨が納められた骨壷だった。
結城衆でも名のある者なら墓を造ることができるが、裏切り者であるスズランにはそのようなことは許されない。引き取り手のない遺骨を手に、メノウはたった一人で亡くなった幼馴染のための葬儀をあげる。
誰も来ないような森の片隅。骨の一部だけ土の下に埋め、その上に石を積み上げただけの至極簡単な墓を造り、彼女は手を合わせる。
「墓を造るのは掟に反するぞ」
背後からかかった祖母の声に、メノウは頷きで返すが、墓を崩そうとはしない。シオンもそれ以上追及することなく、頭上を緩やかに通り過ぎる飛行船を見つめる。
「人間って、しっかり燃やすとこんなに小さくなっちゃうんだねー。ここまでしっかり燃やしたことないから、知らなかったやー」
手に持った骨壷を見ながら、メノウがぽつりと言う。
「これがスズランなんて信じられないー。私、昨日まで普通にスズランと話してたんだよー?彼ってば、いっつも死にかけてて、愚痴ばっかりの手のかかる弟みたいでさー」
「あぁ」
「でも、いざという時は頼りになるしー、私が危ない時はいつも助けに来てくれるのー。皮肉屋を気取ってる癖に実は仲間思いでー、仲間を見捨てるってことは絶対しないのー。自分でそれに気付いてないところがとっても笑えてねー」
ぽたりと骨壷の中に一滴の水が落ちた。
シオンはそんな彼女を抱きしめて頭を撫でてやる。メノウは祖母の胸に顔をうずめると大声で泣き始めた。
「私ねー。スズランのそういうところ、好き、だった」
タマフネとの戦いでスズランに加勢していれば、何かが変わっていただろうか?おそらく、何も変わらなかっただろう。だが、その後悔は少女の心に黒い影を落とす。
少女の思いに答えられる人物はもうここにはいない。シオンは何も言うことができず、孫娘が泣き止むまでの間、胸を貸すことしかできなかった。
「……おばあちゃん、ありがとうー。もう大丈夫―」
堕魂号が過ぎ去ってすっかり見えなくなった頃、ようやく平静を取り戻したメノウが、照れくさそうに祖母から離れる。
彼女は即席で作ったスズランの墓の前にしゃがみこむと、懐から取り出した木彫りの人形を墓の前の添え、手を合わせて黙祷を捧げる。
「その人形は自分で彫ったのかい?」
「うぅん、ユキちゃんがスズランに贈ったやつだよー。スズランに持たせたままだと没収されるだろうと思ってー、私が預かっておいたのー」
木彫りの人形は兎を象った可愛らしい物だ。
ユキが持っていたというのなら、きっと雪兎のつもりなのだろう。小さいながらも丁寧に作り込まれており、今にも動き出しそうだ。よく使われていたのか、手垢で汚れていて使い古されたのが見て取れる。
「可愛いよねー。おばあちゃんがよく作ってくれるやつに似てるかもー」
「ユキは霧見一族の研究所で移植手術を受けたらしい。その時、結城衆の誰かからもらったんだろう。結城衆の木彫り細工は伝統だからな。作りはある程度似てくるものだ」
「へー、そうなんだー」
そういえば、木彫り細工を作る者は割と多いと今さらながら思い出す。若い者は修行で忙しいのでほとんどやらないが、引退した年寄りは暇つぶしによく作る。
「……ねぇ、おばあちゃんー。私にも木彫り教えてもらっていいー?スズランのお墓に、お供えしてあげたいんだー」
「もちろん、いいとも。何を作るんだい?」
「えへへー、内緒ー」
口元に人差し指を当てて、メノウは微笑む。少し元気が出てきた孫娘の様子を見て、シオンは少しほっとしたような顔になる。
「それにしても、これ本当に出来がいいねー。おばあちゃんとどっちがうまいかなー?」
兎の人形を手にとって眺めながら、メノウは何気なくそんなことを聞いてみた。その問いに対して、シオンは即答する。
「その兎を作った人の方がうまいよ」